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京大漫トロピーのブログです

【12/25?】クリスマスとはなんだったのか

漫トロのアドベントカレンダー企画が無事終了しましたね!
ブログではお初です、ホリィ・センです。


クリスマスの思い出
僕はクリスマスには8年連続で用事がある超絶リア充(死語)
世の人間が性欲を満たす中、毎年別種の――しかし、根源的には同一かもしれない――欲望を満たしています。

かの精神分析家ジャック・ラカン曰く、人間の欲望は<他者>の欲望です。
生理的・動物的欲求とはまた別のところで僕は他者を起点とした欲望を満たしているのです。

簡単に言えば、僕は「他人にどう見られるか」それが何よりも大事です。
精神的苦痛が許す限り、できるだけ"他人"とは違うことをして目を引きたいのです。

そんな僕は2005年から「界王拳」という行事を行っています。
クリスマスにバケツに入れた水を浴びる行為です。一説では気温が低ければ水蒸気が出てオーラっぽくなるから界王拳という名前がついています。
界王拳」という名前はそもそもMEGWINさんの動画*1が元ネタなのですが、今やそんなことはどうでもいいです。
MEGWINさんの動画を観て、中二のクリスマスから思いつきで始めたことですが、冬のクリスマスに水を浴びるという行為には今や様々な意味合いが付与されてきています。
中学生は、痛々しいクリエイティブ()なエネルギーが最も発揮される時期であり、また、性のエネルギーが最もナイーブな形で放出される時期でもあります。そんな時期のこの思いつきはまさに本能・直感が授けてくれたギフトなのでしょう。

「他人にどう見られるか」、それは僕からしたら個人的な性欲よりもよっぽど大事です。
高3の時の僕は彼女もいましたし、受験もありました。しかし、それらを顧みず、風邪を引くリスクも度外視して水を浴びました。(ただ、毎年浴びた後に銭湯に行っているし、これが原因で風邪を引いたことはない)


性欲の根源性、欲望の多様性
そんなわけで、僕個人の欲望というものは事実として他者を起点にして成り立っているものばかりなのですが、一般的に言えば欲望なるものは、すごく個人差のあるもの、多種多様なものです。

なぜそんな多様性が出てくるか、というところを考えるとフロイトが幼児性欲について明らかにしたところの多形倒錯論を参照しましょう。
エディプス・コンプレックス、すなわち幼児にとって両親との間に生じる性的な関係性を元に、多形的な性的嗜好は分化していくのです。
形式的に言えば、性欲に限らず人間のエネルギーは全てここに還元されます。もちろん現実には様々な社会関係や環境が存在し、最終的にどれだけのウェイトを占めるかはまた個々人で違ってくるところですが。

何にせよ、個々人の多様な欲望(性的嗜好も含む)は多様なものです。結果的に多様になるのです。そして、クリスマスへの態度も(個々人の性的能力からの影響は受けるものの、)個々人で多様なのです。
通り一遍、クリスマスはチキンとケーキを食べて、デートしてセックスして……ができる人とできない人、そんな単純な話ではないのです。

だからこそ、クリスマスはこれを読んで、多様な欲望に触れましょう。

変ゼミ(7) (モーニング KC)

変ゼミ(7) (モーニング KC)

変ゼミとは
TAGRO先生の代表作の一つです。「変態生理ゼミナール」では覗きも露出も、痴漢も盗撮も、SMも羞恥も、共依存も多重人格も、スカトロも……といった感じで様々な変態生理が探求されています。
露骨に変態的な性癖はともかく、少しこじらせた人なら共感できるような感情を、すごく構造的に分かりやすく描いた作品です。分かりやすく描こうとしてる感じなので、お話しとして楽しくはないかもしれませんけど。

学友の団結で、多様な欲望を自覚し、クリスマスへの態度を確固たるものにしよう!
2013年も京大漫トロピーをよろしくお願いします。革命を起こそう!


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(2012年だから12倍(バケツ12杯)界王拳。毎年バケツを100均で買って増やしてる)

*1:「オレがオレにオンデマンド」精神の元、ホームページ「MEGWIN TV」で動画を配信し続けている人。「界王拳」は現在は削除されている。