mantrog

京大漫トロピーのブログです

【12/2】パーティーって言葉に悪い印象があるなら全部パリピのせい

こんにちは。漫トロピー副会長のふれにあです。
若干遅くなりましたが12月2日分のアドベントカレンダーです。
先日のNFは楽しかったです。

やってきましたね、今年もアドベントカレンダーの季節が。
今年のテーマは「パーティー」。パーティーってなんかいいよね、言葉の響きが。大学生になると友達とわいわいやるのって「飲み」とか「コンパ」と呼ぶようになるじゃないですか。それに対してパーティーという言葉の無邪気さよ。誰かの家で壁に折り紙でつくったチェーンみたいなやつ貼り付けてさ、料理囲んでクラッカーとともに始めたいもんだね、ああパーティー
というと凄く懐かしく素敵な感じがしてよいけれど、そう考えると「パーティーピーポー」略して「パリピ」ってほんと頭の悪い品格のない言葉だな。我々の無邪気さを汚さないでくれ。

🌲🌲🌲

さて、漫画の紹介。今回はNFの総合ランキングでは語られなかった新しい作品を探してきて語ろうということで、今回もジャケ買いをしてきました。プレラン(漫トロ内で総合ランキングを考える数か月前に各自良さそうな作品を10作ピックアップして紹介する会)で3作ジャケ買いしたときは正直はずれが多かったけど、懲りずに選んだよ。はいこちら。

f:id:mantropy:20191202220245j:plain


あ!! いま読んでる漫トロ会員の何人かの心の声聞こえたよ!?
「あ~、こいつが好きそうな表紙やな……」って。
それは否定しないけど。ジャケ買いだしね。
この漫画は2019年10月5日付けで発売されたイトイ圭さんによる作品です。僕はこの作者の作品を初めて読みました。「楽園」で連載していたそうです。残念ながら来年のランキングには入れられません。
ところで僕は昨年施川ユウキさんの『ヨルとネル』について書いたので、奇遇にもまた「○○と○○」というタイトルのものを紹介しているんだね。
パーティー? 関係ないっす。

ーーー
主人公は女子高生の頬子。父親はロックバンド「花と頬」のリーダーを務めている。ある日委員会の仕事で話すこととなったクラスの男子・八尋に、父親がミュージシャンであることを気づかれてしまう。コアな音楽趣味を持つ八尋は頬子の父の大ファンだったのだ。そこから二人は静かな図書室での筆談を通して、互いの趣味などについて話を深めていく。気づけば頬子は、八尋に紹介された音楽ばかり聴くようになり、八尋に想いを寄せてるようになっていた。しかし、距離を縮められたかと思うと、話の中心は父の音楽のことばかりだった。「好きなミュージシャンの娘だから私と話しているの?」と不安になり始める。未だ垢抜けない不器用な二人と、彼らを取り巻く人々の、ひと夏の物語。
ーーー

というお話。1巻完結だよ。
率直な感想は、「淡々とした進行でこちらが行間を読まないといけない部分が多分にあるが、キャラの機微を繊細に描けていて素直に切ない気持ちになれた。面白かった。」といったところでした。
雑に言うと、「田島列島や『違国日記』好きな人は割と好きそう」。
この作品をジャンル分けするなら「恋愛もの」ということになるけど、ドラマチックな事件やボロボロ泣けるシチュエーションはあまり見つけられないかもしれない。しかし、我々の日常も別に「恋愛もの」でも「バトルもの」でもないし、回収されない伏線もあるし、覚えていることしか覚えていないものでしょう?
ジャケ買いが大外れだったら別の漫画で描くことを考えていたので、これで書けることを嬉しく思う。

f:id:mantropy:20191203001401j:plain
視線の移り変わり上手いね

作中の描写はほぼすべてが、「舞台に役を配置し、吹き出しでセリフを言わせる」だけのシンプルな手法で進んでいく。
静かなタッチで描かれていく登場人物は、いつも表情にコンテクストが込められている。特に視線の向け方が毎回毎回上手いなと思った。会話文も不自然さがなく、作り話感を抱かずに読み進められる。それだけ丁寧に作りこまれている。
物語中何度も、頬子と八尋によるルーズリーフ上の筆談が描かれるんだけど、ふたりの文字の癖から明らかに書き手が区別できるところや、一昔前のメールのような、もどかしくもドキドキするやりとりには、つい「いいなぁ」と思わずにはいられなかった。あまずっぱい。

f:id:mantropy:20191203000149j:plain
なんかいいなぁ

音楽、文学、時には漫画が会話の中で数多く紹介され、物語のアクセントになっている。コアな音楽には全く知識がない中で、親しい人から勧められたものをとりあえず見てみるという展開は、多くの人が経験したことがあるのではなかろうか。

主要キャラ二人の関係性が変化していくところが主な話題だが、有名人の娘に生まれた頬子が父のファンである八尋に想いを寄せていくという設定は、他のどこかで似たようなものを見たことがあるような気がしながらも、陳腐さはなかった。
そこでミュージシャンの父親をもつ頬子と医者の父をもつ八尋の、似ても非なる家族観が物語を引き立てている。大きな力を持つ父をずっと見続けてきた二人はその家族観に少し冷めたところがあり、そこが話しやすさにつながっていたのではないかと思う。

一番心にきたのは終盤の展開だが、それをここで語るわけにはいかない。
読み手が意欲的に読もうとすれば深く味わえる作品だから、ここまで読んで「良さそうだな」と感じたら実際に読んでみてほしい。

しかしながら、僕が2回読んだ程度では直接描写されていない設定や出来事を読み取るのは難しかった。ブンピカ持ってくからみんな読んで話聞かせてくれ。
作者はあとがきで「世界で3人ぐらいしかこれを読んでいないんじゃないかと思って描いた。登場人物の背景のストーリーはあるが、それを描くより読み手のなかで余韻に浸ってほしい」というようなことが書かれているが、僕としてはもうちょっと説明が欲しかったなあ。これだけ精神描写上手いんだから。

🌲🌲🌲

ところで、この前みかんばことだちと僕だけがブンピカにいたときに、「読み手である自分が物語の主人公より一回り年上になっちゃうと、もう『浸る作品』としての側面が大きくなりすぎちゃって悲しいね」という話をしたけど、この作品でもかなりそういう要素はあった。くぅー。

俺たちの青春はまだまだこれからだ!


(ふれにあ)

【12/1】ワインを楽しむ

お久しぶりです、現会長のだちです。
NFも終わり、そろそろ代替わりの時期です。
この時期といえば、今年もやりますアドベントカレンダー
アドベントカレンダーとは何ぞという方は文字をクリックすると解説のあるページに飛べます。便利ですね。

さて、今年のテーマは「パーティー」だそうです。これからのシーズン、クリスマスに年末年始に、パーティーを開く口実はいっぱいあります。
最近漫トロでもNFの打ち上げがあったのですが、大学生にもなると「パーティー」というより「飲み会」と呼ぶべきものが多いです。パーティーなんて単語はめったに聞きません。
飲み会では自分は酒を飲んで酔っ払う上回たちを見るだけだったのですが、つい先日20歳の誕生日を迎え、自分も酒が飲めるようになりました。祝え。
そいやバースデーパーティーとかもありますね。この時期だとクリスマスと一緒くたにされてしまうという話はよく聞きます。自分は別々でしたが、実際まとめられる閾値がどこら辺なのかは結構気になりますね。

話が関係ない方向へ飛びだしたので漫画の紹介へ移ります。
ここはやはり酒に関する漫画を、ということで紹介するのはこちら、『ワインガールズ』。

ワインガールズ 1 (マイクロマガジン・コミックス)

ワインガールズ 1 (マイクロマガジン・コミックス)

一言で言えば、ワインの擬人化漫画。正確に言うと、ワイン用ブドウの擬人化です。
内容は、擬人化された少女たちがワインを作ったり飲んだりしている、日常系の類でしょうか。
擬人化や日常系はもうありふれたものになっていますが、その中でこの漫画はテーマの活かし方が非常に上手い。
まず、当然ワインの話がメインなのですが、それがめちゃくちゃ詳しい。品種毎の特徴やワインの製造法といった基本知識から豆知識まで、内容が豊富かつ解説が丁寧で、読んでいくとワイン知識がどんどん増えていきます。
次に、舞台やキャラクターの設定。実際の品種の特徴などに合わせて設定が作られているので読みやすく、ワインの歴史というのが背景にあるので自然とキャラに深みが出ます。
ワインの話、それに応じた設定というのがまたもう一つ良い要素を生み出します。それが百合要素です。
どういうことかといいますと、ワインは必ずしも一つの品種だけで作られるわけではなく、相性の良い品種を配合して味や香りのよりよいワインを作ることもあるわけです。つまりカップリングが存在します。
というわけで、そういう配合などを元にした百合が展開されます。擬人化漫画特有のキャラ作りがここでも存分に活かされており、一つの百合の表現としてとてもよく出来ていると思います。
そして、これらの要素が全編通して一気に押し寄せてくるので、非常に濃い漫画となっています。正直一回で入りきらないくらいの物量。ワインの擬人化というテーマを話の様々な要素に落とし込んでいて、擬人化漫画として完成度が高いです。

ワインとか全然知らないよって人でも楽しめる(というか自分がそう)漫画なので、これからのパーティーシーズンにこれを読んでワインに思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。

『空の青さを知る人よ』を見ろ

こんにちはファービーです。先日、醤油とばいたるとの関東出身の3人で『空の青さを知る人よ』を見てきました。埼玉の秩父が舞台だからね、しょうがないね。(なぜか)映画の上映前に面白かったら感想をブログに書くと醤油と約束してしまったので、感想を書きます。ネタバレを含むのでまだ見てない人は映画館へGO!
f:id:mantropy:20191027134344j:plain

あらすじ

あらすじは公式サイトから引用します。

山に囲まれた町に住む、17歳の高校二年生・相生あおい。将来の進路を決める大事な時期なのに、受験勉強もせず、暇さえあれば大好きなベースを弾いて音楽漬けの毎日。そんなあおいが心配でしょうがない姉・あかね。二人は、13年前に事故で両親を失った。当時高校三年生だったあかねは恋人との上京を断念して、地元で就職。それ以来、あおいの親代わりになり、二人きりで暮らしてきたのだ。あおいは自分を育てるために、恋愛もせず色んなことをあきらめて生きてきた姉に、負い目を感じていた。姉の人生から自由を奪ってしまったと…。そんなある日。町で開催される音楽祭のゲストに、大物歌手・新渡戸団吉が決定。そのバックミュージシャンとして、ある男の名前が発表された。金室慎之介。あかねのかつての恋人であり、あおいに音楽の楽しさを教えてくれた憧れの人。高校卒業後、東京に出て行ったきり音信不通になっていた慎之介が、ついに帰ってくる…。それを知ったあおいの前に、突然“彼”が現れた。“彼”は、しんの。高校生時代の姿のままで、過去から時間を超えてやって来た18歳の金室慎之介。思わぬ再会から、しんのへの憧れが恋へと変わっていくあおい。一方で、13年ぶりに再会を果たす、あかねと慎之介。せつなくてふしぎな四角関係…過去と現在をつなぐ、「二度目の初恋」が始まる。

「空の青さを知る人」とは

本作のタイトルにもなっている「空の青さを知る人」とは誰のことなんでしょう。おそらくひとり目は、相生あかねです。
f:id:mantropy:20191027134751j:plain
本作ではしきりに井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」という言葉が使われます。これは井戸にいるカエルは大海を知ることはないけれど、一つの場所に止まり続けたからこそ、知っていることもあるという意味です。妹のために地元に残り成長を見守り続けたあかねこそ、この「空の青さを知る蛙」なのでしょう。
もう一人は13年前の慎之介こと「しんの」も「空の青さを知る人」です。
f:id:mantropy:20191027135026j:plain
本作の主題歌であるあいみょんの『空の青さを知る人よ』の歌詞にこんなフレーズがあります。

赤く染まった空から
溢れ出すシャワーに打たれて
流れ出す 浮かび上がる
一番弱い自分の影
青く滲んだ思い出隠せないのは
もう一度同じ日々を
求めているから

様々な解釈ができると思いますが、この歌詞を大人になって現実の厳しさによって自分の無力感が明らかになった時に若い頃の自分を思い出しているのだと僕は思いました。
青二才という言葉があるように、青さというのは若さの象徴です。主人公のあおいは妹であり、あかねは姉です。若者は根拠の無い自信をを持つものです。それが若者の特権と言わんばかりに。しんのの持つ「空の青さ」とは「思春期の全能感」に他なりません。主要人物4人の中でこの「思春期の全能感」を持っているのはしんのだけです。
以上のこと踏まえると、本作はあおいが二人からそれぞれの「空の青さ」を受け取る話だと考えることができます。
f:id:mantropy:20191027150518j:plain
あおいはあかねに対して、当初、複雑な感情を抱いていました。これまで育ててくれた感謝を持っていると同時に、自分のせいで地元に繋ぎ止めてしまった罪悪感、あるいは大海に出て行こうとしなかった若干の失望感。あおいが地元から出ていきたいと思っているのは、ベースで成功したいという思いからではなく、どこかぎごちなさの残る姉との関係に踏ん切りをつけたいという思いからでした。しかし、物語の終盤であかねが書き続けてきた自分の成長を記したノートをみて、あかねがいかに苦労して生きてきたか、そしてあかねは決して不幸ではなかったことをあおいは知ります。一つのことに向き合い続ける大変さと、そして一つのことに向き合い続ける価値をあおいはあかねから学んでいきます。
また、作品を通してあおいはしんのに惹かれていきます。それはしんのが自分にないものを持っているからです。それこそが「思春期の全能感」です。あおいは両親を事故で亡くし、姉に迷惑をかけてこれまで生きてきました。そのため、どこか擦れていて現実から目を逸らすためにベースを弾いているような面があります。だからこそ、天真爛漫に楽器を奏で希望を持って前に進もうとするしんのの姿が魅力的に映るのでしょう。

本作のメインテーマ

本作のメインテーマは「思春期の全能感」の肯定です。一般論として、若者の根拠なき自信というのは空虚なものであり、やがて若者は現実に叩きのめされ、自分の限界を知っていきます。それを象徴するかのように13年後の慎之介は現実に打ちのめされた存在として登場します。またしんのが蔵から出られないという設定も「思春期の全能感」が現実に影響を与えることは出来ないのを表しているのでしょう。だからこそ、物語終盤であおいとしんのが手をとって蔵から飛び出すシーンは、「思春期の全能感」が現実を変える可能性を持っていることの提示に他なりません。しんのとあおいが共に空を舞うシーンは観客にカタルシスを与えると同時に、「なんでもできる」というのを端的に示した素晴らしいシーンであると個人的に思っています。
「思春期の全能感」は大人たちにも影響を与えます。しんのの思いに触れた慎之介は、空は飛べないながらも現実的な手段であかねの元へと走り出しますし、あかねはしんのとのやり取りでどこか諦めていた慎之介との恋愛の最初の一歩を踏み出します。そういった意味で、「思春期の万能感」というのは空虚なものではあるけれど、外へ一歩踏み出す勇気を与えてくれる存在である、だからこそ無価値ではないというのがこの作品の伝えたいことなのでしょう。
最後のシーンであおいは空に向かって思い切りジャンプします。しんのと一緒に空を飛んだことを思い出すかのように。しかし、そのジャンプは空は愚か、地面からわずかに離れただけのように描かれます。このシーンは、あおいが「思春期の全能感」をしんのから受け取ったこと、世界にはどうしようもなく現実が存在すること、それでも一歩進むのは出来たことを全て同時に描き切った儚くも希望のあるものではないでしょうか。


最後に

本作はどちらかと言えば大人に向けて作られた作品であると思っています。私自身、学生の身分であり「思春期の全能感」を失いつつも現実に打ちのめされる経験はまだしていません。なので本作が心の奥にまで響く作品であったかと言われると難しいです。ですが5年後,10年後に見返したい作品であることは間違いありません。だからこそ、今大人の人に見てもらいたいと思っています。
今回、映画の絵、音楽、演技などに関して詳細に書くことはしません。ですがどれも高水準で素晴らしいものであると思っています。もしこの記事読んで映画に興味を持ったら映画館にいって見て欲しいです。売り上げがあまり芳しくないらしい…

P.S「こち亀」永遠じゃありませんでしたね。

ルーツレポ読め

 『ルーツレポ』について、お話します。


 その名の通り、ニコニコ動画出身の漫画家・ルーツによるレポ漫画。元ゲーム実況投稿者の彼は、Vtuber流行以前から自身を美少女に化けさせて日々の出来事を漫画にしていた*1。この美少女おっさんによるレポが抜群に面白いので、紹介しておきます。
 漫画のレビューはどんなにやってもやりすぎるということはない(KMGMNITDK)。みんなも気軽にmantrogで雑文を垂れ流そう。

 で、『ルーツレポ』の何がすごいか。ルーツが東京ドームへ野球観戦に行った回を例にとって紹介します。ねとらぼで無料で読めるから読んでホラ。
nlab.itmedia.co.jp


①どうでもいい情報をそのまま伝える
 冒頭、ルーツは入場前に隣の成城石井でビールとテング・ビーフジャーキーを買いに行ってます。そして入場早々にジャーキーに嚙り付くのですが、その感想が「かたい」。
f:id:mantropy:20190923112956p:plain

 …どうでもいいじゃん。なんのレポートだよって突っ込みたくなる。でもここがすごいのよ。普通なら描かないよね、野球観戦レポにスーパーでの買い物描写。ビーフジャーキー食べたとしても、塩気や旨味への言及が優先して、少なくとも「かたい」だけで完結はしないはず。でも、その情報を伝えないとリアルじゃない。ドーム入る前はやっぱり近くのスーパーで飲食物買って持ち込むし、たいていのドーム周辺にはそういう客を見越してスーパーが設置されてる*2ビーフジャーキー食った時、やっぱりまず「硬っ…」って感想がポロリとこぼれる。テレビの食レポとかだと、大抵はその「硬っ…」を見逃して、味覚と舌ざわりの情報に終始しちゃうけど、リアルなのは最初の「硬っ…」なのよ。
 ほとんどのレポートは読み手を配慮して情報を序列化、取捨選択して伝えようとするけど、『ルーツレポ』では、彼の感じたリアルな情報のみを残す。読者の欲しい説明を付け加えないし、ましてやそのために下調べなんてしない。分からないものに対して「分からね~」と言って、なぜか満足げにその場を後にする。恐ろしいよね。でも、リアルだからこそ恐ろしいんだよ。

f:id:mantropy:20190923113131p:plain
伊豆大島回より。お前が説明するんじゃないのかよ!

 野球観戦をしても、彼のレポには野球選手の姿はろくに映されない。打者のスイングではなく、「カキーン」という音と、ルーツの嬉し気な表情によってヒットが起きたことを表現する。そのヒットの直前に「…ここで点とったらおしっこ行こう」と言ってるのも、あるあるだけど、わざわざ描くものじゃないでしょ。でも、なんか覚えてたから描いちゃう。凄まじいよ。

f:id:mantropy:20190923121114p:plain
なお、まにあわんもよう

 情報を重要度で序列化、取捨選択をするって情報を伝えるときにみんな必ず行っていることで、漫画も、とくにレポ漫画なんかは情報を伝える側面が大きいと思うのよ。でも、そのせいでたいていのレポ漫画は画一化されちゃって、どこかつまらない。紋切型があるおかげで皆が描くようになって、いろいろな情報が共有されるのは素晴らしいけど、やっぱり漫画は情報伝達の手段にとどまらないので、退屈に感じてしまう。その退屈を打破したのが、この『ルーツレポ』だと思う。ルーツは『たのしいたのしいぼくらののみかい』や『ルーツビア』*3でも、酒の席での無秩序さをそのままリアルに表現していたけど、今回はそれがレポ漫画で行われたんだと思う。

f:id:mantropy:20190923113452j:plain
「のののの」より。話の進行とは関係ない雑談を同時並行で再現させる


②カラーとモノクロのスイッチ
 レポ漫画って見てきた情報を魅力的に伝えたいって思うから、景色とかカラーで描くことが多いと思う。でも、『ルーツレポ』は違う。着色されるのはルーツ本人と、彼と距離の近いモノ(ビールとか)やヒト(ビール注いでくれるお姉さんとか)に限定される。まあ例外もあるけどさ。この理由も、個人的には①のリアリティに関連すると思う。

f:id:mantropy:20190923113926p:plain
プレモルのCMっぽい
 『ルーツレポ』ってさ、はっきり言って「レポ」してないじゃん。レポ漫画の体裁を取ってるけど、情報の伝え方がレポートじゃない。むしろ、友達の話とか、ラジオで芸人が話すエピソード・トークに近いと思う*4。そして、こういう話を聞きながら、彼らの様子を頭の中で再現するときを思い出してみてほしい。たとえば友達が旅先でトラブルに巻き込まれた話を聞いたとき、僕たちの脳内では彼の慌てる姿は鮮明に再現されても、彼の周りの景色はぼやけて映されないだろうか。彼は今目の前にいる一方、彼が実際に見ている景色は直接知らないので、当然と言えば当然と言える。この情報の解像度の差を、カラーとモノクロで描き分けてるんじゃないか、と僕は思ってる。①でリアルに拠って描かれているといったが、ルーツはなんでもかんでも正確精細に描く「リアル」ではなく、彼の感じた解像度を含めての「リアル」を、配色の点で独特にデフォルメしながら再現しているんじゃないか。
 でも、ときどきルーツも景色をカラーで描くことがある。それは彼が風景に強く感動したときだ。たとえば首都圏外郭放水路の回では、地下トンネルに潜って目の当たりにした幻想的な景色を、1ページまるまる使ってカラーで描いている。その感動の後の感想が「まあまあおもしろかったな」というところも、またルーツらしいし、リアルだ。

ラーの鏡
 今までリアルリアルと繰り返したけど、この漫画にはクソデカいフェイクが横たわっていることを忘れてはいけない。そう、ルーツの外見だ。ルーツは30過ぎた妻子持ちのおっさんだ。決して美少女ではない。自分をツインテールの美少女(ルツインテ)だと思い込んでるだけだ。でも、これってフェイクとして問題視されるべきなんだろうか。少なくとも、ルーツをルツインテに置き換えられたところで、彼の感じたリアルは、揺らがずに伝わっているように僕には思える。
 そもそもルーツは「自分がツインテールのかわいい女の子」だと少しも思い込んでいない。だから、しいて言うなら題名はフェイクだ。おっさんの見てきたこと、感じたことをそのままリアルに漫画化したのが『ルーツレポ』だ。平気で小便器で立ちションするし、ビールだってがぶがぶ飲む。その姿を、ルツインテに置換しただけだ。そして、この置換も彼の主観的なリアルには何も影響しない。なぜなら、僕たちは普段自分の体を見ていない、意識していないからだ。僕だって自分が小汚い24歳、学生だと意識しながら生活なんかしていない。そして、ときどきその事実に気づいて、冷や水を浴びせられたように慌て戸惑うのだ。その憎き現実を直視させる代表格が、鏡だ。鏡を見たとき、人は自分の姿を見てハッとさせられる。ルーツとて例外ではない。美少女に化けて可愛くはしゃげども、鏡を見ればたちまち化けの皮は剥がされ30代男性が映される。読者はこれを「ラーの鏡」と呼ぶ。

f:id:mantropy:20190923114606p:plain
スキー場回の風呂場での1コマ。窓ガラスやスマホ画面が「鏡」になることも

 鏡を見るや否や、意識していなかった自分の姿をまざまざと、グロテスクに見せつけられる。これこそがリアルじゃないか。自分を美少女に化けさせたからこそ、再現できるリアルだ。凄まじいよ。
 鏡がないときに、化けの皮が剥がされることもある。興奮状態から醒める瞬間だ。要は賢者タイム競艇場の回で、賭けた船を応援し、その興奮がピークに達してルツインテがおっさんに戻るシーンがある。これは実はピークに達した瞬間に戻ったのではなく、ピークを過ぎるや否や冷静になってこれまでの自分の姿を意識する、そして少し気恥ずかしくなる、というそんな短い時間の流れを一コマに収めてるんじゃなかろうか。巧みだね。

f:id:mantropy:20190923114733p:plain
この瞬間だけは、取り繕いようのなく「競艇場によくいるおっさん」だったんだろうな
 また、そんな美少女になったり、ときどきにおっさんへ戻ったりするルーツの姿を、僕たちはなんとなく受け入れている。これは漫画表現の巧みさもあるけど、SNSとかの力も働いてるんじゃないかな。ツイッターのアイコンってあるじゃん。僕もそうだけど、オタクって美少女アイコン使ったりするよね。で、そのオタクが実際によく会う友達だとしても、そのツイートを見たとき、彼ら本人が喋っている姿を想像しないと思うんだよ。彼らとアカウントの使用者は間違いなく同一視して、アカウントでの発言の責任は本人にあると分かっているけど、画としてはアイコンの美少女が発言しているように見えちゃう。これは僕個人の感覚だけどさ。でも、これってかなり『ルーツレポ』の構造と似てるんじゃないかな。ルーツ本人の顔なんて検索すれば出てくるし、ラーの鏡で明かされもするけど、美少女のルツインテと同一だと認めちゃう。この認識の働き方は、なかなか現代的なものかもしれない。


 はい、そんなわけで『ルーツレポ』についてだらだら紹介しました。ちょっとでも興味が湧いたなら、無料だし読んでみて欲しい。そして面白いと思ったら、単行本が最近出たので買ってほしい。amazonのリンクもっかい貼っとくわ。おわり

*1:自分がツインテールのかわいい女の子だと思い込んで、今日の出来事を4コマにする。 / ルーツ - ニコニコ静画 (マンガ)

*2:要出典。でも先日BUMP OF CHICKENのライブを京セラドームへ観に行ったけど、やっぱりイオンがあった

*3:2017年漫トロランキング41位

*4:ルーツはくりぃむしちゅーやオードリーのANNリスナー

神話先輩

手品先輩の話していい?

しますね。手品先輩ってね、神憑りの存在なんやね。他人に見られてなければ成功するのに、人前では失敗する。見るなのタブーみたいな感じ。手品ってのも秘術やからね。巫女とかに近い存在なのよ、手品先輩。
そうすると名前が明かされない理由も分かるよね。真名=正体が明らかになると、神秘的な者はたちまち力を失ってしまう。もし原作最終回で名前が明らかになったなら、それは彼女が手品を手放し、卑しい人間へ身を落とすときだよ。神性を捨てて、人間となって後輩と結ばれるんやね。
手品先輩のラッキースケベにドキドキせずに気まずくなってしまうのも、神聖な存在が貶められているのを目の当たりにしているからだね。祠である科学準備室から引きずり出され、ケの場で秘術を強行して失敗する。その姿を見たとき、我々は目を背けるか、「オチチが脱出しちゃったね♥️」とか、滑稽さを笑うことしか出来ない。無力や。中身のない下品なスケベ漫画と思ってたら大間違いで、それどころか高尚な神話だったんだよ。
そういえば股ぐらから鳩生んでてバハムートって名付けてたじゃん。異形を生むのも神憑りならではだよね。お姉さんが黒髪なのに手品先輩が銀髪なのも、その特異さを強調するためだからね。すげえよ手品先輩。すべてが計算されている。
ほな、また…

(完)

【C96】コミックマーケット参加のお知らせ

f:id:mantropy:20190802061954j:plain
今年も漫トロピーはコミックマーケットに出展します!
【日付】:8/11 (3日目)
【場所】:西こ04b(西1会場)
【売り物】:☆C96(最新春会誌)60部 C9520部 その他過去会誌多数
来てね!!
f:id:mantropy:20100605105607j:plain