セイ。
性。
世。
精。
成。
聖。
誓。
制。
昨日に引き続きちろきしんです。今日は、原作・金月龍之介の漫画『ぷりぞな6』の話。
金月龍之介は、美少女ゲームライターやアニメ脚本家として名を馳せた作家である。『ジサツのための101の方法』(2001)『フタコイオルタナティブG』(2005)においては、抑圧された性欲、妄想と現実の境界、希死念慮をテーマに、読者の現実世界の実在性の確信を揺るがし、精神的な主体の確立を描こうとした。Ufotable二作品『フタコイオルタナティブ』(2005)『まなびストレート!』(2007)においては、人との繋がりの尊さとは何か、成長(主体の確立)とは何かを繊細に解きほぐそうとする。金月龍之介を語る上では「まなスト」では「約束の地」と呼ばれる「聖なる誓いの場所」の存在の貴重さも重要なキーワードの一つだ。Ufotable二作品では現代資本主義批判も快調。「まなスト」は反体制運動の在り方を問う作品でもある。
『ぷりぞな6』は金月龍之介初の漫画原作作品。プロットは全て金月龍之介の手によるものである。
舞台となっているのは所在地不明、名称不明の「島」。その島には記憶を失った少女たちが運ばれてくる。少女たちには名前の代わりにナンバー1からナンバー7までの数字が与えられる。「島のシステム」が定めたルールに従って生活する少女たち。欲しいものがあれば「リクエスト」をすれば島の外から希望の品が送られてくる。「リクエスト」を送るのはナンバー1の役目だ。ナンバー1を代表とした自治組織が島の前提。少女たちは「相手が言いたくないことは聞かない」などの島のルールを作って自治をして暮らしている。そういえば、「まなスト」も「自治」がテーマの一つだった。島を脱出する方法はただ一つ、全員に毎月支給されるナンバーロックの掛かった「箱」を開けること。
一つ目のテーマは「過去のトラウマ」・「人を信じられなくなること」
主人公、むっちん(ナンバー6)は唯一覚えている「先輩」の記憶をよすがに島からの脱出を試みる少女だ。その中で、ただ一人、みんなから離れて一人で暮らしているナンバー4に出会う。ナンバー4はかつてふたゑ(ナンバー2)という少女と恋愛関係にあったが、約束を違えてふたゑは先に脱出してしまう。その「裏切り」をナンバー4はずっと引きずっているのだ。この挿話は「ジサツ101」のカンナの昔話を思い出す。
珊瑚(ナンバー3)には人に夢を見せる超能力がある。珊瑚は精神が不安定になると徘徊する。そして、関わろうとしてきた時に自分が過去に親から受けた虐待の夢を見せる。
珊瑚の過去を知ってもなお踏み込もうとするむっちんは珊瑚の作った理想の精神世界に閉じ込められてしまう。そこは、憧れの先輩のいる甘い夢。理想の夢を見せるという行為は、珊瑚の能力を利用して稼ごうとする親に利用された手段だった。それは、親に認められるための行為であり、自分が慣れ親しんできた生存のための手段でもあった。そこには「資本主義」と「疎外」という問題も含まれているだろう。
ここで新たなテーマ「心の深いところに降りる」という新しいテーマが現れてくる。
むっちんは、夢の中で珊瑚の「深いところ」に「降り」ようとする。珊瑚の痛みを受け止めようとする。そして、珊瑚は心を開く。すると、どうなったか。むっちんの「箱」が開いたのである。
島には心にトラウマを負った少女たちが集められる。失った記憶の中にある触れたくない「真実」。トラウマのせいで閉じた心。その誰かの閉じた心を開いてあげれば「箱」は開く。「誰かを求めること」、「誰かに求められること」、そして「微笑むこと」。島の外で生きていくための術だそうだ。その術を身に付けた者が島を脱出し、現実へと帰って行く。
ところが、「島のシステム」には暗い側面があった。現実で生きていく術を身に付けられなかった者は、「追放」され、心を奪われて島のシステムの一部になってしまうのだ。なぜなら、救済すべき「プリズナー」の枠は6人しかない。だから新しいプリズナーのために見込みのない者を切り捨てる必要があった。効率を名目に切り捨てを行う現代資本主義社会のメタファーだろう。夢の世界といい「島のシステム」といい「ジサツ101」の金月らしい舞台設定である。
「島のシステム」の支配を担うナンバー7の一人ナナコの力を借り、「島のシステム」に反抗し全員で脱出を目指す『ぷりぞな6』の後編において大事なテーマになるのが「意味」である。彼女たちは自らのトラウマに向き合うことを避けるために自分の人生は「無意味」だったと思い込もうとする。自分の傷が痛かったことを認めまいとしてニヒリズムに落ち込もうとする。そんな彼女たちが「島のシステム」と戦う中で意味を見つけていく。それは、彼女たちがシステムの管理によらずに現実で生きていく術を見つけたことを意味する。そして最後には全員で島から脱出の成功するのである。
この過程で注目したいのは金月龍之介の繊細さだ。「フタコイオルタ」では、白鐘姉妹の失踪の理由をあえて聞かないまま彼女らを受け入れる恋太郎の姿を描いた。「まなスト」では主人公たちが率いる生徒会活動や学生運動を描く際にひたすらリアリズムに徹した。生徒会中心の学生運動について内輪ノリが出ているから上手く言っていないのではないかと指摘する箇所には驚かされたものだ。その繊細さはここでも発揮される。
代表的なのは「心の深いところに降りていくこと」というテーマについて。これは誰かの心をとにかくこじ開けてトラウマを語らせ承認を与えるという意味ではない。主人公むっちんは自らの傷を隠し甘んじて「追放」に応じようとする二胡に対してこう呼びかける。
「私たちは仲間じゃなかった!私たちは他人だった!だから二胡さんの深いところにあるいろんなこと、話してくれなくても構いません!でも!いつか!いつの日か!私たちは「仲間」になれる!そんな日が来るんじゃないかって—私は思うんです!それじゃダメですか!二胡さんを助ける理由、それじゃ足りないですか…!?」
心を今すぐ開かなくてもいい。困っていること、辛いことを今すぐ話さなくてもいい。それでもいつか心を開いて欲しい。傷ついている誰かの助けになるために必要な繊細さである。傷ついている僕たちが必要としている繊細さである。
もう一つ必要なものがある。「約束の場所」である。彼女たちは「島」を脱出し、現実世界に帰る。そしてみんなが一様に決心してある無人島に向かう。そこはあの「島」によく似た商店街、そして、溜まり場になっていた「喫茶五百蔵」……。全員が記憶の無いまま懐かしさと確信の中で集結した。そして物語は終わるのである。
金月は最後に「島」を再現した場所に終結させて何がしたかったのだろうか? その謎の答えは「まなびストレート!」を象徴する挿入歌「桜舞うこの約束の地で」の歌詞を引くことで代わりとしたい。
パーティは終わる
季節は流れて いつか 違う空の下だけど
足がすくんだら 名前 呼んでよね そして
桜 舞う この場所で また会おう