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京大漫トロピーのブログです

〈C105東ウ02b〉京大漫トロピーは12月30日月曜日コミックマーケット105に出展します

12月29日および30日に開催されるコミックマーケット105のお品書きについてお知らせします。場所は東3ホールウ02bです。

頒布する同人誌について。

新刊
2024年のNFにて頒布した「京大漫トロピーvol.32」を新刊として頒布します。

タイトル: 京大漫トロピーvol.32
価格:1000
部数:45くらい
内容:発行または連載開始が2023年10月から2024年9月までの作品を20名を超える会員たちが30作選びランキングを作成!! 集計されて上位に来た50作についてコメント、30作について議論をした200ページ近くある超大作!! 他にちゃおとりぼんによる少女たちの祭典「ガルフェス」レポや、漫画「ギャラリーフェイク」レビュー、週刊の少年漫画誌4誌を含めた雑誌やアプリで掲載された漫画について語るクソ漫画座談、漫画でのクロスレビューなどを掲載しています。

1000円

既刊
今年の春に発行され、夏コミでも頒布されたvol.31を頒布します。

タイトル:京大漫トロピーvol.31
価格:800
部数:10くらい
内容: 雑誌についてまとめたレビュー本。表紙はななななんとあの漫トロちゃんのグラビア!! 他にクロスビューを掲載しています。

【12/25】本当に面白いバトル漫画を考える

諸事情あって、トリを飾ることになりました。シチョウです。6年目です。5年目から宇治キャンパスで研究してます。なので、例会やシェアハウスに通って漫画を読む機会も激減し、代わりにTVerやDアニをはじめ、ジャンルを問わず配信ばかり観ています。それで最近気づいたんですが、どのコンテンツの、どのジャンルも2割くらいは面白いやつありますね。ただ、8割はあんま面白くないですね。なので、最近は、一切の事前情報を排してサムネイル(といえばいいのか?)だけで視聴し、面白い2割を引き当てれるかゲームをやってます。当たったら嬉しいです。外れたら悲しいです。ちなみに今年のコンテンツだとこれが一番面白かったです。この記事のことをまだ忘れていない、年末年始休みとかに、「シーズン1」と合わせてどうぞ。
info.tv.dmm.com


とか言っていると、「ほならね、自分が作ってみろって話でしょ?そう私は言いたいですけどね。」との声がどこかから聞こえてくる。なので、上2割の、面白いモノ考えます。そこで今回は、「バトル漫画」に挑みたい。仮にも漫画読みサークルに6年いる身として、それ以前からジャンプを読んできた身として、筆者は人並み以上には「バトル漫画」について見識を有しており、どのレベルの面白さなら上2割なのかについては、重々理解している。また、そもそもバトル漫画自体が、年端もいかない、右も左もわからない少年少女を相手にするため、それほど新しいモノを提示しなくてよい、「迫力がある」、「熱い」などの、褒める際の定型句が存在しており、雑に褒めやすすぎるなどの理由で、粗製濫造甚だしいジャンルであるので、今一度、筆者が「本当に面白いバトル漫画」を提示する必要性があるように感じる。以下は筆者の思考の軌跡である。

先人に学ぼう!

まずは、どういった「面白いバトル漫画」を志向するかというところから考えたい。これについては、偉大な先人に学ぶのが最も早い。

言わずと知れた、漫画界のトップランナーである。「ONE PIECE」では、バトルは各章の集大成として描かれる。言い換えれば、ドラマの中にバトルが組み込まれており、その勝敗自体が話の進展に、あるいはキャラの変化に直結する。ただ、これは週刊連載という形式で、読者が麦わらの一味とともに時間を重ね、尾田先生が読者からの信頼を勝ち得ているからこそできる部分が多分にあり、到底、適当な思いつきで書き始めた本稿にできる芸当ではない。ここは、もう一人の偉大な先人に学びたい。冨樫義博は偉大な作家だ。彼の凄さを語り尽くすには、本稿はあまりに短い。ここでは「HUNTERxHUNTER」の中でのバトルの導入の仕方として、「冨樫が設定したルールの内でキャラクターが各々の目的のために行動し、その手段としてバトルを選択する」という点に着目したい。GI、会長選挙、王位継承戦、全てそうだ。そこで本稿では彼に学び、キャラクターがバトルせざるをえないような舞台を用意したい。

舞台を設定しよう!

さて、「キャラクターに目的を付与し、その手段として戦闘せざるをえない」舞台を用意するのが次の目標である。ここでまず考えたいのは、「どのような目的を付与するか」である。これについては、今年最も面白かったコンテンツに学びたい。

www.youtube.com
番組のコンセプトであり、同時に出演する芸人に与えられた任務は「閉鎖空間から脱出する」、それだけ。しかしながら、「コイツならこうやって動くだろう」を念頭に計算された、各芸人に対応した仕掛けの数々、それらの仕掛けが機能した際に出来上がる映像のインパクト。「面白い」を通り越して気持ちよさすら感じる、最高の番組だった。あるいは、「脱出する」というモチーフ一点に絞っても、「SAW」『約束のネバーランド』など、このモチーフを軸として成立する作品は数知れず。そこで、ここでは「閉鎖空間からの脱出」をコンセプトとしたい。

次に、「どのような密室で、どのような条件で脱出するか」を考えたい。まず、「一部屋に全員閉じ込めて脱出」はルールとしてあまりに寂しいので、「各キャラをそれぞれ部屋に分け、各部屋での勝利がある条件を満たせば、全員脱出」としたい。次に考えるべきは、全体での勝利条件だが、これについては、以下のボドゲの勝利条件を引用したい。

このゲームはカードを出すことで各列について役を作ってその優劣で勝敗を決める、いわばポーカーの延長であり、その勝利条件は「各列の勝利が確定した列が5列以上or3列連続で成立すること」である。「大脱出」では、クロちゃんを除く各芸人は立方体の中に閉じ込められるので、筆者も立方体の中に閉じ込めることを想定しているが、それと「バトルラインの勝利条件」を考えれば、自ずと舞台設定は明確である。

各マスのnotationはマス内の数字に従う。pythonの行列表記と同じである。

まずキャラクターは2チームであり、最初は、各マスにそれぞれ一人ずつ収容されている。バトルは各マス内で行われ、所定の条件を満たせば、そのマスは勝利チームのマスとなる。この勝利マスが一列に並ぶor5マス成立をもって、チームの勝利が確定し、当該チームの全員が脱出可能となる。
ここで問題となるのは、各マスにおいて「何をもって勝利と見なすか」である。

確かにカミィの言う通り、この手のゲームを考えるあるいは遂行するにあたって、勝利条件は極めて重要であるが、これについては「どのような展開が盛り上がるか」とセットであるため、後での考察に回したい。

基本戦略を考えよう!

いよいよ話の展開を考えるべきところだが、その前に考えるべきは、話の筋となる、基本戦略である。

これは、各マスが寄与する列の数を表しており、これを見れば真ん中のマスが4列に寄与している、極めて重要なマスである一方、その隣のマスは2列にしか寄与しない。つまり、マスの間で、重要度に差があることがわかる。これを踏まえて、撮れる戦略は以下2つであろう。

  • 強キャラを寄与するマスが多い順に配置
  • 一列に強いキャラを固め、その列は死守

下図は、それぞれの戦略に合わせたキャラ配置である。


☆が各チームの最強キャラ、◎は準最強格、○がそこそこ強めのキャラ、といった配置である。以下では、左側の戦略をとるチームを●、右側の戦略をとるチームを○で表現し、展開を考えていきたい。

展開を考えよう!

いよいよ展開を考えたい。まずは、面白そうな展開を列挙する。このルールの中で可能な、パッと思いつくところでいうと、

  • 最弱駒が最強駒の足止め
  • マスを超えた範囲攻撃
  • あえて長時間の攻撃
  • ゲーム自体を壊して、全員で離脱

辺りか。とはいえ、シンプル戦闘も必要だろうし、作りやすい部分から考えたい。まずは、

  • マスを超えた範囲攻撃

か。
これについては、「HUNTERxHUNTER」10巻が重要な示唆を与えている。

殺し技の一つ、ヨコヌキをヒントに、「出口は一つ」というノブナガの先入観を逆手にとって、ゴンをキルアが幻影旅団のアジトを脱出するシーンである。これを踏まえ、「マスの外は攻撃できない」という認識を逆手にとって、両端を攻撃、というのはアリに思う。両端マスの敵も、その方向からの攻撃は想定していないので、容易に勝利できるだろう。文字だけではつたわりにくいであろうことから、筆者の想定を下図に描く。

こうすることで、攻撃によりマスの間に穴が空き、白チームは2人が敗北するので、右列3マスはつながった状態で、黒3対白1となり、一気に不利になる。そこで、残る白1の真の能力が発動する、とかが面白い展開だろう。
次に、能力を考えよう。これをやるためには、●[1, 2]の能力が同時に複数を一瞬で攻撃できる能力である必要があろう。「HUNTERxHUNTER」でいうと、この能力にぴったりなのはフランクリンだろうか。

次に、〇[1, 2]の能力を考えたい。1列で全勝されると戦いは終わるので、[0, 2]と[2, 2]を●に取られた以上、○[1, 2]には勝ってもらわなければならない。ただ、そのためには●[0, 2]、●[1, 2]、●[2, 2]を同時に倒す必要がある。こういう芸当ができる能力といえば、パープルヘイズ辺りだろうか。

個人的には戦闘の際の能力についてはハンタ縛りがしたいのだが、1対多特化でこそ輝く感じの念能力が思いつかなかった。
かくして、

という最終結果および、「一度勝敗が確定したマスは覆らない」というルールが確定した。ここで考えたいのは、●[1, 2]が他のマスを攻撃するに至る根拠である。ここで再び『大脱出』を参考としたい。『大脱出』では各部屋に電話ボックスが設置されており、金を払えば各部屋間の通話が可能となっている。ただ、「通話が可能」というのは、最初から明らかな情報ではない。ここで、各マスの勝利条件の話に戻りたい。あと、勝利による特典も考えたい。

思うに、「情報共有できる」というのは、何事においても非常に重要である。ここから、勝利特典は、「情報を共有できるようになること」とかが妥当だろう。そう考えれば、勝利条件も自ずと決まる。例えば、黒チームはトランシーバーの本体を、白チームは電池を携帯し、これを組み合わせることで、自ら情報を送ることが可能となる、とかはいかがいいだろう。情報を送るためには、同じマスの相手が持つアイテムが必要であり、手にするためには相手を倒すしかない。あと、勝利条件は、勝利した旨をトランシーバーで申告、とかがいいだろう。最初に電池だけ持たされていて、真っ先に相手を倒した奴が、相手の持ち物を物色する過程でトランシーバーを発見し、それで喋れど何も動かず、ボソっと「俺、勝ったんだけどな…」といった瞬間に勝利が確定したことが周知される、とかが面白いかもしれない。全マスにスピーカーが設置されており、トランシーバーを起動すれば会話が筒抜け、というのも絵面としては面白いだろう。

ただ、これだけでは、●[1, 2]が「壁を壊せる」と判断するに至る根拠にはならない。そこで、もう一つ、勝利の特典を加えたい。「隣同士のマスで同じチームが勝利した場合、その間の壁は崩壊する」。先に一列リーチがかかった状況となり、その様子がトランシーバーを通じて分かれば、「壁は壊せる」という結論に至るだろう。そのためには、隣同士のマスで同じチームが勝利する状況が必要である。ここで、先ほどの、☆とか◎とかの図に戻ろう。

[0, 0]と[0, 1]がいずれも、右側が格上であることにお気づきだろう。ある程度は番狂わせがないほうがようだろうから、ここについては早々と白チームが勝利することとしたい。あと、普通の密室の近接戦闘もあったほうがいいしね。
このマスのキャラの念能力を考えたい。思うに、ハンタ世界で密室の近接戦闘最強はヒソカ、最弱はヂートゥであろう。

エリア内のどこにバンジーガムを張っていいヒソカにとって、密室はホームと呼んで差し支えあるまい。この条件なら、クロロ相手でもピトー辺りが相手でもヒソカ無双が見られるはず。あと、真っ先に倒して、勝利条件に悩むとか、似合いそう。逆に、ヂートゥについては、狭めの密室内にさらに密室作ってどうすんねんという感じ。こういう、読者が外側からツッコむ感じのおふざけバトルもあってよさそう。なので、○[0, 0]はヒソカ、●[0, 1]はヂートゥで決まり。
何はともあれ、

ここまでは決まった。丸内の番号は、勝敗確定の時系列順。次は、

  • 最弱駒が最強駒の足止め

を考えたい。これが最も活きるのは真ん中のマスである。一列勝利を目指す白チームにとっては、黒チームが真ん中マスを得るのは阻止できれば、相当優位に運べる。要は、敗北さえしなければいいわけなので……。だから、○[1, 1]は勝負を放棄する系の能力がいいんだが、これが似合う念能力者なんかいないんだよなあ……。強いて言うならノヴか?四次元マンションにこもっときゃいいし。ただ、ノヴって別に戦えないわけではないしなあ。マラヤームの念獣みたいなのがいいんだよな。あれはたぶん一定の密室で発動するんだろうが、その空間を自在に操れるようにすればいいのかなあ。
ともかく、真ん中のマスは勝敗がつかない状況になるのは確定。

残り3マスの展開を考えたい。ここまでくれば、リーチの掛け合いみたくして、話に緊張感を保ちつつ、最後の1マスの勝敗が決まるまで引っ張りたいので、面白パターンは1つに絞られる。なぜなら、この状況だと、黒チームが5マスで勝利するためには全勝する必要があるからだ。ところが、黒2マス連続勝利だと、最終マスまで勝負がもつれこまないので、話の流れを考慮すれば、黒チームは一列勝利にせざるを得ない。もっと言えば、下一列以外では不可能である。また、次の一手で白のリーチにしたいので、これらを考慮した話の展開はこのようになる。

まず、[1, 0]を白が獲ることで、左1列のリーチがかかる。そして、[2, 0]を黒が獲ることで、ラスト1マスを白が獲れば5マス勝利、黒が獲れば1列勝利となり、最後まで勝負がもつれこむ。それぞれの最初の思惑とは逆になっているのも、話の流れとしてかえって美しい。
念能力を考えよう。まずは[1, 0]について。勝利条件をはじめ、既に情報は十分集まっているので、倒すというよりは、ただ勝利条件を遂行することに特化した能力が望ましいだろう。そこで、「トランシーバーに電池を入れて、勝利を申告さえすれば勝利」という点に注目し、「相手を、トランシーバーを置いてこの密室から追放する」ことが可能な能力を考える。

ホワイトゴレイヌで自身と念獣の位置を、ブラックゴレイヌで相手と念獣の位置を入れ替え可能。そこで、ブラックゴレイヌを密室の外に放ち、「自身と念獣の位置を入れ替えるだけ」と相手に思わせながら防御に徹しつつ、時機が来れば相手をブラックゴレイヌと入れ替えてマスの外に飛ばし、自身は残された相手の服や荷物の中にあるトランシーバーを悠々と奪取、といった芸当が可能だろう。服とか荷物ごと飛ばすんじゃね?と思われそうだが、服を残すか残さないかのオプションくらいはあってはず。あと、このオプションがあれば同人誌が盛り上がりそう。
そして、[2, 0]について。これは、一定の時間をかければ最強になるタイマン系念能力が望ましい。

このプロファイルに最も適合するのは天上不知唯我独損(ハコワレ)か。以上より、○[1, 0]はゴレイヌ、●[2, 0]はナックルが、それぞれ勝利でいいだろう。
さて、これで残るは[2, 1]だが、ここまでくれば、黒が勝っても、白が勝っても、あるいは第三の選択肢、つまり、ゲーム自体の破壊あるいは離脱でも、面白くなるので、ここでは議論しない。個人的には、オイトとクラピカみたいなのがやりたいけど、ここまで来れば、因縁の清算みたいなバトルでも全然面白いだろうしね。


あるいは、結託してゲームを壊そうとしてるのを、そのマスの外側の、勝ちが決まったやつらが呼び掛けて阻止しようとする、とかもアリかも。

まとめ

以上が、筆者が考える「本当に面白いバトル漫画」である。完成したバトル漫画を、行間を補完しつつ、振り返ろう。
0. 目覚めると、殺風景な空間の中に放置されていた。空間は密室。部屋にはもう一人。部屋の隅にはスピーカー設置されており、二人の真ん中にはルールブックらしきものが。曰く、
「君たちは閉じ込められている。脱出したければ、目の前の敵に勝利し、同じチームの他人を勝利させよ。同チームが一列あるいは5人勝利で脱出が可能。」とのこと。(この段階で、自分がどのマスかは判明済み。)
なお、これら9x2=18人とは別の場所に、黒チーム、白チームのそれぞれ1人が閉じ込められおり、彼らが脱出できる否かは同チームが勝利条件を満たすかにかかっている。『大脱出』でいうクロちゃんポジとでもいえばいいか。各マスに各キャラをどう配置するかは、彼らが決めた。

1. [1, 1]マス戦闘。と思いきや、○[1, 1]が亜空間転移(?)を行ったため、決着つかず。
2. [0, 0]マス戦闘。○[0, 0]ことヒソカ、難なく勝利。倒した相手のポケットを物色し、トランシーバー発見。電池を入れて、しばらく喋るも、スピーカーにそのまま流れるだけで、音沙汰無し。うっすら自マスのスピーカー以外からも同様に、スピーカーの声が聞こえるので、他のマスにも流れていそう。ぼそっと「勝ってるけど、面倒だなあ」とこぼした瞬間に、[0, 0]マスが白く染まり、勝利が確定したことが周知される。これにより、「勝利の申告」が勝利条件であることを皆察する。
3. [0, 1]マス戦闘。●[0, 1]ことヂートゥ、状況設定と能力の相性があまりに悪く、無様に敗北。勝利した○[0, 1]ニキが勝利を申告した瞬間、[0, 0][0, 1]間の壁が崩壊。これも周知。
4. [:, 2]マス戦闘。●[1, 2]ことフランクリン、壁を壊せることを察知。聞こえてくる声から、隣マスの敵の居場所を推察し、ダブルマシンガン。○[0, 2], ○[2, 2]同時撃破。これにより、[:, 2]マスはつながり、黒3:白1の構図に。
5. ○[1, 2]フーゴ。パープルヘイズ発動。●[:, 2]を全員倒す。
6. [1, 0]マス戦闘。○[1, 0]ことゴレイヌ、ブラックゴレイヌで相手の身体だけ追放し、勝利。
7. [2, 0]マス戦闘。●[2, 0]ことナックル、ボットクリンがトリタテンに変化し、相手を無効化。勝利。
8. どう転んでも面白くなるであろうことから、言及しない。

以上、「こうすれば面白くなるはず」を念頭に、比較的ロジカルに、バトル漫画を考えてみた。上2割の面白さはあるんじゃないかなぁ?これ面白いと思った編集者がいたら、連絡ください。漫画家になります。絵は描く予定ないです。とはいえ、これについては最近論文投稿とか国際会議とか修論とかで忙しいからというのはあるので、もしかしたら頑張るかもしれません。

【12/24】コロナ以前の漫トロの話

12/24のアドベントカレンダーを担当させていだだきます、漫トロピーは最老害・百合枠担当、アカデミアは博士課程見習い、レニでございます〜〜!!!

さて、月日が流れるのは早いもので、私も既に8回生、ばいたるとがアカハラで退学した今、漫トロ最老害となってしまいました。コロナ前の漫トロを知る人間、もう僕とシチョウしかおらんってマジ?


今年のアドベントカレンダーのテーマは「忘却」ということで、ここらで少し、すでに忘れられてしまった昔の漫トロのことを振り返ってみたいと思います。

2017〜2019年

僕が漫トロに入ったのは2017年。当時の僕は今から考えると恥ずかしくなるくらいシャバいオタクで、ジャンプもアフタも読んだことがなく、サークルに入るのを決めたのも「コミケに行けるとビラに書いてあったから」だった。1回生の時のランキングでは、先輩たちが褒めていたブンピカの漫画をとりあえず読んでとりあえず入れ、他の1回生ズともども寄与度を爆上げした覚えがある。多分、昔の僕だったら今の漫トロには入らないだろうなぁ。

コミケ初参戦でウキウキしてテーブルクロスを忘れた
当時のランキング分析、1回生の被り多すぎだろ


こうした状況に不甲斐なさを感じた僕が力を入れようと決めたものの1つが、漫画のレビューだった。当時の漫トロでは、例会の後半に漫画のレビューをする時間が設けられており、僕は2回生の時に、毎回の例会で何か1つ必ず漫画をレビューしようと決めたのだ。当時の先輩たちでも上手いレビューと退屈なレビューが割と分かれていたのと、この時は教員免許取得のために模擬授業などを課されており、いかに生徒に授業を聞かせるかということばかり考えさせられていたので、どうやって面白い・聞かせるレビューをするかということに自ずと注力するようになった。結果、総合ランキング50位以内に、知るかバカうどんはじめ僕がロビー活動した作品が4つ入り、個人的には嬉しかったのだが、サークル的にはよくないランキングの年だとされているようだ。すまん。その年の他己紹介ではファービーに「漫トロのレビュー文化を守っていってくれ」と書かれたが、今はもう無くなっちゃったよ。すまん。

会誌構成の合間にあずにゃん誕生日会を開催してニコニコの1353会長。ケーキは腐っていた。
NF後に運営代へのプレゼントをもらう僕。リラックマのマグカップ、今でも大切に使ってます。

3回生になり、新しい漫画を追うにはやはり雑誌も読まねばならないと思い、それまで手をつけていなかった雑誌の共同購読と向き合い始めた。始めた当初は文脈のわからない漫画が大量に並んでいるのを読むのが苦痛だったが、半年もすれば慣れてくるもので、むしろ自分から読む雑誌を増やすようになった。当時は今より定期購読をしている人間が多く、また雑誌のラインナップも豊富だった気がする。と思って試みにOnedriveを見てみると、2018年には18人が半期3000円で、近代麻雀百合姫電撃大王リュウ・モーニングtwo・アフタヌーン・goodアフタヌーン・バーズ・FEELYOUNG・別冊マガジン・きららフォワード・コミックCUNE・フラワーズ・アワーズ・ヤンチャン烈・onBLUE・スペリオール・オリジナル・ビーム・月刊スピリッツゲッサンハルタ・楽園の23誌を購入していたらしい。ちなみに現在は、10人が半期4200円でスペリオール・オリジナル・ビーム・月刊スピリッツハルタ・楽園・ちゃお・ヤングキングBULL・きららMAXジャンプSQの10誌を、14人が半期3200円で週刊スピリッツ・サンデー・ヤングジャンプ・チャンピオンの4誌を買っているらしい。こう見るとやはり雑誌のラインナップが減少しており、これには共同購入参加人数の減少のほかに、雑誌の電子化・休刊が要因としてあるようだ。みんな雑誌読んでくれ〜。

ラインナップが「今は亡き」すぎるな
あずにゃん誕生日会のリベンジをする1353会長


あとコロナ前とコロナ後で大きく変わったのはNFだろうか。当時のNFは今よりも規制が緩く、確か夜間泊まり込みの人数制限などもなかった。そのため、大阪コピーで印刷された会誌ページを、会場となる教室で一晩で手折りし、皆でグルグル回って製本していた。皆でヒィヒィ言いつつ、クソアニメを見たり「てーきゅう」のOPを流したりしながら徹夜で製本するのは、それはそれで楽しかった。折りは、祈りに似ている。また当時は飲酒の規制がなく、人々が飲み過ぎて倒れたり粗相したりするのが問題になっていた。徹夜作業中トイレに行った際、前夜祭のサークル出店から流れてきたであろうカップルが、男子トイレの前に見張りを立たせ、洗面台に酒を置き、個室でセックスを始めようとしていたのを目撃したことは、未だに鮮明に覚えている。

深夜、「らきすた」を見ながら折りをする人々


酒といえば、コロナ前は毎年夏にビアガーデンに行っていた。ビアガーデンというのは基本的に陽キャしか行かない場所であり、ただでさえ我々は浮いているのだが、酔った1353がアイマスの歌を絶唱し始め、周りをドン引きさせていた。最近はシェアハウスができたので、旅行以外のイベントごとの大半がシェアハウスで行われるようになっているが、立地的・心理的にシェアハウスに来づらい会員もいるだろうし、もっとシェアハウス以外で何かをする機会も増やしていいかもしれないね。

ビアガーデンに行ったら妖怪のコスプレをしたキャストと写真を撮ることになり戸惑うオタク達

2020〜2022年


2020年、コロナの年である。当時のグループLINEを見たら2020/3/27までは普通に会誌の折りを行っており、2020/3/31に対面新歓を中止するか否かの話をしていた。急すぎる。全学共通科目が開講されないことがわかり、春新歓をDiscordでの全面オンライン新歓に切り替えた。漫トロがDiscordを使い始めたのは、この時からである。顔も見えず漫画もない画面越しの新歓は、もう春は来ないのかと思うほど凍えていたし、この時に146Bが漫トロに入ってくれなかったら、サークルごと死んでいた。その後も二転三転する当局のガイドラインとにらめっこし、顧問と交渉しながら対面活動のための感染防止マニュアルを作り(会長はちろきしんだったが、僕の研究室の先生が顧問であり、ちろきしんのメール対応があまりにも不甲斐ないので、代わりに僕が連絡係になった)、対面での活動ができるよう当局と交渉してきたちろきしんを労り(面談で重箱の隅をつつくような事ばかり詰められたり、ガイドラインのどこにも記載のない念書を書くように言われたりしたらしい)、NFは春に延期、しかもオンライン開催になった(Zoomでビブリオバトルをした。面白かったのかはわからない。僕は「タイパラ」を紹介したシチョウに敗れた)。コロナと当局に振り回され、新歓が十分にできず、NFも盛り上がらず、サークルが疲弊した1年だった。

2020年春の北海道旅行。直後、緊急事態宣言発令。
2020年秋会誌(2021年3月発行)。ただ写真だけを載せたこの表紙は、必ずブンピカに戻るという覚悟の現れでもある。


2021年もまた、コロナの対応で幕を開けた。今年こそ対面で新歓をすべく、屋内で活動する文化系サークルのことを何も考えていないかのような当局のガイドラインとにらめっこし、顧問と交渉しながら対面新歓のための感染防止マニュアルを作った結果、岡崎公園で野外新歓を行うことが可能になり、例年と比べても遜色ない数の新入生が集まってくれて、本当に嬉しかった。当時の僕は少女漫画で論文を書くため国会図書館に通っていたので、「1960年代の『少女フレンド』で最も面白いコマ」を印刷して新刊に持ち込み、なめしと盛り上がったのを覚えている。しかし依然、ブンピカでの対面新歓を行うことはできず、新入生たちをブンピカで迎えることができたのはようやく2022年のことだった。また、コロナ以前は他大学へのビラ張りや入学式でのビラ配りをしていたが、コロナ以降は他大学での新歓活動が厳しくなり、このことが現在まで続く女子会員不足の一因になっているように思う。NFも、2021年は再びのオンライン開催。2022年は部分的に対面開催が解禁されるも、文化系サークルの多くは体育館に隔離され、長机3つほどのわずかなスペースで展示を行うことを強いられた。ようやくフルスペックNFが実現した2023年には、既に大半の会員はコロナ前のNFを知らず、コロナ前のNFを知る会員も勉学や就活でサークルにコミットできなくなっていた。

まだ肌寒さ残る岡崎公園での野外新歓
2022年、体育館でのNF。


とはいえ、こうした状況を打破するための試みもしてきた。まずは、有志による夏休みの新歓合宿。今では恒例となっているが、その始まりは2021年、コロナ禍に入学した新入生たちの漫力を底上げすべく、ちろきしんが企画したものだった。そして、漫トロシェアハウス。ブンピカ解体の話は以前からあったものの、コロナ禍でいよいよブンピカに次ぐ新たな拠点を持つことの必要性が認識され、熊野寮に当時住んでいた会員を中心に、2022年にシェアハウスが始まった。特にシェアハウスの存在は、様々なイベント、ボードゲーム、映画鑑賞、週刊誌の購入、漫画のストックなど、かつての漫トロでは考えられないほど多様な活動と交流を可能にしている。僕も清盛やふれにあとスマブラに興じるのが楽しいあまり、今では入居しちゃった。一時期リドリーとルフレがVIPに入ったが、落ちてしまった。

シェアハウスでクリスマスにローストチキンを焼くのが恒例になりつつある

現在


ということで、コロナ禍を経て、今では一見かつてと変わらないようにサークルが動いている。しかし個人的には、コロナを経て忘却されたサークルの文化に、ふと思いを馳せざるを得ない時がある(コロナ前の漫トロを知る人間、もう僕とシチョウしかおらんってマジ?)。もちろん現役会員がめちゃめちゃ頑張っているのは重々承知しているし、今のサークルがダメだなんてことは全く思っていないし、最近は例会にもあまり行かずサークルにもコミットしていないにも関わらずクソ老害ムーブをかましてしまって本当に本当に申し訳ないのだが、いくつか書き留めさせてほしい。

レビュー

昔の漫トロには例会で漫画のレビューをする時間があってのう……。例会でレビューをし、人に漫画を紹介するという文化が、コロナでぬるっと消滅してしまった。現在ではレビューではなく口コミで新作漫画の話題が広がり、共感を土台にしたコミュニケーションの中で漫画が語られることが増えたように思う。レビュー、しよう。ついでに雑誌も読もう。今年の会誌、ブンピカの漫画だけの総合ランキングと、中身のない総合座談会だったらしいですけど、大丈夫ですか?

NF

昔の漫トロのNFはもっと活気があってのう……。これには、他のサークルとの競合の問題、会員のコミットメントの問題、フルスペックNFのノウハウ引き継ぎの問題、という複数の要因があると思う。1つ目に関しては、コロナ前と比べて百合文研やきらら同好会など競合のサークルが増えているので、共北や共西などの有利な立地を得られそうな企画案を、より戦略的に練っていく必要があると思う。2つ目に関しては、正直皆の心持ちの話なのでどうしろともいえないが、少なくとも古漫画はもっとあったほうがいいし、シフトでない人も会場に常駐した方がいい。3つ目に関しては我々老害世代ができていないことなので本当に申し訳ないが、とりあえずビラはもっと貼った方がいいと思う。あとタテカンも立てよう。あと会場をもっと賑やかそう。無駄に黒板に絵を描いたり、無駄に双葉杏のフィギュア飾ったりしよう。

新歓

昔の漫トロはもっと多様な新入生がおってのう……。コロナ以降の新歓は依然として、かつてより厳しい状況に置かれている。他大へのビラ配りは制限されっぱなし、ビラロードもコロナ前と比べて改悪されっぱなし(コロナ前は健康診断列を囲んでいた。今は健康診断後の出口から囲っているので、サークルは新入生を無限に引き止められてしまうし、新入生はサークル列を途中で離脱できてしまう、誰も得しないシステムだと思う)。特に他大での新歓ができないことが、女性会員の少なさに繋がっている。コロナ以降で女性会員がゼロの年はかろうじて存在しなかったけど、一度ゼロになってしまったらそこから回復させるのはかなり難しい。ので、より多くのビラを貼る、SNSでの発信を強化する、などしたい。インスタとかやろう。インスタ。




色々と昔のことを書いてきましたが、そろそろ時間なのでこの辺りで。今後もサークルの存続と発展を願っております。さようならでん〜。

【12/23】ジャンプ+の超オシャ漫画『SMOTHER ME』は、こう読め!!

こんにちは!
この冬、漫トロピーに新しく入会いたしました海底砂漠です!よろしくお願いします。



漫画レビューします!




皆さん、現在ジャンプ+で連載中&第一巻発売中の
下元朗『SMOTHER ME』という漫画はご存じですか??????????

玉石混交のジャンプ+で、今ひときわ読者をひきつけるこの作品。この漫画の魅力の秘訣は一体どこにあるのでしょうか。これから、一緒に探っていきましょう!!!(執筆中現在の最新話は、第12話です)



皆さんに、この作品の魅力の秘訣についての要点をまずお伝えすると・・・

この作品は、漫画表現の形式的側面に注目しながらじっくり読んでいっても楽しめるようなスルメ漫画である
特に
①セリフの言い回し
②会話中のキャラや物体のしぐさ

この2点に現われる美点を見ていくことで、この漫画の楽しみ方をデモンストレーションしていきます。



一応あらすじです。

『SMOTHER ME』のあらすじ
母に捨てられた少年アキオは、犯罪都市デトロイトにて、ある男に引き取られる。
アキオの行動から生への強烈な執着を読み取り、見込みアリと判断した男は、師(モレ)として、アキオを殺し屋(「蛇」)に仕立て上げる。
アキオは、師のテーゼ「子供は大人に奪われる生き物だ」をいったん信じ、大人から奪い返す(=殺す)生活をしていたが、盲目の女性リン(大人)に優しくしてもらう経験を経ることで、師を疑うようになる。
アキオは、師による支配から抜け出し、「蛇」をやめ、人間としてリンと再会を果たすことができるのか!?!?!?

でも.....................ストーリーも面白いけど、正直言って、今回注目したいのは、むしろ物語の筋以外の側面なのです!!「形式」に当てはまる側面です!

映画や絵画や小説にも共通のことですが、漫画にも、「形式」と「内容」の二つの側面を認めることができます。


漫画において、「形式」「内容」とは何か。

参考のため、コトバンクの精選版日本国語大辞典を引用すると・・・

けい‐しき【形式】
〘 名詞 〙
① 物事が存在する時に表に現われている形。外形。また、あるものの形の数種の型。

ない‐よう【内容】
〘 名詞 〙
① ある形をとっているものの内部に含まれて存在しているもの。物のなかみ。また、文章や話などで、表現されている事柄。

[形式(ケイシキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク 内容(ナイヨウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

『SMOTHER ME』は、物語を漫画形式で表現した作品です。ですので、僕の理解では、
「内容」は、「物語」すなわち、「この『SMOTHER ME』世界でどのような出来事が起こっていくのか」という、あらすじとして記述されるようなことがらです。
「形式」とは、「内容」をどのような絵で、どのような言葉の言い回しで、どのような演出で、アウトプットするのか、などといったことです。

『SMOTHER ME』の、「形式」に現れる美点を探るとはどういうことか。
例えば、同じ意味を持つセリフでも、もっと違う言い回しで言わせることもできたはずです。同じセリフを交わす会話でも、キャラのどんな仕草とともに交わされ、どんな演出で見せるのか、そこに無限の選択肢があったわけです。『SMOTHER ME』の形式上の美点を評価するとは、この作品が、内容を表現するためにどんな方法をとるか、という無限の選択肢からどれを選択しており、その選択がどれだけ作品の価値を高めることに貢献しているのか、を評価することだと思います。

(セリフの言い回しやキャラのしぐさが違えば、厳密には異なる出来事がデトロイトで起こっているということなので、それらの違いは「内容」の違いなのではないか、と思いますか?僕は、物語がおおむね同じあらすじで記述できるならば、これらの違いは、物語を出力する「形式」の違いだとみなすことにします。例えば、呪術廻戦のバトルアクションは漫画版とアニメ版でかなり違いますが、あれは同じ物語(=内容)を出力する方法の違いである、と普通はみなしませんか?)


というわけで、本レビューでは、僕は『SMOTHER ME』の「形式」の側面を吟味します
でも、僕が良いと思ったところ全部書くとガチで長くなってしまうので、絞って書きます。特に、絵柄とか絵の構図がめっちゃおしゃれでかっこよくて、この作品の最大の魅力といってもいいかもしれないんですけど、あえて省きます。

①セリフの言い回しがかっこよすぎる!!!
 漫画って、エピグラフというか、物語を象徴するようなポエムみたいな文から始まることが結構ありますよね。やはり、最初に読者の心をつかむことが重要だからだと思います。『SMOTHER ME』は、ポエムではないですが、第一話で超おしゃれモノローグでスタートダッシュを切り、読者をひきつけます!!!

↑まず1ページ目
「おとなのころしかた① 大人の武器は体格と経験です 体格は道具で埋めること 経験は生かされる前に殺すこと」
「大人の殺し方」とかいうエグい内容を、子供向けのマニュアルみたいな文体で綴るコントラストがおしゃれです。年端もいかぬ子供に殺しの教育を行う異常さがうまく表れています。「体格は~」「経験は~」が対句っぽくなっているのも、美しいです!!!

↑2ページ目+3ページ目(見開き)
「僕は蛇 13歳殺し屋 絞め殺すから 蛇」
・・・カッコぇ~~~~~~~~!!

なぜかっこいいんでしょう。その秘訣は「絞め殺すから 蛇」の部分にあります。深読みが許されるなら、この部分は、相反する二つの読み方が可能であり、そのこと(2通りの読みの可能性)から、独白する少年(=アキオ)の葛藤を感じ取ることができます。このたった16文字にアキオの葛藤がぎゅっっっっっと詰まってるからかっこいいんですよ!!では、どういう読み方が可能なのか見ていきましょう。


まずひとつ目の読み方。
このモノローグは自己紹介の役割がありますね。しかしこの少年は、自己紹介で自らの名前を二回名乗るのです。普通1回名乗れば十分ですから、名乗りすぎです。この「名乗りすぎ」という点から、彼が「蛇」としての自分の在り方に本当は疑いを抱き始めている、ということが読み取れるように思います。それでも裏社会にとらわれている彼は、わざわざ2回名乗ることで、自分はアキオではなく「蛇」(=殺し屋)である、ということを、自分自身に言い聞かせているのではないですか?

もうひとつ違う読み方もできます。

このモノローグからは、彼が「蛇」と名乗る理由が二つあることが読み取れます。
それは、
「人を殺す存在であること」
(動物の名を借りるのは、人殺し=人ならざる者の精神性を身につけるためです)

「絞め殺すという殺害手段をもつこと」
です。
「僕は蛇 13歳殺し屋」だけで自己紹介終わり、でも別に変じゃないですよね。そしたら、「「蛇」ってのは殺し屋としてのコードネームなんだ」みたいな感じの読み味になるでしょう。しかし原文ではそうならずに、後から「絞め殺すから 蛇」と付け足されるから、読み味としては、「蛇」を名乗る理由のうち、「絞め殺すという殺害手段」にスポットライトが当たる形になります。
この少年が、自己紹介的独白において「絞め殺すという殺害手段」にもわざわざスポットライトを当てようとするのはなぜでしょう。それは「人を殺す存在であること」だけでは、自己紹介としては情報が不十分だからです。つまり、この少年の世界では、「人を殺す存在であること」は取るに足らない前提であるということです......。


この相反する二つの読みができるところに、アキオの葛藤が感じられませんか。
幼いころから殺しの教育だけを受けさせられ、殺しを日常の一部だと感じる一面と、
本名ではなく「蛇」と名乗り続け殺し続けることへの疑念が膨らみつつある一面が、
同時に彼の中にあることが感じられませんか。
実際、この作品では、殺しの技術しか知らないアキオが殺しから足を洗おうともがくところが、ストーリーの展開上重要なポイントとなっています。アキオの葛藤が上述したように冒頭モノローグに現われていると判断できるとしたら、このモノローグは、この作品全体をうまく象徴しているという点でも芸術点の高いものであると評価できるでしょう。



「12話まで読んだことあるからこういう深読みできるんだろ!初めて読んだときにはそんな楽しみかたできねーよ!」と思われたかもしれません。すみません!その通りです!でも、二周目で読むときもこんなふうに楽しめる漫画って素敵じゃないですか?僕は、二周目も結構面白く読めました。


②会話中のキャラや物体のしぐさが秀逸すぎる!!!!!!!!

突然ですが、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(中公文庫)の一節を思い出したので、引用させてください。

 このことは小説の会話を考えるうえで、とても大きなヒントになる。それは、会話の中身をどれだけ自然に書いても、それだけではリアルな会話にはならないということだ。実際の会話は、身振り手振りなど直接の中身から離れた部分が大きいわけで、その中身と離れた部分をいかに小説の会話のなかに取り込むかがカギなのだ。
 そのためには、AとBの会話なら、まずAがどんな風にしゃべっているのかを具体的にイメージしなければならないし、しゃべっているA以上にそれを聞いているBの表情や姿勢をイメージしなければならない。そして、さらにAとBが会話している”場”についても想像力を働かせる必要がある。
kindle版p86より引用)

この引用文では、小説論という文脈上、保坂のいう「リアルな会話」の「リアル」とは文字通りの「現実っぽい」「自然にみえる」を意味するのですが、この「リアル」を「(作品世界がフィクションらしい世界観であっても)臨場感を帯びさせるような説得力がある」と読み替えるならば、同じようなことが漫画にも当てはまるのではないかと思います。会話のシーンで、キャラクター同士が発話の意味内容を交換するためだけに描かれていたら、なんか説得力がなくて、読者をフィクションの世界に引き込む力に欠けるだろうと思います。

その点、『SMOTHER ME』では、保坂の言うところの「(会話の)直接の中身から離れた部分」が作りこまれているシーンが多いです。

まず、それが特にわかりやすい場面、第一巻136ページから始まる一幕を見てみましょう。デトロイトで成り上がったマフィアのボス「猿」が、朴支配人のカジノの金主になる(つまり、朴支配人の上の立場に就く)ために、カジノに赴き、じきじきに交渉(?)を行うシーンです。

「猿」と支配人の交渉のシーンのはずですが、猿、(「(会話の)直接の中身から離れた部分」どころか)むしろ会話を放棄して一コマ目から酒瓶をラッパ飲みです。酒瓶で口がふさがっている猿自身の代わりに彼女の腰巾着が会話を進めるのと同時進行でぐんぐん飲み続け、見開き2ページの時間をかけて飲み干しました。飲み干し中の描写では、酒瓶を傾ける角度が数コマをまたいで急になっていくことで、飲酒のペースが表現されています。時間の流れ方の表現が巧い漫画だな〜と思います(このシーンに限らず、時間の使い方が巧いシーンが多いです)。しかも、猿がこうやって酒を飲みほしている最中に、朴支配人も動きます。拳銃を撃ちます。銃弾はダーツのBULLにヒット。

見開き2ページの会話のあいだに、この量の身振りがごく自然に行われます。
「猿の一気飲み」「腰巾着と支配人の会話」「発砲」
これらが同時進行することで、会話シーンが強い臨場感を帯びています。


同じような意味でもうひとつ良いシーンがあるので、最後にそこも紹介していいですか??第1巻28ページから始まる、アキオが人を殺すことへの戸惑いを師に打ち明けるシーン。

無料で読める話なのでいっぱい引用していいですか
「残すなよ」も含みのあるセリフでかっこいいです

アキオが師に本心を打ち明けるやいなや、師はトングを「がち がち」と鳴らします。「カチカチ」ではなく「がち がち」と表現されているところに、師の隠しきれない苛立ちを感じられませんか?。そしてアキオの気をそらそうとしてか、彼の皿にごちそうを盛りまくる。それでもアキオは弱腰のままなので、一瞬の静寂ののち、師がブチ切れます。この静寂を、時計の針が動く音で表現するんですよね。うまいな~~と感心してしまいました。ここからもすごいです。机に突き刺さったトングがビィィィと振動します。なんか、このときのアキオの緊張した精神状態を暗示するような描写だと思いませんか?しかも、そのトングは、アキオにとって、自分自身がいかなる存在なのかを認識するためのでもあるわけです。(かつてこんなにも多様で複雑な意図が込められたトングが存在したでしょうか......?)そして師は、茫然自失のアキオの頭を撫でながら、彼の大きな支配欲を具現化したような、山盛りでグロテスクなご馳走の皿を、アキオの前に置くのでした。

読者を世界に引き込む、下元先生のテクニックが光っていますよね。


こんなふうに、この作品は、形式の側面に注目しながらじっくり読んでいっても楽しめるようなスルメ漫画だということが、皆さんに伝わりましたでしょうか。
まだこの作品の美点は挙げられるかもしれませんが、これ以上やっても長くなるので、ここらへんで、『SMOTHER ME』のレビューを締めさせていただきます。お読みいただいてありがとうございました。




この企画、「忘却」がテーマなんでしたっけ。すみません、レビューにかまけて、すっかり
忘れてました。

12/22、クリスマス会のあとに、ブログ代行を願いながら、恋愛代行について考える

今から「推しの子」の裏で多くの人に忘れられた漫画「恋愛代行」の話をする。どうも5回生になってしまったいしむーです。学部の5回生です。卒業させてください。6年目も決まってしまいました。来年もよろしくお願いします。
というわけですでに忘却の風に晒されているアレについて話します。短めなもんですので、どうかお付き合いください。だいたい1500字くらい。3分くらいで読めます。
どれだけの人がいつ「恋愛代行」が終わったことを覚えているでしょうか。いや、そもそも終わったことに気付いている人がどれだけいるでしょうか?
私は逆に「推しの子」が終わったあとに、赤坂アカ原作の続投枠として、コイツがあったなぁ……とか思っていたら、すでに終わっていてありえないとか考えました。というわけで、ブログらしく、「読んでみましたブログ」します。
いや……端的につまらなかったんですけどね……。なぜ面白くなかったか、それはありとあらゆるギャグが滑っていたことに起因します。「かぐ告」で笑えていたころの私が恥ずかしくなるくらい楽しくなかったんですけど、何があったんですかね。そもそもこの「恋愛代行」の目次を見てみると何を企図して作られたかよくわかるでしょう。絵が赤坂アカより絵が上手い人を作画に抜擢するような「推しの子」の配役をして、内容は「かぐや様は告らせたい」にしてみたいとか考えていることがわかるでしょう。つまり赤坂アカの過去の成功例を組み合わせてもっと最強にしようとしていたのでしょう。いや私も西沢5ミリとか結構好きだったので最初のうちは興奮していましたし、期待していました。でも、あまり噛み合わなかったんですね。赤坂アカの痛くってオタクくさい演出と西沢5ミリの童貞くさい描き方はマッチすると予測するのでしょう。両人ともにバズを狙ったようなやり口しているので相乗効果でよくなるとかそう思うでしょう?
四角関係を主軸にした物語はかなり複雑になりがちで、あらすじを抜き出そうとしても難しくなりがちなものです。天才と言われる原作者の方はかなり上手に調理できております。つまり、最初のカップルを提示する、それぞれの男女に恋愛指南役を付けて、それぞれもまたカップルとする……。最初の1話のうちに物語の骨子を適切な形で説明しています。

完璧な図式

そういう上手さと裏腹に、陰キャが好きなすごく優良な女子高校生、異様に優しいヤンキーな男子高校生というメインキャラの性格の作り込みがかなり安直なこと、安直なこと。導入の描写、ヒロインが頭いいやつなのに初心で男に弱いとか失笑ものでしょう。

おれ頭ワリイからよ~~~

いやこんなに貶しているけど、女の子は結構かわいいんですよ? セックスしたことのないワイくんが好きそうなデザインでして。ふふ。ヒロインについている恋愛のナビゲーターとか特に。
なんといっても黒い髪で化粧っけのない顔に、愛玩動物っぽいデザインしている耳付きフーディーのルームウェアですね。いわゆる天使系、文脈にしては地雷系に属する、類例にしてはオタクごのみなデザインで、サブカルチャーとして受容されているファッション。シコいですね。

都市伝説みたいな服

ところで、いかに立ち上げが成功したとしても失速してしまえば打ち切られてしまうものです。つまり安直に付けた性格がために、物語自体が安っぽくなってしまったことです。あらかじめ陽キャっぽい陰キャ陰キャっぽい陽キャのような二項対立を明示しているにもかかわらず、その対比を超えるようなギャグを提示できなかったのが敗因になるでしょう。そのためにメインの金髪ヒロインがなぜ恋愛指南を頼まねばならなくなったのかを説明するようになりました。前振りに指南にそのまま従いすぎてしまい、人形のようになってしまうとほのめかしていました。わかりやすいですね。それのオチは毒親だそうです。何度も見た展開ですね。
そのままあれよあれよという間に物語を閉じなければならなくなったようです。のっぴきならない窮地にまで陥った結果、引き込もっていた黒髪ヒロインがメインの舞台となるクラスに転校してきたそうです。「そしてラブコメディ」は加速していく。最終話「恋愛代行」はそのようなセリフで終わっています。

4巻の終わりとか言ってる場合ではないし「推しの子」と違っておまけもない

白々しくも続きがあるような描き方をしておりますが、章の終わりではなく、そもそもの物語の終わりなんですね。打ち切りであることを隠していないです。
そのあとを追うようにして「推しの子」は終わっていきました。主人公とラスボスが無理心中を遂げるという後味の悪い展開で……。ルビィはなぜ立ち上がったのかは時が経ったからと走馬灯のようなコマ送りで演出をしていて。それはこの2作品を無理矢理終わらせて、そして次の物語のための企画を発表した作者そのものでしょう。
刹那的な輝きこそあれ、それのみにして、マンガを読む人の記憶に刻み付けられた作家のことを、その線香花火のような終わりまで含めて葬送したいです。

【12月21日】人、ラブ!

目標……『放浪息子』はなんかすごい!人間が描けてるぞ!でもなにがすごいのかわからん!ていうか人間が描けてるってそもそもなんやねん!
手段……『放浪息子』じっくり読むぞ!

 

 

登場人物

二鳥修一:にとりん。主人公。女の子になりたい男の子。

高槻よしの:高槻くん。男の子になりたい女の子。

千葉さおり:千葉さん。デンジャラスビューティー

佐々かなこ:ささちゃん。心優しき苦労人。

有賀誠:まこちゃん。にとりんの親友。この世界で一番の乙女。

二鳥真帆:お姉ちゃん。修一の姉。怖いけど優しい。

瀬谷理久:瀬谷。真帆の彼氏。いいやつ。

末広安奈:あんなちゃん。真帆のともだちで読モ。

二宮文也:キザでおしゃべりなヤなやつ。

二鳥ママ:二鳥姉弟の母。

やまぴ :アドカを書いている。でもなんか忘れてるような……。

 

注意事項

・この作品に限らない話だけど、概ね自分の興味は作品の登場人物と、登場人物が織りなす人間関係の方に向いており、今回の理解試みもその辺が中心になる。テーマ性の深い話とかはできなさそう。

 

・ネタバレしかないので未読の人は注意!

といいつつも、人間関係のネタバレってどこまでふぇーたりてぃなんですかね。自分は知らない作品の感想とかよく読むけど、知らない作品のキャラの名前とか覚えられないからネタバレにならないんだよね。

 

本文スタート

 

目標にも書いたけれど、自分は『放浪息子』に対して、もう少し広く言えば志村貴子作品に対して、「なんかすごい!」「なんて人間が描けてるんだ!」という感想を漠然と持っている。

 

でも冷静に考えたら「人間が描けてる」ってなんだよ。意味わかんねー。だからどうにかして、『放浪息子』のすごさ、つまり「なぜ放浪息子は人間が描けている」と読者(自分)に思わせるのかを知りたいと思った。

 

この文章はそれを何とかして知るための試みであり、だからこそ対象読者は「なんで放浪息子(志村貴子)ってこんなに人間が描けているんだ!」と漠然と感じている画面の前のあなたである。うーんせますぎる。

 

さて、こういう場合まずは「人間が描けている」の定義を考えるのが定石だろう。えーと、えーと、えーと……。

 

なんか、難しいかも……。

 

もしかしたらこれは定義がある問題ではないのかもしれない。条件ならいくつかあげられるかもしれない。例えば、

 

 

・登場人物がストーリーに動かされていない

・登場人物の多様な側面、人間ドラマを描けている

・登場人物が内面を持っているように見える

・登場人物の変化(≒成長)を描けている

 

 

この辺は、ドンピシャの答えとはいかずとも、「人間が描けている」のある程度重要な要素を占めている気がする。自分でてきとーに考えたやつだから妥当かはわからん。まあ上から順番に考えていってみるかぁ。

 

①登場人物がストーリーに動かされていない

 

うん。これはわかる。事前に決めたストーリー、物語の筋に沿うために、登場人物が「らしくない」行動をするときにストーリーに動かされるとよく言う。あんまりひどいとストーリーの奴隷になってるともいう。放浪息子に関しては、これは全く当てはまらないだろう。これは人間関係より描きたいストーリーがある場合の話であって、ファンタジー物とかバトル物とか、そういうジャンルによくみられる問題だしね。加えて、志村貴子はインタビューなどで公言しているように、話の筋は事前にはほとんど考えずその都度悩んでひねり出しているらしい。だからこそ、登場人物たちがその場でどう動きたいかに耳を傾ける時間とかが多くなるのかもねぇ。後は、関連する話で物語の本筋の側道みたいなところのの登場人物の行動で深みが出るとも思う。物語の本筋を「必然」とするなら、ある意味「偶然」ってやつかな。

 

好きなシーンに、ささちゃんと千葉さんの交換日誌の話があってさ。本筋としてはにとりんと高槻くんが2人のジェンダーに関する「秘密」を共有するための交換日誌があるんだけど。2人の交換日記のやり取りを見てこれまで4人でいたささちゃんと千葉さんは仲間外れにされた気がして寂しくなってしまう。だから、2人は自分たちも交換日誌を始めることにしたんだよね。それをきっかけに、今までさん付けで呼び合ってた2人の関係があだ名呼びになって、いつの間にか親友になっていく。こういう「偶然」が大切な人間関係につながっていく感じすごくリアルだなと思うし、本筋と絡めつつもさらっとこれができるのは上手いなぁと思う。

 

 

 

 

②登場人物の多様な側面を描けている

 

これに関しては、放浪息子は結構すごいことをやっていると思う。主に2点ね。

 

1点目は「読者」/「登場人物」で情報量の操作がとても巧みなところ。言いかえると、『放浪息子』には「読者だけが知っているあの子の言動」と「読者が知らないあの子の言動」が存在している。

 

 

まず、「読者だけが知っているあの子の言動」の方は、これは冷静に考えると当り前の話。だって、読者は物語を読む「神の視点」が与えられてるんだから。でも、これをうまく活用できるかが分かれ目。好きなシーンはお姉ちゃんが弟を傷つけないために嘘をつくやつ。でも、嘘をついたそのシーンではそれが嘘とは全く思わないんよね。ちょっと後くらいに回想であんなちゃんの本心が見れて、実はお姉ちゃんがあの時は弟を守るために嘘を伝えてたってのがしれっとわかる。普段は弟をボコボコにしてるお姉ちゃんの優しさが垣間見えるいいシーンだし、それを何より読者だけに、しかもちゃんと読んでた読者だけにわかるようにさらっと流して描くのが憎いね。「俺だけが知ってる」っていう感情が、キャラクターへの愛着と直結してるんすよ。

 

 

で、「読者が知らないあの子の言動」の方は、これはかなり志村貴子節というか、真骨頂という感じはする。『敷居の住人』のミドリちゃんがお父さんと一週間旅行に行くけど、「行先は二人しか知らない」みたいなはぐらかされ方するシーンとか特に顕著だけど。読者の知らない部分でも物語は続いていく、とはよくいうものの、これをここまで地でいって、しかも成立させてしまうのは作風とセンスの神がかり的な噛み合いというほかない。『放浪息子』ではここまで直接的なのはなかったけど一個笑っちゃったシーンがあってさ。それが、知らない間に(1話間に挟んだくらい)にとりんとあんなちゃんが実は交際してたってわかるシーン。マコちゃんめっちゃびっくりしてたけどこっちもびっくりや!!!いや、確かに1話前でちょっと仲良さそうにしてたけど、でもずっと仲悪かったやんけ!てか、にとりんのここぞの行動力がすごすぎる……。こういうドッキリがあると登場人物と同じ気持ちで楽しめるし、自分たちに見えてるのは一部で、後ろで彼らの物語はちゃんと動いてんだなってわからされちゃうよ。

 

 

 

で、2点目は、多様な側面を見せるための「場」を用意することに長けてるところ。

 

一番わかりやすいのは劇中劇かな。文化祭で男女の性別が入れ替わった世界の「倒錯劇」をやるんだけど、『放浪息子』の題材を活かすためにこれほどマッチしたものはないよね。漫然と学園群像劇のテンプレをなぞるわけではなくて、この題材ならこれをやるべきっていう嗅覚がすごい。ただ、「倒錯劇」を提案する先生の内面描写が志村貴子自身の願望とか若干漏れてない……?って感じで、なんか変に浮いてるキャラクターになってるのはちょっと不自然で面白い。

 

「場」選びの巧みさはテーマに関わる重大なところ以外の日常描写でも発揮されてる。なんか、冷静に考えると変な「場」で笑っちゃうんだけど、当人たちはいたってまじめで、しかもそれで普段見れない面白い人間関係が描けちゃうやつがいっぱいある。例えば、真帆と瀬谷のデートに弟のにとりんが着いていく回とか結構印象に残ってる。

 

 

そもそも、2人のデートはダメで、そこに弟がついていったら許すっていうお父さんの判断がそもそも面白い。で、お姉ちゃんは弟をどっかに放置して2人のデートにしようと画策するけど、瀬谷がそれを「いや、かわいそうでしょ……。」ってとめる。いいやつや。そしたらそれで2人が喧嘩して電車で弟が間に座ることになるわ、ビーチついたらにとりんは瀬谷の足の毛を見ることしか考えてないし、かと思ったら今度は「女の子ごっこ」のためにふらっといなくなっちゃう。そしたら、お姉ちゃん「あいつ可愛いから連れていかれたんだ」って焦って必死に探して、何とか見つかって最後にはゴツンと一発。いやー、この回ほんまに読んでて楽しいけど、こんなにキャラの魅力が立つ回になってるのは「場」選びの巧みさのなせる業よね。ここから得るべき教訓は「少しぐらい導入が不自然でも、登場人物が一番魅力的に見える『場』を用意すべきだ」ということなんでしょね。

 

 

③登場人物の内面を描けている

 

うげーーーー。ここにきて強敵だ……。「内面」とか「人間が描けてる」並みに扱いにくいよ……。内面って心ってことでいいんかな……。

 

少しづつ考えていくかぁ。まず、「内面」を描くこと自体は難しくない、と個人的には思う。例えば、ドラゴンボール栽培マンって確か内面とかなかったと思うんだけど、そのうちの一匹が「オレハ……イヤダ……!」とか言い出したら、まあ、そいつだけは突然変異で内面持ったんだろうなとは思う。でも、別にそれで「人間が描けてる」とはならんよなぁ。

 

まあ、だから内面とか心ってのはあるように見せればいいってもんではなく、どういう風に見せるかの次元に問題はあるっぽい。その次元の話でよくあるのは「葛藤」とかだろう。実際『放浪息子』でも性のゆらぎの話はもちろん、千葉さんと高槻くんの恋敵と親友との間での葛藤とか見るべき部分はとても多い。かつ、それらが自分が「人間が描けてる」と感銘を受ける理由のある程度大きい部分を占めているのは間違いなさそう。

 

ただ、ここでやっぱり見落としちゃあいけないのは、「葛藤」自体は別に2つの相反するものを対立させたら簡単に生まれはする。だから多分、どういう過程で葛藤が生まれて、生み出された後どうやって折り合いをつけていくかという部分に芯があるということだ。つまり、いかに「葛藤」を演出するかがカギだ。

 

さて、ようやく本題。

 

放浪息子』における葛藤のカギは「衝動」と「自己嫌悪」だろう。まず衝動から。この作品では、というか、志村貴子の作品では衝動で動いてしまうキャラクターがたくさん出てくる。そもそもこの物語は衝動的に、にとりんが女の子の服を着てしまい、それを見られることに喜びを覚えたところから始まっている。デンジャラスビューティーな千葉さんや文字通り弟泣かせなお姉ちゃんはもちろん、ちーちゃんなんか衝動の塊だし、高槻くんやまこちゃん、あの優しいささちゃんですら時には衝動的に行動する。

 

これは衝動的な性格、とかではなく、もちろんグラデーションはありつつも、登場人物全員に見られるもので、多分志村貴子の人間理解に基づくものなんだと思う。

 

「衝動」は人間の弱みだ。心が抑えきれなくなる。単なる好奇心の時もあれば、やっちゃいけないと頭ではわかっている時もある。「衝動」の結果は、まあ、色々あるけれど、概ね面倒ごとをもたらす。でも、「衝動」は人間の弱みだけど、人間らしさでもあると個人的には思う。完全に統制された人間なんて、それはもはや人間ではないし、むしろ、そういう衝動的な言動こそが本心を表すことも多いだろう。そう、「衝動」は本心と繋がっている。だから、僕は衝動に身を任せて動いてしまった登場人物たちを見る時に、「ああ、人間らしいな」と親近感を覚える。

 

 

そして、衝動の後に来るのが「自己嫌悪」だ。誇張とかじゃなくて、マジでみんなずっと自己嫌悪してるんよねこの漫画。高槻くんと千葉さんはずっと互いを思っているのに素直になれない自分のことを自己嫌悪するし、マコちゃんは親友の「かわいさ」を妬んだことを自己嫌悪する。どうしようもない自分に振り回されて、どうしようもなく自分を嫌うその姿が愛おしいんよ。ところで、登場人物たちが自己嫌悪する場所は大体ベッドの上なんだよね。にとりんとお姉ちゃんはずっと二段ベッドの上下で怒りと自己嫌悪を繰り返し続けてるんだよね。この二人の関係がなんだかんだで一番好きかもなぁ。

 

 

さて、衝動と自己嫌悪は

 

④登場人物の変化(≒成長)を描けている

 

にも結構関わってくるからこのままいきましょか。変化≒成長としてるのは、成長は変化の一類型というか、変化をどういう側面から見るか、という話でしかないからね。

 

そもそもこの漫画は変化の最前線、小学校~高校の話なんだから、そういう話は欠かせない。この年代の思春期の子どもをノンストップで描くのって意外と珍しいというか、そこに挑むだけでただものじゃないなって感じはするよね。有名漫画でパッと思いつかんなぁ。メジャーとかそうなの?NARUTOは一部そうだけど、ノンストップではないもんなぁ。

 

 

話を戻すと、衝動と自己嫌悪がどういう風に変化に関わるかって話やったね。

 

 

端的に言えば、衝動と自己嫌悪は変化のパロメーターだ。例えば、小学生の頃は登場人物たちの多くは衝動に身を任せている。その極北がにとりんたちの交換日記を奪ってクラスの中で読み上げた岡っちや土井くんだろう。

 

 

そして、小学生の段階では、衝動の後に自己嫌悪がこないやつらもいるんだね。おかっちとか土井くんはこの時点ではそう見えてた。もちろん、衝動を抑える子もいるけどね(多分マコちゃんが一番冷静だろう)。そういう意味で小学校編が終わる4巻の終盤はすごかった。性の目覚めとともにやってくる恋愛の初期衝動の嵐がクラス中に吹き荒れて、人間関係を根こそぎさらっていく。あの辺りはすごすぎて圧倒されっぱなしだったし、この漫画で一番面白いところはどこ?って聞かれたら多分小学生編の最後って答えるかなぁ。

 

 

でも、年が上がるにつれて少しずつ変わっていくんよね。衝動は徐々に収まっていくし、その過程で自己嫌悪を覚えたりもしてさ。しかしそれにしても、最終盤で、土井くんがにとりんと仲良くなるのはびっくりしたわほんま。最初の方にした「偶然」の話もそうだけど、ホンマにこの漫画人間関係が読めないんよね。登場人物の変化についていけないというか、それこそ10巻以降は子どもの成長を見ている気分で、少し寂しかったよ。それも含めてこの時期の子どもの変化をよくかけてるんだと思うけどね。

 

 

変化に関連して作画の話とかもちょっとしとくか。ねとはさんがカメラの固定と背景トーンによる心情表現が初期にはあって、それが画力の向上に伴って少なくなっていった、という話をしていてなるほど!となったんですが、これに関しては少女漫画への接近という側面もあるとは思う。3,、4巻あたりから、表情とかを描こうとする姿勢がより鮮明になるんだけど、この時期は大体『青い花』の連載開始時期とも重なる。

 

 

 

で、実際この作風の変化は狙ったかはともかく、作品で描くものの変化ともかなりマッチしてると思う。小学生ってそこまで複雑な表情しないし、無邪気な顔してなんでもするってイメージがあるのよね。で、それが自然なんだと思う。でも年齢上がるにつれて、多彩な表情を学習して、相手に何かを伝えるってことに自覚的になる。つまり繊細な表情を使い分けてコミュニケーション手段として効果的に利用するようになる。で、そうやって泣き顔とか笑顔とかのバリエーションが色々描かれるようになるのが、ちょうど小学生編が終わって中学生編が始まる時期ってのはピッタシだなって。後、個人的な好みだけどカメラ固定したやつかなり好きなんやけどね。突き放した感じと自由に読める感じが気楽というか。表情ってコミュニケーション手段って言ったけど、読み取る負荷がやっぱりかかる部分があって。少女漫画に慣れてないのもあるし、豊かな表情じゃないと描けないのもあるから一長一短やけどさ。

 .

 

個人的に変化の話で好きなのは、まあ、二宮文也かな。文也ってヤなやつなんだよね。一番初めににとりんをおかま野郎って呼んだのもそうだけど。千葉さんにずっと付きまとうし……。で、一番アレなのは、こいつは自己嫌悪しなかったのよね。多分そういう回路が存在してないタイプの人間。だからずっと千葉さんにアプローチしてもふられ続けてきた。でも、にとりんが本当にまずいなってなったときに側にいてくれたのってなぜかこいつだったし、文也が見せた「誠意」のあり方がすごい好きだった。

 

 

高校2年になった文也はバドミントン部を辞めたかったんだけど、その為には部員を集めて来いって言われて。だから1個下の新入生のマコちゃんとにとりんを引きずり込んだのよね。ここまではヤなやつだけど。でも、その時マコちゃんに「人を陥れといて辞める気?」って聞かれて、そこで千葉さんとのやり取りを思い出したのよね。「この性格を変えるよう努力するから付き合ってくれ」っていった時のことを。

 

 

 

そこで、一拍おいて、悪かった、て謝ったのよね。そんで部活に残ることを選んだのよね。驚愕したよ。え、あの文也がって?さっき回路が存在しないって言ったけど、それなのに、千葉さんとの約束を守ろうとしたのよね。千葉さんには見えない、関係ないところで。これさ、約束した人から見えないところで、関係ない奴の前でも「誠意」を見せようとしたのに心底驚いた。結局さ、今まで生きてきた癖って治らないから文也は簡単にはいいやつにはなれないわけよ。今回みたいに衝動的に「ヤなやつ」の部分が出て来るのは止められないし、この作業って自分のダメなところを見つめる苦しい作業で自己嫌悪の極みみたいなやつだと思う。正直本音を言えば文也が「ヤなやつ」のままでも別にいいと思うよ。でも、今までやってこなかたそんな茨の道を、文也が自分で選んで歩もうとしてる瞬間を見て、「あ、こいつ本気で変わろうとしてるんやな」って。正直カッコいいと思ってしまったよ。みんな変化してんねんな。

 

 

 

そんなこんなで、まあまとめると、

 

・登場人物がストーリーに動かされていない

・登場人物の多様な側面、人間ドラマを描けている

・登場人物が内面を持っているように見える

・登場人物の変化(≒成長)を描けている

 

この辺の4点について、『放浪息子』がほんまよくできてることがわかったし、「人間が描けてる」(自家中毒)に対するモヤモヤも若干取れた気がする。でもやっぱり文章にすることでこぼれ落ちてしまった部分がかなりあるなぁというのは否めない。読んだことない人いたらぜひ読んだらいいよ!シェアハウスにあるからさ!

 

 

あと、カラオケボックスの修羅場の話とかめっちゃ面白いし、さおりんと高槻くんの関係とか、二鳥ママの話とか、最終巻でのにとりんの告白とか、まだ色々話したいことはあるんだけど、さすがに眠いねん……。ほなおやすみ……。

 

 

 

 

おい!寝るな!卒論をかくの忘れてるぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【12/20】僕らは都市を愛していた

うにょにょにょにょ~~ん。夕陽です。今年で23歳になったお。6(((≧▽≦)))9シェイクシェイク!文句とかは全部、上に言ってくれナ。タイトルはただの近況願望やから、気にせんでナ。


就職決定~~~~~!卒論ピ~~~~~ンチ!!!!もうすぐ大人の仲間入りだ~~~~~い!!

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こいつ普通に葬式やったよね。


ガキンチョの未熟さが好きだ。いや、この場においては身体的特徴とは別の話である。
思い描いているであろう心の動きと言行が不一致な感じといいますか、能力的な不足からくる言動の拙さ、それを中心に据えて行われる表象がとりわけ好きなのです。
奥底に宿る感情や価値観が大人と同じものであっても、それが言葉を借りて表に出る過程で不本意に歪んでいく。この歪みそれ自体も良いですが、青少年同士が言葉を交わすことで生まれる、この時期限定の、ある種の幼稚さが見ていて面白い。
当然のごとくディスコミュニケーションが生まれ、時に望まない結果を得、傷つくこともある。それでも等身大の言葉をつくす様がね。眩しいのよね。

とらドラ!』のさ~~~父親と同居することを拒む大河を、竜児が説得するシーンむっちゃ好きやねん。 大河は親父のこれまでの狼藉を知っているので、今回も良くない結果が待ち受けていると分かっている。けど、そんなことはつゆ知らずの竜児くんは、家族でいる事の大切さを説こうとする。それは一般論的な言い回しではなくて、親父がいない機能不全を起こした家庭で過ごしてきた彼の心からの言葉なんですよね。まあ傍から見れば大河側にもなんか事情がある事はなんとなく察せるんで、言っちゃえばただの視野狭窄なんですけど、我らが大河さんはそんなことは百も承知の助w
それが竜児くんの生来の優しさから出た言葉だと分かっているから、たとえ父親が同じ過ちを繰り返すだろうと知っていても、彼の言葉を信じ、それを尊重する。
いや~~きれい。きれいな話やわ。道徳の教科書に載せて河原で燃やそうぜ!
ガッテンガッテンガッテン!
お、ご納得いただけたようですね。
とらドラ!』、これと先輩がアメリカに飛び立つ回(神回)しか覚えてないわ。というか見たのだいぶ前やからさっきの話の正確さも怪しいもんだ。いや~~「忘却」「忘却」ゥ!
「忘却」って怖いね~~~~~~。

さっきからフワフワした話をしていますが、紹介するのは『Qコちゃん the 地球侵略少女』です。
4年間程度読み返していますが未だに構造を把握できないので、要素の話しかできません。
俺の性癖に応えるように未熟なガキがでてくるんだけど、ウエダハジメの描くガキってま~じでひねくれてる。世の中を達観しようとするガキばっか。同人だと当然のように麻薬吸うしさ。

俺がさっき言った未熟さのくだりに適するガキ像ってある種の素直さや無垢さが求められるんだけど……まあそれはさておき。ウエダハジメの描く子供の無垢さとは、攻撃性や残虐さである。

それは単純な破壊衝動だけではなくて、無意識的な支配欲や敵意としても存在している。




これらの潜在的な情動を直接的に言及することなく、演出として仕込む素のテクニックの高さもウエダハジメの強みやね。

しかし、この攻撃性は本来は隠されていたはずの性質です。
主人公のキリオくんは普段は大人びたふるまいをする聡い子なので、自分が不利益になるような行いはしません。

ダメだ……………………『デュラララ!!』見ながらアドカなんて書けねえよ……。


ならば、いかなる状況でその本質的な部分は顕在化するのか。
それは……非日常だ!!!!

少年の感覚ってのは古来から極限状態において先鋭化するんだ!!
昔からそう決まってるんだ!
それが……ゼロ年代なんだ!!
だってそうとしか言えないんだ。
この漫画打ち切りくらってるのに、説明とか全部放棄してるんだ。
最後のページこれだ。

もうエネルギーだ。構造とか言ってる場合じゃないわ。
歴史上もっとも無謀な漫画家、それがウエダハジメだ。
今言える、たしかなことはそれだけだ。

心情の説明とかはないんだ


遅れてゴメンね。それじゃ、良いお年を。
































































































才能のチカラってスゲー!
ジャンプのスポーツ漫画のみたいな、才能が十全に行使され、功績を打ち立てることがメインの物語ってあるじゃん。そういう漫画における、才能が発現する前の世界(さっきの例ならスポーツと出会う前の生活)ってあまりに価値が無いと思ってしまう。お膳立てすぎるというか、重要度としての比重が明らかに偏ってるんですよね。極端な例を言いますけど、それまでの人生が悪いこと続きだったりした場合、報われちゃうじゃないですか。才能の打ち立てた功績に、それまでの全てが従属してしまう。「ああ」「俺の人生は」「全てこの日のためにあったのだ!」といった具合に。まあ、それで問題は全くないんですけど。
いやね、時たまそのお膳立て部分でドラマを展開してくる奴がいるんすよ。正直言って入り込めない。そこにどんな思いがあり、動機を丁寧に描いたとて、次に始まるのは才能が絶対的な価値を持つステージじゃーん。お前がその時感じた葛藤は、才能が起こす奇跡の前で価値を保っていますか? その葛藤を称揚するためには、才能を手段に貶めるエピソードが必要やないんけ? オババはそう思います。

さっきの話は別に一般的な意見などではなく、単に俺が才能は偶然でなく必然であって欲しいって思っているだけです(曖昧さ未回避)。
でもさ、罪木蜜柑……罪木蜜柑の話は……よがっだ……ッ。
今年、「ダンガンロンパ」やったんですよ。ずっと「いやいや……w」みたいな態度とってたけど、普通に良シナリオやん。良悟もIF小説書いてるやん。神展開ktkrの連続でハワワ~~。ショワホカ~~。成人男性なのにフィクションの話にショックを受け、1週間くらいBloodborneしか出来ない存在になりましたゾww

罪木蜜柑にとって才能とはあくまで手段である。卓越した保健医療の知識・技術を有してはいるけど、それ自体が直接的な価値としてアイデンティティと結びついているわけではないんですよね。彼女は「他人から無視されたくない」ことが根底にあって、看護の能力はそれを果たすための、自分がグループの中で役割を持つための道具でしかありません。
虐待やいじめといった一方的な人間関係の中で非選択的に育まれた能力だというのもポイントなんでしょうが……。



さてそんな彼女が希望ヶ峰学園に来ましたよっ……と。ほんで流れるようにコロシアイ生活に参加っ……と(←意味不明でワロスww)。
そこには才能を行使することに長け、それによる利益を享受することに慣れた人間がウジャウジャおるわけです。才能を正当に評価する、という意味では奴らは最適だし、僻みとか無しに接することができる。だから、罪木の才能に対しても正当な評価ができるし、そのうえで一人の人間として尊重してくれる。




自らの傍らにただあったもの、自分ではなんとも思っていなかったもの、それが新天地において他者との交流のきっかけとなること。他者に受け入れられるための手助けをしてくれること。自分の価値を認める支えとなること。
あまりにも綺麗や。

ってオイオ~イ!それってバカデカ才能ないと成立せえへんやないか~~い!
ハハハ、鋭いね。でもそれでいいんや。
才能ありきの都合の良い結果。だからこそ、フィクションにおいて、人生の意味の比重をこちらに引き寄せることができる。その行為には価値がある。あの島でしか成立し得なかった例外的な物語に、俺は確かに感動した……んやけど……………………

オイゴルァ!てめぇこのクソアマ!!オメェさんよォ~~~~時と場所ってモンを考えらんねーのかよ?そんなトコで才能を行使せんでいンだよ!!バカお前……ほんっとバカ!!!バカ野郎……!バカヤロウ……………………。バカヤロウ……………………

そんなワケで学校っていいですよね。この言葉は俺が中高一貫校という大学進学を主目的とした集団に属していたことを踏まえたほうがいい言葉ではありますが。なんかこう……普通ならハグレモノ必至みたいなやつも、クラスメイトという属性をかぶった途端、少しフラットな目線でみるバイアスがかかる気がするんですよね。もちろん敵は敵だけど。


ミリしらなんすけど、夜間高校っていいとこどりしてるんじゃないか。学校から連帯感とか画一性だけさっぴいたイキフンありませんか。


『春あかね高校定時制夜間部』は、あまりにも自由で野放図な人々が、学校というシステム上の枠組みにまとめられた際に生まれる奇妙な空間を巧みに描き出す。
登場人物は自己完結型のコミュニケーションをとる人間が大半。そいつら同士する会話ってもちろん意味が通ってないんだけど、不思議と各々が何らかの合意を得て、コミュニケーションが成立してしまう。傍から見たらそれはユーモラスで楽しいんだけど、それだけじゃなくて、無意識的なレベルでの尊重もそこには含まれている。個人が他者との交流を通じて変化するのではなく、ありのままで交差するシチュエーションを淡々と描く。こういうときのheisoku先生の手つきは繊細やね。


おや、そんなheisoku先生の新作が……?
なに?乙女ゲーの世界から飛び出してきた王子系キャラとひとつ屋根の下で共同生活だって?これはゲーム大好きメガネくんはもちろん買わないとだなぁ!ハハハ……!











3
こんにちは、気骨です。今年の漫トロでは実存読み(?)*1流行りました。
世の中に漫画は数あれど、「これは自分だ!」と思える漫画に出会えるなんてのはそうあることじゃありません。俺は未だに無い。けど、「これを自分の美徳としたい」という漫画ならある。

もちろん『ひまてん!』だ。
週刊ジャンプで絶賛連載中の愛嬌たっぷりなラブロマンス。絵柄もさることながら、登場人物たちの名前をもじった擬音などの創意工夫がどれもキャワゆく、戦闘戦闘殺人凌辱勝利を掲げる連載陣の中、『アオノハコ』などと共にひとさじの清涼剤として機能していることは間違いない。カンニャ!



『ひまてん!』の設定はごく普遍的なものである。
主人公の殿一くんは家事代行を、ヒロインの妃眞理ちゃんはモデル兼コスメ会社の社長を務めている。てんこ盛りやね。
特徴的ではありますけど、要は家事代行ってのは接点のない二人の距離をグッと縮めるためのテンプレですね。これまで連綿と用いられてきたテクニックの範疇です。
「モデル兼社長」というのも、よくある「オモテ」の作り笑顔と「ウラ」の素の自分、つまりは興味を引き立てるためのギャップに過ぎない……。
そう言って切り捨ててしまうのは、あまりに勿体ない。
社会と接続するためのペルソナと本当の自分としてのペルソナ、これらは『ひまてん!』においては等価なものとして扱われる。両者間の切り替えにエネルギーは必要とされず、ごく自然に行われます。
なんでかっていうと、その人格は周囲から強制されたり、あるいは便宜的に用意したものじゃなくて、自身が「そうありたいから」と望んで得た姿だからなんですよね。本体の持つ価値観とのズレがない。それゆえに「モデル兼社長」として受けた評価・賞賛はそのまま内の人格も受け取ることができるし、それが巡って外の人格の自信にも繋がります。なにより、自分自身が作り上げた虚像に対して誇りを持てるというのは嬉しいことだ。

外と内が相補的な関係にあって、かつその価値観が共有されている状態というのは一種の理想的な在り方だと思います。
人間として血の通っている生き方じゃん! ってね。


いやね……僕、来年就職するらしいんですよ。ヤじゃないですか、職場で猫かぶったままツマラン相槌を打ち続けるなんて……向こうも多分楽しくないよ。かと言って全部を同じ人格でこなすのも違和感あるしさ。シゲカヨとか宮本くんじゃないんだから。仕事、やるからには生存のための手段だけであって欲しくない。ポノノ……。

全てを一つの人格でやろうとするとこうなる


さて、『ひまてん!』はこれを踏まえた上で恋愛のやっていきをやっていくわけですが……。
従来の恋愛漫画では、ぱっと見のイメージが想起させる性的魅力がきっかけとしてあって、内面を互いに理解していくことで関係を深めていくパターンが多いです。大事なのはあくまで中身である、というか人間の本質はそこに宿る、というわけですね。ブロマンス的にはそれが自然だし、仮に現実世界であったとて違和感のない心の動きだと思います。
しかし、先ほど述べたように『ひまてん!』では外面的な魅力も同等のものとして扱われます。持って生まれた表面的なもの(それが見たくて恋愛漫画を読んでる節は当然あるのだが)でなく、着脱可能なアクセサリーとして外見が存在している。それは職業というシステム面の話だけではなく、ひまりんの可愛さがメイクで作られたものである、という描写からくみ取ってあげていいポイントだと思います。コスメ会社の社長ってのもそうだと思いますゾww



じゃあ、主人公の殿一くんはひまりんの外見に大きな魅力を感じているのか? それが違うんすよね。
ひまりんがクラスメイトを始めとする周囲の人々に向ける外向けの顔、そこに殿一くんは興味を示さないんですね。遠巻きに見ているだけ。
彼が見ているのはひまりんが「なりたい自分」の実現のためにした努力家としての一面です。



ここが『ひまてん!』の愛らしいとこやねん!
いや、内容がどうとかじゃなくて。
要は「見せたい顔」として用意しているものではない、自分でも忘れてしまっているような部分から魅力を見出されてしまう(お! 「忘却」回収ゥ!)。このチグハグさ加減というか、ままならなさみたいなものって人間関係の妙だなって拙者は思ってしまいますゾwwなんですよね。
それは決して「作り上げた虚像」に対するアンチテーゼなどではありません。努力家で、人を支えることが好きな殿一くんだからその部分に着目しているんです。このエクスキューズが入っているのは嬉しい。ホントに細やかな部分で、正直ジャンプ読者が求めている要素ではないとは思うけど、これをやったろうという生真面目さは評価してあげたい。
あまりに他のラブコメが性欲と怨嗟すぎるだけではあるのだが。「ガチ恋粘着獣」を評価している人間の吐いていい言葉じゃないけど、粗製乱造が多すぎんのよ。
とにかく、この理想的なコミュニケーションが今東京に必要なんだ! ソウダ! ソノトオリダ!


まあ、まだ20話程度なんで、事実ベースで言えるのはこのくらい。「極東リベンジャーズ」と違って軌道にのったぽいしね。「超巡」と「鵺」とこれだけ読むわ。


いや~~しかし見いだされたいよね、魅力を。行った努力が全て他人に発見される世界であってほしいよね。このボロッカスのGPAの裏には、実は壮絶な戦いがあったんだよぅ……。留年理由とか聞かないでよ~~~ムニャムニャ………………






コンコン ガチャッ
「先生? もうお目覚めになったんですか? 今日はお天気がいいみたいですから、後でお庭のお散歩に出るのはどうですか。ちょうど今朝、ブーゲンビリアの花が咲いたんです。うっとりするくらい真っ赤で、とても綺麗ですよ…………先生? あら…………?



オワーーーーーーーーーーーッ 死体だァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

~漫トロピーマゾオス部一同は、女性の社会進出ひいては女権社会の台頭を応援しています!~

Fin

*1:漫画内から自分と重なる部分を見出し、共鳴する読み方。極めると凄いことになる