mantrog

京大漫トロピーのブログです

【12/5】黄金の旅の終わりに

こんばんは、研究室でこの記事を書いていますファービーです。研究の中間報告が間近に迫っているのに全く研究結果が出ておらず徹夜続きで実験しています。さて、今年のアドベントカレンダーのテーマは「プレゼント」ということで競馬の話をしたいと思います、ちゃんと「プレゼント」に結びつけるので安心しろって。みなさんステイゴールドという馬はご存知でしょうか?
f:id:mantropy:20181204213727j:plain

1994年3月に生まれたステイゴールドは父にサンデーサイレンス、母にダイナサッシュを持つ超良血馬でした。スポーツで例えると父:室伏広治、母:澤穂希みたいなもんです。高潔な血統とは対照的に、小柄で負けん気の強いやんちゃな性格でした。
今の数えかたで2歳の12月にレースデビュー、初戦は3着でした。そこから中々勝てない日々が続き、デビューから半年後ようやく初勝利をあげます。(競馬のレースのグレードは以下のようになっていて勝つたびに上がっていく。2着でも累計賞金によってオープンクラスに上がる時もある)
f:id:mantropy:20181204223523p:plain

5戦目にして未勝利戦を突破したステイゴールドは、続く500万条件を連勝で突破します。3連勝とはなりませんでしたが、1000万条件の阿寒湖特別(レースの名前です)を勝ち、順調に出世していくと思われました。しかし続く神戸新聞杯菊花賞と惨敗し、ここからなんと怒涛の4戦連続2着。相手は弱いのに勝ちきれない、相手が強いのに好走する不思議な馬でした。結局4歳(一般的な馬の全盛期)時は11戦して2着6回、3着2回。天皇賞春、秋、宝塚記念有馬記念といった日本最高峰のレースでの好走もありました、しかし好走するときは決まってサイレンススズカグラスワンダーといったレジェンド馬たちが立ちはだかりました。
f:id:mantropy:20181205210848p:plain
いつしかステイゴールドシルバーコレクターという不名誉な称号がついて回るようになりました。陣営はさぞ悔しかったことだと思います。一方で勝ちきれない歯がやすさが日本人気質に受けたのか、この馬の人気は日に日に高まっていきました。
5歳になっても勝てない日々は続きます。5歳時の成績は10戦して2着1回、3着5回この年も重賞レースで勝てませんでした。余談ですがこの年の天皇賞秋(G1)でステイゴールドは2着をとっているのですが、この時の1位はスペシャルウィーク逆襲のランの時です。またしても最強世代に戴冠を阻まれました。
f:id:mantropy:20181205212605j:plain

6歳の春、陣営はある決断をします。今までステイゴールドとコンビを組んでいた熊沢騎手を降ろし、ご存知武豊騎手を騎乗させる事にしました。舞台は目黒記念(G2)、ステイゴールドは道中後方に待機し、直線に入るとスルスルと抜け出し先頭に立つ。誰の目にも勝利は明らかでした。ステイゴールドが勝った瞬間、競馬場に歓声が響き渡りました。最後の勝利から2年8月、ステイゴールドはようやく4勝目をあげたのでした。
結局この年の目黒記念以降のレースは1度も3位以内に入ることはなく、ファンもなんとなく今年で引退かなと思っていました。

しかしなんと陣営は現役続行を判断します。この判断が吉と出たのか年明けの日経新春杯では待望の重賞2勝目をあげます。あと欲しいのはG1のタイトルだけ、しかしあと一歩届かない。そんな折、ステイゴールドに海外遠征の話が舞い込んできます。ドバイワールドカップ(世界的な競馬の大会)のドバイシーマクラシック(G2)に選出されたステイゴールドは海を渡って海外重賞初制覇の挑みます。しかし、海外遠征は長距離輸送、体調管理などの問題があり当時海外重賞を勝った馬はまだいませんでした。さらにこのレース相手にはファンタスティックライトという世界レート1位の馬がいました。幾ら何でも厳しいだろうとファンは思っていました。

レースは直線でファンタスティックライトが抜け出し、他の馬を引き離す展開。しかしただ1頭王者に食い下がる馬がいました。そうステイゴールドです。無名の日本馬が世界王者に挑んでいく。そしてついにゴール手前でステイゴールドが王者を捉えました。写真判定の結果なんと勝ったのはステイゴールド大番狂わせでした。日本馬初のドバイワールドカップ制覇、日本中の競馬ファンステイゴールドという馬に夢中になりました。ちなみにこの年の翌年からドバイシーマクラシックは(G1)に昇格しました。

海外制覇も成し遂げたステイゴールドの唯一の心残りはまだG1を勝っていないこと。しかし、宝塚記念メイショウドトウと世紀末覇王テイエムオペラオーに阻まれ、天皇賞ジャパンカップと惨敗。最後までG1は勝てないのか、悩んだ陣営は引退レースを有馬記念ではなく香港で行われる香港ヴァーズ(G1)を選択します。なんとかG1を勝って欲しい、日本中の競馬ファンの思いをのせステイゴールドは20回目のG1出走(日本記録)で初めて1番人気に押されます。

レースは世界最強ジョッキー・デットーリ騎乗のエクラーが変則ラップを刻んで逃げる展開、めまぐるしく変わるペースに後ろの馬は翻弄され直線に差し掛かった時気づけば7馬身差、最後までステイゴールドは勝てないのか。ファンも諦めに似た気持ちが胸をよぎりました。しかし、これまで50戦、ステイゴールドは幾多の名馬たちと鎬を削ってきました。サイレンススズカグラスワンダーテイエムオペラオースペシャルウィーク常にライバルの背中を見ながらゴールしてきたステイゴールドは、負ける悔しさも日本のライバルたちの強さも知っていました。最後くらいは勝って終わりたいといわんばかりの末脚を繰り出し差を縮めていきます。4馬身、3馬身、そしてゴール直前ついにエクラーに並び、頭一つ交わしてゴール。ステイゴールドは最後の最後で悲願のG1制覇を成し遂げました。奇しくも、香港ヴァーズでつけていたゼッケンは「黄金旅程」。出走回数50回、G1挑戦20回、黄金を求める旅には素敵な結末が待っていました。まさに事実は小説より奇なりといったところでしょうか。

引退後種牡馬入りしたステイゴールドは数々の名馬を生み出しました。怪物オルフェーブル、暴れん坊ゴールドシップ、史上最強障害馬オジュウチョウサンステイゴールドが残した輝きは彼の子孫に引き継がれ今でも私たちを魅了しています。もしかしたら彼が残した名馬たちはずっと応援してくれたファンへの恩返しの「プレゼント」だったのかもしれませんね。

そういえば漫画の話をしていませんでした。では最後に「マキバオー」からの引用で締めたいと思います。

ノーザンダンサーの血の一滴は
1カラットのダイヤモンドより価値があると言う
それはノーザンダンサーなくして
今の競馬は考えられないからだ
だが そのノーザンダンサーの血も
そこまで受け継いで来た馬なしでは
流れることはなかったはずだ
過去の何千何万もの馬たちの
血と汗と涙なくして今日の名血は有り得ない
そして、そんな名血を越えんとする馬たちが明日の名血をまたつくる

以上ファービーでした。