mantrog

京大漫トロピーのブログです

【12/13】最近読んだ漫画が紅くってよかった

まきますか  まきませんか

こんにちは146Bです。最近はこの名前も使わなくなってきてしまい、漫トロだけの名前になりつつあります。

はじめに

今回のブログで扱う漫画は『ローゼンメイデン』です。

冒頭の二択はこの漫画の書き出しでもあり、有名な一節だと思います。
主人公桜田シュンくんは「まきますか」に丸をつけて、大きな運命の奔流に巻き込まれることとなります。

ローゼンメイデン』とはどのような作品か

本作の構成はいささか複雑。というのも最初は幻冬舎の『月刊コミックバーズ』で連載されてましたが、途中から集英社の『週刊ヤングジャンプ』に移籍。その影響で物語の途中に断裂があります。
また、その時にローマ字タイトルから現在のカタカナタイトルに変更されています。
カタカナタイトルのから手を取り、1巻から読んでいるはずなのに物語が途中から始まっているのに気付く、というのはあるあるでしょう。「バキ」シリーズがどこから始まっているかわからなくなるやつと同じです。

完結した現在では「バーズ」で連載されていたのを「1部」、「ヤンジャン」で連載されていたのを2部、3部と分けられています。

そんな『ローゼンメイデン』も旧バーズ版が連載されてから今年で20周年、それを記念して旧バーズ版からヤンジャン版までを通して収録した愛蔵版が発売されました。私はそれを集めて読んだわけです。

あらすじ

1部ではシュンくんは「まきます」を選んだために、家に真紅という「ローゼンメイデン」が届きます(これが「紅」要素です)。愛蔵版1巻の表紙の子ですね。シュンくんは不登校な中学生でクソガキ、そんなやつの元にまた別のクソガキな真紅っていう生命が吹き込まれたアンティークドールがやってきてドタバタな日常になるって感じですね。面白くないです。1部の終わりはとても唐突。 別のメンヘラっぽいアンティークドールが襲撃してきて、真紅たちがピンチになったのを助けようとして終わるって感じですね。打ち切りを疑うレベル。

またもや二者択一を迫られるシュンくん

続きはヤンジャン版へ。
そのまま2部を読み始めてみると、なんと冒頭でシュンくんは「まきませんか」に丸をつけているじゃないですか。話を読み進めていくと、「まいた」世界線で行き詰まったから「まかなかった」世界線の可能性に賭けたらしいとのこと。話が複雑になってきたぞ。しかし、2部になって以降は結構面白くなります。

ローゼンメイデン」とかいう生命を吹き込まれたアンティークドールが作られたのは、すごい人形職人さんが「究極の少女」を作りたかったから。それがなぜか人形をバトらせて解決させようとなったらしい。Fateで説明すると、シュンくんたち人形の媒介がマスターで、真紅たちローゼンメイデンがサーバント、聖杯戦争アリスゲームってのになります。ローゼンメイデンも7体いるし。

なのに最初はロリコン漫画みたいなおちゃらけた日常ばっかで拍子抜け。やっと面白くなってきたってことですね。
2部になって盛り上がってきて、「まかなかった」世界線である程度の解決がなされます。

そして続く3部では「まいた」世界線桜田シュンと「まかなかった世界線」の桜田シュンが合流し、さまざまな「ローゼンメイデン」と力を合わせて最終決戦へってことです。

ローゼンメイデン』の魅力

「究極の少女」ってなんだよって思いつつも、戦うアンティークドールちゃんたちカッコかわいい! って読むわけです。

この漫画、とはいえテーマのフラフラしてたり、伏線の処理がちょっと雑かったりするので、あまり出来がよくないですね。一方で人気を博したのも確か。なぜだろうか。まぁロリコン漫画として受容されたからだろうって思いますが。

作者(ユニット)のPEACH-PITは『しゅごキャラ』という少女漫画も手掛けており、少女の造形が精緻。愛蔵版の表紙にいる「薔薇乙女ローゼンメイデン)」たちを見てください。愛くるしいですね!
アンティークドールってやつに聖杯戦争に、その上で「不思議の国のアリス」要素。厨二心をくすぐるのに、あどけない少女が主役というギャップ。オシャレだと思わさせるだけのものが詰められています。

その上真紅がツンデレっぽくてかわいいってのもあるのかな。個人的には真紅よりも、真紅ら桜田シュン人生と対置されるメンヘラ陣営の方が好きです。

終わり

以上、ざっくりと『ローゼンメイデン』のあらすじとその魅力について追ってみました。『ローゼンメイデン0 -ゼロ-』ってのはまだ読んでいないのでいつか読んでみたいですね。というのも『ローゼンメイデン0 -ゼロ-』はどうやら大正浪漫的らしい。その要素にゴシックな「薔薇乙女」を混ぜ合わせたらどんな作品になるのか、ワクワクします。

【12/12】紅はあかん。白にしろ。

こんにちは。Kです。



さて。すごいどうでもいいというか、漫画ともアドカのテーマともまったく関係ないんですが、任天堂のキャラクターのワリオとかワルイージって英語圏でどういう名前なのか気になった日があってですね。5日ほど前の話です。


マリオやルイージはいわゆる普通の名前なわけなので、英語でもそのまま(Mario, Luigi)じゃないですか。でもワリオワルイージって「悪い」からそういう名前になっているわけで、極めて日本語的な考えでつけられてるわけです。 (Wikipedia参照)


一方でマリオカートWiiをやってる人なら知ってると思いますが、クッパは英語では「バウザー(Bowser)」って呼ばれてるんです。つまり、基準はわからないものの、英語圏では日本語とまったく違う名前を付けられる可能性があるということ。じゃあワリオたちもいい感じに改名されてる可能性はあるんじゃないかと思ったわけです。


自分なりに少し考えてみたんですが、マリオ(Mario)を英語的に悪くするとなると、綴りをrからlにするマリオ(Malio)なんてどうでしょうか。 “mal”は"マルウェア"(malware, 悪意のあるソフトウェア)に使われているように「悪い」という属性を持つ接頭辞ですし、ワリオとMalio、ワルイージとMaluigiというように、互換性もバツグンです。日本人的にわかりづらい節はありますが、欧米人はRとLの使い分けなんて余裕でしょう。


そういえば、と余談が続きますが、ハリーポッターシリーズのマルフォイってあれも綴りはMalfoyですし、役柄的にも接頭辞malが元になっていると考えるのが妥当なんでしょうね。ちなみに台湾語版吹き替えでマルフォイは“マーフェン”すなわち“馬糞”となっているらしいです。日本語のカタカナ「マルフォイ」よりも"嫌な感じのする変な名前"というニュアンスが反映されているという点で、翻訳の妙が詰まっている面白い訳だと思いませんか? 素人の考えですが、ワリオたちの英訳にもかくあってほしい。

さあ。早速任天堂公式ホームページ(英語版)で確かめてみましょう。

マリオはMario, ルイージはLuigi, ピーチ姫はPrincess Peach

スクロール中......ドキドキ......

テレサはBoo

BooはおそらくPeek-a-booをもとに考えられているのでしょう。なかなかクリエイティブな訳で面白いですね。期待が高まります。


ワリオワルイージは......?

なんでだよ。今まで一人で盛り上がってたのは何だったんでしょうか?????

だって日本語を解さない欧米人はこのネーミングに納得できないじゃないですか。絶対。クッパをBowserとかに変更してる暇があったらワリオワルイージも変更してあげてくださいよ。


まあ最初に言った通り、本記事には何の関係もないんですけどね。



さて気を取り直して、今日は偶数日なので今回のテーマは紅白のうち「白」。白といや白村シャイニングフィンガーだろうということで、『ガラグロガラゲロ』という漫画を紹介します。
www.pixiv.net



誰やねん何やねんとお思いの方々も多いと思われますが、何回か万バズしたTwitter漫画なので目にしたことのある人は少なくないのではないでしょうか。

初めて万バズした回の1ページ目

内容としては、「青空舞舞」「赤崎スクリュードライバー」「黄瀬アッパーカット」「白村シャイニングフィンガー」の4人がスターシステム的に色々な役割で喋るコントのような短編です。(ちなみに「青空舞舞」の名前は「チョムチョム」と読みます。その旨が書かれた作者のツイートが何故か消されたので現在は確認不可能ですが。)
現在60作近くが公開されていますが、特に作品内で時系列があるわけではないようです。その辺の設定事情もツイ消しにより確認できなくなってしまいました。


青空舞舞はこの漫画でアイコニックな存在であり、おバカ系やウザい系などの多様なボケを展開しています。『伊賀の影丸』で催眠術にかかったかのような目が特徴です。
赤崎スクリュードライバーは唯一のツッコミ役で、主にレトロゲーやコミックボンボン等のマニアックな知識を典拠とする例えツッコミを得意とします。魔女宅の没案顔みたいであることを自称しています。
黄瀬アッパーカット, 白村シャイニングフィンガーは上記二人よりも登場回数が少なく、白村に至っては全部で2話しか登場しませんが、黄瀬はちょっと性格悪めのボケをかますキャラですね。白村は......なんだかよくわかりません。ちなみに4人とも女の子です。

このちょっとサイケな娘が白村シャイニングフィンガー


というか赤崎が全話に登場して白村が2話しか登場しないならテーマ的に紅要素の方が強いじゃないかという説に今気づきましたが、こんなところにうっかり書いたりしなければバレないでしょう。


シリアス回は一切ないただの短編ギャグマンガなので、深いことは考えずバカみたいに笑えたらそれで正解だと思います。わかりやすくていいですね。いろいろ考えたり感じたりしながら漫画を読むのもそれはそれで楽しいのですが、思考放棄して楽しめる漫画もたまにはいいでしょうということで、私のなかでは息抜き枠の漫画です。最近は息抜きしかしてない気もしますが......つか最近漫画読んでねーな。


画力や演出云々ではなくバチバチの関西弁トークのボケとツッコミですべてが始まりそして終わる感じなので好みは分かれると思いますが、Twitter, Pixiv, ニコニコ静画等で全部見れるので、一度読んでみてはいかがでしょうか。


ちなみに今現在は最終投稿から2か月ほどが経っており、ブランクとしては最長です。多分もう更新されることはないのは少し悲しいです。かなり好きなのになあ。



そういえば白村シャイニングフィンガーで思い出したんですが、シャオシャオニングフィンガーてのもあってですね。

急急如律令


こっちも今めちゃくちゃアツい展開なのになかなか更新されなくて悲しいです。この魂の嘆きが戸川四餡センセに届いたらよいのですが。とにかく『帝都饅頭事変』は国宝級に面白いのでぜひ生きている間に読むことをお勧めします。
www.pixiv.net



以上です。だすびだーにゃ。

見せてやるよ、真紅の稲妻の、真骨頂ってやつをな!

 こんにちは口を開けばドラゴンボールことくあドです。クリスマスの思い出を語ろうにも、クリスマスに人様にお見せできるかつ、面白い出来事がなかった人間なので、今回はテーマの「紅」について書こうと思います。
お得意のこじつけで紅→赤→レッドリボン軍ドラゴンボールスーパーヒーローの話をしようかと思っていましたが、三度の飯よりドラゴンボールが好きな私もたまにはドラゴンボール以外の事を書きたいと思います。そういうことで本日はもう一つの得意分野であるガンダムから紅をテーマに書いていこうと思います。
 ガンダムで紅といわれると多少知っている人は、赤い彗星のシャアことシャア・アズナブルを想像をする人もいるでしょう。しかしガンダムにおいて「紅」というパーソナルカラーを持っているキャラクターが存在します。
それは深紅の稲妻の異名をもつジョニー・ライデンです。

シャアのザク
ジョニー・ライデンのザク
シャアの機体色がサーモンピンクなのに比べ、ジョニーライデンのザクはクリムゾンレッドなんですねぇ。この造形たまんねぇ
そんなジョニー・ライデンですが、アニメ化等はされておらず、初出は1983年に多数のメディアで展開されたメカデザイン企画MSVにてトップエースパイロット気さくな人柄様々な顔を持つ神秘性など複数の要素をもっており、今日までファンの間で人気を博しています。またこれ以降も多くの作品においてジョニー・ライデンは描かれてきました。
そして今現在ジョニー・ライデンについて書かれた漫画作品があります。その漫画が『機動戦士ガンダムMSV-R ジョニー・ライデンの帰還』です。
web-ace.jp
本作品は、前述のMSVの公式続編であるMSV-Rという企画において、ジョニー・ライデンというキャラクターをさらに掘り下げる目的で作られた漫画です。
この漫画の面白いところは、ジョニー・ライデンというキャラクターは、今日まで多くの作品で描かれてきた影響で設定が複数存在し、いわゆる公式設定というものが存在せず、立ち絵ですらバラバラです。それを逆手に取り、様々な人物像が存在するジョニー・ライデンの正体に迫るという目的で物語が始まっていきます。>
この上のコマにあるのでさえ、過去のジョニーライデンの一部です
時系列的にはZZガンダム逆襲のシャアの間のお話を描いています。そしてこの作品は、ジョニーライデンの秘密を探るとともに、主人公たちは連邦やジオンの陰謀、また戦いに巻き込まれていきます。それにより、いままでのガンダム作品のキャラクターも多く登場し、彼ら個人のストーリーも楽しむことができ、外伝作品としても非常に質が高いものとなっています。

みんな大好きこの方も出てきます
これで興味が出てきた人はぜひガンダムを初代→Z→ZZ→逆襲のシャアとみて、この作品も楽しんでください。 またクリスマスでガンダムといえば、嘘だといってよバーニィのセリフでおなじみな『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』もぜひ見てください。あとついでに僕が好きなガンダム外伝シリーズの『機動戦士ガンダム デイアフタートゥモローカイ・シデンのメモリーより-』も観てください。ガンダムシリーズの設定の妙を楽しむことができます。 www.gundam0080.net www.amazon.co.jp 年に一度のクリスマスどうせやることないんだから、ガンダムでも見て来年に備えていきましょう。

【12/10】うどんってえっち

こんにちは。肉と申します。
日付越えてますねすいませんでした。

今日は偶数日なのでテーマは「白」です。
白といえばwhite powder、white powderといえばラムネーション……と言う感じでラムネーションというゲームのプレイ体験記でも書こうと思ってました。ですが、どう見ても漫画に関係ないため諦めました。

代わりの「白」といえば……うどん!
というわけで今日はえすとえむさんのうどんの漫画「うどんの女」について書こうと思います。

「このマンガがすごい!」で取り上げられたことのある作品なのでご存知の方も多いと思います。
この漫画はたいして貧乏というわけでもなくただ節約のために素うどんばかり食べている大学生の主人公木野と、素うどんばかりを食べる主人公のことが気になっている食堂の「うどんのおばちゃん」村田チカとのラブコメです。

この漫画を読んで思ったのは、1,2話が特に顕著なのですが二人の妄想が激しいってことですね。それぞれ相手にこうあって欲しい、して欲しいと妄想し合っている。しかしその姿に微笑ましく感じることがほとんど無く、大体はその内容に対して笑ってしまうことが多かったです。特に木野のつなぎが汚いというところから、洗ってあげるから脱ぎなさいとアクロバティックに脱がせにかかるところは意味不明すぎました。

この漫画全体を通して、印象的だったのは背景があんまり描かれないところです。最初、あまりの背景の少なさに面食らいましたが、ちゃんと必要なところには背景が描かれているのでストレス無く読めました。背景が少ないことで登場人物にずっと注意が行っていて、この点は上手いなと思いました。

ここまで言ってストーリーなのですが、純粋に楽しめました。うどんを中心として二人が近づいていく様子は見ていて面白かった。しかし、話が進むにつれて木野が加筆していくうどんの絵は笑っちゃったし、最後にその絵に対して「これ…村田さんなんです…」と言うのはこれが表紙なのかぁと思考停止してしまいました。


この漫画は綺麗にまとまっていて色々と楽しめました。一巻なのでぜひ読んでみてください。また今「FEEL YOUNG」で連載しているので気になる方はそちらも。それではまたいつか。

【12/9】紅、流血、即ち・・・

 こんにちは。自分の担当を白だと勘違いしたまま原稿を書いていた男、くさつだ。
もうすぐ12月も中旬に入ろうとしている。北海道に住む友人からの雪の写真や、乾燥のせいで頭を掻いてフケや髪がポロポロ落ちた枕を見て、冬の訪れをひしひしと感じる。
さて、今回のテーマは「紅」。紅といえば流血、ということで紹介するのは『腸よ鼻よ』というエッセイ漫画。
 第一話、物語は沖縄のバーにて作者の島袋全優氏(現在のすがた)の「あたし 大腸が無いの」という衝撃的な告白から過去を回想する形で始まる。そして全優氏(過去のすがた)が登場。漫画家を目指して専門学校に通いながら、学生ローンを支払うためにバイトを何個も掛け持ちするというハードな学生生活を送っていた様子が描かれている。

若者の貧困

そんな生活のさなか、血便が出る。

今回の「紅」要素

  病院へ行き、腸炎と診断され薬を貰うも、全く効果が無い。入院して様子を見るも、全く症状が改善しない。そんな彼女の病状に医者は・・・

フィクションであってくれ

という反応。この第一話は終始この医者の見た目と中身のギャップが凄まじく、それが彼の無能さを一層際立たせている。非常に秀逸なキャラ造形だ。恨みを込めてもっと酷い見た目にすることもできたはずだが、あえてイケメンキャラとして出してくる作者のセンスにただただ脱帽する。

その後の内視鏡検査により、病名が国の指定難病「潰瘍性大腸炎(UC)」であることが判明、これで第一話が終了。つまり、「19歳の苦学生が難病にかかり、ヤブ医者の誤診のせいで治療に効果がないどころか病状が悪化した」という内容になっている。壮絶の一言に尽きる。その後、セカンドオピニオン(10,500円)で専門医に診てもらおうとするも、内視鏡検査が白黒で正確な診断ができず・・・

リアルだとキツイ

最終的には転院してちゃんとした治療を受けるものの、波乱に満ちた闘病生活は続く・・・。

とまぁこんな風に、難病で入退院を繰り返す漫画家の様子がこの漫画で描かれる訳なのだが、一連の流れを見る通り、一歩間違えれば鬱漫画になりかねない内容になっている。しかしこの漫画は、こうした過酷な状況をそのまま描こうとはしない。ギャグとして昇華し、我々に提供する。闘病エッセイとしてはかなり異端な仕上がりだが、コメディの本質とはこんなものかもしれない。

チャップリン

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

と言ったように、悲劇は視点を変えれば喜劇になるのだ。

これが沖縄か…

自らの苦痛をも笑いに変えようとする強かさを、この漫画から感じ取れるような気がする。

自分が小学生の時から知っている作家なので、これからも病気に気を付けながら漫画を描き続けてほしい。

【余談】

パロネタも充実

最近『ベルセルク』を読んでパロネタの意味を理解した。

【12/8】今現在最強の魔術師は決まっていない──

                                      (書いた人:新萬)

 思考を堂々巡らせた末、結局のところは当たり前の結論に帰ってきたり、ようやく掴んだと思えたことが、言葉にすると案外他愛のないものだったりする。しばしばこうした体験をするのだが、最近また、この過程を経て一つの実感になったことがある。それは、『キャラクターにとって「余白」って大事だよね』ということだ。それなりに長い時間を要して辿り着いたが、遠回しに断っておいた通り、特にセンセーショナルなところはないと思われる。

 ここで言うキャラクターにとっての「余白」というのは、例えば登場人物のバックグラウンドについて明かされない部分があったり、思想や行動の根拠が明言されなかったりすることを指している。こうした空白部分は、ともすると説明不足、思わせぶりなだけといった否定的な評価につながる危険性があるものの、使い方次第ではキャラクターの魅力を何倍にも増すことができる、というのが今回主張したい内容だ。

 さて、本題に入る前に、そもそもなぜ余白の重要性に意識が向いたのか、そのきっかけについて書いておきたいと思う。ここ最近、「小説家になろう」という小説投稿サイトで『無職転生 -異世界行ったら本気出す-』を喰い入るようにして読んでいる。友人の強い推薦でアニメを見たことがきっかけとなり、続きを求めて「なろう」へ足を踏み入れた。既にかなりの有名作品なので、改まった紹介は不要と思うが、死んだ引きこもりの魂が別の世界の赤子の肉体に宿り、やがて成長し、その新天地で人生を歩み直すという物語だ。この作品には自分の中の価値観に照らして受け入れがたい展開や描写が無視できぬ程度に含まれる一方、素直に称賛に値する優れた点も相当含まれていた(あまり覚えのない読書体験だ)。後者のうちで、特に心のガードを越えて打ち込んできた要素の一つが、キャラクターの余白の使い方なのである。具体的に見てみよう。
 
 魔術師である主人公ルーデウスの魔術の師匠にあたり、メインヒロインの一人にもなる(!)ロキシー。彼女は幼いルーデウスの家庭教師として登場し、師匠として深い尊敬を獲得している人物だ。ルーデウスの冒険が始まる第二幕、ロキシーは一旦舞台袖へと捌けるのだが、そんな中で突如として彼女が実家に帰るエピソードが挟まれた(アニメ第18話)。無暗にエロいアドベンチャーもちょっと飽きてきたな……と完全に油断しきっていた私には、この回が背面金剛となって突き刺さった(心室細動)。

ロキシー・ミグルディアは優しいから強い

 そのエピソードで明かされたのは、ルーデウスらが旅の途中で(かつ、偶然にもロキシーの地元近くで)激しく敵対した冒険者が、かつてのロキシーの仲間の一人であり、親しい友人でもあったということが一つ。それに加えて、彼女は生まれの村において耳が聞こえず口もきけぬ存在と同義であったことが一つだ。ロキシーは念話でコミュニケーションする種族の生まれであったが、当のロキシーは念話が使えなかった(一応口で喋ることはできるために、ルーデウスら他種族とはやり取りが可能だった訳だ)。

 唐突に明らかになったこれらの事実は、主人公のルーデウスが歩む、いわば主流の物語とは全く関わらない。これ以上深く掘り下げられるわけでもなければ、何処かに繋がるわけでもない、傍流の物語である。しかしながら、これらが敢えて示される意義は大いにある。それは、いつかまた再登場し、主人公の物語に合流していくことになるロキシーにとっても、今この時には必ずしも立ち現れず、誰かにとっての何かの役割を担わされることのない「自分自身の人生」というものが確かに、そして読者すらあずかり知らない時間の中に無数に存在するのだと示唆してくれる、ということだろう。ロキシーの人生を主人公との関連の中で描き、またそこから一歩離れた、ある日ある時の一幕をも照らし出すことで、この二つの間に余白があることを伝える。こうした描出を経て未知の部分を含むことで、キャラクターは一個の人格として立体的になり、厚みを持つのだと思う。

最強の魔術師は誰か!?

 更に言うなら、読み手は勝手に余白を埋めるのが好きだ。カヲル君は最後の3話しか出てこないポッと出のキャラクターでありながら、その圧倒的な空想の余地でもってカヲシン旋風を巻き起こした。こう考えると、レイも3人目だってことを気にすることないよ。貫禄負けてないよ。

 閑話休題
 さて、「キャラクターの余白」関連で最近ホットな話題があるので触れておきたい。
 先月末頃からジャンプ連載の『HUNTER×HUNTER』で幻影旅団の過去篇が開始された。確かに面白いエピソードだが、脇道の脇道のそのまた脇道みたいな位置に置くにはあまりに重い。内容のハードさに加え、かつて生み出された旅団の広大な「余白」(これまで読者によって様々な絵模様が描かれてきたのであろう)を作者自らの手で塗りつぶしていく重さがある。幻影旅団の無体な強さが剥がされていく寂しさに言及するツイートを見かけたが、全く同感だ。ロキシー・ミグルディアと幻影旅団は、想像の余地がキャラクターに強度を与える例として表裏一体の関係にあると言えるだろう。

…………

 


「最後にもう一例、世間的に最近ホットなのではなく、極めて個人的に最近ホットな話題なのだが、ガールズ&パンツァー(以下、GuP)のカップリング形成の土壌について述べたい(筆者はこれが「キャラクターの余白」に関する示唆を与えてくれると信ずる)。」カタカタカタ


うーん


そう打ち込んで、一つ大きく伸びをした。後ろの壁かけ時計が、逆さまになって目に入る。


直角。短針は3を指していた。


「12月……9日」


窓の外には、もう明かりをこぼす部屋は見えない。バイクの駆ける音が一つ。


くたびれた私の投稿は遅く、夜道はひっそりと暗くて。

【12/7】爆発しないならば、彼は非リアである。

 こんにちは、蔦屋です。師走なのにこの1週間走った記憶がありません。

 本日取り上げる漫画は、『くノ一ツバキの胸の内』*1です。作者は『からかい上手の高木さん』も描いている山本崇一郎で、この漫画自体はアニメ化もされているため、既にご存知の方も多いと思います。
shogakukan-comic.jp

 「くノ一ツバキ」の舞台は山奥に暮らす忍者の里。「あかね組」では数十人の若い忍者見習いたちが日々修行に励んでいた。しかし里には男がおらず、修行に差し支えるため男を見たこともないという環境で、数十人の若いくノ一たちが暮らしている。
 ツバキはあかね組、戌班の頼れる班長。まだ見ぬ男を侮るくノ一たちを先生に代わり叱ることも。だが実は男に人一倍興味があるのはツバキの方で、男の情報を耳にすると頭が真っ白になるのであった。「男に恋する」乙女ツバキは念願の男に会うことができるのか?

男はサル

という漫画。キャラがかわいい。キャラ設定が天才的。とにかくキャラを愛でるための漫画です。

 ところで、この漫画で僕が一番好きな話は、「モテ」についての話です。
この話の前に、男のいない「あかね組」に突如、男がいる村からの転入生がやってきます。彼女はツバキの班に配属され、すったもんだを経て馴染んでいくのですが、当然彼女は里で唯一男のことを知る人間となるわけです。そんな彼女がポツリとこぼした「モテそう」という言葉にツバキがすかさず反応。そこから「モテ術」が里で流行り始める、という話です。

「モテる」ってなんですか?

どうすればモテるのかを問われた転入生は、自分もよくわからないと答えます。その代わり誰がモテるのかの実例を挙げて、「ベニスモモ」「モクレン」そしてツバキはモテるだろうと言います。この転入生による例示が、僕にはかなり的確なものに思えるのです。意識的にモテるキャラをバリエーションをもって描けるというのは、本当にすごい手腕だと思います。

 今日はこの三人の紹介をしつつ、モテとは何かを探っていきましょう。なぜそんなことをするかって?それはもちろん、実際にモテている、彼氏彼女がいるということはなるほど、幸福の一形態であることを認めることがひとまずできるかもしれない。しかしそれは出会い、体調その他多数の偶発的要因による局所的結果に過ぎず、現にカップルの多くは時が経てば崩壊することを運命付けられているといえる。ともすれば実際にモテるということは永続する幸福ではなく弁証法的に不幸とも結びつきうるものであるがゆえに人間はむしろモテることに振り回されることの方が多い。一方モテるとはどういうことかを知るということは、モテるということが質量的結果であるとすれば形相的原因を探ることであり、永続的なモテ、ないしモテとの永遠的一体化への方法であるということができる。そして何より、ソクラテス以来の伝統として知って生きるということは無条件に良いことであり、ソフィストの弁論術に対して……


それはいいんだ!*2


気を取り直して。
まずツバキ。
本作の主人公にして、あかね組戌班の班長。戌班の愉快な下級生(食べるの大好き、ツバキ大好き)をまとめるしっかり者。
忍術の腕は随一であり、組のくノ一たちからも一目置かれる。
しかし「男」というワードを聞くとポテンシャルが著しく低下。また男に関する事例ではモラルが緩む。

on/off

なお、モテ術を取得できなかったのは里で、脳筋の「ツワブキ」とツバキだけ。

次にモクレン
医療担当の申班の班長。その役どころもあり皆から頼りにされる。
奥義である「パーン」(患部への平手打ち)は打ち身から頭痛まであらゆる痛みを癒すため、厳しい修行において重宝される。

僕の踏み外した人生にも、パーンってして?

大変マイペースであり、たまの休日には朝から森に繰り出して散歩、山菜採りなど穏やかなひと時を過ごすことに喜びを感じる、のだが、頼まれると断れない性質であり結局仲間の世話を焼いている。
なお、モテ術(モテるポーズ)はこっそり試してみて、ひとりでに赤面していた。


最後にベニスモモ。*3
未班の班長。罠フィリアのミズバショウと、努力主義者かつベニスモモloverのトウワタを班員にもつ。
忍術の技能は高く、ツバキと張り合うほど。天才の自分には努力は不要と考えており、いつもハンモックなどでダラダラしている。それゆえトウワタには修行をしろといつもせっつかれている。
しかし実は凄まじい影の努力家で、努力を恥ずべきものと考えている節がある。ツンデレ

見習いたいもんだなぁ

モテると言われる彼女たちについて見てきたが、そこからモテの条件について以下のことが言われる。*4
貞淑 身体、心などについて一定の価値観を有しており、それに反する状態に自らを置くことを強く恥じる。
②実力 優れた能力により皆に認められている。
③責任 重要な役割を持つことにより多大な影響力を持ち、その責任を全うする。

うん、なるほど。この条件に合っている他の例としてハナ先生やコノハ先生も、確かにモテそうだよね。

男を「知って」いる先生方

蔦屋による自己評価
貞淑……恥は悪しき社会的構造物と考え、憎んでいる。
実力……なし。
責任……責任は悪しき社会的(以下略)


「もう最近 八方塞がりで
僕らどうすればいいのかな
なんかもう わからないんだ」

スガシカオ「コノユビトマレ」よりー

*1:よく考えたら、タイトルのセンスが狂っている。このリズム感。

*2:筆者は最近、小学校以来の非リア仲間が彼女を作ったために、もちろん祝福してはいるが、嫉妬とも焦りともつかない、際限なき空虚さを覚えている。

*3:紅季。本記事のレゾンデートル。

*4:性の聖性問題が分析を妨げることが考えられるが、実践的には聖なるものを聖ならざると仮定して行為することも必要だということを、身をもって実感する今日この頃。