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京大漫トロピーのブログです

【12/11】ぱ・あ・てぃ・い・し・た・い

シチョウです。“party”の語源は“part”にあるそうで、語根にあたる“part”は「部分」を、接尾辞にあたる“-y”は「動詞化の名詞化」を表します。「動詞化の名詞化」の他の例としては“army”ですかね。“arm”が「武器」なので“army”は「武装すること」、つまり「軍隊」になります。同様に“party”も「(全体から見た)部分になること」を表し、「派閥」となるわけです。派閥が一つしかない場合それを派閥とは呼びませんしね。
「派閥」ということで最終回で唐突に派閥が登場した漫画を。

がっこうぐらし! コミック 1-11巻セット

がっこうぐらし! コミック 1-11巻セット

  • 作者:
  • 発売日: 2019/01/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 先日ついに完結しました*1。単行本に未収録部分の話をがっつりするので単行本はご容赦を(伏線回収!)。いい漫画だったよ。可愛い女の子が必死に頑張るの最高や!
 さて、サバイバル物でよくある展開として内紛があります。知性の無い一種類の敵を倒すだけだとマンネリ化は不可避だからね、しょうがないね。「がっこうぐらし!」もご多分に漏れず、やはり内紛展開は発生します。
 まずはみーくんが学園生活部に仮入部した時。このページを開いている方ならばご存じかと思われますが、由紀ちゃんは世界が崩壊している現状を認識できていないかのような言動をとっており、みーくんはそんな由紀ちゃんの妄想に付き合う胡桃ちゃんとりーさんを共依存と批判、軋轢を生みます。一応派閥って言えるよね?

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続きは本編で!
 続いては大学編。大学には武闘派と穏健派の2派閥が存在し、紆余曲折あって武闘派は学園生活部の面々を匿う穏健派を強襲します。よくある展開だなあ。
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ここで「派閥」という側面において注目すべきはそれぞれの成り立ちです。大学にゾンビが襲来した際、まず仕切りだしたのは武闘派で、穏健派はそこから排斥された人々の集団。他者を排斥していく過程で武闘派、特にリーダーと朱夏*2選民思想を抱くようになります。彼らの選民基準は極めて単純で、朱夏の場合は「この世界に愉悦を覚えるか否か」、そしてリーダーの場合「『武闘派』として学内で生き延びるに足る資質を備えているか否か」です。この「選民思想」は大学編のテーマの一つであり、特に47話でこれでもかというほどの強調がなされています。ただリーダーにとって上記の基準は「自分は必ず選ばれた側でなければなれない」という前提の元成り立っているので、それが崩れた場合彼はどうなる
か…。それは本編を読んでご確認ください。
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こうなります
 リーダーについてもう少し説明を。リーダーのいう「選ばれた」は「自分は統率する者として選ばれた」とも取ることができ、というより47話を見る限りそちらの方が自然な解釈なのですが、そもそもリーダーの思想は「不要な人員は淘汰されなければならない」です。では必要な人員と不要な人員の選別は誰が行うのか。もちろん勝手に武闘派から人が抜けて数が減るならばそれが理想なのですが、そう上手くいくわけがない。ならば、特に自分が生き残るためには自分が選別する役目を負うしかない、但しただ選別するだけで周囲の理解を得られるわけがないので絶対的な規律を作りそれに沿って選別しよう、これがリーダーの至った考えでしょう。同じ47話でヒカちゃんが「私は選ばれなかった」というのは「リーダーにとって不要な人材だった」という意味で捉えるのが自然ですし、リーダーが自身にゾンビ化の兆候が生じた際ひた隠しにした理由(ネタバレしちゃったw)も自分が不要な側であると発覚することへの恐怖であることから、「選ばれた」を「生き延びるに足る資質を備えている」と解釈することがあながち不自然でないとお分かり頂けると思います。

 そして最終回。その前に状況を整理しましょう。状況証拠から、学園生活部は川の水にゾンビ化の抗体となる成分があるのではないかと推測。この新たな情報を手にランダルとの連絡を試みます。しかし同時にランダルの魔の手も学園生活部に迫っており(なぜか同士討ちで全滅したみたいやけどな)、さらにメイン4人中2人が重体、特に胡桃ちゃんは一刻を争う状態です。由紀ちゃんはりーさんがゾンビを引き付けてくれたおかげもあってランダルとの通信に再び成功。あとはランダルが方針を変更し、核の発射を停止するのを祈るのみ。この説明だとランダルがどんな組織で何を目的として動いているのか訳が分からないでしょうが、描写不足だから仕方がない。何はともあれ、次が最終回。一体どうなってしまうんだ?

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ニセコイかな?
 煽るのはこれくらいにしてだらだら感想を書いていこうと思います。いやー、確かにランダル内で分裂している描写はあったし、「青襲は嘘をつかない」みたいな形で「いいランダル」の存在は仄めかされていたし、全滅した理由の説明も一応つくんだけどさあ。そもそもこういう描写いらないよね? よく読めばわかるんですけど、いいランダルがどうのこうのって物語を終えるのに必要ないんですよね。川の水が抗体であると予測→この情報をランダルに連絡→ランダル方針変更のシンプルな流れでいいと思うんですよ。ランダルがどういう組織であれ、核発射する予定の地に流れる川や湖の水が抗体となる可能性を持つなら核発射は辞めるでしょ。あといいランダルを出したせいでMVPが女性スタッフになってしまっているんですよ。由紀ちゃんが抗体の情報を伝えた後通信内容がこの人(台詞も名前も出てないのでモブ同然)によりランダル穏健派に転送されたことで核の発射が中止されたわけですけど、ワンクッション置いたせいで由紀ちゃんの活躍のウェイトが少なくなっているんですよね。確かに由紀ちゃんの行動には大きな意味があったよ、でもこの女性スタッフは瀕死の重傷を負っているわけですよ。傷を負わないよりは重傷を負ってでも行動するほうが物語としては映えるんですよね。結果として由紀ちゃんよりこの人の方が意味のある行動をしたんじゃないかとなってしまいます。筆者が少年漫画に毒されているだけなのかもしれないですけど、華はできるだけ多くメインキャラに持たせてあげてほしい。特にこれまでの「がっこうぐらし!」で直接結果の残る形で活躍を見せていたのは殆どが胡桃ちゃんとみーくんなんですよ。この二人が行動不能となったのには最後は由紀ちゃんとりーさんを活躍させようという作者の意図があるはず。なんだかなあ…。結果的に「いいランダル」は物語を分かりにくくしていただけのように思われてならないですね。

 まあいろいろ言ったんですけどハッピーエンドで終わってくれて筆者としては嬉しかったです。Fate/Zeroみたいな誰も報われない物語も嫌いではないんですけど、彼らの大半はリスクを承知の上で自らのエゴのために聖杯戦争に参加しているわけですからね。物語内でキャラクターの取った行動が彼らの人生において意義のあるものであってほしいんですよ。学園生活部の4人が物語を通してとった行動が全員で生き延びるという形で実を結んでくれて本当に良かった。全滅エンドとかなら彼女らの行動は無意味ってことになっちゃうからね。この漫画に関してはまだそれなりに言いたいことがあるのでどこかで場を設けて語りたいですね。


 注釈:因みに“party”にはもう一つ「宴会」という意味があります。これは「(参加者の)一部となること」だからのようです。Wikipedia曰く、「宴会」とは「飲食を共にすることで互いのコミュニケーションを深める行為」だそう*3。そういえば「がっこうぐらし!」って毎日宴会していると言えますよね。いつも飲食共にしてるし。食事中の会話で話動くこと結構多いし。え? 日本語のパーティーとはニュアンスが違う? そんな暴論がまかり通るなら磯野家野原家南家は毎日パーティー? 指摘は尤も、されど心配はご無用。日常的な食事を除いても、入部したり遠足したり、イベント頻繁にやるし。その度に特別な食事用意するし。作中で由紀ちゃんもパーティーしようって言ってるしな。絶望的な世界だからこそ楽しむときは全力で楽しまなきゃね。というわけで、筆者もレポートの提出状況が絶望的なのでパーティーしたいです。
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*1:11月22日発売のきららフォワード2020年1号にて最終回を迎えました

*2:リーダー殺した奴。文脈から誰のことかはお分かり頂けるとは思いますが、本編で名前の出ているシーンが殆ど無く、誰も名前を覚えていないであろうことから一応補足。

*3:宴会 - Wikipedia