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京大漫トロピーのブログです

【12/3】「赤僕」が描く人間関係

締め切り1週間前に頭を抱えた。今回のアドベントカレンダーのテーマが「誕生」だったからである。意味不明。何、誕生って?こじつけようにも、それにハマるような漫画が思い浮かばない……。考えあぐねる自分の前に、『赤ちゃんと僕』の文庫本が目に入った。一年前に上回生から貰っていたのをすっかり忘れていた。目の前にあったじゃねえか!今回のテーマにピッタリな漫画がよぉ!というわけで、『赤ちゃんと僕』を読んでの感想を書き連ねていく。

~あらすじ~
榎木家は、小学生の拓也と赤ちゃんの実と、父親の春美の3人家族。母親は事故で他界してしまった。父親には仕事があるため、必然的に拓也が弟の実の面倒をみる時間が長くなる。その弟はまだ2歳で、1人でできることはまだ少なく、事あるごとに甘えてくるし泣きじゃくる。そんな彼に振り回される拓也もまだ小学生。他の同級生と同じように遊びたいし、弟の存在もうっとおしいと感じることもある。拓也の運命やいかに⁉3人家族が繰り広げる日常をご覧あれ。

まずこの作品で衝撃的なのは、赤ちゃんに対する思いが素直なところだ。第一話を見てみよう。作中、主人公の拓也は周囲から「弟思いの優しい少年」として認知されているが、この話ではそんな彼の「弟思い」のルーツも示されている。
弟のわがままな性格に振り回され、自分のプライベートもままならず、近隣住民からは育児の不出来を非難され、赤ちゃんである弟を非常に疎ましく思うようになってしまう。

赤ちゃんはそんなにかわいくない

それに耐えられなくなった拓也はふと、弟を突き放す行動をとってしまう。我に返り弟の所に戻った拓也は、自らに縋り付き泣きじゃくる弟の姿を見つけ、自らの行動を反省し、弟とちゃんと向き合うことを決意するのだった。

彼の弟思いの側面が水面下での生々しい葛藤を経た上で形成されたことを考えると、人間関係を築くことがどれほど難しいことかを痛感させられる。

また、赤ちゃんとの関係性だけでなく、主人公家族を中心に、広く人間関係に関する葛藤が描かれている。親子、兄弟、友達、教師と生徒など、さまざまな関係性の中で、キャラクター達が障害を乗り越えて人間関係を形作っていく姿に胸を打たれたし、そんな彼らが日常を紡いでいくさまはほとんど奇跡に近い所業として目に映った。

とまあ、比較的シビアな場面を使ってこの作品を語ったが、重苦しい内容ばかりではない。主人公の同級生である後藤、藤井、森口をはじめ、榎木家の近所に住む木村家の人々など、魅力あふれるキャラクターばかりだ。特に藤井家の兄弟姉妹に焦点をあてた回はどれも面白いので是非読んでもらいたい。

そういえば、落合恵子氏による文庫本の解説がやけに印象に残っている。
『友だちだって隣人だって、あるいは、子どもからするなら、親そのものだって「偶然」に出会ったひとりだ。子どもはどこの家族に生まれてくるかを選択することはできないのだから。
それでも、それぞれが柔らかく結ばれているのは、「偶然」の出会いを「必然」に変える絶え間ない意志の力がそこに働いているからだ。』

この漫画のキャラ達は、時にお互いぶつかったり歩み寄ったりしながら、人間関係の繋がりを保っている。それは自然に発生するというより、自らの手で創り上げていくイメージに近い。それは現実世界でもそうで、自分が大学での交友関係で身に染みて感じていることでもある。自発的に関係を創り上げていかない限り、繋がりは続かない。今自分の身近にいる人、そしてこれから出会う人との関係性を大切にしていきたいものだ。もっとも、この漫画のようにできる自信は全くないが。

(文:くさつ)