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京大漫トロピーのブログです

【12/3】言ってることがフワフワしてるのはロクに勉強してない+本を読んでいないせい。

ほぼ冬眠中、むぅです。
テーマが「セイ。」らしいので、「所為」でいきます。

「所為」というのは「そうなった原因・理由」を表す言葉ですが、私たちは普段の生活で数えきれないほど「○○は何のせいなのか」ということを考えると思います。
「眠いのは昨日の夜遅くまで課題をしていたせいだ」とか、最もそれらしいものを原因として設定することが多いです。
難しいことは私にはわからないのですが、過去→現在→未来、原因→結果という一方向に進む世界に生きているのだから当然といえば当然なのかもしれません。

そのような思考様式が染み付いてるせいなのか、原因のわからないものを人は恐れたり、それに無理やり何かしらの原因をあてはめたがるような気がします。
例えば、凶悪事件の報道などで「犯人は○○に影響された」(○○にはアニメやゲームや、不健全とされているものが入る)と言われることがありますが、これは「原因のよくわからない怖いもの」を自分が理解可能な形に落とし込んで、とりあえず不安を解消しているのではないでしょうか。
どうにかこうにか、それらしい理屈付けをする様子は見ていて面白くもあります。
良く言えば「想像力が豊か」です。

一応漫画読みサークルの記事なので漫画と関連付けると、漫画では「○○は何のせいなのか」により一層過敏になるような気がします。
「なんとなくそうなっている」ということがあまり許されない、言ってみれば読者の想像力によって縛りを受けるのではないでしょうか。
例えば、キャラクターが単なるイメチェンで散髪するのはダメで、失恋のような強い理由が必要になる、みたいな。
(今調べたら文学のルールで「チェーホフの銃」というのがあって、それになんか似てる。勉強してなさすぎて知らなかった。)
これはストーリーの展開に関する縛りですが、キャラクターデザインや背景など、小説等よりも読者に見える部分が増えるせいで、様々なことが勝手に「伏線だ!」と受け取られてしまう恐れもあります。
そのような意味で漫画は不自由な面があると言えます。

とはいえ、悪いことばかりではなく、そのような読者の想像力が良い方向に働くことももちろんあります。
それは、描いていないことも読者にわざと想像させることで物語やキャラクターにより深みを持たせることができる、ということです。

例として『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』の以下のシーンを挙げます。

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出典:『ジョジョの奇妙な冒険』16, 荒木飛呂彦 , 集英社文庫(コミック版), 2002

これは、ラスボスであるDIOの館に主人公一行が乗り込み、味方のポルナレフDIOが対峙した際に、ポルナレフが階段を上ってDIOに攻撃しようとしたはずなのに、DIOの能力によって気づいたら階段を下りていたというシーンです。
ここではDIOスタンド能力の恐ろしさが表現されているのですが、彼のスタンド能力(超能力みたいなもの)は時間を止める力であって念動力のようなものではないので、彼が時間を止めてから、わざわざ自分またはザ・ワールド(スタンドという、超能力が人型に具現化した存在)が階段を下りて行って、ポルナレフを運んで一段下ろして、また元の場所に戻って不敵な笑みを浮かべているということになります。
このように、間のシーンは描かれていないものの、結果(ポルナレフが階段を降りていて、DIOの定位置が変わっていない)から原因を想像することによって、DIOの能力の恐ろしさに加えて「DIOは自分の演出に余念がないお茶目さんである」ということに読者は気づくことができます。これによって、DIOというキャラクターにより深みが出ているのではないでしょうか。
また、上記のシーンはあるキャラクターの1アクションの例に過ぎないですが、「顔の傷」「とある戦いへの参戦経験」「ペンダント」みたいな要素を、セリフやエピソードとして描かずとも、シーンの中に散りばめるなどすれば、「このキャラクターには○○な過去があったんだ!」と読者に想像させることも十分可能になり、そのキャラクターにバックグラウンドを与えることが可能になります。

まとめると、「○○は何のせいか」という形で働く想像力は漫画の世界において、『「ただそうなっているだけ」であることを許さない』という意味でキャラクター造形などに関する表現の幅を狭めるというデメリットがある一方で、うまく誘導することができれば、さりげなく裏設定のようなものを示すこともでき、キャラクターの人格や人生をより生きたものにできるというメリットもあると言えるのではないでしょうか。

もう十分文字数が稼げたと思うので、そろそろ終わりたいと思います。

そうそう、なぜさっき『ジョジョの奇妙な冒険』の話を出したのかといえば、それは第6部『ストーンオーシャン』がNetflixで12月1日に一挙配信されて、それを少し観たせいだと思います。
一気に見ると味気ないので、一日一話までと決めてコツコツ観ているところなのですが、やっぱりワクワクしてついつい続きを観そうになってしまいます。
ところで、さきほど『漫画では「○○は何のせいか」に厳しくなるのではないか』と言いましたが、ジョジョはそこを平然とぶっ壊していきますね。
キャラクターの見た目も行動も割と変わります。
面白くて勢いがあれば多少無茶苦茶でも気にならないんですかね。

まあ、なんでもいいんですが。
これから3話を観るので、この辺でさようなら。


追伸
なんか全体的に文章がフワフワしているので、ちゃんと勉強して機会があればしっかりまとめてみたいです。