mantrog

京大漫トロピーのブログです

【12/4】夜は、川面に跳ねる雨粒。

びたみんです。

夜には2種類あります。「奪う夜」と、「囁く夜」。どちらも悪戯をしたり、一方でこちらを笑わせたりもします。




夜は、過去や未来がこちらを見てくる。

「今」が生まれるのが朝、今に追われるのが昼、今に追い越されるのが夕方。
夜が更ければ更けるほど、今以外の時間が顔を出す。
暗い部屋に居ると、今なんてどこかへ消えてしまい
過去が色々と問いかけてくる。未来が何かを焦らせる。
それが福音のこともあれば、呪文であることもある。
昼と夜の反復運動を通じて、常に生まれ変わる。変わらないまま、変わっていく。
ささやかな思い出もあどけない決意も、大事なことほどすぐ忘れてしまう。それは夜を経て少しずつ自分というものの部品を入れ替えては明日に備えるからなのかもしれなくて、寂しくなる。


過去は未来と闘う際の戦利品であって欲しい時がある。
だからこそ価値のある今を、生もうとしてしまう。そのほうが楽だから。後悔するくらいなら、少し耐える今を生きた方がましだと思ってしまう。愚かだとしても、時代に流され薄く透けた価値観だとしても。

色んな言葉があって、色んな物の見方があって、それには名前がついていて、それに詳しい大人がいて、それに憧れる自分がいて、でもそこから遠ざかろうとする自分もいて、今がある。夜にこれを書いている。



悶々と、人間関係とか将来について、考え出して眠れなくなる夜中の時間。
それって、すごくオリジナルな時間だと思う。
他の人が夜通し悩む光景って見ることは無いし、それについて詳しく話を聞いたりすることもほとんどない。大抵はそれぞれが自分のなかで抱え込む時間。
かといって、映画やドラマの映像芸術でそこをピンポイントで長い時間をとって流すこともできない。
絵や小説でもそれを完全に表すことはできない。
夜を乗り越えるHowTo本があるわけでもない。
そんな時間だからこそ、他の人に影響されにくいから、「自分だけのもの」に限りなく近いし、だからこそ「その人」が現れる気がする。


去年はそんな夜が続く一年だった。決意と諦めを繰り返し、「堕落」という飾った言葉で表すことができないほどにただただ「だらけ」ては狭い部屋で同じところをぐるぐるとまわっていた。

今も他の人ほど快活には生きれていないけれど、「人間が変わるには環境を変えるしかない」とラジオで聴いた言葉を信じ、一年で下宿を出てシェアハウスに引越し、サークルも漫トロピーしか入っていなかったけれど所属する団体を3つほど増やした。

「奪う夜」や「囁く夜」が重くのしかかる時が、今もたまにやっては来るけれど、まだ少し優しくなったかなと思う。




あの頃の憂鬱の形を頭に浮かべると、ふと思い出した漫画がありました。

彼女と彼女の猫』。

彼女と彼女の猫 (アフタヌーンコミックス)

彼女と彼女の猫 (アフタヌーンコミックス)


ただただひとりで動けないままの、鬱屈とした空気を思い出す。
なんとかなると信じながら、どうにもならないと拗ねてしまう日々。彼女の暮らしが自分と重なり、それに何故か少し励まされたりしながら読んでいた。




漫画が特別好きというわけじゃありません。
ただ、漫画は言葉を置く場所としては、僕にとって一番ちょうどいいんです。
かつて救ってくれたラジオの言葉も、漫画の中で言われたら、もっと違った形で深く心に残るんじゃないかって思うんです。

もちろん言葉の種類にもよるけど、心が救われる言葉は、漫画を通じて出会えた時が一番幸せな気がするんです。個人的に。


過去や未来を悶々と考えたくなったり、考えるのが嫌になったりする夜に、漫画があるということが、僕を支える時があるのです。