はじめに
今年のアドベントカレンダーのテーマは「紅白」で、「白」を担当することになった。
某国民的育成RPGで「マサラは真っ白 始まりの色」と言っていたように、僕は「始まり」のことについて書こうと思う(投稿丸一日遅れてすみません)。
京大には漫画を描くサークル(いわゆる「漫研」)は存在していたが、漫画を読む人間のためのサークルが存在していなかった。
そこで、創始者のねとはさんが「東京大学漫画調査班TMR」(こちらは1998年からあるサークルのようだ)にインスパイアを受けるなどして、母校の某男子校出身者たちを集め、2008年に「漫画読み」のためのサークルである京大漫トロピー(以下漫トロとする)を立ち上げた。それから現在まで存続している。
僕(ホリィ・セン)は2010年に大学に入学し、2011年に(第4代の)会長を務めたに過ぎない。創設メンバーたちと深い関わりがあるとも言えないし、漫トロの「歴史」について語る立場にはない。
ただ、僕は気がつけば現在(2022年度)まで漫トロに在籍しており、漫トロ史上最長の在籍年数になってしまった。博士課程の身分で未だに大学には在籍し続けているものの、さすがに今年度で引退することに決めた。
僕自身は決して誠実な「漫画読み」であったとは言えない。だが、干支がひとまわりするほどのこの長い期間を「私史」としてまとめておくことも悪くはないだろうと思った。順番としては編年体で書くのではなくて、パブリックな話から徐々に僕個人の体験が色濃いプライベートな話へと移行していく感じで書こうと思う。
ランキングの推移とランキング制作環境の変化
ご存じのとおり、漫トロでは各会員がその年1年のランキング(提出が10月下旬頃であるため、昨年の11月頃からその年の10月下旬頃)を制作することが恒例になっている。各会員のランキングが合算されることで「全体ランキング」ができあがり、11月に発行される会誌のメインコンテンツになっている。
会誌は毎年4月頃と11月頃に発行されるのだが、前者は大学新入生のための「新歓号」で、後者は京都大学11月祭に合わせた「ランキング号」である。新歓号は偶数号、ランキング号は奇数号になっており、それが10年以上にわたって発行され続けていると考えるとものすごいことである。
ランキングはVol.1では各会員1位~20位の提出だったが、Vol.3からは1位~30位を提出することになっている。1位:30点、2位:29点、……30位:1点という感じで加算され、他の会員とランキングに入れた漫画が被った場合は重複店が被り数1につき3点ずつ加算される集計システムになっている。
ランキングはその年の世相、漫トロ会員の傾向、あるいは漫トロで形成されていた「空気」のようなものを反映する側面が強い。そこでまず、歴代のランキングの1~3位をここに並べてみよう。
1位 | 2位 | 3位 | |
---|---|---|---|
2008 | ミスミソウ | HUNTER×HUNTER | トリコ |
2009 | トラウマイスタ | ONE PIECE | アイアム ア ヒーロー |
2010 | 進撃の巨人 | 惑星のさみだれ | 鋼の錬金術師 |
2011 | バード | 女の穴 | ぼくらのよあけ |
2012 | 人間仮免中 | 変身のニュース | ぼくらのフンカ祭 |
2013 | さよならタマちゃん | 深海魚のアンコさん | 宇宙怪人みずきちゃん |
2014 | 子供はわかってあげない | ムシヌユン | ちーちゃんはちょっと足りない |
2015 | 変身! | プリマックス | その「おこだわり」、俺にもくれよ!! |
2016 | hなhなA子の呪い | ファイアパンチ | あげくの果てのカノン |
2017 | BEASTARS | マイホームヒーロー | 月曜日の友達 |
2018 | アクタージュ | 呪術廻戦 | あの人の胃には僕が足りない |
2019 | スキップとローファー | バビロンまでは何光年 | すべての人類を破壊する。それらは再生できない。 |
2020 | 女の園の星 | マイ・ブロークン・マリコ | 葬送のフリーレン |
2021 | 地図にない場所 | あたらしい結婚生活 | ブランクスペース |
2022 | クロシオカレント | ミューズの真髄 | 模型の町 |
こうして並べてみると「初期は意外とジャンプ作品、それも継続中の作品が入っているんだな」という印象を受ける人もいるかもしれない。それもそのはずで、僕が入トロした2010年の時点ではまだそれほど「今年感」が重視されていなかった。
ただ、たとえば2009年の4位にも『惑星のさみだれ』が入っていたり、2010年の12位にも「ワンピース」が入っていたりといった感じで、連載継続中の「今年アツかった」漫画をランキングに入れると、数年単位で面白さが続いている作品が毎年ランキング入りすることにもなりかねない。
僕の記憶では2011年あたりからはかなり「今年感」が重視されるようになり、「その年に始まった・単行本が出た漫画」をランキングに入れる傾向が強まった(同時に、「完結枠」をランキング上位に入れることも減っていった)。
漫トロの長年の部室である「文ピカ(文学部控室の略)」(初期はなかったらしいが、僕が入トロする頃には既にあった)においても、できるだけ「今年の漫画」を持ち込む傾向はどんどん強くなっていったように思う。
ここ4,5年ぐらいは、ランキング提出2か月前ぐらいになると文ピカにある漫画が「今年の漫画」ばかりで埋め尽くされている気がする。例会にあまり出ていない僕もちょっと文ピカに行って「今年の漫画」をつまみ食いすれば十分にランキングを作れてしまうから、それに甘えてしまっていたところはある。今ほどは「今年の漫画」が出回っていなかった2010年代前半のことを思い出すと隔世の感がある。
ところで僕の感覚からすると、時期ごとに「アツい雑誌」というものが存在していたように思う。たとえば2010年は明らかに「別マガ」の年だった(「進撃」のみならず11位『マルドゥック・スクランブル』、21位『バニラスパイダー』、26位『惡の華』、35位『どうぶつの国』というランクインぶりだった)。他にも、2013年ぐらいまでは「チャンピオン」や「リュウ」、「モーツー」あたりが流行っていたように思うので、やはり隔世の感がある。
僕も月刊誌を頑張って追う気力のあったときは、『わぁい!』『ジャンプ改』『ゲッサン』『ゼノン』「月スピ」などを追っていたが、前二者は既に休刊したし、後ろ三つも最近ではあまり奮っていない。
そういうマイナー寄りな雑誌で今でも漫トロで一定の評価を受けているものとしてはたとえば『Fellows!』(現『ハルタ』)が挙げられるかもしれない。今の漫トロの例会にあまり参加できていないが、こういう「アツい雑誌」はあるのだろうか? あるとしたら、例会で話題になっているのだろうか? 気になるところではある。
ディス・煽り合いの文化
漫トロについて語る上で一つ外せないと思うのは、「ディス」や「煽り合い」の文化である。ランキングにおいても一度出た全体ランキングに対して、「クソ漫画ランキング」(Vol.1のときは「ワーストランキング」となっていた)を作ることになっているが、これには主に二つの意味合いがある。
一つはその年にクソだと思った漫画を(時には愛を込めて)批判するという意味合いである。全体ランキングに入ってすらいない漫画はクソランキングに入れられないので、クソランに入れるためだけにわざわざ自分のランキングの30位に叩きたい漫画を入れる人すらいる。
もう一つは「なんでこの漫画がこんなに上位にあるんだ!?」という意味合いである。上位に入っている漫画をクソランキングに入れることで、ランキング座談会の際の(言わば「擁護派」と「批判派」に分かれた)議論が活性化される。
なお、総合ランキング座談会から独立してわざわざ「クソ漫画座談会」を設けることもよくある。最近の会誌ではクソ漫画ランキングとして票が入った漫画だけでなく、雑誌ごとに「今年のクソ漫画」を検討していくというスタイルの方が主流になっている気がするが。
なお、「クソ漫画」を愛でるという文化で言えば、2年上の先輩であるiwaoさんがいわゆる「ジャンプ10週打ち切り」漫画をクソ漫画として愛でていた。当時のジャンプで即打ち切られたサッカー漫画だる『LIGHT WING』や『少年疾駆』の話を嬉々としてしていたのが印象に残っている。
また、会誌Vol.7(2011)の『神拳 ゴッドナックル』をめぐる企画でも大いに笑わせてもらった。「ゴッドナックル」はヤングキングで連載され、2巻で打ち切られてしまった漫画なのだが、ダブルクォーテーションの多用や、構図や展開の強引さがどうも刃森尊のヤンキー漫画に酷似しているのである(そもそも刃森尊の漫画自体、展開の強引さゆえにクソ漫画として愛好されている側面があり、そのような愛好者は「ハモリスト」と呼ばれている)。
刃森漫画の劣化版たる「ゴッドナックル」に目をつけた電球さん(2年上の先輩で、ねとはさんたちとも高校の同級生)は例会で「ゴッドナックル」を取り上げ、一世を風靡した。その年のクソ漫画ランキングでも見事ゴッドナックルは1位に輝き、会誌Vol.7の目玉コンテンツになったわけである。
それはともかく、漫トロではランキングシステムからいって、「ディス」や「煽り合い」を生み出すような仕組みになっているわけだ。毎週金曜日の例会の時点で、特定の漫画作品に対して擁護と批判の押収がおこなわれることもよくある。
言ってしまえば、そこには半ば人格否定のような会員への「いじり」が入ることも多い。そもそもこういった文化が苦手な人は入っていきにくいだろうし、ヒートアップしすぎるとけっこう本当に人格否定になってしまう感じで、殺伐とすることもある。
また、例会では深夜にボードゲームや麻雀をする文化が僕の入った頃からずっとある気がするが、そんな中でも「煽り合い」は日々起こっていた。
僕自身はこの「ディス」、「煽り合い」を心から楽しんでいたし、今も正直言って好きである。ただ、客観的に見ればこの文化は男子校的なホモソーシャルなノリなのだと思う。創始者たちが某男子校の出身者たちであり、僕が入トロして2年ぐらいはそのメンバーたちがかなり幅を利かせていたため、ある意味ではノリがかなり明るかったように思う。
もちろん先輩たちにも様々な鬱屈した思いがあっただろうし、社会全体からすれば日陰者の雰囲気が漂っている人が多かった。ただ、日陰者の中でも「声の大きい」日陰者という感じがした。
それに対して、僕の同期か1,2年下あたりからはいわゆる「根暗オタク」という感じの人がだいぶ主流派になっていった感じがある(先輩にもそういう人はいたが)。普通に考えれば、「サークル創始者」たちは主体的なリーダーたちであり、「新入生」たちはそのフォロワーなので当たり前と言えば当たり前なのだが。
また、初期の会誌を読み返していて気づいたのだが「レビューレビュー」というシステムもやはり「ディス」文化として機能している。
そもそも漫トロの会誌には「クロスレビュー」というコーナーがある。これは、ファミ通という雑誌におけるゲームの「クロスレビュー」をパクったもので、4つの作品に4人のレビュアーがそれぞれ1~10の点数をつけていくというコーナーである。
会誌Vol.1においてねとはさんが志村貴子『敷居の住人』をクロスレビュー漫画に推薦したところ、あまり点数がふるわなかった。そこで、ねとはさんは『敷居の住人』を全力で擁護すべく8000字の文章を書いて、レビュアーたちを批判している。これが、会員たちのレビューをさらにレビューするという「レビューレビュー」コーナーの生まれたキッカケだという。
ちなみに『敷居の住人』に1点をつけた渡来僧天国さん(もう一人の漫トロ創始者でもある)がこれに噛みつき、2人の間で緊急座談会が開かれてすらいる。このような批判の押収が初期から会誌のコンテンツになっているのは漫トロの方向性を象徴していたと言えるだろう。
会誌Vol.5とVol.9で開かれた「漫トロヤマアラシ」という企画も、2010年1位の『進撃の巨人』や2012年2位の『変身のニュース』をめぐっての擁護と批判の押収がコンテンツになったものであり、やはり「ディスり合い」の志向を持っている。
高度な(?)下ネタ文化
そんな「男子校ホモソノリ」とでも形容できる状況だったがゆえに、当然「下ネタ」もある種の文化になっていた。
会誌のコンテンツとしても、エロ漫画を推薦する「エロ漫画選手権」は定番企画になっている。これは会誌Vol.3では、ねとはさんのお眼鏡にかなうエロ漫画を推薦する「ねとは選手権」としてコンテンツになっていた。
そこでは、ねとはさんがきあい猫という作者のスカトロ系のエロ漫画を読まされたのが一つのネタになっている。さらに天丼になるかたちで、会誌Vol.5のクロスレビューではねとはさん『ベスト・オブ・きあい猫 スカトロ・セレクション』を読むハメになっている。
僕個人としては漫トロに入る前はけっこう孤独だったので、こういう下ネタ文化にはかなり救われたところがある。創始者世代のエムおーさんをはじめ、あっけらかんと自分の性癖について語れる文化が漫トロにはあった。
余談だが、僕がその後フロイトに傾倒していった理由としては、(スカトロに限らず)漫トロメンバーから多様な性癖について聞いていたことも大きかったかもしれない。たとえば、1年上の先輩であるひでシスさんが流暢に「石化粘着平面化フェチ」と言ったことで笑われていたのが印象に残っている。詳しく話を聞いたところ、ひでシスさんは「状態変化」と呼ばれるジャンルの性癖に通じており、これはこれでかなり興味深いものであった(その他、「男根妄執者」であるとも自称していたひでシスさんが愛好していた上連雀三平の『アナルエンジェル』も大変興味深かった)。
二歩ぐらい引いた視点で見るならば、自らの特殊な性癖を誇示するのは、ある種の男性性の誇示というか、やはりホモソーシャル性に回収して解釈することも可能である。とはいえ、社会不適合な人間をあっけらかんと包摂していく側面もたしかに漫トロにはあった。
あるとき漫トロ会員の留年率を算出してみたらジャスト5割だったことがある。これは京大全体から見れば高い割合だろう。漫トロというコミュニティが人を堕落させている側面ももしかしたらあるのかもしれないが、基本的には不適合寄りの人間にとっての受け皿になっている側面はあるように思う。
むろん、全員が全員受け入れられる、というわけではないのだが、「常識的に考えると狂ってる」だろうと思われるような人間も在籍できているのである。僕自身も正直大学1回生などのときは黒歴史と言って差し支えないような奇怪な言動を取っていたように思う(「俺、自己紹介得意なんです!」って最初に例会に現れたときに言ったなあとか)。
「サブカル」という謎
漫画の好みという点で僕が苦しんできた(克服してきた)ものがある。それは一言で言えば「サブカル」と呼ばれるものの存在である。
大学入学当時、いわゆる「萌え」系のオタクだった僕は、「サブカル」と呼ばれるジャンルの漫画が理解できなかった。たとえば漫トロ内では「空気漫画」とか「雰囲気漫画」とか呼ばれるものでもあった。
先輩たちが「サブカル」系の漫画を褒めているのを聞いて、どう受け取ればいいのかがずっと分からなかった。たとえば、2年上の先輩である端材さんは堀道広の『青春うるはし! うるし部』をレビューで勧めていたが、面白さが分からなかった。
堀道広はその次の『サミュエル』という作品も含めて、青林工藝舎から出版しており、いわゆる「ガロ系」の系譜にある漫画家であると言える。ガロ系がどういう文脈で成り立っているのかとか、そういうことを丹念に追っていけば、面白さが体感的には分からずとも、その意義を頭で理解することは可能である。しかし、当時の僕にはそのような知識すらも欠けていたわけである。
むしろ僕は、先輩たちが「サブカル」寄りの漫画を適切にレビューし、言語化していくのを聞き、そのうえで読むのを重ねる中で、体感的に「サブカル」への素養を深めていった感がある。「ガロ」とまではいかぬも、「空気漫画」や「雰囲気漫画」と呼ばれるような作品に通じていった。
このあたりの「センス」をめぐる苦悩については自分のブログでも一度書いたが、今回は『モーニング・ツー』という雑誌に定位してこのことを考えてみよう。
『モーニング・ツー』もやはり、電球さんが強力にプッシュしていた雑誌であり、2012年のランキングではモーニング・ツーの漫画が多数ランクインしている(2位『変身のニュース』、15位『大砲とスタンプ』、24位『彼女とカメラと彼女の季節』)。電球さんは漫トロで『ネイチャージモン』(ダチョウ倶楽部の寺門ジモンが主人公のルポ漫画)を流行らせたような手腕が評価されており、「電通さん」と揶揄されることもあった。ともかく、レビューが巧かった。
そんな電球さんは2011年のランキングで1位に『夕方までに帰るよ』、4位に『シティライツ』をランクインさせており、どちらもおそらく、今までの僕には理解できなかったものだった(ちなみに全体ランキングではそれらは32位、35位であった)。
漫トロ内ではそれらを「サブカル」だと揶揄する向きもあったが、僕はそれもふまえたうえで、これらの漫画から言い難い閉塞感と、それがわずかに突破されるような解放感をおぼえたものだった。
その後も僕は「サブカル」をめぐり、「理解できない」ものに対して苦しみ続けたが、徐々に「理解」できていくことに喜びがあった。たとえば真造圭吾などは徐々に好きになっていったし(2010年に『森山中教習所』が13位に入っているが、その後の真造の作品よりも僕はこれの方が好きである)、「サブカル」漫画家とは呼ばれないだろうが売野機子のことを好きになれたのは漫トロのおかげだと思う(2010年に『薔薇だって書けるよ』が4位に入っているが、このときはかなり「萩尾望都っぽさ」が強かったので僕は馴染めなかった)。
思えば、同期入トロで年齢的には先輩だったGaryさんは例会やそのアフターなどで滔々といろんな話を語ってくれていたのが印象深いが、当時の僕は固有名詞を追いかけることで精一杯で、どういうジャンルの話なのかあまり理解できていなかった(特定のバンドマンが好きなのだなあぐらいの理解だった)。
だが、今にして思えばあれこそまさに「サブカル」的なものの典型でもあったのかもしれない(と言うと失礼かもしれんが)。今ならもっと楽しんで聞ける話なんだろうなと思う。
同期/先輩/後輩たちとの個人的な思い出いくつか
以下は個人的な話になることをお許しいただきたい。僕は2010年に入トロしたわけだが、同期の人間たちとはだいぶ親しくやっていたと思う。同期の淳之介がかなり遊びに誘ってくれるタイプの人だったので、それで同期の親睦が深まった側面は大きい。福井の東尋坊や岐阜の養老天命反転地に行くみたいなのは、淳之介がいなかったらおそらくあり得なかっただろう。
朝までボドゲをして、さわキチの家(百万遍にあるコーポ泉というアパート)で寝ていたのも良い思い出だ。その後1年下でミシェルが入ってきて、ミシェルもコーポ泉にいたもんだから、ボドゲを終えた後も語り合ったりアニメを一緒に観たりしていたなあということを覚えている。
73(旧ななせ)(旧旧あぺろん)とは「二次性徴モノ」的な性癖が合う仲だったので、漫画を通じてピンポイントな性癖を共有し合う仲だった感覚がある。73宅に行った際にコタツで夢精してしまったのもやはり良い思い出だなあと。
ふわふわとはある日を境に対立することになったが、なんだかんだ義に厚い人間だなあと今でも思う。2011年にふがいない会長であった僕を実務面で一番助けてくれていたのはおそらくふわふわだと思う。
語り足りないことはいくらでもあるが、先輩と後輩についても少し。創始者世代の人たちには僕は今やだいぶ嫌われているような気もするが、少なくとも漫トロに入ることを決めたのは魅力的な先輩たちがいたからだった。新歓期にミックというバーや雀荘に連れていってもらったことだとか、城崎での合宿のことだとか、お世話になったことは忘れられない。
座談会などでの言語センスにおいても僕にとっては未知の世界が広がっていた。そこには、後輩たちを感染させる強いカリスマ性があった。
僕が漫トロに参加しまくっていた2011年や2012年の時期に、「MANTROPY CHRONICLE」やTMRとの合同誌が作られたが、これについては1年上の先輩方の力が大きかった。zekiさんやusiさん、ひでシスさんとは漫画の趣味的には対立することの方が多かったが、実務的にかなりお世話になった。
漫画の趣味、という話で言えば、僕が会長のときに新歓がうまくいかなかったことに責任を感じているが、結局さらにその下の世代でかなり優秀な後輩たちが入ってきた。黒鷺世代、くまぞー世代の層は厚く、真摯な漫画読みたちだったと記憶している(そういえば、会長選の際に黒鷺もQPも”狂犬”ミシェルに泣かされていて僕は笑ってしまった)。
自分の好みを抜きにしても、2014~2016あたりのランキングはとても納得がいくし、僕は好きだ。
その後、ちょくちょくボドゲなどで顔は出していたものの、2017年頃には同期たちがほぼ一掃されたのもあって最年長となり、いよいよ僕は老害化した。長い年月漫トロにいるという年の功だけでなんとなく後輩より漫画について語れるところはあったかもしれないが、早いとこ消え去っておけばよかったように思う。
2019年、漫トロにちろきしんを連れてきたのは僕の最後の功績だろう(まあ僕が勧めなくてもちろきしんは漫トロに入っていた気がするが)。2019年には割と対等に話していた醤油が引退した。『ルーツレポ』やゼロ年代のことで盛り上がったのは良い思い出だ。醤油がいなくなったことで、これで俺を煽れる者は……
2020年にはとうとう(コロナ情勢もあって)ランキングが出せなかったし、僕はもう消えるべきだった。あまりにも長くいすぎたのだ。2021年と2022年、僕にとってのアディショナルタイムであった2年間、面倒を見ていただいて本当にありがとうございました。