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京大漫トロピーのブログです

【12/25】「名作」を読むべき3つの理由、そしてピエール手塚。

 新たに京大漫トロピーの会長に就任しました。新萬と申します。
 実は12月8日のアドカが初投稿だったのですが、せっかくトリも任されているということなのでこちらで挨拶することにしました。
 本記事の枕を兼ねての自己紹介に、少々お付き合いください。

 私は幼い頃に通っていた児童館が「ドラゴンボール」、「ナルト」、「ワンピース」をはじめ、かなり色々な漫画を置いているタイプだったこともあり……というか主にその3作を来る日も来る日もひたすら読んでいた小学生だったこともあり(『FAIRY TALE』も読んだが、幼心にエロい!と思った記憶しかない)、その後、中学高校と進む中で比較的漫画を読むような性向が出来上がりました。しかしながら、これまでの漫画遍歴を振り返ってみると、読んだ当時すでに名の通っている「往年の名作」か、連載中ながら人気作としての地位を確立した「有名作品」ばかり読んでいたと言わざるを得ません。これも小学生の頃になりますが、水泳教室の送迎バスに置かれたコロコロとジャンプが、「新作」に触れる数少ない機会でした。とはいえ、今思えばコロコロは名作ばかりだし、ジャンプも「ワンピース」、『トリコ』、『BLEACH』あたりが目当てでした。あと『食戟のソーマ』。

 ともかく、私は漫トロピーの会員になって初めて、その年に世に出た「新作」と数多く触れるようになったのです。世間的な評価の固まっていない、生まれたばかりの作品を自分の言葉で評価していく行為が、これまで「名作」ばかり読んできたお坊ちゃんの私に与えた影響は大きいものでした。新作を通じて、改めて見えてくる名作の価値と、それを読む意味があったわけです。今回の記事では、こうした背景から「名作」と呼ばれる作品を読むことについて考えてみたいと思います。

なんだかんだ面白い

 これは鉄板であろうと思います。ある作品が世間で広く「名作」と認識されるようになるのは簡単なことではありません。多くの人に読まれること、そして読まれ続けることという、二つの高い壁を越えなければいけないためです。

 例えば、私は今年の秋会誌で2022年の漫画ランキングとして30本を選出しています。1位から30位まで、いずれも何らかの点で私の心の琴線に触れた漫画だったわけですが、それではこのうち何作が、何万人、何十万人という読者を得ることが出来るのでしょうか。あるいはこの中に、何年も後まで名前が語られ続ける作品はあるでしょうか。30作のうち連載が続く作品に限られますが、続きの単行本を買うか否かという個人的な基準で考えても、片手で収まる数に絞られてしまうのが実際のところです。そして、この険しい壁を乗り越えるための必須条件こそが「面白さ」なのだろうと考えます。面白ければ売れるとまでは思いませんが、重要であることに違いはありません。名作と言われるような作品を鑑賞すれば、それを名作たらしめる「面白さ」を楽しめる可能性が大いにあるわけです。また、こうした名作の「面白さ」(=世間で認められた面白さ)は、自分にとっても実際に面白いものであるとは限りませんが、少なくとも何らかの点で「引っかかる」ものであることも多いです。心にまるで波風を立てない作品の多さを考えると、「名作」恐るべしと思えます。

 そうした名作の中のさらに一握りには、ネタバレをものともしないレベルの異常な領域に至った傑作が存在するのだと、最近「ストーンオーシャン」のアニメを見て感じました。名作の悲しい性として、発表後ある程度の時間が経つとネタバレが広まってしまうということが挙げられます。とりわけ、ジョジョ6部は究極のネタバレが出回っている作品の一つであり、当然私もそれを知っていて最終話まで見たのですが、物語のパワーが凄すぎて何てことありませんでした。早く漫画も読みたいです。
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私のお気に入りキャラ、リキエル


 さて、さらに極端な場合、後続に影響を与えすぎたことで、今見ると全く面白くなかったり、平凡に思えたりするケースがあります。

 では、そんなしゃぶりつくされた名作はもう無価値でしょうか?鑑賞しても仕方がないのでしょうか?少なくとも、「批評」を掲げるサークル会員の立場からは、NOを突き付けてみたいと思います。

作品を評価する視点が増える

 ある作品一つだけを取りあげて行えることはそれほど多くありません。ストーリーの構造がどうなっているか分析したり、それがどのように読めるか解釈を考えたりなど、作品の内部へ入っていく方向性の評価に偏ってしまうのではないでしょうか。そうなると、当該作品の持つ画期的な部分、すなわち、他の作品と比べてどうか、という外部の文脈に繋がる評価が難しくなります。そして、作品鑑賞の経験値が低い場合、どうしても前者に類する批評が多くなってしまうと思います。作品を関連する系譜の中に位置付け、さらに(実際は同時に行われるのでしょうが)個別の具体的な評価も行うことで、その姿を十分に掴むことができるはずです。これは、秋会誌の原稿を書く中で個人的に痛感したことでもあります。私のレビューは片手落ちという感が強く、今後の課題としたいところです。

 それでは、後者に類する評価、すなわち作品を外部の文脈から広い視野で捉える評価ができるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。ここで大事なのが、「名作」に沢山触れること、特に、もはや当時何が新しかったのか全くわからないほど真似しつくされた「名作」を鑑賞することなのではないかと思います。盲人と像の寓話よろしく、部分(=何かに影響された作品)を知って全体を評価することは難しいですから、一度は像(=極めて影響の強い作品)の姿を捉えることが必要だというわけです。私はいわゆる名作ばかり読んできたと述べましたが、こうした批評ができるようになるにはまだまだ量が及びません。

コミュニケーションの手段として

 名作に触れる効用は個人的な問題に留まりません。特に、名作の条件として先に挙げた「多くの人に読まれる」は見逃せない要素であり、名の通った作品ほど身近な人が読んでいる可能性があります。作品に限った話ではありませんが、共通の話題というのは親睦を深める大事なツールになり得ます。それ故、できることなら話題を振られたときに応じられるようにしたい。いや、しておくべきだろうと思います。論より証拠に以下の画像をご覧ください。
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よつばと!を読まずんば人に非ず


 先月友人から送られてきた暴虐のメッセージ。夜中に突然でした。しかし、彼には私が漫画を読むサークルの会員であることを告げてしまっているため、このような言葉も甘んじて受けねばなりません。まして今や会長の身。未読問題については多少恥と思って漫力を鍛える必要があります。

 さらにもう一例紹介します。今月は上旬のある晩、中高から付き合いのある友人と久しぶりに会ったところ、彼にしては珍しく積極的に漫画の話をしてくれました。『クズの本懐』と『【推しの子】』についての話であり、横槍メンゴの漫画を一つも読んだことのない私は強引に秋会誌のセールスに切り替えることしかできませんでした。以前に漫トロピーのことを話した私に対し、良かれと思って振ってくれたのであろう話題を受け止められず無念に思います。「横槍メンゴってなんか名前がムカつくから読んだことないんだよね」と意味不明な言い訳をしたら、中学の時も全く同じことを言っていたと言われて色々と自分に絶望しました。

 言わずもがな、『よつばと!』、『クズの本懐』、『【推しの子】』は、一定以上の評価を受けている作品です。もし読んでいれば、きっと面白く、次いで漫力とレビュー力が若干上がり、楽しいコミュニケーションの機会を得ていたわけですから、これはなかなか無視できない損失と言えるのではないでしょうか。やはり名作は読んでおくに限ります。


 共感してもらえるかはわかりませんが、自分なりに漫トロピーでの最初の一年を振り返って考えたことを書きました。来年は、新作も名作ももっと沢山読んで、理想の漫画読みに近付いていこうと思います。

最後に──ピエール手塚作品

 今年のアドカのテーマは「紅白」で、奇数日と偶数日で色を分けています。25日は奇数日なので一応「紅」ということになるのですが、ブログ更新ツイートで紅白ファボRT合戦をするという名目上、24日までの12対12にする方が公平で収まりがよいですね。そこで独断により、最終日の今日は両方合わせた「紅白」をテーマに〆ようと思います。
 さて、今年の新人漫画家の中に、「紅」い漫画と「白」い漫画を一冊ずつ発表した方がいましたね。

 
 そうです。不惑にして新人ことピエール手塚先生です。両作のレビューは会誌の個人ページで行ったため今回は割愛しようと思いますが(どちらも面白いです。両方買って読み比べてみてください)、最後に『ひとでなしのエチカ』1巻から、本記事の結びとして一コマ引用させていただきます。

自戒


 それでは皆さま、よいお年をお迎えください。