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京大漫トロピーのブログです

【12/22】〈パイズリ〉の誕生―山田邦子発明説の問い直しに向けて―

彗星のごとく現れた教授の原石!京都大学所属D1、美少女研究者のレニです!
レニちゃんは~?今日もかわいいー!!



さて、日々美少女を研究している私ですが、先日、美少女コミック研究者の稀見理都先生が、次のようなツイートをしていました!


むむっ、なるほど世の中には「山田邦子パイズリ発明説」というものがあるが、それが本当かどうかは疑わしい、とのことでした!自分は「山田邦子パイズリ発明説」自体知らなかったのですが、なんだか興味がわいてきました!ということで今回は、「山田邦子パイズリ発明説」を検討していきたいと思います!

Wikipediaによれば山田邦子は1960年生まれ、1981年芸能界デビューのお笑い芸人だそうです!Wikipediaにも山田邦子は、「パイズリ」という言葉の発明者として記載されています! ということは、1981年以前に「パイズリ」という言葉が使用されているのを確認できれば、「山田邦子パイズリ発明説」を覆すことができるわけですね!

ということで、まずNDL Ngram Viewerを見てみましょう!これは、この世の全てのメディアが検索できる……わけではないですが、国立国会図書館デジタルコレクションの図書・雑誌約230万点、キーワード17億種類を全て検索できます!ひとまずこれで、「パイズリ」をキーワード検索してみましょう!



おっと、山田邦子以前にも、「パイズリ」の使用が確認できます!1970年代にもぼちぼち検索がヒットし、80年代を通じて徐々に、90年代に爆発的に増加しています!これは「山田邦子パイズリ発明説」を覆すことができそうです!

では、実際に使われているところを見に行きましょう!とうっ!


というわけで、やってきました国会図書館関西館!ここで、デジタルコレクションに収蔵されたデータを直接確認することができます!今回はひとまず、1980年代までの「パイズリ」の使用を、全て確認してみました!結果、111記事が存在していました!以下、時代ごとに見ていきましょう!




1960年代~80年代前半:〈パイズリ〉の誕生

今回調べた中で最も古い「パイズリ」の語の使用は1969年、「週刊文春」に掲載された梶山季之の小説『と金紳士』に登場するものです!

この小説は、サラリーマンの主人公が脱サラして風俗店を開く、という内容なのですが、そこで主人公が引き抜いた「テクニックの三人娘」の中に、「パイズリ」の使用が確認できました!

一人目!同時に三人の男を絶頂させた伝説の持ち主、“スリーP”の辰子
二人目!パイといっても、麻雀牌や、アップルパイではない!“パイズリ”の陽子
三人目!自分でエロテープを吹き込み客に聞かせる、”トーキー“お政

そうです!この“パイズリ”の陽子こそが、国会図書館デジタルコレクションで確認できた、最初の“パイズリ”の使用者です!

小説の中では、「どんなフニャフニャ息子も、この彼女の乳房と乳房に挟みつけられて、ひとしごきされると、アレヨ、アレヨという間に直立してしまう」「巨大なオッパイを使うから“パイズリ”である」と、詳しくプレイの内容が説明されていました!ここからは、当時「パイズリ」というものがあまり一般的ではなかったことが伺えます!



では、この『と金紳士』こそが真の「パイズリ」の発明者なのかと言うと、それは少し事情が異なると考えます!このことを論じるため、1970年代以降の検索結果を見ていきたいと思います!

1970~1983年には、「パイズリ」が13件ヒットしましたが、これらには2つの、特筆すべき点があります!まず第一に、これら全てが「トルコ風呂」、つまり性風俗関係の記事だったということです!

例えば1972年の雑誌『小説宝石』のコラム「おんなのメカニズム」では、「女の乳房って、大きいからいいとは限らないんだ」という前置きを経て、「いや、一ヵ所歓迎される職種があった。トルコ風呂。あのパイズリっていう特殊サービスにゃボインだけが有効だ」という記述がなされており、「パイズリ」が「トルコ風呂」の「特殊サービス」だとされていました!

また、1974年の『オール読物』の記事「雑学する?」では、「ヒップ洗い、パイズリ、燕返し、泡踊り、ポール締め、アナル攻め、ポールのブラシ洗い、原爆攻め、デゴイチ洗い、棺桶攻め、宇宙遊泳、コンニャク攻め、ブラック・サービス、荒波落し……際限がないやね。性技術の開発に骨身をけずっている最近のトルコ界では、秘技四十八手を集大成し、セットセールをしようと企画している店があるとか」という記述がみられ、「パイズリ」がその他のプレイと並んで「トルコ界」の「性技術の開発」の1つとして挙げられていました!

加えて、1984年の雑誌『宝石』の記事「ハードコア座談会 裏ビデオスタッフのないしょ話」も確認しましょう!この記事は、今回確認した中で初めて「パイズリ」という語が、性風俗の言葉として以外で登場しているのですが、それは次のような会話でした!

「監督 K子ちゃん、それだけバストが大きいと”パイズリ”なんかやらされるだろ」
「聖女 え、パイズリってなに?」
「監督 オッパイにペニスをはさんで、こう動かす……」

ここでは、「裏ビデオ」つまりアダルトビデオの監督と女優が座談会をしているのですが、男性の監督は「パイズリ」という言葉を知っているのに対し、女優は「パイズリ」という言葉を知っていないことが分かります!

以上より一点目として、1980年代前半まで「パイズリ」という言葉は、性風俗業界における独自のサービスを示す言葉として使われていた、と考えられます!



そして第二に、「パイズリ」という言葉によって指示されるプレイ内容が、一意に定まっていなかったということです!

まず1975年の『週刊現代』の記事「最新風俗リサーチトルコ第2弾!家庭でも利用できるトルコ風呂48手絵入り解説!」を見てみましょう!ここでは「S、Wに始まり泡踊り、蜂蜜攻めまで生み出したトルコ風呂は性技術開発のパイオニアともいえる」という前置きに始まり、「パイズリ」も、「「乳房の谷間にお客さんのポールちゃんをはさんでもむ」わけだ」とイラスト付きでされています!こうした紹介のされ方自体が、当時「パイズリ」が性風俗業界に閉じていたものだということを示していますが、そのプレイ自体は現在の我々が想起するものと変わりません!



一方、1983年の『週刊宝石』の記事「トルコ・テクニック実践講座」を見てみましょう!ここでも「パイズリ」が「トルコ・テクニック」として画付きで解説されていますが、そこで示されているのは、「おもに乳首で全身を軽くタッチしていくようにする」という、現在の我々が想起するものとは全く異なるものです!



他にも、1979年の『週刊現代』「初めてトルコ風呂に行く諸兄必修の用語とマナー」では、「パイズリ」:「乳房で客の体を刺激すること。乳首がどんどん固くなる感覚を賞味する」という紹介がなされていたり、1976年の『週刊ポスト』「トルコ前線探訪地図入り本場総まくり①評判の大宮”トライスター・サービス””盆栽遊び”の具合」では、「”パイズリ”なる乳房多用の泡踊り」というフレーズが見られたりします!
このように、当時「パイズリ」という言葉は、「パイで男性器をズリズリする」用法と、「パイで全身をズリズリする」用法の、少なくとも2つが存在していました!




1980年代後半:〈パイズリ〉の繁栄

前節での検討により一応、「山田邦子パイズリ発明説」を覆すことはできたのですが、せっかくなのでその後の展開についても見ていきましょう!
先述したグラフでは1980年代後半に、「パイズリ」という言葉の使用が増えていることがわかります!この点について、「パイズリ」使用件数における、記事の主題を確認しました!結果が以下のグラフです!

ここから、2つのことが指摘できます!



まず第一に、「パイズリ」という語の使用が、1985年に拡大していることです!どういうことでしょうか?実際の用法を見てみましょう!


「98センチのバストでパイズリ」(『週刊現代1984, 「東西超売れっこトルコ嬢100人の秘儀・熟技くらべ」
「ボヨーンと巨大な94センチのオッパイを駆使した”パイズリ”」(『週刊宝石』1985, 「アフター5:00の恋人たち」)
「Dカップのバストを駆使したパイズリ」(『週刊サンケイ』1985, 「厳選・採点表付き東西最新「ソープランド」のすべて」)
「Dカップ、Eカップのデカパイクンが多く、パイズリもバッチリ」(『小説club』1986,「秘伝!イキなソープ遊び」)


このように1980年代では、「パイズリ」という言葉が、胸の大きさを形容する用語とともに使用される用法が頻出していました!

実はこの傾向は、1970年代は見られなかったものです!70年代当時は「パイズリ」は、「性風俗店の珍しいサービス」という語られ方が中心であり、胸の大きさが焦点化されることはなかったんですね!
この背景に何があるのかは検討の必要がありますが、Wikipedia先生によれば80年代当時、「Dカップ」ブームなるものが起きていたそうです*1!閲覧した記事の中でも、「Dカップ」という文字列はこの頃から頻繁に目にした気がしますし、この頃大きな胸へのフェティッシュな欲望が社会的に構築され、それが「パイズリ」への関心の高まりにつながったのかもしれません!



そして第二に、「パイズリ」という言葉が使用される中心が、性風俗店から、アダルトビデオに移ったということです!私はアダルトビデオの歴史には明るくないですが、Wikipedia先生によれば1980年代中ごろよりアダルトビデオというメディアが一般に認知されていったようです*2!当時の雑誌でも、『週刊宝石』のちょっとエッチな情報欄「アダムズ・アイ」で頻繁にアダルトビデオが取り上げられるようになったり、『週刊ポスト』が「ビデオギャル告白シリーズ」というAV女優のインタビュー記事を載せたりしており、そこで使われた「パイズリ」が、検索にたくさん引っかかっていました!



そして、こうしたアダルトビデオ紹介記事から伺えるのが、「パイズリ」が「珍しいもの」から「お約束」に変わっていったことです!先述の通り1970年代の記事では、「パイズリ」は性風俗産業の珍しいプレイとして語られ、時には詳細な解説も加えられていました!しかし、そうした語られ方は1985年以降あまり見られなくなり、また「パイズリ」に詳細な解説が加えられることや、「パイで全身をズリズリする」という用法の揺れも、見られなくなりました!
それどころか、1980年代後半になると、次のようなフレーズが頻出します!


「Dカップ人気が根強いフーゾクに堂々出現、Eカップ巨乳ギャルのマキ嬢」「もちろん、パイズリが得意」(1987『小説club』「読むGスポット」)
「最後は待ってました。パイズリだ」(1989『週刊ポスト』「DカップかAカップかこれぞAV界日本シリーズ対決?「アンチ巨人」派がいるように「アンチ巨乳」派もこんなにいるんです!」)
「胸の大きい子は必ずパイズリっていうのがあるでしょ?」(1989『週刊現代』「ビデオギャル生録インタビュー」)


こうした、「もちろん」「待ってました」「必ず」というフレーズからは、この頃に性産業において「大きい胸」と「パイズリ」との結びつきが自明のものとなったことがわかります!




1990年代:汎〈パイズリ〉化する社会

最後に、「パイズリ」の使用が爆発的に増加する1990年代を、ざっくり見ていきます!全部は見切れないので、今回は1994年、100件を確認しました!内訳が以下です!


まず、この時期に「パイズリ」使用件数が大量に増えた要因として、グラフでも示した「AV通販」と「テレクラ広告」の存在があります!前者では一般誌にてアダルトビデオがカタログ化された広告記事が繰り返し掲載され、その中で「巨乳」ものが紹介される際に、「パイズリ」という言葉を伴っていました!



また後者ではレディコミ誌にてテレクラの広告が掲載され、様々なシチュエーションが提示される中に、「パイズリ」という言葉が伴っていました!1994年の「パイズリ」大爆発は、こうしたアダルトメディアの拡大によるものでした!



また「その他」で示した、性風俗・アダルトメディア以外での使用も拡大しています!これは主に、一般誌の読者投稿欄、小説、漫画などで使用が見られたものです!先のグラフの「その他」にも見られるように、1980年以前には、これらの中では「パイズリ」という言葉はほとんど登場していませんでしたが、1994年にはこれらの中でも登場していました!
その中で興味深い記事が2点あります!一つは主婦と生活社の漫画雑誌「Comic shan」にて、夫婦の性生活に関する記事の中で、「パイズリ」という言葉が紹介されていました!


もう一つは雑誌『生活教育』の特集「性教育をやりにくいと感じている大人たちへ」の「性の商品化・先生と子どもたち」という論考の中で、子供が親の持っている雑誌から性知識を覚えて困る、ということが語られており、その中で子供が「パイズリ」という言葉の意味を大人に聞いた、という例が示されていました!



このように、いままで性風俗、アダルトビデオに閉ざされていた「パイズリ」という言葉は、1990年代により広くメディアや社会に拡大していったと推測されます!




まとめ

ということで今回は、「山田邦子パイズリ発明説」を検討していきました!いかがでしたか?
本稿の検討からは、①「パイズリ」という言葉は1970年代以前より、性風俗店のサービスの名前として用いられていた、②1980年代の巨乳ブーム、およびアダルトビデオの普及に伴い、「パイズリ」という語義の統一と使用の拡大が生じた、③1990年代におけるアダルト系メディアの拡大に伴い、「パイズリ」という言葉がより広まった、という仮説を立てることができるのではないでしょうか!
もちろん今回の検討は国会図書館デジタルコレクションを参照したため、検討対象が一部の雑誌に限られ、より幅広い検討のためには映像メディアや成人向けメディアなども検討する必要があります!皆さんもぜひ「パイズリ」の誕生について調べてみてください!





『大奥』の話しますね。
Amazon.co.jp: 大奥 (ヤングアニマルコミックス) : よしながふみ: 本

よしながふみ『大奥』は、謎の病により男が絶滅しかけている江戸の世を舞台にしており、そこでは男ではなく女が男名を用いて社会を回し、大奥では女将軍を男衆が囲んでいます。こうした一見歪な、しかし当人たちにとっては当たり前な社会の在り方に疑問を抱き「女はなぜ社会を動かしているのか」を問うのが、8代将軍の吉宗です。

その謎を解くために吉宗は、御右筆頭の村瀬を訪ねます。村瀬は大奥での出来事を「没実録」に記録していました。村瀬は吉宗に言います。「ずーっと待ち続けておりましたのにあなた様が来られるまでだーれも訪ねてはくださらなんだ…」

そして吉宗は「没実録」を手に取ります。そこには三代将軍・家光の時代から約100年余り、男性の減少に伴い社会の、そして将軍家の仕組みが変化していく様が記されていました。「没実録」を読み解いた吉宗は、この現状の打破に取り組みます。



ここで吉宗がやってるのって、「ジェンダー秩序の構築性を検討する歴史社会学」なんだよね。僕もジェンダーを歴史的観点から社会学的にアプローチする研究をやってるので、吉宗が「没実録」を手に取る場面、めちゃめちゃ共感してしまった。社会学者、全員『大奥』好きだと思う。

僕はここで、落合恵美子の『21世紀家族へ』を想起せずにはいられない。落合の問いというのは、「女はどうして主婦なんだろう」ということなんだけど、それを検討するにあたって、次のように言っている。

「わたしも最初は、この問いはものすごく大きな問いだと思い込んで、それこそサルと人間の境目くらいまで立ち戻って考えてみなくてはと思っていた。でも、それが大きな間違いだったんですね。」
「その答えというのは、思いのほか近くに転がっています。思いがけず、目の前に。」


落合はこの後、女性が主婦化したのは産業構造が転換し、農業や自営業を中心都する社会かサラリーマンを中心とする社会になって、「男が外、女が内にいて、子を育てる」という家族の在り方が一般化したからだ、と主張するんだけど、そこでまた1つ、エピソードが挿入される。

「子どもがまだ赤ん坊のころ、乳母車を押して畑の間の道を抜けて、公園までよく散歩に出かけました。別に暇をもてあましていたわけではなく、「赤ちゃんに日光浴させてあげなくちゃ」「外気にふれないと夜泣きするし……」などと思って、忙しくても疲れていても毎日そうして散歩していたわけなんですけど、親しくなった農家のおばさんに、あるときこんなことを言われました。「今の若い人はいいね。遊んでりゃいいんだから」」


高度経済成長期以前、多くの女性は農業や自営業をして働いていた。一方落合世代の多くの女性は、「女は主婦」であり、それが「当たり前」だった。ほんの6~70年前にできた「当たり前」の形が、社会を構築し、それ以前のことを我々は容易に忘れてしまう。



「私が子供の頃、村のはずれに気のふれた一人の老爺がいた/その老爺がいつも言っていたのだ/『昔は男が女と同じくらいたくさんいて世が世なら自分は一城の主だった』と/もちろん誰も信じなかった/その老爺は皆に指をさされ笑われたまま山犬に噛まれて死んだ」
「が、ふと思うことがある/この国は初めからこのような国だったのかと」


さっきの落合のエピソードを読んだとき、僕の頭の中では『大奥』の吉宗のセリフが強烈にフラッシュバックして離れなかった。僕が社会学(あるいは資料調査)に感じてる一番の面白みって、やっぱこういう所なんですよ。我々が「当たり前」に捉えている何かしらは、以前は「当たり前」ではない時代があり、しかしそこから「当たり前」になっていき、いつしか人々はそれ以前のことを忘れてしまう。その忘れられたプロセスを掘り起こしていくのは、単に自分の知らなかったことが知れたというのもあるけどそれ以上に、ダンジョンを探検していくようなワクワク感がある。

最近、修論の時のデータで書いてる論文がなかなか査読通らなくてモヤモヤしてたんだけど、今回した調査下らないけどやっぱ楽しかった。論文にはならんが、誰かあとでWikipediaの「パイズリ」と「山田邦子」の項目を書き換えておいてください。