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京大漫トロピーのブログです

【12/25】漫トロピーというサークルがどう成り立っているのか考えてみる

 新会長のちろきしんです。漫トロ入って1年目ですが、現時点で学部2回生になります。

 この前、文ピカ*1で、『よいこの黙示録』という漫画を読みました。
 小学生たちが宗教を作り出していく漫画なのですが、宗教をどのように立ち上げ、どうやって信者を獲得していくかという経緯がリアルで、エンタメとしても面白い、名作漫画でしたね。宗教の仕組みを解説したちくま新書の『完全教祖マニュアル』をエンタメ化したようなイメージです。

よいこの黙示録(1) (イブニングコミックス)

よいこの黙示録(1) (イブニングコミックス)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)


 僕はこれから漫トロの運営に本格的に携わっていく立場になりますが、『よいこの黙示録』や『完全教祖マニュアル』で書かれたような宗教活動の実践はサークル運営の大きなヒントになると考えています。組織運営について解説した本は山ほどありますが、その大半は企業などの営利組織について書かれたものになってしまうんです。営利組織は利益を出すことを第一の目的として動いているという点で、人間関係の構築が目的のサークルとは大きく違う存在です。給料なんていらないから働かせてください、なんて言う人はいないでしょう。企業内の人間関係はあくまで利益を得るための手段という色彩が濃いのです。それに対して、宗教組織は、営利組織以上に人間関係の構築そのものが大きな目的になる組織です。宗教に入る目的は、やはり生きづらさの解消という面が大きいと思います。救済と言い換えた方がいいかもしれませんね。ただ、宗教組織内の人間関係は、救済に至るための手段に留まりません。宗教内の人間関係で居場所が得られれば、生きづらさの解消に直接繋がるという点では、宗教を通じた人間関係の構築も目的の一つといえるでしょう。たとえば、創価学会は、農村から移住した都市労働者を基盤に発展してきた歴史があるのですが、田舎から出てきて地域共同体から切り離され孤立した彼らに居場所を与えることで信仰を集めていたという側面があります。宗教活動は、「居場所」といわれるものと深く関わっているのです。

 「居場所」とは、「ここにいてもいいんだ」と思えるような場所のことです。自分に合った価値基準が通用している場所と言い換えることもできるでしょう。価値基準は社会的に構成されるものですから、今の価値基準で幸せになれないときは、別の基準が通用する集団に入っていくのが一番でしょう。そうした社会・コミュニティを作るという機能は宗教の非常に大事な側面です。

 別の価値基準が通用する場所という点では大学のサークルも宗教と同じです。

 漫トロの場合、漫画の知識量・レビューする能力*2が重要な価値基準になっています。実際、漫画の知識やレビュー力があると、いろいろと頼られたり、議論好きな会員の会話において不自由しなくなるでしょう。また、社会的に留年は忌避されがちですが、漫トロでは留年の会員が非常に多くいるために、留年したからといって自らの価値が変わることはありません。僕自身も漫トロに入る前と比べて、留年に対して抵抗感がなくなっているように感じます。留年は一例ですが、このような漫画と関係ないところにも、そのサークル特有の価値基準は存在しているのです。

 そうした居場所を作るのは簡単ではありません。まずは、ある程度の数人を集める必要があります。集まってきた人同士を繋ぎとめ、結束を強める仕組みも必要でしょう。居場所作りには、人集めから結束の強化に至るまで円滑に進めるための高度なシステムが必要なのです。先ほど名前を出した『完全教祖マニュアル』では、布教を成功させ、信者の信仰を強化するために宗教がどのような仕組みを持っているかについて解説しています。

 その中でサークルの運営に関わる部分は、4つの要素にまとめることができます。

 ⑴ 勧誘の際はターゲットを絞る。
 ⑵ 集団の構成員で集まる場を設ける。
 ⑶ 集団の内側と外側に温度差を作り、外の世界と差別化する。
 ⑷ 義務を与える。

 これらの事項は宗教だけではなく、すべてのサークルにとって重要なテクニックです。宗教の事例を参考にしながら、漫トロではどのようにして、こうしたテクニックが実践されているか、少し考えてみます。


 ⑴ 勧誘の際はターゲットを絞る。

 多くの宗教では布教を始める際、まず最初に社会的弱者や貧困層に狙いを定めます。宣伝・勧誘をするとき、メッセージが届く人の数とどのくらい心の奥深くに届いたかはトレードオフの関係にあるからです。
さて、漫トロではどのような宣伝手法がとられているのでしょうか。漫トロのビラには、普通のサークルの物とは異質な、異常さを感じさせるものが多いです。人によってはビラを見て「ヤバいサークルだ。入らないでおこう」と思うようなデザインです。つまり、そう思うような人たちの集合を排除しているのですね。宣伝対象を制限していると言い換えても同じです。逆に言えば、あのビラを見ても入ろうと思えるような人こそ漫トロに来て欲しい人材ですし、おそらくそういった人を強く引きつけるものがあるのでしょう。

 ⑵ 集団の構成員で集まる場を設ける

 信者間のネットワークを作るための定期的な集会は宗教でもありますが、注目すべきは、集会の場所になるキリスト教の教会、イスラム教のモスクなどの宗教建築がどれも普通の建物とは違う建築様式であることです。日常から飛躍している感じを出すことで、特別な体験という感慨と集会参加者の結束の強化を生み出しています。
金曜5限後、漫トロ会員が集まる文ピカは、漫トロのホームページを見れば分かるとおり、学生運動の自由な雰囲気を残したような内装になっています。なんせ黒板の真上にデカい赤文字で“自 主 管 理 貫 徹”ですからね。この部屋の雰囲気が漫トロの自由な雰囲気や会員の帰属意識の強化に深く関係していると僕は見ています。心配なのは、近い将来文学部東館が取り壊され、この文ピカがなくなってしまうんじゃないかと言われていることです。文ピカが無くなったら漫トロは衰退してしまうような気がして、不安で仕方がありません。

 ⑶集団の内側と外側に温度差を作り、外の世界と差別化する

 外部との差別化は、集団の結束力を高めるのに重要なポイントです。宗教組織では、断食や独自の暦・記念日など、内部でしか通じないルール・慣習を作って差別化を図っています。
漫トロでは、このアドベントカレンダーや忘年会での漫画交換会、夏の合宿などが当てはまるでしょう。会誌作りにも差別化の効果はあると思います。外部からの視点で言えば、ビラもそうですね。


 ⑷ 義務を与える。

 念仏や断食などの宗教上の義務は信者の信仰を強めるために与えられています。宗教の信者は、神の救済を信じることで救われようとしていますが、何もしないで、救済を信じることはなかなか難しいことです。そこで何か義務があると、救済に至るための目標が明確になり、信者を信仰・救済へ導くことができます。
漫トロでこの義務に当たるのが、会誌作りです。サークルは居場所を得るための場所ですが、もし、サークルの成員になるための義務がなければ、簡単にはサークルの一員としてのアイデンティティを身につけることができません。帰属意識は居場所が得られるとはどういうことかを考える上で非常に大事なポイントです。また、会誌作りには、共同で同じ課題に向き合うことによって会員の親密度を上げる効果があります。漫トロの会誌の場合は、秋会誌で今年出た漫画の中からランキングを作るのですが、ある年出た漫画の中で名作と言われるような作品は限られますから、必然的に会員は同じ漫画を読む機会が増えます。共通認識を強引に作ることで、仲を深めやすくなっているのです。この過程を何年も繰り返すと誰であろうと漫トロに馴染んだ人間になってくるわけです。本当によく出来たサークルだと感心してしまいます。




 さて、ここまで、居場所作りの場としての宗教の事例と並列して漫トロの仕組みを明らかにしていきましたが、大学のサークルには宗教と決定的に違う部分があります。
毎年古い順に会員が卒業していくのです。
こうした団体では、新入生をどのように教育しサークルの運営や慣習を引き継がせていくのかが大問題になります。漫トロはこの課題をどのように対処しようとしているのか、考えてみたいと思います。

 漫トロの活動の根幹は11月発行の秋会誌と3月発行の春会誌です。4月、5月に入トロした新入生には、6月という早い段階から秋会誌に備え、今年出た漫画の中から5作選んでくる*3という課題(プレラン)が課せられます。このために新入生は、本屋で新刊を買ってきたり、漫画喫茶に行ってきたりしなければならず、その過程で“漫画読み”としての行動を習得していくのです。ここで漫画への意識を高めた新入生は、先輩たちに教わりながら、秋会誌が完成する頃には、一人前の漫トロ会員に成長しています。

 秋会誌の発行が終わると新入生の代はいよいよ会の運営を任されます。新生漫トロピーの初仕事は春会誌の制作です。新入生は自分たちが中心になって制作を行う中で、より大変な秋会誌制作のためのノウハウを覚えていきます。漫トロが年2回会誌を作るのは、新入生の教育のためなんですね。漫トロには、将来にわたって常に高い会誌のクオリティを保つための教育システムが整えられているのです。生み出すもののクオリティが高ければ、作るのが大変な分、会員の結束力は強くなるというカラクリです。

 しかし、漫トロの本当のすごさは会誌のクオリティの高さではありません。そのクオリティの高さと自由とが両立しているところがすごいのです。普段の例会では、連絡・決定事項の話が終わると、漫画を読む人もいる一方、ボドゲをやったり、みんな思い思いの行動を取っています。漫画のレビューをする時間が設けられているものの、毎回誰かがやらなければいけないという決まりもありません。あくまで、自主的な行動に委ねられているのです。もちろん、誰かがレビューしなきゃという義務感でする人はいると思いますが、そこには他者からの強制はありません。それでいて、かなりの頻度でレビューをする人がいるのがすごい。漫トロに長くいると会員としての意識が自然と身についていくのでしょう。

 もちろん、会員に義務が課せられるときもあります。プレランと秋会誌・春会誌の制作、アドベントカレンダーです。ここで重要なのは、誰が何をやるかが明確で、それぞれ期限が定められていることです。たとえば、会員が立候補制によって義務を果たすシステムがあったとします。そこでは、すすんで立候補して義務を果たした人と後になってからイヤイヤ義務を果たした人との間で心理的に格差が生まれてしまいます。人は平等さを常に求める生き物ですから、結束力は弱まってしまいますよね。一方、期限が不確定の義務があった場合を考えてみます。例としては、毎週特定の漫画雑誌を読まなければいけない、という規則が挙げられます。義務は終わりが見えるからこそ、やってやろうという気分になることができます。いつ終わるかわからないという思い込みはそれだけで、人のやる気を削いでしまうのです。終わりの見えない義務は必ず心理的な反発を招きます。一週間に一度雑誌を読むなんて簡単な規則ですが、毎週やると思うと気が重くなり、義務を内面化しすぎて、やがて漫画を楽しく読めなくなってしまう人も出るはずです。漫トロで課せられる義務は常に明確で有限です。サークルでの義務の問題を考えるときに明確性・有限性は重要なキーワードなのだと思います。

 漫トロに入って8ヶ月。僕もすっかり漫トロに染まってしまったのを感じています。最近はよくコンビニで立ち読みするようになりましたし、漫画喫茶に行きたい衝動は常に襲ってきます。やはり、人を変えるだけのシステムがこのサークルに備わっているからなんでしょう。そういえば、漫トロ会長としての所信表明をしていませんでした。僕の目標は、しっかり会長としての職務を遂行すること、きちんとした引き継ぎ文書を残すことです。まず、春会誌をしっかりとこなすのも大事ですが、新歓で漫画読みとして優秀な新入生が入ってきやすいような環境整備をしたいですね。自分が漫画読みとして力がないだけに、優秀な新入生が絶対に必要なのだという確信があります。

 ああそうでした。「パーティー」に絡めて文章を書かないといけないんでしたね。ですがよく考えると、英語の"party"には、単に「人の集団」という意味もあります。漫トロピーという集団について考えたこの文こそが、このアドベントカレンダーのトリにふさわしいのではないでしょうか。

 (文:ちろきしん)

*1:京大文学部学生控え室。漫トロ他複数の団体が、活動場所として利用している。

*2:他に締め切りを守る能力などがある

*3:2年目以降は10作。プレランは新入生の教育だけでなく会員同士でどんな漫画がいいのか情報を交換するという役割も大きい。