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京大漫トロピーのブログです

【12/19】THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 5thLIVE TOUR Serendipity Parade!!! SSA 1日目とそれとは何の関係もない日の夜

黒鷺です。今年は回生順の更新に相成るはずでしたが、わけあって交代しました。
テーマは夜ということなので、夜と漫画の話をいずれします。

(本記事において「アイドルマスター」という単語を、主に「シンデレラガールズ」を指す意味で使っております。アイマスの懐が深いことは重々承知しておりますが、自分の知っている範囲で語っているだけであり、ミリオンやMマスを排除する意図はありません。)
私がアイドルマスターに興味を持ったのは今年に入ってからでした。それ以前も、73やふわふわといった会員らがイキ狂っているのを横目に見ては、近寄らんとこと警戒していましたが、この春、就職活動で疲弊している時に、「アイドルマスターシンデレラガールズ劇場 1話」のにゃーにゃー喋る双葉杏を観て、ふと魔が差し、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージスマートフォンにインストールしました。



(シンデレラガールズ劇場1話。飴を頬張る双葉杏。かわいい)
そこからゆっくりと溜まっていったアイドルマスターへの感情は、お盆に開催された5th LIVE さいたまスーパーアリーナ公演のライブビューイングを千葉に見に行って、弾けました。そこは、ある種異常な空間でした。
普段は映画館として利用されている、真っ黒な箱の中で、どこかで行われている(と信じられている)、フィクショナルなキャラを演じる人々の映像を見ながら、光る棒を両手に握りしめた人間たちが、音楽に合わせて立ちすくみ、声を上げ、躍り、棒を振り、光の色を変え、涙を流しているのです。はて、さっきまで僕は、どこかの国がミサイルを打ってくるか来ないかという漠然とした危機にいたような気がしたのに。今は、ただ、祈りと熱狂で満たされた世界にいる……。
アイドルマスターのライブというものを初めて観ましたが、それは、あらゆる文脈のごった煮のような、儀式めく体験でした。
最初に面食らったことは、声優が、声優として喋っていることでした。「こんにちは、赤城みりあ役の黒沢ともよです。みりあだよー。今日はみんな、いっーぱい楽しもうね!*1」というように、彼女らは声優で、連続的に、アイドルで在りました。てっきり観客は虚構世界への没入を求めてきているのだと勘違いしていた私は、ハッとしました。「~~役とか言っちゃうんだ」、と。彼女らは、キャラクタを降霊させる顔のない依代としての役割を超え、この地上に存在しない偶像のライブを現実たらしめるための肉体が彼女らでなければならない必然性を、その身に湛えていました。*2
そのうえ彼女たちは、曲間のトークにおいて、歌っているときの振り付けや歌詞にさえ言及しました。「Kawaii make my day!!」の衣装や振り付け、口パクに言及する都丸ちよ。「パッション橘でした」と語る佐藤亜美菜など。ここで私は、ある種の混乱を受けました。「彼女らは舞台上で歌っているときでさえ、キャラクターであるというわけではないのか?」
例えば、本来3人ユニットであるにもかかわらず、今日のライブには2人しか参加していない。そんなとき、その場に居ない声優の立ち位置には、キャラクタの映像が投影されていました。その演出*3から、私は、歌唱中の声優はそのアイドルになりきっているものだと思っていたのですが、後からメタ的な解説がなされることで、歌唱中でさえ、降りてきたアイドルしての歌唱と、声優の演技者(或いは、シャーマン)としての自覚が、重なって存在していたということが指摘されました。あたかも憑依合体のように。


(シャーマンキング1巻。優れたシャーマンは霊と合体しても自我を失わない)
さらに観客がその発言を自然に受け容れていることも僕には驚きでした。観客は、キャラクタの虚構性を受け容れながらもそのパフォーマンスを信用している。これがアイロニカルな没入か?
この時点で、アイドルマスターのライブが、単に架空のアイドルたちのシンデレラストーリーというだけでなく、個々の声優の成長の物語としても見れると感じました。

勿論ながら、アイドル自身もそれぞれ文脈を持っていました。
それが最も明らかだったのは、声がついて初めて舞台に立ったアイドルたちです。彼女らは、観客として集まったプロデューサーたちのお陰で、シンデレラの階段を一歩一歩登り、声優という声帯を獲得し*4、声優を依代にして、舞台に顕現することを叶えたのです。それは、アイドル自身の物語でもあるし、それを応援してきたプロデューサーにとっての物語でもあるわけです。*5自分が応援してきたアイドルが、文字と絵だけの存在だった彼女が、声を持ち、歌い、眼前で踊っている!これだけの歓声を浴びている!これは自分がプロデュースしてきたからだ!客席に集まった人々は、舞台を盛り上げる観客であり、アイドルを応援してきたプロデューサーでも、確かに在ったのです。
またその、自分たちが参与しているという感覚を抱かせる仕掛けが、巧みだなと感じました。アイドルの属性ごとにペンライトの色を変えますし、ほとんどの歌にはコールがありました。観客たちは単にアイドルの歌を消費する役割ではなく、ライブ空間、或いはライブ現象を、より完璧せしめる一つのピースとして、確固たる地位を占めていました。*6

このように、アイドルマスターのライブでは、声優の文脈、キャラクタ自身の文脈、観客(プロデューサー)の文脈が、わやくちゃになっていました。そしてさらに、アイドル同士の文脈が、持ち歌を入れ替えるDJぴにゃコーナーによって、より立体的なかたちでライブを盛り上げていました。
「も、森久保乃々が『あんずのうた』を!?」(引っ込み思案なキャラクタが、「働きたくない」と謳う別のキャラクタの曲を!?)「神谷奈緒が『Never say never』を!?」(あるキャラクタのソロ曲を、その親友が!?)といった、もともとあった関係性を利用して、その魅力を増大させるような試みも為されていました。文脈を理解しているからこそ、より興奮する仕掛けが沢山ありました。(そしてニワカ者の私にはその多くがわかりませんでした。それでもライブは非常に楽しかったです。)

ライブは、アイドルマスターというコンテンツに蓄積された文脈を一挙に回収する祝祭の場として機能しているのだな、と感じ入りました。

私たちは、必然性に裏打ちされた一本の物語を生きているわけではありません。唐突な理不尽や、偶然の幸運など、散発的な事象に支配されて生活を送っています。それを一つの物語として筋を通そうと努めることが人生なのかもしれません。その点、アイドルマスターは、ある種の物語に参与しているという感覚を、非常に純粋なかたちて提供してくれます。アイドルたちは正の感情を振りまいてくれる。それを自分も応援できる。身体性を伴う参与の感覚も与えてくれる。あぁ、明日から頑張ろう。そう思えますよね。だってシンデレラはがんばりやなんだから。


そういう前置きを経て、自分も物語性に回収されながら生きているなと思った夜の話をします。

ある火曜日の昼に、健康科学の講義を受けていました。僕はD群(体育系)の単位をあと1単位取れば卒業できるという状況にあります。
PCを開いて課題に取り組んでいた折、ふとKULASISに今期の時間割の確定版がアップロードされていることに気づきました。何気なく見ると右下に、卒業要件充足状況の表がありました。そこには、自分が想定していたとおりの数値が載っていましたが、違和感を覚え、よくみると、ある但し書きが目に入りました。

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(今期履修登録科目を全て修得した場合)
????
ある創造的な後輩が単位取得要件を誤解していて卒業の危機にあると言っていたことを思い出しながら、私は京都大学 経済学部 卒業要件で検索をかけました。
そこには、D群の単位は、実習2単位・座学2単位の計4単位でないと認定されないと記されていました。私は実習1単位・座学4単位の計5単位で卒業しようとしていました。
私は糸の切れた風船のように席を離れ、全学共通科目の事務所に向かいました。「卒業要件を勘違いしてたんですが、スポーツ実習って……」12月の半ばに何を言っているのか、とにべもなく。卒業要件のことなら学部の教務に行けと促され、教務に行くが、「こちらとしても便覧の文面を確認することしか出来ない」と言われる。むざむざ卒業を逃そうという学生を前に何も出来ないと言うなら、あなたがたは何のためにおられるのでしょうか*7
そこで私は、スマートフォンを家に忘れたことに気づきました。想いを吐き出す相手もおらず、内定先や家族にどう謝るのか考えながら、とりあえずオグリビーの家に歩いて行きました。
ドアを蹴り開けると彼はベッドに横たわっていました。起きていたのか眠っていたのか思い出せません。私は訥々と事情を語りました。泣き出さないように言葉を紡ぐとこらえきれず声が震えました。
「集中講義でなんとかならんの?」とオグリビー。
おいおい、留年回避のエキスパートかよ。
経済学部の要件では、D群の4単位は、A/B/C群いずれか余剰4単位あれば代替できます。そこで集中講義の告知を調べると、阿蘇山への地学調査(B群4単位)*8があるやん! ただし、卒業認定には間に合わない可能性があります。

ともかく私は一縷の望みを繋ぎました。
これから追加される(かもしれない)集中講義で4単位を履修でき、かつ修得し、かつその認定が卒業審査に間に合えば卒業できる。間に合わなければ……。
そのあとはオグリビーと東山湯に行って、別れました。

夜です。
家に帰って玄関を開けると、左手にはすぐ本棚があります。
オグリビーに薦められて買った小説の背表紙が目につきました。

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

このアドベントカレンダーのテーマを聞いた時、この本について書こうかなんて笑いあったっけな。
僕は記憶力が悪く、読んでも内容をすぐ忘れてしまうので、良いなと思った一節に付箋を貼るようにしていた時期がありました。
パラリとめくるとこんな台詞に付箋が貼ってありました。

「でも俺達は、なんていうか、味方ってことにするのはどうだ? その時むかついてても、全然会ってなくててもさ。 ……たとえばどちらかがやらかしたことが気に食わなくて、許せなくても、味方ってことにするというか……。 誰かそういう人間がいると考えると、生きやすい」

電気を消して布団に包まり天井の闇を睨んでいると、現状は多くの安全弁をすべり落ちた末のどん詰まりであることが否応なしにわかってきました。前期で実習を履修していればよかったわけだし、後期で単位要件を確認するなり、一応実習も登録しておくなり、A群B群の講義も暇つぶしに受講しておくなりすれば、現在の最悪の状況からはかなり違っていたわけで、「あのときこうしていれば」「どうして自分は」と、過去の怠慢の精算を一つ一つ迫られているような感覚に、笑いさえこみ上げてきました。
ヤバイと思ったので電気をつけて『逆境ナイン』を読み始めました。

逆境とは、自分の甘い予想
とはうらはらに、とてつもなく
厳しい状況に追い詰められた時のことをいう!!
だがそれは男の成長に
必要不可欠なものだと
人は言う!!

逆境ナイン』とは、現在「アオイホノオ」を好評連載中の島本和彦の代表作の一つで、主人公・不屈闘志が率いる、地区大会も勝てない弱小校である全力高校野球部が、気合で甲子園優勝を目指す作品です。この作品の凄まじい所は、作者の持つ”根拠なき勢い”と"そのエネルギーに裏打ちされた力強い断言"で、どうしようもない逆境をバキバキしばき倒して進むところです。甲子園常連校に練習試合で勝てなければ廃部だと言われても、地区予選で109点差つけられても、それは男の器が試されている逆境にすぎない! キアコンというとどうしても権威的な説教臭さに繋がりがちに思えますが、今作からは後ろ暗さを感じません。ハチャメチャな打開策に笑いながらも、その前へ進んでいく熱量に、気づけば背筋を伸ばしてしまっている。そんな漫画です。
読み返して印象に残ったのは、主人公が幼いころ父に泳ぎを教わったことを思い出すシーンでした。
初めて25mを泳ぎきった5歳ぐらいの闘志くんに向かって、父はこう言います。「お前、直前で足を着いたろう? よくやったが闘志! お前は決して25メートル泳いだわけではない! 今のお前はなにもやり遂げたわけではない! ただ失敗しただけだ! お前はただ! 失敗したんだ!」「24メートル泳ぎ切った時に、その功績に満足した……もうすべてなしとげた錯覚に陥ったのだ!最後の瞬間を前にして後ろを振り返った!」と鬼詰めされる闘志くん。
「出来る男は目標に到達しても振り返らない!!」
「な、なぜ?なんで振り返っちゃいけないの?」
「その先にまた新たな目標が見えてしまうからだ!!
  出来る男に振り返ってるヒマなどーーないっ!!!」

なるほどなぁ。躁転したので眠りました。はっきり言って、うっかり失態を犯したからって過去の出来事を拾い集めて必然だったみたいに物語に回収する態度は褒められたものじゃないと思います。今出来ることに全力を尽くそう。そう思わせてくれる名作です。
ドギツイ・メメント・モリを喰らいましたが、か細い道を辿って卒業したいと思っています。
できなかったら? そんな奴の運命などオレはもう知らんよ。

(黒鷺)

*1:ゴメンナサイ。正確な喋り方は覚えていません。

*2:それは、誰だか忘れたけども、「~~役のーーちゃんとは事務所の後輩で、今日は初めて同じ舞台に立ててとても嬉しい」、というコメントであったり、すみぺの、「以前はアーニャを見せないとという重圧を感じていたが、今は、『すみぺ、そのままで、いーよ』という、アーニャの声を感じる」といった発言からもわかりました。

*3:私の記憶ではそういう演出があったのですが、本当にあったんでしょうか?

*4:概してアイドルマスターのキャラクターは、まずゲームにイラストと文字の台詞だけで登場し、選挙で上位を獲得して初めて、声優がついて、CDデビューという段階を踏む。

*5:新人声優の物語とも読める。

*6:さらに言えば、そこで歌われる曲の多くは、普段から音ゲーでプレイしており、既に身体に染み付いている。

*7:少なくとも僕のような落第生を救うためではあるまい。

*8:たまたまオグリビーは地熱の研究をしている