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京大漫トロピーのブログです

【12/20】滅びに向かって進んでいるのに…?――佐久間史幸『赤い鳥』評

佐久間史幸『赤い鳥』(月刊アフタヌーン2000年4月号掲載)

誕生。

それは喜ばしいことなんでしょうか。

年々歳を重ねることが辛く感じることが増えてきました。

誕生日を祝われても、これからいいことなんてありはしないのに、と思ってしまいます。

僕が最も信奉するクリエイター麻枝准のテキストを引用すればこう言うこともできるでしょう。

滅びに向かって進んでいるのに…?

『ONE~輝く季節へ~』より

主人公・浩平の「そしてぼくは、幸せだったんだ。」という語りに対する少女の問いかけがこのセリフです。

(滅びに向かって進んでいるのに…?)

いや、だからこそなんだよ。

それを、知っていたからぼくはこんなにも悲しいんだよ。

滅びに向かうからこそ、すべてはかけがえのない瞬間だってことを。

と続いていきます。

大学生活、僕は本当に楽しかった。でも僕は今年、大学を出ます。人よりちょっと長くいたけど、もういよいよ来年から労働者になるみたいです。

僕は多分、仕事はできません。できるようになるには相当な苦労が必要でしょう。そのことを考えるとうんざりします。自分の命すら投げたくなるときもあります。でも、僕はこの世界に留まるのでしょう。自分にはわかります。

さて、この世に生まれてしまったからにはどう生きればいいのでしょうか。未来に希望のない世界でどうこれから生きていくのがよいのでしょうか。

どう生きればいいかに答えはありません。でも、人生に意味を見いだせない、あるいは人生を投げ出そうとしている人々を真剣に描こうとした一人の漫画家がいます。

佐久間史幸です。

1999年冬の四季大賞を『赤い鳥』で受賞し、その後もアフタヌーン2000年12月号には『眠り姫』*1という短編を掲載しています。その後は目立った活動はみられず、今に至ります。

僕はどうにもこの漫画家が気に入っているのですが、今回は『赤い鳥』をレビューしてみようと思います。

主人公の福井は、定職に就かずフラフラとしてヤクザの世界に流れ着いた若者です。福井はある日、組長から殺し屋の飯田に跡継ぎとして弟子入りするよう言い渡されます。

常に不気味な笑みをたたえる飯田は殺し屋の職業を「幸せの青い鳥」の童話にあやかって「赤い鳥」にたとえます。

どうして自分だったのかと問う福井に対して、「一番臆病な人」だからと飯田は言う。飯田の考える殺し屋に必要な資質は「臆病さ」なのです。

ではなぜ、殺し屋には臆病さが大事なんでしょうか? いや、こう問い直した方がいいかもしれません。なぜ殺し屋には「臆病さ」が大事だと飯田は語るのでしょうか?

そして臆病な殺し屋はなぜ「赤い鳥」なんでしょうか?

飯田は福井に「無職の人間は怪しまれるから」と9時5時の仕事に就くよう指示します。

そして働きながら殺しの現場に連れていき仕事を覚えさせていきます。

そんな中、やがて福井は、飯田の過去を知ることになります。かつて飯田は平凡な人生を送っていました。自分にとって何よりも大事な妻子を殺したひき逃げ犯を罰するために殺しの世界に入ったのです。

ある日、飯田は福井に二人の子供を殺すよう指示を出します。できないという福井。

飯田は福井に諭します。

自分の命とこの子たちの命を天秤にかけるだけでいいのだと。

臆病な人間は自分の命を取るはずだと。

この作品では自分の命と相手の命どちらを取る"べき"かなどという倫理の話は出てきません。

「臆病者」が二者択一の状況で自分の命を取る。ただそのことを記述するだけです。

そして普通の社会から弾き出された「臆病者」がどのような顛末を辿るかを淡々と説明していきます。


そして「臆病者」は命をかければこの世の中で生きていける。福井の首を絞めながらそう飯田は慈しむような優しい表情で語りかけます。

これまで怯えたり慌てたりの表情しか見せてこなかった福井は、ここで初めてそれ以外の表情を見せます。「殺し屋」としての心得を体得したのです。

実はこの仕事が「最終テスト」でした。その後、福井に仕事を引き継ぎ、旅に出た飯田は殺しとは関係のない飛行機事故でこの世を去ります。

そこで福井は気づきます。

「赤い鳥」とは常に死を怖れ緊張の中生きる生活の中で仕事をやり遂げていく「殺し屋」が、まったく思いもよらなかったところで死んでいくという意味だったのです。

中空へ引いた視点から下に映る悲しいようで悟ったような表情をした主人公。怯えたり慌てたりしてばかりだった主人公がこれまであまり見せなかった表情ですね。飯田の死を悲しむと同時に「赤い鳥」に象徴される自分の未来を想います。闇が将来を象徴しています。

さて、飯田が語るように、仕事が勤まらずにヤクザの世界に流れ着いた福井は気づかぬうちに普通の仕事ができるようになっていました。飯田は「臆病者」をこう分析しています。

「臆病者」は失敗が怖いから何事にも本気になれず、低いところ低いところへ流れていってそこで不本意な一生を終えることになる。しかし、殺し屋という職業はそうした人間だからこそ勤まるのだ。殺し屋になると挑戦しない選択肢を奪われる。そして失敗は自分の死を意味する。成功させる以外に命を永らえる選択肢はない。そのときになって初めて本気で成功を目指せるのだ。命がかかって初めて本気になれる。本気になってようやく自分の人生が送れる、と。

しかし、僕は、飯田の語る「臆病者」が殺し屋に向いているという理屈にはいささか疑問です。僕自身、まさに「臆病者」ですが、殺し屋なんて始めたらプレッシャーと罪悪感とに耐えられず死を選んでしまうような気がします。飯田の語りは結局殺し屋をやり遂げた者の視点でしかないと感じてしまいました。

ですが、「臆病者」をめぐる飯田の思想は、実はこの作品の伝えたかったことではありません。それよりも、そう語る飯田を福井がどうとらえたかが重要なのだと僕は思います。

殺し屋としての心得を体得するまでの福井は、慌てるか、怯えるか、それとも呆けているか、ほとんどその三通りの表情しか見せていません。ただただ「臆病者」としてのみ描かれているのです。ところが、自分が「臆病者」と語る飯田の表情は、いついかなるときも、たとえ殺しの現場でも、涼しい表情ばかりです。

自分が「臆病者」であるという飯田と、福井には、どんな差があるのでしょうか。その差は飯田が殺し屋の仕事を長年継続する中で得た変化を表しているのではないでしょうか。

その変化を飯田が語る場面があります。

かつて今よりも「臆病者」”だった”飯田は、組の裏切りを怖れ、記録を貸金庫に入れるなど対策していました。でもそのうちにそれもやめたと語ります。「臆病者」の福井は「それじゃ危ないじゃないスか!! 」と声を荒らげます。

ここまでやはり慌てたり不安がってばかりだった福井が人を思いやっているような表情になります。飯田の顔にトーンで影をつけ、吹き出しで目を隠すことで、よりその表情が強調されています。

ああそうか――
この人もそうやって心のバランスを取ってきたんだ

飯田の人生は全く思うようにはいきませんでした。妻子を殺されるという破滅的な不幸がその後の人生を決定づけてしまいました。破滅的な不幸を前に、殺し屋という苦しい仕事を前に、飯田はどう自分の人生を意味付けたのか、それを福井が認めた瞬間がこのセリフです。

福井の人生もうまくはいきませんでした。まともに働くことから逃げて下へ下へと落ちてたどり着いた殺しの世界で、命を長らえるという目的を得てようやくまともに働くことができるようなったのです。最初からまともに働けばよかったじゃないかなどと言う人もあるかもしれません。でも、福井が人と出会って悩んでたどり着いたのがここで、彼だからこそ歩めた人生がそこにあるなら、彼だからこそたどり着けたものがそこにあるなら、それはかけがえのないものだと僕は思うのです。

最初の問いに戻りましょう。

これからいいことなんてありはしないのに、生きていく意味はあるんでしょうか。

最初に引用した『ONE~輝く季節へ~』の主人公は、子供のころの妹の死という破滅的な不幸を受け入れられず、永遠に子供のころでいられる「永遠の世界」を作り出してしまいました。僕にとってこの大学時代は将来、「永遠の世界」のようなものになっていくでしょう。

浩平は「永遠の世界」に徐々に浸食され、現実での「幸せな四か月」を過ごしてもなお、最後は現実世界を離れて「永遠の世界」にいってしまいます。

たしかに、生きることは滅びに向かっているのかもしれません。

家族の有無を聞かれて「いる」と答えた福井に対し、飯田は、「それは不幸かもしれませんね」と語ります。未来に破滅的な不幸なことが待っているなら、もう生きていたくないかもしれない。失ったものを想い焦がれるだけの人生なら、今すぐ終わらせたいかもしれない。ときどき僕もそう思うのです。

でも、それでも生きていてもいいかもしれない。仮にこの先不幸でもどこかにたどり着けるのなら、もう少し生きてみてもいいのかもしれない。『赤い鳥』は、そう思わせてくれました。

飯田は殺しの仕事とは何の関係もない飛行機事故で死にました。人はつねに、思いもかけないところで死ぬ可能性を秘めています。僕だって明日死ぬかもしれません。ただ、これは「明日死ぬと思って懸命に生きろ」といった教訓話でもありません。「今死ぬのだとしてもその人生には意味がある」という話をしたいわけでもないのだと思います。「人死ぬのに罪のあるなしは関係ありませんよ」と飯田自身語りましたが、罪深い人生だったとしても飯田の生がそこにあり、そこから何かを受け取った人がいた。それだけで十分なのです。

人の人生に対する価値判断を慎重に避ける佐久間史幸の態度が\僕は好きです。どんな人間でも平等に評価しようとする姿勢に惹かれているのでしょう。僕もまた『赤い鳥』で描かれているような「臆病者」です。なるべく楽をしたい。苦しいことはしたくない。そんなことばかり考えて生きています。でも「臆病者」だからこそ、これでいいのかといつも不安で、そんな自分を責める内なる声にいつも苦しめられています。

でも、佐久間史幸の人間の描き方は、そんな自分でも存在していいんだと思わせてくれる。それだけじゃなくて、頑張ろうという気にさせてくれる。怠け者の僕に「頑張ろう」という気を起こさせてくれる作品は本当に少ないのです。

さて、僕にとってこれが最後の漫トロのアドベントカレンダーです。名残惜しいけれどこの辺で、おさらばします。来年も、再来年も、きっとどこかで生きていることでしょう。いえ、もしかしたら思いもかけぬことでこの世を去っているかもしれませんね。「赤い鳥」はどこに潜んでいるか、わかりませんから。

また、どこかでお会いできるのを楽しみにしています。

(ちろきしん)

*1:『眠り姫』については僕のブログでレビューを書いています。 nakanoazusa.hatenablog.com