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京大漫トロピーのブログです

【12/7】7日目。夢の話。

こんにちは。入トロ1年目、2回生の夕陽です。

秋の気配がすっかり影をひそめ、本格的に冷え込んできました。冬の生存競争(クリスマス)に敗北した僕のような引きこもりのカス人間は、出不精に磨きがかかり、コロナとともに猖獗を極めております。ですがコロナの影響で今や人類総引きこもり時代。逆にこもればこもるほど褒められるのです。やっと世間が追い付いたか。仲間に入れてやるのもやぶさかではないぞ。


家に引きこもって惰眠をむさぼっているせいか、最近はよく夢を見ます。夢なんだから甘ったるいのをひとつ見せてくれりゃあいいのに、出てくるのは小中高時代の見知った顔ばかり。目が覚めた後、そいつとのふとした会話を思い出して、思わず笑ってしまうこともあります。ついこないだは、「俺が死んだって誰も悲しまないんだ……。」とこぼしていたクラスメイトのことを思い出しました。いまだにかけるべき言葉が見つかりません。というわけで、僕のテーマは「覚セイ」。夢の話をしちゃうぞい。醒の字は本来は酔いが醒めるという意味でつかわれるそうですが、知ったこっちゃありません。お酒の漫画なんて『たくのみ。』しか知らんしね。


題材が夢ということでこちらの漫画をドン!

楳図かずおの『神の左手悪魔の右手』。言わずと知れた名作です。
簡単に話を説明しますと、悪夢と現実をリンクさせる能力を持つ小学1年生の男の子「山の辺 想(やまのべ そう)」が、自身をとりまく環境で起こる様々な怪事件を、尋常ならざる行動力で解決していく、という話でございます。全5話構成。今回は個人的に好きな第一話「錆びたハサミ」の紹介をします。
呪われた鋏を想君の姉の泉ちゃんが拾ってしまったことをきっかけに、精神的・物理的な怪現象がその身に降りかかるというお話なのですが……、まあ初っ端からすごいのなんの。寝ている泉ちゃんの両目から勢いよく鋏が突き出し、そのまま鼻根部をザクッ。開始2ページで最悪の絵面が完成してしまいましたが、心配ご無用。これは想君の見ている悪夢であり、当の本人はすやすや寝ています。よかった~。想君が姉の無事に胸をなでおろしていると、真夜中であるにも関わらず泉ちゃんのもとに訪ねてきた同級生・法子から担任の先生の訃報が知らされます。

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お嬢ちゃん、ここ2階なのよ

どうやら先生は増水した川に飲まれたらしいのです。法子はそのことを確認したいらしく、それで姉を誘いに来たそうな。泉ちゃんはしぶしぶこれを承知し、いざ出発。町が川に進行形で浸水されていく中をずんずん進んでいくのですが、突然一行の前にあるものが流れ着きます。

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流されたてホヤホヤです

そうです。地下室です。

きっと地下室君もよもや自分が流されることはあるまいと高を括っていたでしょうが、楳図ワールドにおいてそんな甘っちょろい考えは通じません。あわれ地下室君は寒空の下に投げ出されてしまったわけです。地下室が目の前に現れたのですから、入らないわけにはいきません。おびえる皆を尻目にエイヤと足を踏み入れます。想君はそこでハサミを見つけるのですが、なんということでしょう。このハサミ、夢で見たあのハサミとおなじではありませんか!

……とまあ、アニメや映画であればタイトルが出る頃合いでしょう。話の解説はアバンにとどめて、ここからは少し構造の話をするとします。ちなみに物語は終始こんな感じです。


夢、というものが話の中核を成しているならば、意識すべきはこれは夢の主は誰なのか?という部分でしょう。夏目漱石の『夢十夜』でも夢の主導権を握られている話がありましたね。「錆びたハサミ」でその役割を担うのは、主人公である想君です。想君の悪夢は、最初は自分にだけ見える幻覚として、次に皆が視認できる怪奇現象として徐々に現実世界で表出していきます。ここで注目したいのは、夢の主についての視点が途中まで隠されているという点です。もちろん想君の設定からそれを推理することは可能なのですが、そちらに意識がいかないような話の作りになっているのです。最初のグロ夢シーンもどちらかというと予知夢の類ですし、後に出てくるグロシーンにだけ発動するサイコメトリー(とんだゴミ能力である)も視点をぶれさせる役割を持っているでしょう。つまり、あくまで物語の主体は怪奇現象側にあり、想君は特殊能力によってそれに接続しているのだと勘違いさせることで、実際は特殊能力を持つ想君のもとに怪奇現象が呼び込まれているという構造を隠しとるわけですな。80年代にこんなホラー描けちゃう楳図センセはすごいにゃ~。
構造についての種明かしは物語の終盤、想君が疲れのあまりベッドで泥のように眠りはじめた後のシーンから始まります。家で寝ているはずの想君が他の登場人物たちの前に姿を現し、善性なるものには神の左手で救済を、悪性たるものには悪魔の右手で粛清をもたらしていきます。想君がこの一連の悪夢の主が自分であることを理解したとき、意のままに世界を操れるようになるのです。法子の「そうよ、おまえがこんなことを作り出したんだっ!!」「わたしはわかった!!」「おまえがいちばん恐ろしいやつだったんだっ!!」というセリフがこの物語を象徴しています。いやーいい話だ。ちなみに第5話ではこのような表現はあとかたも無くなり、いままで築き上げられた文脈がすべて投げ捨てられて、能力者たちのスタンドバトルがおっぱじまります。なんでやねん。

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スタンド名募集中

長々と浅い理解で浅い文章を書いてしまいました。すまんの。肝心のホラー描写にはほぼ言及できていませんが、これは実際に手に取っていただくのが一番でしょう。なにせ絵なのでね。

話は変わりますが、今年のクリスマスには『呪術廻戦』の映画が公開されますね。12月24日に公開するっていうのはなんでしょうか。カップルで見に来いという事なんでしょうか。それとも乙憂太と祈本里香の関係性を示しているんでしょうか。あるいは。クリスマスと聞いて一般的に思い描かれるカップル像にあの二人が当てはまるとも思えないが。それともなんかあんのかね。どっちにせよ僕には関係のない話です。だって、


映画と夢は一人で見るもんでしょう?


なーんもうまくないね!以上。