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京大漫トロピーのブログです

【12/18】「宝石の国」第⑧巻の以前/以降をどのように考えたらよいだろうか

こんばんは。シラバスは自分で読むものではなく、教務課に読んでもらうものであり、あなたがもし大学生なら、「はい…院も受かってて…単位が条件を満たしていないことについ先週気づきまして…どうか…授業を受けさせていただいて…単位を認定していただけないでしょうか…テストも一生懸命勉強しますので…」と先生に泣きつく四年目を迎えることのないよう、早め早めに教務課に行って、単位を計算してもらいましょう。*1



ところで、「ここから先はネタバレです」というような文言を、ネタバレ程度のことでその作品の強度が損なわれるというのかい、という読み方をする人もいるらしいと聞く。なるほどである。ただし、こと未完結の漫画に関しては、その多くが連載という形式をとっているし、生まれたての一話、生まれたての一巻を読むことの喜びもあるのだろう。



宝石の国』第八巻の話をします。
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*2



待望の新刊に収録された内容はとても濃密なものであった。本日の記事では、それついて筆者が受けたショックについて断片的にメモしておく。文ピカで次号のアフタヌーンを楽しく読むために。



目的を失う物語



これまでフォスが失ったものを整理しておく。
・フォスフォフィライトはシンシャの〈新しい仕事〉を探して深海で足を失う(2巻76-77頁)
・シンシャへの思いが流氷に反響し、それが原因で両腕を失う(→3巻74頁)
・その腕が動かないままアンタークチサイトが奪われる(→3巻136頁)
・先生の秘密を暴くという(やはり)シンシャの新しい仕事を考えながらゴースト・クオーツを奪わる(→5巻末-6巻冒頭)
・カンゴームが(フォス自身と同じように)腕を失いそうになったとき、またも軽率にみずからの頭部を失う(6巻178頁)。

「仲間のかけらを月から取り返す」ことをひとつの軸として、読者は『宝石の国』を読んでいたはずだ。しかし第八巻で明らかになることには、もうそのかけらは再構成不可能なまでに粉砕され、月を輝かせているのだった。画像はその経緯を淡々と、しかもきわめて露悪的に説明を進める王子エクメアの様子
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市川春子先生は、七巻までの宝石たちの営為を、たった冒頭の数十ページでまったく無意味なものにしてしまった。まさかフォスの感情や、読者の予想を粉々にするためだけに、ここまで思わせぶりなストーリー展開を用意していたのだろうか?



碇シンジ使徒の国を観光するだろうか



ところで、あくまでこの浩瀚な作品の一側面として、ということだが、(とくに前半の)これまでの宝石の国は、無性別・無生物化された「エヴァ」+「アイドルマスターシンデレラガールズ」という風に読むこともできただろうか。
仮にそういう読み方があったとして、第八巻の冒頭はそういった読み手の前提を裏切る。これまで不気味な存在でだった敵が生き生きとしゃべり出し、呆然自失の状態のフォスフォフィライトは月人の世界を「観光」することになる。
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たとえば碇シンジ使徒と話し、まして使徒の国を「観光」する、なんてことを、ぼくらは想像できただろうか。この底抜けのラディカルさ、底抜けの脱力感をやってしまって、この作品はこれからどうするのだろうか。当たり前のようにペラペラとしゃべりだす月人に対するフォスの怒りは、そのまま読者の行き場のない感覚を代弁してくれるものでもある。
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ヘテロセクシュアルの導入



「君たちが先生とよんでいるあれは/人間が最後に作った/祈りのための機械だ」。
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筆者はこころからこのコンセプトに感動した。途中まではだれかが祈るとして、最後の人間には、だれが、というと、それを担当するのは、アンドロイドなのである。魂の救済のために機械を作って死ぬ。なんともきれいに自己完結した滅亡の仕方ではないか。しかしそううまくはいかなかった。金剛は途中で壊れてしまって、人間の魂のいくつかの個体は安らぐことなく、月で呪いにかかったように生き続けている。魂の成仏が人類末期では科学的に観測可能とされているという設定もすばらしい。


さて、「人間の雌」の登場を、ここでは重く受け取ってみよう。
「博士というのは?」「金剛を作った人間の雌だ/彼女の再生を試みているがあれが現在の限界だ」
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「博士」が女性であり、人間の雄のかたちの僧侶機械を作った、という事実を通して、『宝石の国』は初めてヘテロセクシュアルをこの世界に導入することになった。

第七巻、月人たちが金剛を動揺させるために導入した「偽物の博士」の姿が、「ルチルっぽ」いものだったというフォスフォフィライトの証言も思い出しておこう。ともすれば、金剛は、自分を作った博士の姿を求め、宝石たちの姿を加工する「男」として、あらためて立ち現れてきてしまうのではないだろうか。博士=母の姿を求めて娘を作り続け、その疑似家族の維持を夢見る……という、ヘテロでロマンティックな(つまりキモい)この反復の構造が見えてきはしないだろうか。



これまで、無生物・無性別を享楽していた読者はここでも絶望したかもしれない



もし無性別化したアイドルマスターシンデレラガールズというものがあるとしたら、それはある種のユートピアたりえただろう。男という中心をめぐる少女たち、というあの構図をいったん棚に上げて、無性別で無機的なもののセックス・アピール*3というフェティッシュの世界が、「宝石の国」には開けているように思われた。個人的なことだがじじつ筆者は、無機物のセクシーさ、その内臓なき「断面図」、痛覚のないリョナ、といった、鋭利なエロスを心ゆくまで楽しんできた。アニメ「宝石の国」のコケティッシュといってもいいようなキャラクターデザインやショット*4も、その悦びを観るものに仕組んでいるだろう(いまこの世界のどこかで、「宝石の国」に性の目覚めを経験している小学生がいるかもしれない、と考えると、筆者はどうしようもなくときめいてしまう)。
しかしいまやここに広がっている風景は、ともすれば、なんともヘテロで情けないものではないだろうか。



メタ読みの導入



また、博士という女性の存在から、ついにメタ読みに導かれてしまう読者もいるのではないだろうか。つまり、テクストを生み出し、決して直接的にはテクストに表れない作者と、金剛を作り出し、死に絶えた人間としての博士――との、パラレルな関係である。このようなメタ的な読み方が許されるとして、示唆される二つのポイントを示しておく。

メタ読みの示唆① 人間は無責任であり、作者は

宝石の国』では、人間は無責任なのだった。まずは金剛が博士に対して発したこのセリフがあり、
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そして月人の王子エクメアがそれを反復するように以下のようなセリフをつぶやくのである。
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金剛のセリフについて。ここで金剛が手にとっているものは、のちに王子エクメアに明かされるように、「分子構造パズルゲーム」である。きっと、博士は、「特定の結果に至るようにつくられていない」このパズルゲームを使って金剛と遊び、鉱物の組成やあるいは生物の組成について様々な考察を得たり、金剛にその構造を教えたりしたのだろう。しかし博士は「造ったものの終わりまでは考えていなかった」。人間のためにつくられ、そして人間がいなくなった地上でのアンドロイドに、もはや何ができるのだろうか。*5

一方エクメアが言っていた「思いやりのなさ」も同様に人間たちにいうものである。人間は勝手に生きて、勝手に死に、勝手に救いの機械を作り上げ、その機械については最後まで責任を持たず、そしてわれわれのようにやり場のない魂を月に残してしまったのだ。ここで言われるのは金剛の創造主(クリエイター)であるところの人間の無責任さである。

余談 それでもなお、市川春子先生はこの「人間の無責任さ」に準じた「作者の無責任さ」に甘んじることなど、きっとないのだろうと、私は信じる(たとえば宮崎駿ならこのあたりで全部洪水に押し流してしまうのではないだろうか。でも、それじゃきっとダメなんだ。ここでめちゃくちゃにしてくれなくて本当によかった)。むしろこの作者は、第八巻の後半部分から、フォスフォフィライトの絶望にすばやく対処していくことによって、その懸念をおどろくほどの速さで払拭していく。エヴァをひきずるの普通の物語なら、このぐじゅぐじゅをもっとこねくり回していたのではないだろうか。



メタ読みの示唆② フォスが自壊しないので、読者もあきらめてはいけない



そう、読者はあきらめてはいけない。なぜならフォスはまだ壊れていないからだ。いやほとんど壊れながらにして、ぎりぎり壊れていないのだ。
先ほども、フォスフォフィライトが読者の心情を代弁してくれているシーンを紹介した。第八巻の前半部で、急激に変動した世界に振り回され続けるフォスフォフィライトは、市川春子先生に振り回され続ける読者にちょうど対応している。もちろん、多くの読者もここまでのことをされたなら自壊を迫られる。連れ去られてきた多くの宝石たちがそうであったように。

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しかし、(文字通り)心も体も粉々で、(文字通り)アマルガムとなってしまっているフォスフォフィライトが、これまでのすべてをかなぐりすてて、どうしようもなく前に進んでいくように、われわれ読者も、物語観のアップデートを迫られている。これこそが、市川春子先生が周到に用意した、読者への暴力的な贈り物ではないだろうか。



今後の展望



では最後にこれからのフォスフォフィライトの展望について。
月人はほんとうの成仏を目指し、フォスフォフィライトはその試みに同調するのだが、ここでフォスの動機になっているのは月人への同情のためだけではない。その裏にある目的は、月人と先生の関係を暴くこと、そして金剛先生を「卒業」することと、シンシャに居場所を与えること、である。

しかし八巻の末尾では、「月人と先生の関係を暴くこと、そして金剛先生を「卒業」すること」と「シンシャに居場所を与えること」が両立しないことが明らかになる。シンシャは新しい世界への脱出を、「先生がかわいそう」だという理由で断ったのだ。宝石の「国」=金剛の作り出した疑似家族、に倦みつつあったダイアモンドらと、あくまでフォスフォフィライトに懐疑的な他の宝石たちとの間にも「訣別」が生じつつある。もはや物語はより複雑な方向に脱走している。

フォスフォフィライトというテセウスの船(よくまだ保ってるよなあ)に導かれて、読者は宝石の「国」を脱出し、さらに複雑なストーリーをたどることになるだろう。ここまできて、もし市川春子先生がこの作品に最後まで責任をもって描き続けることができるなら、やっぱり、天才だ。



追伸


アドカテーマ要素を忘れてたのでシンシャくんの画像を張ります
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*1:単位制即刻廃止して♡

*2:どうでもいいけど第七巻まではあったAFTERNOON KC XXXXの連番が第八巻からはなくなってますね

*3:この本おもろそう but 読んでない

無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)

無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)

*4:アニメ第六話のダイヤモンドのおしり観て

*5:なんやねんこのエモエモエピソード?市川春子って神だわ