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京大漫トロピーのブログです

【12/22】メソッドを確立した漫画家は強い

どうも,QPです.
今年でアドベントカレンダーの企画も6年目.私が記事を書くのも5回目.M1になってしまいました.
最近の悩みは専ら寒さと乾燥.私が通っている桂キャンパスは山の上にあるため標高が高く,人や建物といった熱源も少ないため非常に寒い.また原付による疑似木枯らしも私の体から体温を,そして水分をゴリゴリ奪っていく.手の乾燥もひどく,さかむけも発生.ハンドクリームを塗って寝ることを余儀なくされています.
そんな桂キャンパスの数少ない良い点は景色がきれいなこと.華美な人工光も視界を遮る建物も殆どないため,京都市の夜景がきれいに映える.また満月が出ている夜も情緒的な景色です.例え吉田の住人と同じ月を見ているとしても,何もない桂で見る方が格段にきれいだと思います.
ん? 同じ月を見ている……

というわけで今回紹介する漫画は土田世紀の『同じ月を見ている』です.この作品は「自分を勘定に入れない」生き方をする男を描いています.

恥ずかしながら私はこの作品まで土田世紀作品を読んだことが無かったのですが,私が想像していた土田世紀作品とは全く印象が違いました.というのも土田世紀は漫画を通して自分を表現する漫画家だと思っていました.(おそらくタイトルだけ知っていた『俺節』から来る印象でしょう.最近読んだ『編集王』の主人公は泥臭さ満載で,こっちは印象通りでした.)

しかしこの漫画の中心であるドンという男は周りの人間の,全人類の幸せを願う男であり,あとがきでも「ボキにとって本当に強い人間とは「自分を勘定に入れない」生き方ができるかどうかです。やれタフだのクールだの安い価値観をブチ壊したいと思って描き始めました。」とあります.
このドンのモデルは土田世紀の好きな宮沢賢治であり,土田世紀が主人公の漫画が読めると思っていた僕としては少し残念でした.もちろん話自体は面白かったのですが,土田世紀宮沢賢治の心の距離は近くても,読者である私と宮沢賢治の距離が遠いため,少し引いた目線で読んでしまいました.ドンが異次元の存在(魅力的な漫画的キャラ)としか思えず,↑のあとがきにあるような土田世紀にとっての強い人を実感できませんでした.


ただ土田世紀の画力の凄さは大いに分かりました,なんといっても表情のうまさ.目じりや口元だけの表現ではなく,トーンを使わずにつける影がうまく心理描写をしています.重厚な背景も含め,どの構図からでも描ける技術力の高さもあり,読んでいて飽きさせない.

ではそろそろ本題に移ります.タイトルにあるメソッドとは一体何なのでしょうか.
至極単純なことです.その話で描きたいことを印象的に描く、というものです.そんなの当たり前じゃないかと思うでしょうが,土田世紀はそれをメソッドと言えるレベルまで昇華しています.
具体的にはどういうことなのか,それは2つあります.1つ目はタチキリでコマを描くこと,2つ目は背景のメリハリです.

1つ目,タチキリについて詳しく述べます.仕組みとして単純で,その話のキモの見開きやコマのサイズを他より大きくしたら目立つというものです.
原稿1ページの大きさは310mm×220mm,それに対し内枠の中は270mm×180mと,ページ全体の約71%しか占めていません.よってタチキリを用いたページの印象は大きく異なります.

それでは実際にページを見ていきましょう.
①まずは普通のページです.

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1巻より
小ぢんまりとした印象を受けます.体感8割ほどのページが該当します.多ければ多いほどタチキリのコマが印象的になります.

②印象的なコマのみをタチキリで描きます.

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3巻より
やはりコマが大きいと迫力が出ます.動きのあるコマをダイナミックに大きく描くためにタチキリで書くこともあります.また構図によっては縦だけタチキリ,横だけタチキリの場合もあります.

③最も印象的なのはやはり見開きです。

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3巻より
実際に読んでみないと分からないと思いますが,①のようなページが連続しているところにいきなり見開きが来るとインパクトがあります.



2つ目,背景のメリハリについてです.
土田世紀の背景は描きこみも多く重厚で,背景単体でも十分な主張があります.しかし土田世紀の一番の魅力はやはり顔だと思います.
その顔を強調するために,見せたい表情のときだけ背景を白抜きにしています.

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6巻より
タチキリも相まって右ページと左ページで受ける印象が全く違います.久保帯人先生の「何を書くべきか,より何を描かないかが重要」という発言を思い出しますね.




まとめに移ります.
タチキリのある/なしまたは見開き,背景のある/なしを組み合わせることで各話ごとに見るべきポイントが明確になり,作者の演出面でも読者の理解面でも分かりやすくなっています.
話作りとしても,一番描きたい見開きから逆算して描くといったこともできると思います.


しかしここまで記事を書いていてある問題に気がつきました.
それは他の作家が真似できないということです.
というのも上記の手法は土田世紀の画力に担保されているからです.
タチキリ無しのページを多用する際には,土田世紀のように描きこみの量を増やさないと,ページ全体がスカスカに感じてしまうでしょう.また見開きを描き切る画力も必要です.
背景のメリハリもその書き込みと白抜きのコントラストによるものなので画力が求められます.また表情単体を描ける表現力がないと下手な顔のアップになってしまいます.


結論としては,この2つの手法を組み合わせ,効果的に使っている土田世紀はさすがということになります.どちらかの手法だけを使っている作家は数多くいそうですが,両方となるとそういないと思います.
最近だと阿部共実くらいですかね.(漫トロピー会誌Vol.19の座談会ページに詳しくあるので是非お買い求めください.)こちらの場合は背景ではなく陰影のメリハリですけど.



少々雑な説明になりましたが以上です.ということでタイトルの意味は自分なりの漫画の描き方を徹底している漫画家はそりゃ売れるわなってことです.(自分なりの漫画の描き方が分かるまで漫画家を続けられているということでもあります.)
個人的に,タチキリ無しが基本の漫画はどこか絵本のように,また表情は枠線の太さもあり一枚の写真のように感じました.絵柄も相まってどこか懐かしさを感じさせてくれ,いい読書体験ができました.
それではこの辺で記事を終えたいと思います.駄文,失礼しました.

QP