どうも、漫トロ新会長のなめしと言います。もはやクリスマスも終わり年末という雰囲気ですが、特に何もしていないので書く近況がありません。皆さんが12月を楽しく過ごせたことを祈っています。
ということでアドベントカレンダーのテーマは「セイ。」ですから、石川雅之による、「生」物を扱う農大を描いた漫画『もやしもん』をこの前読んだので感想でも書いていこうかなと思います。なぜ名作枠を今更話題にするのかと思うかもしれませんが、これには「新歓の競りで落としたがずっと手をつけていなかったので企画を機に強引に読んでしまえ」みたいな浅いものとは一線を画すふか〜い理由があるので、ここでは省略させてください。
まずは舞台設定から。菌がキャラクターのように認識できるという特異な能力を持った青年、沢木直保は友人の結城蛍と共に上京してとある農業大学に進学、そこで樹慶蔵教授、その研究室のメンバーたちと出会い、能力も使いながらのんびりと、ときにドタバタと大学生活を送っていくというのが大まかな、というかほぼ完璧に説明したストーリー展開です。
ここからは自分がこの漫画から感じた魅力を何点か紹介したいと思います。ネタバレあり。
①大学という場の描き方
まず大学内の雰囲気の出し方が素晴らしい。一部の学生が面白いアイデアを出して全体で盛り上がって、それをうまいこと利用して金儲けとかをしてやろうという奴もいたり(作中では基本的に美里と川浜、たまに樹教授がそのポジションにいる)、自治寮の存在が作品要素としてうまく機能していることもあってなんとも楽しげな学生生活を送っているんですよね。俺もこういうのやりたいよ、でも企画力とかないよ、そもそも大学がそういう場になったとして波に乗れなさそうだよ。
ただ、Wikipediaとか見る感じ石川雅之は大学進学した経験はなさそうだから、取材と漫画的脚色でこんな具合に出来上がったのかな?と思ってテキトーにググってみたところ大阪府立大学の記事が見つかりました。
michitake.osakafu-u.ac.jp
これによれば石川は府大の中百舌鳥キャンパスに影響されているらしいですね。後述するポイントにも関わりますが菌などの解説をするためにかなりしっかり勉強したらしく、創作をやる人間として偉いなぁという気分になります(何様?)。まぁなんにせよ作中の大学の雰囲気がめちゃくちゃ良いので読んでて楽しい。
②やたら多い知識パート
作中では幕間に菌たちが菌や菌を使って作る食品に関する知識を紹介します。というか本編でもやりますし、キャラクターのほとんどが講釈家なので無限に講釈を垂れます。量が漫画でやるには多すぎるくらいなのでちょっと食傷気味になることもありますが(実際飛ばした部分もある)、日常でよく見る酒やその他発酵食品などの知識が増えるとなんだかんだ楽しいものですし、実際買うものを選ぶ時に視点が増えるので嬉しいですね。読み終わったらどっかしらの競りで出そうかな〜と思っていたんですが、この知識パートを丸ごと手放すのが惜しくて気が変わってしまいました。
ただ現実で講釈垂れまくる人間がこんなにいたらやっていけないと思う。
③恋愛パートの温度感
僕はなんのコンテンツであれ恋愛描写が特別好きな人間ではないんですが、『もやしもん』の恋愛パートの雰囲気は本当にちょうどよかった。作品の構成を考えても、物語を展開させるための要素となりながら決してノイズにはならないという距離の保ち方は絶妙だと思います。具体的に画像を入れちゃうと面白味が減る気がするのでこのくらいに。
あれ?着眼点が平凡すぎるし全然文字数が稼げていないな……と思ったら作品の魅力に大きく貢献しているキャラクターたちの紹介をしていませんでした。主要人物だけ紹介して終わりにします。
沢木惣右衛門直保
主人公で菌が見える。惣右衛門は実家のもやし屋の屋号。基本的にイベントに巻き込まれる形で参加する。菌との掛け合いのコントとしての面白さには結構波がある。
結城蛍
沢木の幼馴染。実家が酒蔵で日本酒を愛している。どうせ蔵を継ぐのだから在学中に自分の可能性をとことん試してやろうと思い
ゴスロリ女装をすることになる。
…………………いや、馬鹿なのか?
まず間違いなく人類が認識しなければいけないことがあるのだが、それは何か。
「中性的で容姿の整った男キャラクターに女装をさせるな」これである。いや、これしかないと言ってもいい。あまりにも明らかすぎて書籍、新聞、テレビ、あらゆるメディアで取り上げられてこなかったが故に愚かにも人は忘れてしまったのである。
なぜ中性的で容姿の整った男キャラクターに女装をさせてはならないのか?答えはシンプル、素材の良さが殺されてしまうからだ。駄文をここまで読んでくれた皆さんには今まで出会った女装経験のある男性キャラクターを思い浮かべてもらいたい。どう考えても女装前の方が可愛いでしょ。それもそのはず、女装は間違った調理法だからである。今からそれを示す……ことはできない。こちらには感情しかないのだから。
ふつうキャラクター(あるいは実在の人間でも)の容姿からなんとなく(男性性):(女性性)の比が判断できると思うのだが、女装というのは原則的かつ一面的には生物学的に男性である人物がそのまま容姿における女性性の比率を上昇させることと言える。
キャラクターが女装すると上述の比が大体2:8か1:9くらいになる。「いや、お前の言う2:8だの1:9だのってどんくらいなんだよ」と考える人がいると思うので言っておくと、自分の感覚はスーツ姿のクラピカで6:4ないくらいである。読解のために今こちらの感覚にアジャスト出来なかった人は切り捨てていく。このページを速やかに閉じて修行を積んでから再読してください。いや、やっぱり再読はしなくていいです。
で、自分が好きなのはある程度男性性の比率を確保した男なのでそもそも女装男子という存在とは反りが合わないのである。というか2次元なんて描き分けが難しいんだから服装と髪をかなり女性に寄せたら女キャラクターが出来上がるに決まっている。18禁でなければ男性器の確認もできないのに完全に女装させてしまってはわざわざ生物学的に男性である意味がない。「外見は女性で男性器が確認できなくても女装しているという事実があることによってただ女キャラクターを見るのとは異なる事態が生まれる」?うるさいうるさい!黙っとけ素人なんだから!
ガバ理論が目に見える形で崩壊しそうになったので結城蛍というキャラクターの話に戻すが、自分が『もやしもん』に対して最も怒りを覚えるのは彼が最序盤に少々活躍したところで休学、その後数巻ほど(Wikipediaによれば16話〜36話にかけて)姿を消して、こちらの中性的で容姿の整った男キャラクター見たいゲージを上昇させたのちに女装で再登場、しかも70話にわたって非女装時の姿で登場させないことである。はっきり言って生き地獄だった。一回エサを与えて放置し、エサに対する欲求を強めさせてから最後には突き落として後はほったらかし、悪質にも程がある。
そしてこれは蛇足だが、この作品は序盤と中〜後半でキャラクターの顔の描き方がだいぶ変化しており、具体的に言えばかなり目がパッチリする。このおかげで一部の女性キャラクターはかなりビジュアルが良くなるのだが、肝心の(どれほどの人間がこれを肝心なことだと考えているかは甚だ疑問ではあるが)結城蛍に関して言えば女装でブーストされた女性性にさらに磨きがかかって非女装時ですらほぼ女子である。彼の目のパッチリ度の変化は女装での初登場時には一応メイクによるものと説明されてはいるが、その後非女装で登場した際に他のキャラクターと同様パッチパチのパチであることを考えれば、やはり画風が変容したことはこの事態に大きく関係しているだろう。漫画から受け取る雰囲気に依拠する推量になるが、彼を女装させた頃から石川の非女装時を男の娘的な文脈で捉える傾向がより強くなっているように思われる。
キーボードを打ち込む指の先の熱も薄らいできた。まぁ何が言いたいかというと自分はビジュアルにおける男性性を極度に薄めた上で、その僅かに残った男性性を強調するようなキャラクターづくりは所謂性癖の観点から気に食わないのである。もっと男性性の比率を上昇させたキャラクターの良さに目を向けないか?
自分の性癖やそれに基づく主張(?)に関しては、そもそも男性が女性キャラクターを消費する際のような視点そのものを相対化できていないとか、この性癖も「男性性の一定比率の確保」に価値を見出している以上、女性性を必要条件として要請せざるを得ないとかいった論点が出てくるかもしれないが、今話したのはそういう次元の問題ではない。これは魂の表現である。私は皆さんの魂に訴えかけたのだ。
……ハッ。いや、生の話から2つの性の話を経由してきましたが、『もやしもん』は間違いなく名作であり、何かしらの事情を抱えたりしていなければこの上なく楽しめる方も多いと思いますから、機会があったら読んでみてください。キャラに関してはまぁ、1番いいキャラが満場一致で美里になることだけ覚えてもらったらいいです。僕は美里みたいなキャラにすごく好感を持ってしまうんですよね、紹介してないけど。
さて、追加で書く人もいるかもしれませんが漫トロのクリスマスアドベントカレンダー企画も今日でひとまず終了です。こんなのがトリでいいのか?
来年もなるべくいい活動ができるように頑張りたいと思います。それではみなさんよいお年を。