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mantrog

京大漫トロピーのブログです

【12/11】わたし、眞一郎を見上げるのが大好き(※『true tears』第二話・乃絵の台詞より)

 クリスマスも、『true tears』を観た。

true tears Blu-ray Box

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 お前らも観ろ。

 ご無沙汰しております。ミシェルです。一年ぶりですね。もう幾度となく言及されてきた通り、2014年のお題は「ホワイトクリスマス」とのこと。真っ先に想起するイメージは、おちんぽミルクで表情を濡らした淫靡なサンタクロースの姿ですが、そのネタはすでに漫トロの男根交渉人ことhidesysにヤられてしまった。さすひで。ブレぬ姿勢は美徳ですね。すきかも……

 出鼻を挫かれ、やるかたなく「雪の降る聖夜」の意味に立ち返ってみると、次に浮かんだ情景が『true tears』(魂のアニメ。なんだかんだと毎年観てしまう)7話の、たぶん富山でもっともドラマチックな鶏箱前。これまで蓄えてきた好意の交換が実を結び、さあ番にならんとする乃絵(きゃわたん!きゃわたん!)と眞一郎。しかし、地面に石を並べて作った天上の契約書には、ちょうど二つぶん意志が足りなかった。このとき、もしも石が不足しなかったら、雪に埋もれて解消されることも無かったのか。オンエアから6年が経とうとも、未だに益体もなく歯噛みする。ンギィ。
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picture1:汚れるのも構わず、自らの手袋を差し出す乃絵。のえがすきだ。

 たぶん、頭では呑みこみはじめてる。考えれば考えるほど、落としどころが比呂美エンドにしか無かったってこと位は。本編で、眞一郎が出遭う<はじめて>の聖性は軒並み、他の誰にでもなく、ただ乃絵にこそ奉げられる。たとえば、それは、作家としての処女作であり、はじめて付き合う女性*1であり、地元の盟主の一人息子として臨むはじめての晴れ舞台(麦端踊りの花形)である。換言すると、作中作『雷轟丸とじべたの物語』で言及された鶏としての<処女飛行の栄誉>は、疑うべくもなく、じべた=乃絵のものだ。二人のやりとりに限れば、眞一郎=雷轟丸であって、一歩を踏み出せずに鬱屈するだけであった第一話の眞一郎が最後、飛ぶことが出来たとするならば、それは、先駆者である「じべた」の勇ましさと、乃絵の類稀な性質――慈母を髣髴とさせる寛容と峻烈のバランスに負うところのものである。であるからこそ、別れを告げた13話、眞一郎は、自らを導き鼓舞した偉大な母を想って、こころをふるわすのだ。

 しかし、また一方で、比呂美との関係性の中では、眞一郎=じべた、となる。上述の二人とは異なり、比呂美はあくまでも飛べぬ・飛ばぬ側の人間として対置される。そのスタンス、ある種の弱さは、全編を通じ一貫して、コンスタントに、これでもかと言うほどねちっこく描かれる。幼少のころ、祭りで眞一郎とはぐれた比呂美は、その場で蹲って泣き出すがおそらく、このとき、片方の下駄と共に片翼さえも、比呂美は失くしてしまったのだろう。「置いてかないで」と縋る少女は、思慕の相手が自らに足並みを揃え地上を行ってくれるのを待つ生き方を選んだ。良く訓練された知人Aは、比呂美と眞一郎が片足ずつ下駄をぬぎ、手を繋ぎながら竹林を歩く画を「連理の比翼シンドローム」と名づけ、その凶悪な強迫性に悶えた。僕や知人は、眞一郎がこの難儀な性癖にふり回されるたび、白目を剥き奇声を発したものだ。特に第5話。ふあぁぁぁっ!What the fuck, what the fuck is this!? I’ll never forgive this!! Oh my GOD~~~~~~~~~‼‼‼
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picture2:The end of my dream.

 然るに、この『true tears』なる作品は、飛べるようになった眞一郎が、最終的に飛ばぬことを選ぶまでの過程であった。<飛ぶ>と評される行為には、幾つかの含意がある。はじめ、乃絵はそれを、最愛の祖母の死から、辛辣な現実のしがらみから解きはなたれること、高空への<逃避>として理解した。ところが、それは誤りであった。12話で、これまで知り得なかった実兄の自分への恋情、(恋敵として)比呂美の涙を目の当たりにした乃絵は、問題に向き合うこと、数ある可能性の中から一つを選び、それによって生じる如何なる感情をも覚悟することが、飛ぶことの本質だと悟る。家業を継がず絵本作家になること。比呂美を隣で支えること。眞一郎は、たしかに<選んだ>。選んだからこそ、麦端の舞台の上で重みを背負ってなお力強く羽ばたくさまが、「何も見てない(※12話の副題)」とされた乃絵の瞳に高く、高く映るのである。
 こうして考えてみると、比呂美エンドは開幕からすでに約束された終幕だったように思われる。EDテーマの歌詞なぞは全て比呂美の視点から*2であるし、第一話で眞一郎がティッシュ箱で作った鶏も、じべたカラーであった。乃絵との別れを予感させる伏線を拾うたび、某Kanonっ子S*3は「深読みのしすぎだ」と鼻で笑う。しかし、こちらは本気で苦しんでる。悲しみの弔鐘は未だ鳴り止まぬ。

 たった1年前、雪の降った夜。部屋の寒さに身をふるわせる僕の隣には、比呂美への不満と、愛ちゃんへの憐憫、4番への嗟嘆を共有してくれるホリィ・センなる存在があった。岡田マリー大先生の破天荒遊戯に関して、あーだこーだと論じ合う時間はとても楽しく、記憶に残るものであった。しかし、そのかれも、今や自身の道を見つけ、僕には共感しえぬ別のコミュニティへと<飛んで>行ってしまった。この記事を、一時を共に過ごしてくれた者への感謝と餞、そして二つの道がこれから先交わらぬであろう告別の言葉にかえようと思う。ホリィ・セン、これまでありがとう。ねがわくは、幸せなクリスマスを。

<ミシェル>

P.S.
 あ゛、漫画の紹介? 知らねえよ

*1:しかし、ファーストキスに関しては愛ちゃんに奪われ、終ぞ交わした口づけも頬っぺにだったあたり、嘆息してしまう。あくまでもリビドーとは乖離したところに二人の関係性を見出してしまうのは、乃絵厨としての欲目だろうか。ビビってんのかぁ、お前?

*2:I'm telling a lie. 伝説の2番。

*3:true tears』を嫌う。けど、なんだかんだ一緒に観てくれるヒッピー系ツンデレ男子。すきかも……