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京大漫トロピーのブログです

新歓毎日投稿企画【4/10】 生まれたからには生きてやる

みかんばこです。春は年度の変わり目。前に進み続ける人と、停滞に足を捉われる人の差が「学年」という壁によって可視化される残酷な季節です。
ということで、今回は「高校留年」をテーマにした漫画を紹介したいと思います。

またぞろ。 1 (まんがタイムKRコミックス)

またぞろ。 1 (まんがタイムKRコミックス)

  • 作者:幌田
  • 発売日: 2021/04/27
  • メディア: コミック
世の中には二種類の人間がいる。「できるヤツ」と「できないヤツ」だ。生きるのが上手いヤツがいれば当然、生きるのが下手なヤツだっていなけりゃいけない。それが世の理ってもんで、「できない」のはそいつの責任でも応報でもなんでもない。傍から見れば「できるヤツ」でも、そいつはそいつで何かが「できない」と悩むことだってあるかもしれない。この漫画はそんな「できないヤツ」の叫び描いた作品であり、同時に「できないヤツ」らへのエールでもある。

主人公・穂並殊(ほなみこと)はクズ人間だ。高校入学後一か月後には惰性から不登校になり、春からもう一度高校一年生をやり直すことになった。そこで開き直れるほど図太い神経も持ち合わせておらず、彼女はそんな自分自身を嫌い、まともな人間になることを渇望している。留年生というはみ出し者のレッテルを貼られたことに苦悩し、劣等感に押しつぶされそうになりながら、自分で自分を責め続ける。まともになろうと思いはするが、朝は起きれないし、忘れ物は尽きないし、勉強にも身は入らない。そうしてそんな自分にまた嫌気がさし、自責の念へと囚われる循環に陥っていく。

この作品は基本的に殊ら留年生の緩やかな日常を展開しながら、彼女の社会復帰がひとつの大きな目標として設定されている。さて、この主題となる穂並殊の社会復帰が、「クズ人間からどう立ち直るか」ではなく、「クズ人間であることを受け入れたうえで、どう生きていくか」という視点から描かれているのがこの作品の最も好ましい点だ。

殊はクズである自分を許容しない。今の自分を破壊して「まともな自分」に生まれ変わることを望んでいる。対して、彼女を取り巻く環境は彼女を否定しない。彼女の怠惰さを嗜めこそするが、「まともになれ」と強要するわけでもなし、彼女のクズさを理由に嫌悪を示すこともなく、朝の弱い彼女のためモーニングコールをかけてくれる友達までいる始末だ。彼女は徹底的に優しい世界に包まれていて、それが彼女自身とひどい温度差を生んでいる。その温度差を肌で受けて、俺はふと思ってしまうのだ──「殊は何故こんなに自分を責めなくちゃならないんだろう?」

結局のところ、彼女を悩ませているのは肥大化した自意識だ。自分という存在が世界に齎す影響力を測りかね、「社会はきっと自分を許さない」という被害妄想に憑りつかれている。これは思春期ならば誰もが通る道で、「案外誰も自分のことなんて見ていないんだな」という気付きを経て大人になっていく。穂並殊と彼女を取り巻く環境はこの気付きを内包していて、懊悩する彼女がこれから救済されるという運命をはっきりと明示してくれているのだ。

自分が取るに足らない存在であることを自覚して初めて、ロクデナシな自分を許すことができる。ロクデナシな自分を許せて初めて、「できない」自分を受け入れることができる。「できない」自分だって生きていていいんだと思えるようになる。そこから、人の手を借りるなり知恵を凝らすなりして「できない」なりに生き方を見つけていけばいい。それが俺たちの生きるすべなんだろう。

「できる」人間にならなければならないと生き急ぐ殊に、留年仲間の六角巴は言葉をかける。
「しっかりしなきゃってのは超偉いと思うけど 無理してしっかりする必要もないだろ なんせ私らは留年生だからな」

ああ、身近にこんな言葉をかけてくれる友がいれば、それはどれだけの救いとなるだろう?