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京大漫トロピーのブログです

新歓毎日投稿企画【4/25】こんな青春がしたかった

みかんばこです。歳を重ねるごとに人生の可能性が目減りしていくのを感じて、青春という時間の重さを実感するよ。最近は何か新しいものに挑戦する意欲も気力もなく、迫りくる就活、「何者にでもなれる期間」の終わりに戦々恐々とする毎日だ。こうなって始めて、青春の意義が「無意識に抱えている『なりたい自分』という像に向かって、他者との関わりや趣味研鑽を通して自己を固めていく」ことだったんだなあって思う。ふわふわしながら漂うように日々を過ごしていたらなんかふわふわしたまま固まっちゃって、なんとか自立しねえかなコイツって試行錯誤を強いられる羽目に陥ってしまっている。まあ、何も考えず無為に青春を過ごしていたというよりは、前述した青春の意義を漠然と理解したうえで「有意義な青春」を諦めていたという方が正しい。俺の理想は「一生懸命頑張れる奴」だったのに、俺は努力とか根気とかいったものが死ぬほど苦手だったし嫌いだったんだよね。その時点で俺は俺自身の青春を享受することを諦めざるを得なくて、ひたすら創作の中での青春に没頭し、その物語を己の疑似的な思い出として取り入れる、なんてことの繰り返しだった。ヒーローショーを見た幼児がヒーローに憧れるみたいなもんで、そんな仮初の思い出、血肉として定着してくれないんだよな。ヒーローになりたいならもっと他にすべきことがあったはずなんだよ。

武田綾乃の小説、『響け!ユーフォニアム』のスピンオフ作品。「頑張る」ことは嫌いだけど、「頑張る奴」には憧れる。そんな矛盾した心理をこの小説は端的に説明してくれた。
中川夏紀の中学の時のエピソードが好きでさ。頑張ることが嫌いな彼女は大縄跳び大会の練習に精を出すクラスメイトを尻目に校庭の隅でサボっていた。なんでコイツらはこんな意味のないことに真剣になれるんだろう?なんてことを思いながら。クラスのリーダー的存在・傘木希美はそんな夏紀に声をかける。意義のない、感じられないことに対する努力を強要してくる学校という組織に対する反発を見せる夏紀に対し、「とりあえずやらせてみる」という機会を与えているに過ぎない、それは素直に享受した方が自分にとってもプラスだよと諭す希美。俺は別に希美の意見を正しいとも好ましいとは思わないけど、希美とのこの問答が夏紀の中でずっしりと重たいものになっていて、希美という人間に強烈な羨望を抱くようになった流れがたまらなく好きなんだ。高校入学後、夏紀は希美に誘われて吹奏楽部に入ることになる。頑張ること、「部活」といったものに懐疑的だった彼女が入部した理由は憧れである希美に誘われたから、という一点だ。俺と同じような素質を持ちながら、焦がれた青春を諦めようとせず、憧れの少女に近づくため彼女は部活動という青春に身をやつしていくのである。ああ、これだよこれ!俺がしたかった青春は!ラスト、副部長を引退した夏紀が優子と2ピースバンド組んで友人のイベントライブで演奏するシーン読んで涙が止まらんかった。失った青春が確かにそこにあった気がしてしまったんだ。俺は傘木希美には出会えなかったし、中川夏紀にはなれなかった。しかし運命の歯車が少し違えば、俺だってあのステージに立てていたかもしれないと思うのは傲慢だろうか?

まぁユーフォで描かれているような青春送りたかったかといわれると全然そんなことないんだけどね。頑張るのは嫌いだし。人間関係面倒くさそうだし。だけど彼女たちみたいな人間にはなりたかったなって思う。そして彼女たちのような人間になるには、情熱に満ちた環境が必要で、俺はそれを尊ぶべきなんだな、とも思うのだ。だから俺は『けいおん!』が嫌いだ。

描かれている日常は理想だよ。かわいい女の子とバンド組んで、ゆるく練習して、部室に集まってお喋りして、お菓子食べて、合宿なんかもしちゃったりして。最高だよ。これぞ「送りたかった青春」だよ。でもこの空間に溺れることは、肯定できない。したくない。それはなんだか、人生で大切なものを踏みにじる行為な気がしてしまう。放課後TTの演奏に感動して、本気で音楽をするために入部した中野梓が彼女たちの空間に毒されていくのが辛くて見ていられなかった。「楽しむことが何より大切」だ?うるせえ!黙れ!そんな言葉俺自身が擦り切れるまで使い倒してんだよ。何も為せていない、何も為そうともしていない俺が、これを許容することはやっちゃあいけないんだ。

ああ、異世界に行きてえな。冒険者としてイチから人生始め直してさ。等級なんて指標があれば進むべき目的があるし、何より魅力的な世界を回る楽しさ、容姿偏差値の高い異世界での美少女との出会いも期待できる。なら、俺みたいな人間だって少しは頑張れる気がするんだ。詰まる所、異世界転生って青春のやり直しがテーマなんだね。