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京大漫トロピーのブログです

【12/9】他力本願

今年漫トロピーに入会したへっどです。

今年のアドカレのテーマは「セイ。」ということで、主人公・富士動機子の体が急「成」長し巨大化してしまうフェチ系漫画『ジャイアントお嬢様』について語りたいと思います。

この作品では巨大化するお嬢様という要素のみに焦点が当たっています。なのでお嬢様とそれを補佐するセバスチャン以外の登場人物の顔は一切描かれていません(一巻時点では)。また、ストーリーや設定なども必要最小限のものしか提示されません。これによって巨大化するお嬢様という要素だけを堪能できるように作られています。

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巨大化したお嬢様と一般人

といっても私が語る必要ってあまりないんですよね。と、いいますのも、
www.sunday-webry.com
と、原作者本人が巨人化の魅力について長々と文章で語っています。実際のところ、私がここで何か付け足したところで蛇足にしかならないと思うんですよ。

ということで本記事はこれにて完結です!

……というわけにもいかないので、少しだけ続けます。
正直なところ、私は『ジャイアントお嬢様』をあまり楽しめませんでした。初めの数話はその題材の物珍しさと「巨人化の何が魅力なんだろう?」という疑問から興味を持って読み進められました。しかし私はそもそも巨人化それ自体にはあまり関心がないことと、それ以降の展開が同じ事の繰り返しのように感じられて飽きてしまったことが原因で楽しめませんでした。もちろんそれだけフェチに特化しているということで、巨人化フェチの人ならこの漫画の良さを存分に読み取り、高い評価を付けるかもしれません。

それではこの作品は巨人化フェチではない人間には無意味な漫画なのでしょうか? 私はこういった「自分には良さが理解できない」作品にこそ、読むことの意義があると考えています。
一人で面白そうな作品を探したり、鑑賞することには限界があります。自分の好みの作品だけを読んでいても、自分の感性を肯定するだけで、その繰り返しに人はいつか飽きてしまうものだと思うんです。

かといって、自分の感性からかけ離れた作品を受け入れるのは一般にはそう簡単ではありません。そういった作品を目の前にすると、驚き、拒絶してしまうのが普通だと思います。しかし、その驚きにこそ読むことの意義が秘められていると思っています。自分の価値観の外側にあるもの、一見して理解しがたいもの、そういったものの存在を認識し、理解しようとする。その行為の繰り返しこそが私たちが様々な作品を読み続けることの意義なのではないでしょうか。

何かを好きになること自体を本人が自由に選ぶことはできません。例えば好きな性別も、どんな年齢の人を好きになるかも、そもそも誰を好きになるかだって私たちは気付いたらそうなっているだけです。そんななかで好きになれなかったもの、魅力がわからないものを理解不能なままにしておくということは、それだけ自らの「読み」の可能性を狭めていることに他なりません。わからないからこそ、読むのです。

自分の感性の外側にある作品を理解するために、自分一人で考え抜くという方法があります。一つの作品をその作品だけで読み取り、その解釈を自分の中で完結させることにも意義があるとは思います。ですが私は、作品を他人と語り合うことや、他人の批評に頼ることにこそ生まれる可能性があると思います。自分が作品を読んで受け取ったことや、作者が伝えたかったこと、それだけではなく、それらを超えるものを発見する契機が他者との語らいのなかにこそあると私は思っています。

とはいうものの、自分自身は普段、漫画を真面目に読んで感想を言ったり考察をしたりはしていません(大変なので)。どちらかというと批評を楽しんでいる人たちを眺めて楽しんでいる気がします。他人任せですね。

【12/8】居場所欲しいよね、うんうん。

はい、すいっちです。こういった感じでブログを書くのは初めてでなんだかこそばゆい気持ちになります。最近ある大会に参加していたのですがそれの落選通知が(しかもまだ2次予選)今日きてしまい、心の穴がまた空いてしまうのではないかとビクビク怯えております。後2時間以内にこの記事を書き上げなければいけないのですが、もしかしたら間に合わないのではないか?これまじでやばいのではないか?え?一回生のくせに?焦っております。間に合わなかったらごめんなさい。てな感じで、えーなんか特に前置きをすることもないのでテーマ「セイ」について語っていきます。僕のテーマは「性」です。性といっても紹介するのはこの漫画「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」受験戦争、クリスマス戦争、カースト戦争、数々の競争に敗れてきた身としてはなんか自分を癒してくれます。

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2016年発行でもう読み終えた方も多いと思うのですが、自分は最近読みました。地元に住んでいた時、存在を知りつつもこれを買うのは恥ずいしな...と敬遠していた。セリで出されてた本で本音を言うと最初読む前は7割くらいエッチを期待して買ってしまったのですが、内容は至って真面目で「社会不適合者が自分を認めれるようになる話」なんですね。中々響きました。著者は大学中退後、摂食障害や鬱などになるも自分を認めてもらうために地を這いつつ模索していく。その過程で自分の今まで避けていた本心である性的なことをレズ風俗で解消するのですが、自分の今まで抱えていた悩みを解決し、這い蹲りながらも一つづず前に進んでいくんです。(あれ、言いたいこと伝わってない気がする、まあいいや)

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バイトないと居場所ない感じわかる、あ、ごめんあってもないかも

所属する場所欲しさにバイトをするも遅刻早退欠席で迷惑をかけ、詰められるシーン。ここでクビ。自分は編入でこっちにきたので友達も少なく大変共感してしまう。その後著者はまた新しいバイトを始めるもまたクビになり居場所候補地は消滅、頑張れない自分に幻滅し、死ぬ方のメリットがどんどん高まっていく.....そんな自分になってしまったことに悔しくなり足掻くことを決意する。

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僕もこうでありたい


「一日三食食べる」・「朝起きて夜寝る」・「バイトをする」こんな「ふつうの生活」をできることがどれだけすごいことか。その後親の承認を得るべく頑張りに頑張り続けるも「フリーター」での壁は厚く正社員になることを決意する。もうね、この小さなスモールステップを踏んでいってる感じが見てて自分の応援をしている気持ちになるんですね。
そんなこんなで正社員の面接で漫画家になることを勧められ漫画家になるんですが、意外にも順風満帆とはいかない。なぜなら「親のごきげんとりたい私」の要求で動いていたから。自分の本心を探っていると性的な事に関心がある事に気づきそこでレズ風俗に行くことを決意する。決意するも頭のハゲを言い訳に悶々とする。ここは自分が真性包茎を言い訳に様々な正当化をしてきたことと重ねてしまう。

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あかん


その後レズ風俗に行くことを達成し、性的経験の有無を重要視する価値観に抗い続けた戦いも終わり、漫画も順調に進み、人生に前向きに生きれる事になる。自分が生きていける道を見つけ、

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僕はメタな自分とリンクする感覚がある。

という状態になって前向きに生きていく話。
自分は今日甘い蜜であったある大会の審査に落ちてしまい、ここからまた「甘い蜜」になるものを探していかなければいけない。著者みたいに頑張れないかも知れんけど自分なりに頑張りたいですね!って感じで終わりにしようと思います!まあね!文章書くのは苦手とか以前の問題なんでね!数々の問題点があるとは思いますが!終わらせてください!みなさん良いクリスマスをお過ごしください!!

【12/7】7日目。夢の話。

こんにちは。入トロ1年目、2回生の夕陽です。

秋の気配がすっかり影をひそめ、本格的に冷え込んできました。冬の生存競争(クリスマス)に敗北した僕のような引きこもりのカス人間は、出不精に磨きがかかり、コロナとともに猖獗を極めております。ですがコロナの影響で今や人類総引きこもり時代。逆にこもればこもるほど褒められるのです。やっと世間が追い付いたか。仲間に入れてやるのもやぶさかではないぞ。


家に引きこもって惰眠をむさぼっているせいか、最近はよく夢を見ます。夢なんだから甘ったるいのをひとつ見せてくれりゃあいいのに、出てくるのは小中高時代の見知った顔ばかり。目が覚めた後、そいつとのふとした会話を思い出して、思わず笑ってしまうこともあります。ついこないだは、「俺が死んだって誰も悲しまないんだ……。」とこぼしていたクラスメイトのことを思い出しました。いまだにかけるべき言葉が見つかりません。というわけで、僕のテーマは「覚セイ」。夢の話をしちゃうぞい。醒の字は本来は酔いが醒めるという意味でつかわれるそうですが、知ったこっちゃありません。お酒の漫画なんて『たくのみ。』しか知らんしね。


題材が夢ということでこちらの漫画をドン!

楳図かずおの『神の左手悪魔の右手』。言わずと知れた名作です。
簡単に話を説明しますと、悪夢と現実をリンクさせる能力を持つ小学1年生の男の子「山の辺 想(やまのべ そう)」が、自身をとりまく環境で起こる様々な怪事件を、尋常ならざる行動力で解決していく、という話でございます。全5話構成。今回は個人的に好きな第一話「錆びたハサミ」の紹介をします。
呪われた鋏を想君の姉の泉ちゃんが拾ってしまったことをきっかけに、精神的・物理的な怪現象がその身に降りかかるというお話なのですが……、まあ初っ端からすごいのなんの。寝ている泉ちゃんの両目から勢いよく鋏が突き出し、そのまま鼻根部をザクッ。開始2ページで最悪の絵面が完成してしまいましたが、心配ご無用。これは想君の見ている悪夢であり、当の本人はすやすや寝ています。よかった~。想君が姉の無事に胸をなでおろしていると、真夜中であるにも関わらず泉ちゃんのもとに訪ねてきた同級生・法子から担任の先生の訃報が知らされます。

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お嬢ちゃん、ここ2階なのよ

どうやら先生は増水した川に飲まれたらしいのです。法子はそのことを確認したいらしく、それで姉を誘いに来たそうな。泉ちゃんはしぶしぶこれを承知し、いざ出発。町が川に進行形で浸水されていく中をずんずん進んでいくのですが、突然一行の前にあるものが流れ着きます。

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流されたてホヤホヤです

そうです。地下室です。

きっと地下室君もよもや自分が流されることはあるまいと高を括っていたでしょうが、楳図ワールドにおいてそんな甘っちょろい考えは通じません。あわれ地下室君は寒空の下に投げ出されてしまったわけです。地下室が目の前に現れたのですから、入らないわけにはいきません。おびえる皆を尻目にエイヤと足を踏み入れます。想君はそこでハサミを見つけるのですが、なんということでしょう。このハサミ、夢で見たあのハサミとおなじではありませんか!

……とまあ、アニメや映画であればタイトルが出る頃合いでしょう。話の解説はアバンにとどめて、ここからは少し構造の話をするとします。ちなみに物語は終始こんな感じです。


夢、というものが話の中核を成しているならば、意識すべきはこれは夢の主は誰なのか?という部分でしょう。夏目漱石の『夢十夜』でも夢の主導権を握られている話がありましたね。「錆びたハサミ」でその役割を担うのは、主人公である想君です。想君の悪夢は、最初は自分にだけ見える幻覚として、次に皆が視認できる怪奇現象として徐々に現実世界で表出していきます。ここで注目したいのは、夢の主についての視点が途中まで隠されているという点です。もちろん想君の設定からそれを推理することは可能なのですが、そちらに意識がいかないような話の作りになっているのです。最初のグロ夢シーンもどちらかというと予知夢の類ですし、後に出てくるグロシーンにだけ発動するサイコメトリー(とんだゴミ能力である)も視点をぶれさせる役割を持っているでしょう。つまり、あくまで物語の主体は怪奇現象側にあり、想君は特殊能力によってそれに接続しているのだと勘違いさせることで、実際は特殊能力を持つ想君のもとに怪奇現象が呼び込まれているという構造を隠しとるわけですな。80年代にこんなホラー描けちゃう楳図センセはすごいにゃ~。
構造についての種明かしは物語の終盤、想君が疲れのあまりベッドで泥のように眠りはじめた後のシーンから始まります。家で寝ているはずの想君が他の登場人物たちの前に姿を現し、善性なるものには神の左手で救済を、悪性たるものには悪魔の右手で粛清をもたらしていきます。想君がこの一連の悪夢の主が自分であることを理解したとき、意のままに世界を操れるようになるのです。法子の「そうよ、おまえがこんなことを作り出したんだっ!!」「わたしはわかった!!」「おまえがいちばん恐ろしいやつだったんだっ!!」というセリフがこの物語を象徴しています。いやーいい話だ。ちなみに第5話ではこのような表現はあとかたも無くなり、いままで築き上げられた文脈がすべて投げ捨てられて、能力者たちのスタンドバトルがおっぱじまります。なんでやねん。

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スタンド名募集中

長々と浅い理解で浅い文章を書いてしまいました。すまんの。肝心のホラー描写にはほぼ言及できていませんが、これは実際に手に取っていただくのが一番でしょう。なにせ絵なのでね。

話は変わりますが、今年のクリスマスには『呪術廻戦』の映画が公開されますね。12月24日に公開するっていうのはなんでしょうか。カップルで見に来いという事なんでしょうか。それとも乙憂太と祈本里香の関係性を示しているんでしょうか。あるいは。クリスマスと聞いて一般的に思い描かれるカップル像にあの二人が当てはまるとも思えないが。それともなんかあんのかね。どっちにせよ僕には関係のない話です。だって、


映画と夢は一人で見るもんでしょう?


なーんもうまくないね!以上。

【12/6】それが何か見せつけてやる

げんしです。
まず始めに、Adoさん、「うっせぇわ」におかれましては2021年度新語・流行語大賞受賞おめでとうございます。
「正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる」
良い歌詞ですね。

ということで自分のテーマは正しさの「正」です。
と思っていたのですが、「正しさ」について書いていくうちに色々とっちらかって収拾が付かなくなってしまったので、このテーマは諦めます。悔しい。まぁでもせっかく書いたのに全ボツはダルいので、とりあえず自分が宣伝したかった曲などを貼り付けときます。一番言いたかったことは、1st Album「狂言」リリースおよびワンマンライブ「喜劇」開催決定おめでとう、Adoさん、ということです。

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ここからは、自分が代案として考えていたテーマ「性」について書きたいと思います。
実は自分も『少年のアビス』について書こうかなとぼんやり考えていたのですが、今年の12月4日分のアドベントカレンダーでおしおさんが見事に紹介してくださっていたので、自分は「アビス」に似ている漫画を紹介しようと思います。

『少年のアビス』は田舎が舞台で、を扱い、を解き明かしていく話なのですが、ちょうど二週間前、同じように田舎・性・謎の三要素を備えた漫画をどっかで読んだことがあるな~と思い、いろいろ遡っていくうちに無事該当する漫画にたどり着きました!
その名も『ももえのひっぷ』です!!!

読んだことある人は、どこが「アビス」に似てんねんと思ってしまうかも知れませんが、気にせずいきましょう。
作者はコージィ城倉、別名義で『グラゼニ』の原作とかしてる人みたいですね。
2010ー11年に連載されていた漫画で、全四巻です。読みやすいボリューム!

ではまず内容の紹介。
主人公の桃肢(ももえ)が自らの魅力的な肉体を武器に謎を解き明かしていく、エロギャグ×ミステリ漫画です。
第一巻裏表紙に書いてある作品紹介が上手くまとめられているので、そちらを見ていきます。

「ダム建設を巡り過熱する、とある田舎町の町長選挙。そんな選挙戦の最中、ダム建設中止派候補・大小中(だいしょうあたる)が”限りなく事故に近い傷害致死”で死んだ! この非常事態にダム建設を中止させたい関係者が取った驚愕の行動とは・・・!? 陰謀に巻き込まれた未亡人・大小桃肢(ももえ)の壮絶なる戦いが始まる!!」

ご覧のように、この作品にも田舎・性(未亡人ももえ)・謎(陰謀)が登場します。
それぞれの要素について軽く触れておきます。
田舎に関しては、そのままです。なにが町という田舎を舞台に物語は進みます。「アビス」では田舎の閉塞感が描かれていますが、本作では跡取り問題やダム建設、言い伝えといった田舎にまつわる社会的な話題が描かれています。
性に関しては、夫である大小中を亡くした未亡人・桃肢が一人で性的な役割を担っています。桃肢の魅力に男は誰も逆らえません。
そして謎に関してですが、やけにしっかりしたミステリが展開されます。一見ギャグっぽいエロ漫画なのに、論理はしっかりしていますし、伏線も丁寧にばらまかれています。一番大きな謎は「なにが町では一体何がおきているんだろう」というホワットダニット型の謎ですが、それ以外にもホワイダニット、フーダニットが並行しています。

ではもう少し細かくこの作品の魅力を見ていきます。
なんといってもこの作品の特徴は、上にも書いたとおり「エロギャグ」と「ミステリ」の二点です。
この二点が独立して作品を象徴しているわけではなく、二点が重なり合って作品の魅力となっています。
どういうことか。
そもそもミステリの伏線というのはダブルミーニングになるのが望ましいとされています。されていると言うのは、今たまたま手元にある『書きたい人のためのミステリ入門』(新井久幸)の中に、それが望ましいって書いてあるというだけのことなのですが......。

(ちょっとネタバレが避けられそうにないので、以下ネタバレを含みます)
たとえば本作では、矢沢という人物の顔面にできた怪我が後のイベントにつながる伏線になるのですが、単に矢沢を電柱なんかにぶつけて顔を怪我させるとかでは伏線としてはバレバレですしダサいですよね。
そこでどうするかと言ったら、本作は伏線を桃肢とのエロギャグエピソードに重ねているのです。
具体的には桃肢に誘惑された全裸の矢沢が障子を突き破ることで、矢沢は怪我をします。

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矢沢はプリケツが良い

読者は、というか少なくとも自分はこのページを見て笑ってしまいましたが、後にこれが伏線だと気づかされたときには、やられた!と思いましたね。
このシーンでは、矢沢の怪我という伏線に「桃肢との絡みのオチにできた怪我」というエロギャグの面としての意味と「矢沢本人かどうかを識別するときに役立つ怪我」というミステリの面としての意味を同時に込めているのです。
本作にはこういったダブルミーニングな伏線が作品全体を通してまんべんなく、さりげなく配置されています。
上記の「ミステリ入門」にも、良いミステリは謎を解くヒントを作品全体に偏り無く散りばめているって書いてあった気がします。よって『ももえのひっぷ』は単なるちょっとエッチな漫画ではなく、良いミステリでもあるんです。

まとめるとこの作品の魅力は、笑える下ネタとそれを伏線にするミステリということになります。
あと、ネタバレしてしまうのを日和ってあまり詳しく書いてきませんでしたが、下ネタと謎解き以外にもこの漫画にはいろいろ魅力はあります。終わりも近いので列挙しますが、戦争やら熊やら中国やら面白そうな要素がまだまだあります。
よかったら読んでみてください。

なんか全然「性」って感じのことを書けなかったので、とりあえず最後に『ももえのひっぷ』っぽいページだけ貼っておきます。

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この尻が、男を狂わせます

【12/5】性の聖性についての省察

 漫トロピー新規副会長となりました、一回生の蔦屋と申します。以後よろしくお願いします。
 さて、今年も「聖なる夜」、またの名を「性なる夜」Christmasが刻一刻と近づいてきました。従ってアドベントカレンダーのテーマの解釈ですが、王道の「聖」「性」について考えてみたいと思います。というのも、性的な文脈(Twitterでいう「センシティブ」ではなく、もっと広義の)においてしばしばそれらが聖なるものとして美化して語られている(あるいは私が語っている)ように感じることがあるからです。本日はこの点について、極めて主観的な省察をしようと思います。
 ほんの少し身の上話をすると、最近Twitterで呟き始めました。あれがなんとも不思議な気分で、私は元来自分のことは覆い隠していたい性質なんです。だから当然自分の呟きは誰にも聞かれたくないし、以下の文章もできれば読み飛ばしていただきたい。……とは言いつつみんなが私を少しでも知ってくれることを考えるとそれはそれで快感なんです。これはもはや精神的露出狂ですね。とりあえず今日のところは若輩の戯言程度に聞いていただければ嬉しいです。

 本題に戻ります。最近、自分はロリコンなのでは?と思う瞬間がたまにあります。それは自分の文学的嗜好を省みた時です。私の好きな漫画をここで紹介しておくと、『のんのんびより』『よつばと!』『干物妹!うまるちゃん』『炎炎の消防隊』『放課後ていぼう日誌』などです。いずれも言わずと知れた名高きものではありますが、あえて共通点を見出すとすれば……Mädchen! 女の子なんですね。女の子たちが純粋。清廉。無垢。私はロリコンを、その無垢さゆえにあどけなき少女に心をときめかせる存在だと思っているので、私は自らのロリコンの範疇に入ることになります。そして我が家(ここでは真の意味で)ではロリコンは異端審問の対象になるので、いつバレるかと戦々恐々としているのです。
 以前、ひょっとしてこれはまずいことなのでは?と思い、ロリコン(以下、紳士)についてpixiv百科辞典ニコニコ大百科で厳正に調査をしたことがあります。そこで知ったスローガンがこちら。
「Yes!ロリータ No!タッチ」
 私は今のところこれを叫ぶほどの情動を心に萌したことはないのですが、いざという時の自決用の毒薬として常に首からぶら下げています。ところでこの言葉からは、紳士たちがロリータという欲求の対象を不可触なものとして、禁忌の領域に置いていることを見てとれます。彼らはロリータを神聖視しているとも言えるでしょう。
 ここから少し真面目な話になりますが、なぜ紳士が白い目で見られる風潮にあるのかという問題について、その嗜好が犯罪に通ずるからとは単純には言えません。なぜなら性犯罪は年齢差のある関係に限らず起こりうるからです。紳士がその他の嗜好に対して決定的に問題なのは、対象であるロリータに十分な判断能力が備わっておらず、欲求が実体化したならば力関係が必ず非対称になってしまう点だとされています。つまり、正しい性的関係には「対等な合意」が必要であるといえ、これは精神の問題になります。こうした社会的通念の中、実現しない恋にひとしきり悩んだ紳士から、「十分に判断能力を備えたロリータならば、愛でても問題ないではないか!」という発想が生まれます。これを可能にするのがロリババアです。彼女たちは外見的には無垢にもあどけなさを残しつつ、精神的には豊富な経験を積んできたのですから。この感覚はそれなりの賛同を得るでしょうが、一定数の紳士は精神的無垢の喪失をもって「もはやロリータではない。」と主張するでしょう。(私はロリババア推奨派です。)

 ここで今回のテーマ、性の聖性を論じたいのです。手始めに私は、紳士らの訴えに対してこう言いたい。私たち紳士から見えている大抵の少女像はロリババア的だ、と。これについては『のんのんびより』の少女たちが明らかに年相応の知能と機転を超えていることが例として挙げられます。

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かわいすぎる、が…… (『のんのんびより』2巻より) 

 方法論的にあえて逆の立場から論じるとすれば『鬼滅の刃』のキャラクターたちが挙げられます。本作における男性キャラたちは大変魅力的です。真面目で家族思い、正義感に溢れているが天然の炭治郎。臆病で劣等意識を持つが、いざと言うとき頼りになり女の子には積極を極める善逸。美しい容姿でありながら盲目的な戦闘狂でやがて情に厚い一面を露わにする伊之助など、多様なキャラの溢れる魅力に作品人気が裏付けられていることは疑う余地がありません。しかし人格的リアリティに関して言えば、「鬼滅」は仙人たちのコンツェルトといえます。等身大の青少年は、正義と友情であんなに一意専心、百折不撓を体現できるはずがありません。

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仙人のごとき言葉の重み (『鬼滅の刃』10巻より)

 本当の青少年はいい意味でもっと短絡的で卑小で怠惰だと言ってしまいたくなる。これに比べるとまだ女性陣の「添い遂げる殿方を見つける」や「姉を殺された復讐」の方が現実味があります。多少ゾッとはしますが。この漫画では、男性が聖なる性、ショタジジイとして描かれており、対して女性は多少リアルなのではないかと思います。これと同じことがおそらく大抵の少女および女性像にも起きているのではないでしょうか。すなわち大抵の少女および女性像は、彼女たちがあの年齢では到底到達できない、愛でたき性質を備えているのではないでしょうか。
 しかもこれは既婚者、未婚者の作品に関わらず言えることではないかと私は感じています。というのも今、授業で夏目漱石の文章(『彼岸過迄』)を読んでいるんですがやはりこのような女性像を反映しているんです。しかし彼はやはりすごくて、女性が永遠の謎であり、魔性であり、男性には決して核心に触れられないものだと分かった上でその技巧に翻弄される男たちを描いています。これは彼の文学者としての素晴らしき素直さと洞察だと思います。ただ、既婚者の漱石ですらこの調子であり、また多くの既婚漫画家も同様だろうと思うので、男性にとって女性像は聖なるものになる必然性を含んでいるといえるのではないでしょうか。そしてその逆もまた然り(というのは私の女性像ですが)。異性の認識とは聖性を備えざるを得ないものである気がします。
 大抵の人は、自分はこの聖性に自覚的だと言うでしょうし、実際大きな問題がない程度にはわきまえているのでしょう。しかし、聖性は理性の枠に収まらないからこそ聖性たるのであって、実は気を抜いた瞬間に恐るべき事態を招いているのかも知れません。例えば、「同性がやっているとムカつくけど、(かっこいい、かわいい)異性が同じことをやっていると許せてしまう」と感じる機会は意外によくあると思います。極論で言えば、ヒトラーを女性として描いた小説でも読めば、私もヒトラーに同情的になってしまうかもしれないし、それが私の総合的ヒトラー像に影響を及ぼさないとも限らない。正直に言ってこれは避け難いことだと思います。異性は聖性を備えながら、理性を超えて認識そのものを歪めてしまうことさえありうるのです。
 さて、結論ですがまず我々は、異性は根本的に聖なるもの、無限の努力の先にも辿り着けるかどうかわからないものであることをはっきり認めなくてはなりません。さもなくば、わきまえのない紳士たちのように、この歪で不可解でされど美しい等身大の世界を聖なる世界に押し込めた末、その罪を償う羽目になりかねません。しかも十分に聖性を自覚した上でなお、聖性による世界の歪みを覚悟しなくてはなりません。ここまでくると、もはやまともに異性と喋れる気がしませんね。
 ……ということで聖なる夜は性なる夜などではなくて、性の聖なることを孤独のスパイスとともに噛み締める楽しい夜にしましょう!\(^o^)/

 と、己の非リアなることと、それゆえのルサンチマンとを盛大に暴露したところで本稿の結びとしたいと思います。それでは皆さん、良い年末をお過ごしください。

【12/4】内容がないよう

おしおです。最近爪にバイターストップを塗るようになり、食べるもの全てが苦味にあふれるようになりました。
ということでやっていきます。

今回のアドベントカレンダーのテーマは「セイ。」ということで、ぜんぜん日和らずに性の話しでもしようと思います。
テーマを見た時にみんなのオススメ性欲コンテンツが聞けるって思ったけどそこまで甘くなかったです。

性といえばセックス、セックスといえば最悪であればあるほど良いと言われていますが、
この2021年で1番高密度で最悪なセックスを食える漫画といえば?

そう、
少年のアビスですね。
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磯野〜〜!少年のアビスの好きなヒロインの話しようぜ!

というのが今回の主題と言っても過言なのですが、この作品は最悪の五等分の花嫁と一部から名高いことからわかるよう、とても良くできたラブコメディであるわけです。
かんたんに作品のあらすじを話すと
クソ田舎村風習にとらわれて出れない人間達の足引っ張りあいメンヘララブコメディ
田舎出身の友人は心に傷を負って読めなかったので、心臓に悪い方、田舎から出てきてそれにコンプがある方にはおすすめしません。自分の傷をえぐられて作品に昇華されると気持ちよくなる倒錯した方には大変おすすめします。


個人的にこの漫画だけでなくラブコメ全般の楽しみ方はヒロインレースを馬券買いながら騒いで読むことだと思ってるのですが、その点でこの漫画はメンツが異様。
ヒロインの中に実母がいる…

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そんなことがあるかよ

もう怪獣大合戦だよ……

最終ヒロイン実母に負けない色々なヒロインが出てくるので、
強い属性のやべーメンヘラ女が好きな人はマジで一度読んでみてほしいです。

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こういうのに共感すること、かなりある。

自分は田舎産まれではないのですが、絶対田舎がリスポーン地点だったら人生が更に詰んでいたので田舎のことをクソ田舎村だと思う節があります。
上の画像の女性は29歳女性教師なのですが、
「田舎で楽しく生きていて大人として成功しているように見えるキャラクター」
からあふれる負の感情が見事
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こういうこと、あるある〜!(メンヘラあるある)





やべ〜性の話をしていない……
自分だけのものじゃないブログに載せることをめちゃくちゃ日和ったのですが、出てくる女全員セックスシーンがある!多分。
個人的には母親が他の男と寝ているシーンや他のヒロインと寝てる
ような気配があるシーンがあるのでそこがめちゃくちゃ好きです

もういったい何を言ってるんだ……


あとこの作者さんの女体の書き方が本当に魅力的で大好きなので、それを目当てに読んでみてほしいです。

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サンプルに神作の前作のものを載せます

逆に少年のアビスはもう読んだよって人いたら初恋ゾンビ(前作)をおすすめしたい。可愛くて明るくてこちらは正統派ラブコメです。


最後に一番好きなヒロインを紹介して終わろうと思います。

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かわいい〜〜〜!

こういうサブキャラっぽい負けヒロイン1番好きなんですよね。
主人公のことを大切に思っていればラブコメにおいて性別なんて関係ないことがわかります。セイ。だけに…

では良いクリスマスを

【12/3】言ってることがフワフワしてるのはロクに勉強してない+本を読んでいないせい。

ほぼ冬眠中、むぅです。
テーマが「セイ。」らしいので、「所為」でいきます。

「所為」というのは「そうなった原因・理由」を表す言葉ですが、私たちは普段の生活で数えきれないほど「○○は何のせいなのか」ということを考えると思います。
「眠いのは昨日の夜遅くまで課題をしていたせいだ」とか、最もそれらしいものを原因として設定することが多いです。
難しいことは私にはわからないのですが、過去→現在→未来、原因→結果という一方向に進む世界に生きているのだから当然といえば当然なのかもしれません。

そのような思考様式が染み付いてるせいなのか、原因のわからないものを人は恐れたり、それに無理やり何かしらの原因をあてはめたがるような気がします。
例えば、凶悪事件の報道などで「犯人は○○に影響された」(○○にはアニメやゲームや、不健全とされているものが入る)と言われることがありますが、これは「原因のよくわからない怖いもの」を自分が理解可能な形に落とし込んで、とりあえず不安を解消しているのではないでしょうか。
どうにかこうにか、それらしい理屈付けをする様子は見ていて面白くもあります。
良く言えば「想像力が豊か」です。

一応漫画読みサークルの記事なので漫画と関連付けると、漫画では「○○は何のせいなのか」により一層過敏になるような気がします。
「なんとなくそうなっている」ということがあまり許されない、言ってみれば読者の想像力によって縛りを受けるのではないでしょうか。
例えば、キャラクターが単なるイメチェンで散髪するのはダメで、失恋のような強い理由が必要になる、みたいな。
(今調べたら文学のルールで「チェーホフの銃」というのがあって、それになんか似てる。勉強してなさすぎて知らなかった。)
これはストーリーの展開に関する縛りですが、キャラクターデザインや背景など、小説等よりも読者に見える部分が増えるせいで、様々なことが勝手に「伏線だ!」と受け取られてしまう恐れもあります。
そのような意味で漫画は不自由な面があると言えます。

とはいえ、悪いことばかりではなく、そのような読者の想像力が良い方向に働くことももちろんあります。
それは、描いていないことも読者にわざと想像させることで物語やキャラクターにより深みを持たせることができる、ということです。

例として『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』の以下のシーンを挙げます。

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出典:『ジョジョの奇妙な冒険』16, 荒木飛呂彦 , 集英社文庫(コミック版), 2002

これは、ラスボスであるDIOの館に主人公一行が乗り込み、味方のポルナレフDIOが対峙した際に、ポルナレフが階段を上ってDIOに攻撃しようとしたはずなのに、DIOの能力によって気づいたら階段を下りていたというシーンです。
ここではDIOスタンド能力の恐ろしさが表現されているのですが、彼のスタンド能力(超能力みたいなもの)は時間を止める力であって念動力のようなものではないので、彼が時間を止めてから、わざわざ自分またはザ・ワールド(スタンドという、超能力が人型に具現化した存在)が階段を下りて行って、ポルナレフを運んで一段下ろして、また元の場所に戻って不敵な笑みを浮かべているということになります。
このように、間のシーンは描かれていないものの、結果(ポルナレフが階段を降りていて、DIOの定位置が変わっていない)から原因を想像することによって、DIOの能力の恐ろしさに加えて「DIOは自分の演出に余念がないお茶目さんである」ということに読者は気づくことができます。これによって、DIOというキャラクターにより深みが出ているのではないでしょうか。
また、上記のシーンはあるキャラクターの1アクションの例に過ぎないですが、「顔の傷」「とある戦いへの参戦経験」「ペンダント」みたいな要素を、セリフやエピソードとして描かずとも、シーンの中に散りばめるなどすれば、「このキャラクターには○○な過去があったんだ!」と読者に想像させることも十分可能になり、そのキャラクターにバックグラウンドを与えることが可能になります。

まとめると、「○○は何のせいか」という形で働く想像力は漫画の世界において、『「ただそうなっているだけ」であることを許さない』という意味でキャラクター造形などに関する表現の幅を狭めるというデメリットがある一方で、うまく誘導することができれば、さりげなく裏設定のようなものを示すこともでき、キャラクターの人格や人生をより生きたものにできるというメリットもあると言えるのではないでしょうか。

もう十分文字数が稼げたと思うので、そろそろ終わりたいと思います。

そうそう、なぜさっき『ジョジョの奇妙な冒険』の話を出したのかといえば、それは第6部『ストーンオーシャン』がNetflixで12月1日に一挙配信されて、それを少し観たせいだと思います。
一気に見ると味気ないので、一日一話までと決めてコツコツ観ているところなのですが、やっぱりワクワクしてついつい続きを観そうになってしまいます。
ところで、さきほど『漫画では「○○は何のせいか」に厳しくなるのではないか』と言いましたが、ジョジョはそこを平然とぶっ壊していきますね。
キャラクターの見た目も行動も割と変わります。
面白くて勢いがあれば多少無茶苦茶でも気にならないんですかね。

まあ、なんでもいいんですが。
これから3話を観るので、この辺でさようなら。


追伸
なんか全体的に文章がフワフワしているので、ちゃんと勉強して機会があればしっかりまとめてみたいです。