今夏のコミケットにも京大マントロピーは出ます!
明日です!
【日時】2022年8月13日 (1日目)
【場所】東へ-31b
【頒布物】27号(新刊) 30部ほど バックナンバー(26号) 20部ほど
新刊は実はまだ読んでなかった長編漫画を読もうと題された有名作品などの座談会を含めたものとなっています
ぜひ来てください!!!
今夏のコミケットにも京大マントロピーは出ます!
明日です!
【日時】2022年8月13日 (1日目)
【場所】東へ-31b
【頒布物】27号(新刊) 30部ほど バックナンバー(26号) 20部ほど
新刊は実はまだ読んでなかった長編漫画を読もうと題された有名作品などの座談会を含めたものとなっています
ぜひ来てください!!!
シチョウです。「カイジ」『噓喰い』『賭ケグルイ』。今や一大ジャンルを形成しているといっても差し支えない「ギャンブル漫画」。事実として、本稿の読者諸兄の殆どが「ギャンブル漫画」に一度は触れたことがあるはず。では、最強のギャンブル漫画は何か?個人的に挙げたいのが、『LIAR GAME』です。
作品自体の説明はもはや不要でしょう。作品内のゲームの完成度の高さもさることながら、「成功した実写化漫画」の筆頭に数えられることでも知られる大人気漫画です。加えて挙げたい『LIAR GAME』の長所が、キャラ漫画としての完成度が高いこと、そしてほどよく分かりやすいことです。まず一つ目の『LIAR GAME』のキャラ漫画としての側面について。「様々なキャラクターを同一のシチュエーションに放り込んで、その際にそれぞれが選択する行動でキャラ性を際立たせる」という話の組み立て方としてよくある手法がありますが、こうした手法は特に閉鎖空間でゲームをする作品との相性がよく、これが上手くいっている作品は名作と評価される傾向にあります。(代表例でいうと『HUNTER×HUNTER』のハンター試験や『イカゲーム』のカンブでしょうか。)ところがこと頭脳戦漫画においては、トリック作りに熱中するあまり、頭いい設定のキャラに「ぼくのかんがえたさいきょうのトリック」を導かせるのに終始してしまうことが往々にして見られます。一方『LIAR GAME』は、キャラの人格とゲームの解法が常にリンクしており、「この人格が左脳をフル回転させればこの結論に達する」ことに対して説得力がある、つまり(さっきも書きましたが)キャラ漫画としての質がかなり高い上にその要素をギャンブルに組み込んでいるのが第一の長所ですね。次に第二の長所について。ギャンブル漫画を読んでいて何が何だか分からなくなった経験は誰しもあるはず。こうなる理由は主に二つ存在し、①ルールが複雑すぎてルールブックを片手に読むしかないが、ルールの記載されていたページなんて精々扉絵に一回書かれるくらいなので、雑誌ではもちろん、単行本でもいちいち見返すのが億劫になって適当に読んでいると分からなくなる。②特に話の後半に差し掛かるとキャラが全員頭よくなるので、読者目線でのキャラクターがおらず、置いてけぼりを喰らう。①に関しては『LIAR GAME』が克服しているとは思いませんが(密輸ゲームとかすっげぇきつかったゾ)、②は頭の悪いキャラが頭の悪い読者に合わせて疑問を呈するので、読者が置いてけぼりを喰らうのは他のちゃんとしたギャンブル漫画に比べて少ないように感じます。『LIAR GAME』は基本的に集団戦なので頭の悪いキャラを自然にゲームに入れられるんですよね。そこが他の大半のギャンブル漫画と差別化できている一因なのでしょう。あと第一の長所の補強として、集団戦であると同時に個人戦なので、キャラの差別化もしやすいんだろうな。
ここまで聞くと『LIAR GAME』は神漫画と思われるでしょうが、本当に神漫画かと言われると疑問符がつくのが一致の取れる見解ですね。最後の四国志ゲームとか展開読めちゃったしね。あと「裏をかいた」的な展開ばかりで萎えましたね。そして何より、『LIAR GAME』が終わった後の甲斐谷忍があまりに不甲斐なさすぎる。彼はもう頭脳戦を描けなくなってしまったのかな?俺は悲しいよ。そこで、僕は今回甲斐谷忍の代わりにゲームを立案し、そのゲームを活用したシナリオを作ることで甲斐谷忍を救おうと思います!
ちょっと待って!!履修登録、本当にそれで大丈夫???
(書いた人:レニ)
京大には、漫画やアニメなどのコンテンツについて学んだり、それらを語ったりすることで単位が取れてしまう、そんな素敵な科目が存在するよ!今回はそんな素敵な科目を、実際にオタクコンテンツで単位を取得してきたぼくが、独断と偏見で紹介していくよ!
「社会学は「常識的な見方」を超えて、表面的な現実の背後にある社会構造や社会関係を解明する学問である。われわれの身近な社会現象を素材に、社会学的発想および社会学理論の基本を学ぶ。」
Twitterで呟けば平常点が取れることでおなじみ、吉田純先生の社会学だね。主に1回生向けということもあって、社会学の基礎を、映画やアニメも交えながら、分かりやすく解説してくれるよ!がっつりオタクコンテンツを取り扱うのは主に後期だけど、僕は1回生前期の期末レポートを『がっこうぐらし!』を題材に書いてA+をもらったよ!
「2000年代以降、マンガやアニメ、ゲームなどのポピュラーエンタテインメントは、公的な文化資源とみなされるようになっている。本授業では、まず、そのような状況にいたった社会的な背景について理解することを目指す。」
漫画読みなら一度は行っておきたい、何なら年パス買って毎日通いたいでおなじみ「京都国際マンガミュージアム」の、伊藤遊先生による授業だよ!実際にマンガミュージアムの見学に行ったり、マンガミュージアムの企画展案を考えたりできるみたいだね!
「社会学的思考を豊かにし、想像力を取り戻そうとするとき、その誘因を文字テキストに限る必要はない。映画のほとんどはフィクションであるが、想像力に富むフィクションという思考実験は、人間や社会の「リアル」を見せてくれることがある。」「このゼミでは、以上のような発想から、さまざまな日本映画を題材として社会学的思考(概念や理論)を解説したテキストを読む。と同時に、履修者による各回の報告の中で、実際にテキストに関連した映画の抜粋を観ることにより、さらに社会学的思考への理解を深め、現代社会の「リアル」に迫ることをめざす。」
これも吉田純先生の授業だね!僕は受けたことがないから詳しく分からないけど、映画を通して社会の一端を捉える、ということをしていくのかな?
「この授業では、教育社会学および社会学の基礎的な概念や理論、研究例について理解を深めつつ、現代社会におけるさまざまな教育にかんする現象(社会状況の変化、影響を含めて)について多角的角度から考察する力を養う。扱うテーマは、「子どもと大人の関係」「『家族』の変容」「教育と感情」「学校空間の変化」「教育とジェンダー」「学生文化」「メディアと文化」「日本の教育文化のゆくえ」を予定している。」
ぼくの指導教官でもある竹内先生が開講する、教育学部の専門科目だね。これも社会や教育に関する様々なトピックに関して、映像を交えながら分かりやすく解説していく授業だよ!教育学部の学生は、吉田→竹内ラインを経由して相関教育システム論系に進み、卒論でヒィヒィ言ってる人が多い印象があるよ!ぼくもその1人だよ!
「本授業は、現代社会における「自己形成」「成長」をめぐる現象というテーマで行う。授業のはじめに、ビルドゥングスロマンについて解説した上で、現代社会における「自己形成」「成長」をめぐる現象について考察する。」「現代社会において、「自己形成」や「成長」をめぐる物語はどのように存在しているのだろうか。また、「自己形成」や「成長」というテーマをめぐって、どのような現象が生じているだろうか。」
これも竹内先生の授業で、「ビルドゥングスロマン」を鍵概念としながら進められる授業だよ!毎回、ビルドゥングスロマンに関する文献を読み、それに関連する議論を発表していくよ!ぼくは昨年、映画『下妻物語』を語るオタクと化したよ!今年は『少女歌劇レヴュー☆スタァライト』を語るオタクと化そうと思ってるんだ!
「本講義では、「送り手」「メッセージ」「受け手」の各局面においてジェンダーが担っている社会的機能を、社会学やメディア研究、ジェンダー論などの理論を参照しつつ、検討していく。」「メディアの多様な側面に着目し、それぞれの過程におけるジェンダー性を読み解くことを通じて、メディア研究の視点を理解してもらうと同時に、ジェンダーの構築性も理解する。」
ティーンズラブ漫画を扱った『女はポルノを読む』を著した、守如子先生による授業だよ!京大で授業が聞けるなんで、最高だね!シラバスを見る限り、漫画や映画、雑誌などを対象に、そこに表れるジェンダー表象や、メディアに媒介されるジェンダーの構築性、これらのコンテンツを扱ったメディア研究の在り方が論じられるのかな?
「この授業では、1960~70年代の日本のやくざ映画を、ジェンダー論の観点から分析する。」「やくざ映画には「男」へのこだわりが見られ、女性の描き方も含めて、ジェンダー論的に興味深い対象となっている。授業では、実際にやくざ映画を鑑賞し、そこで描かれる男性像・女性像や、その変化等を分析する。」
『宝塚・やおい、愛の読み替え』の著者である、東園子先生による授業だよ!京大で授業が聞けるなんて、最高だね!これも守先生と同じようなアプローチだけど、「やくざ映画」というより具体的な素材を扱っていくみたいだね!方法論的なアプローチが参考になりそうかな?
以上、オタクコンテンツで単位が取れそうな京大の科目をまとめてみたよ!みんなも、オタクコンテンツで単位を取ったり、卒論を書いたり、修士に進んで査読論文を提出したり、博士に進んでオタクはかせになったりしてみてね!
芳文社の漫画アプリ、コミックFuzくんが『まちカドまぞく』二期放映にかこつけて全話開放企画を行ってくれるようです!
4/7 19:55 ~ 4/8 1:27の333分限定公開!
……ん?
333分!?
やまぁ、全話無料公開ってだけでもだいぶ思い切った判断だとは思うけどさ、333分……しかも木曜の夜から深夜にかけてのみって。最低1日くらいは取るもんじゃないの。こういうのって新規参入を目途に企画されるモンだと思うけど、「よーい、ドン」で一気読みを強要されるこのシステムについて来れるヤツ元からのファンくらいなもんじゃないか。
しかし、この作品を無料で(しかも単行本未収録話まで)読めるのは実際破格である。まだ読んでいない諸兄はこの機会に是非読んでもらいたい。日常系のテンポ感を保ちながら、緻密に練られたプロット、類稀な作者の言語センス、やけに情報量の多いコマが脳味噌に叩きつけられる読書体験はこの漫画独自のものだ。きっと今まで見えなかった世界が拓けることだろう。ただ、4コマ漫画かつコマ単位のカロリーが異様に高いこの漫画は、ぶっちゃけ一気読みには向かないと思う。以下は作品紹介がてら、僕なりのこの作品の読み方というものを、さらりとしたネタバレを含みつつ解説していきたいと思う。
comic-fuz.com
↑ここから読める。
どうも、漫トロ新会長のなめしと言います。もはやクリスマスも終わり年末という雰囲気ですが、特に何もしていないので書く近況がありません。皆さんが12月を楽しく過ごせたことを祈っています。
ということでアドベントカレンダーのテーマは「セイ。」ですから、石川雅之による、「生」物を扱う農大を描いた漫画『もやしもん』をこの前読んだので感想でも書いていこうかなと思います。なぜ名作枠を今更話題にするのかと思うかもしれませんが、これには「新歓の競りで落としたがずっと手をつけていなかったので企画を機に強引に読んでしまえ」みたいな浅いものとは一線を画すふか〜い理由があるので、ここでは省略させてください。
まずは舞台設定から。菌がキャラクターのように認識できるという特異な能力を持った青年、沢木直保は友人の結城蛍と共に上京してとある農業大学に進学、そこで樹慶蔵教授、その研究室のメンバーたちと出会い、能力も使いながらのんびりと、ときにドタバタと大学生活を送っていくというのが大まかな、というかほぼ完璧に説明したストーリー展開です。
ここからは自分がこの漫画から感じた魅力を何点か紹介したいと思います。ネタバレあり。
まず大学内の雰囲気の出し方が素晴らしい。一部の学生が面白いアイデアを出して全体で盛り上がって、それをうまいこと利用して金儲けとかをしてやろうという奴もいたり(作中では基本的に美里と川浜、たまに樹教授がそのポジションにいる)、自治寮の存在が作品要素としてうまく機能していることもあってなんとも楽しげな学生生活を送っているんですよね。俺もこういうのやりたいよ、でも企画力とかないよ、そもそも大学がそういう場になったとして波に乗れなさそうだよ。
ただ、Wikipediaとか見る感じ石川雅之は大学進学した経験はなさそうだから、取材と漫画的脚色でこんな具合に出来上がったのかな?と思ってテキトーにググってみたところ大阪府立大学の記事が見つかりました。
michitake.osakafu-u.ac.jp
これによれば石川は府大の中百舌鳥キャンパスに影響されているらしいですね。後述するポイントにも関わりますが菌などの解説をするためにかなりしっかり勉強したらしく、創作をやる人間として偉いなぁという気分になります(何様?)。まぁなんにせよ作中の大学の雰囲気がめちゃくちゃ良いので読んでて楽しい。
作中では幕間に菌たちが菌や菌を使って作る食品に関する知識を紹介します。というか本編でもやりますし、キャラクターのほとんどが講釈家なので無限に講釈を垂れます。量が漫画でやるには多すぎるくらいなのでちょっと食傷気味になることもありますが(実際飛ばした部分もある)、日常でよく見る酒やその他発酵食品などの知識が増えるとなんだかんだ楽しいものですし、実際買うものを選ぶ時に視点が増えるので嬉しいですね。読み終わったらどっかしらの競りで出そうかな〜と思っていたんですが、この知識パートを丸ごと手放すのが惜しくて気が変わってしまいました。
ただ現実で講釈垂れまくる人間がこんなにいたらやっていけないと思う。
僕はなんのコンテンツであれ恋愛描写が特別好きな人間ではないんですが、『もやしもん』の恋愛パートの雰囲気は本当にちょうどよかった。作品の構成を考えても、物語を展開させるための要素となりながら決してノイズにはならないという距離の保ち方は絶妙だと思います。具体的に画像を入れちゃうと面白味が減る気がするのでこのくらいに。
あれ?着眼点が平凡すぎるし全然文字数が稼げていないな……と思ったら作品の魅力に大きく貢献しているキャラクターたちの紹介をしていませんでした。主要人物だけ紹介して終わりにします。
沢木惣右衛門直保
主人公で菌が見える。惣右衛門は実家のもやし屋の屋号。基本的にイベントに巻き込まれる形で参加する。菌との掛け合いのコントとしての面白さには結構波がある。
結城蛍
沢木の幼馴染。実家が酒蔵で日本酒を愛している。どうせ蔵を継ぐのだから在学中に自分の可能性をとことん試してやろうと思い
ゴスロリ女装をすることになる。
…………………いや、馬鹿なのか?
まず間違いなく人類が認識しなければいけないことがあるのだが、それは何か。
「中性的で容姿の整った男キャラクターに女装をさせるな」これである。いや、これしかないと言ってもいい。あまりにも明らかすぎて書籍、新聞、テレビ、あらゆるメディアで取り上げられてこなかったが故に愚かにも人は忘れてしまったのである。
なぜ中性的で容姿の整った男キャラクターに女装をさせてはならないのか?答えはシンプル、素材の良さが殺されてしまうからだ。駄文をここまで読んでくれた皆さんには今まで出会った女装経験のある男性キャラクターを思い浮かべてもらいたい。どう考えても女装前の方が可愛いでしょ。それもそのはず、女装は間違った調理法だからである。今からそれを示す……ことはできない。こちらには感情しかないのだから。
ふつうキャラクター(あるいは実在の人間でも)の容姿からなんとなく(男性性):(女性性)の比が判断できると思うのだが、女装というのは原則的かつ一面的には生物学的に男性である人物がそのまま容姿における女性性の比率を上昇させることと言える。
キャラクターが女装すると上述の比が大体2:8か1:9くらいになる。「いや、お前の言う2:8だの1:9だのってどんくらいなんだよ」と考える人がいると思うので言っておくと、自分の感覚はスーツ姿のクラピカで6:4ないくらいである。読解のために今こちらの感覚にアジャスト出来なかった人は切り捨てていく。このページを速やかに閉じて修行を積んでから再読してください。いや、やっぱり再読はしなくていいです。
で、自分が好きなのはある程度男性性の比率を確保した男なのでそもそも女装男子という存在とは反りが合わないのである。というか2次元なんて描き分けが難しいんだから服装と髪をかなり女性に寄せたら女キャラクターが出来上がるに決まっている。18禁でなければ男性器の確認もできないのに完全に女装させてしまってはわざわざ生物学的に男性である意味がない。「外見は女性で男性器が確認できなくても女装しているという事実があることによってただ女キャラクターを見るのとは異なる事態が生まれる」?うるさいうるさい!黙っとけ素人なんだから!
ガバ理論が目に見える形で崩壊しそうになったので結城蛍というキャラクターの話に戻すが、自分が『もやしもん』に対して最も怒りを覚えるのは彼が最序盤に少々活躍したところで休学、その後数巻ほど(Wikipediaによれば16話〜36話にかけて)姿を消して、こちらの中性的で容姿の整った男キャラクター見たいゲージを上昇させたのちに女装で再登場、しかも70話にわたって非女装時の姿で登場させないことである。はっきり言って生き地獄だった。一回エサを与えて放置し、エサに対する欲求を強めさせてから最後には突き落として後はほったらかし、悪質にも程がある。
そしてこれは蛇足だが、この作品は序盤と中〜後半でキャラクターの顔の描き方がだいぶ変化しており、具体的に言えばかなり目がパッチリする。このおかげで一部の女性キャラクターはかなりビジュアルが良くなるのだが、肝心の(どれほどの人間がこれを肝心なことだと考えているかは甚だ疑問ではあるが)結城蛍に関して言えば女装でブーストされた女性性にさらに磨きがかかって非女装時ですらほぼ女子である。彼の目のパッチリ度の変化は女装での初登場時には一応メイクによるものと説明されてはいるが、その後非女装で登場した際に他のキャラクターと同様パッチパチのパチであることを考えれば、やはり画風が変容したことはこの事態に大きく関係しているだろう。漫画から受け取る雰囲気に依拠する推量になるが、彼を女装させた頃から石川の非女装時を男の娘的な文脈で捉える傾向がより強くなっているように思われる。
キーボードを打ち込む指の先の熱も薄らいできた。まぁ何が言いたいかというと自分はビジュアルにおける男性性を極度に薄めた上で、その僅かに残った男性性を強調するようなキャラクターづくりは所謂性癖の観点から気に食わないのである。もっと男性性の比率を上昇させたキャラクターの良さに目を向けないか?
自分の性癖やそれに基づく主張(?)に関しては、そもそも男性が女性キャラクターを消費する際のような視点そのものを相対化できていないとか、この性癖も「男性性の一定比率の確保」に価値を見出している以上、女性性を必要条件として要請せざるを得ないとかいった論点が出てくるかもしれないが、今話したのはそういう次元の問題ではない。これは魂の表現である。私は皆さんの魂に訴えかけたのだ。
……ハッ。いや、生の話から2つの性の話を経由してきましたが、『もやしもん』は間違いなく名作であり、何かしらの事情を抱えたりしていなければこの上なく楽しめる方も多いと思いますから、機会があったら読んでみてください。キャラに関してはまぁ、1番いいキャラが満場一致で美里になることだけ覚えてもらったらいいです。僕は美里みたいなキャラにすごく好感を持ってしまうんですよね、紹介してないけど。
さて、追加で書く人もいるかもしれませんが漫トロのクリスマスアドベントカレンダー企画も今日でひとまず終了です。こんなのがトリでいいのか?
来年もなるべくいい活動ができるように頑張りたいと思います。それではみなさんよいお年を。
誰しもずっと前からやりたいと思っているが、数年もの間放置し続けていることが一つや二つはあると思う。筆者の場合は聖地巡礼(これを以てテーマ回収とする)が該当する。筆者はかつて京都を舞台にした某バンドアニメの酔狂な信者だった。どれほどかというと初めての大学二次試験終了後、彼女たちの合格シーンを見続けることで自身を鼓舞していた程である。当然落ちたが。そして、京都と聖地が近いからというのも態々関東から関西まで来た理由の2%くらいは占めていると思う。まあ結局半分くらいしか回り切れていないが。
本題はここからだ。最近筆者の中では東方projectがマイブームだ。日本古来の神道・仏教etc…を題材にしたコンテンツ故各地に元ネタとなる聖地が存在する。最も多いのが我らが神主ZUNの出身地長野だが、京都も聖地が多い場所である。
天下の東方様、ということで筆者などが2020年代にも突入して文字に書き起こさずともWeb上にはいくらでも聖地巡礼記がありふれているが、全ての聖地が網羅されているわけではない。オタクの聖地巡礼が最盛期だったのは2000年代後半~2010年代初頭だというのが私の認識だが、今も脈々と東方projectというコンテンツは拡大し続けているのである。実際調べてみると今宮神社という所は東方と所縁が深い一方で聖地巡礼の記事がない。善は急げ、というわけで行ってみた。
●アクセス
京大から今宮神社へのアクセスは市バス206番で船岡山まで行くのが一番手っ取り早い。当然だけど向きには注意すべし。(筆者は京都に5年いるのに向きを間違えた。)近くには大徳寺など有名な寺社があることもあり、近隣には敷地外にも狛犬がたっていたりする。
●楼門
いざ着いてみるとずいぶんと壮大な門である。これは楼門と呼ばれるものだが、早速東方projectとの所縁が見える。楼門は仏教由来の建築であり、唐風文化に根差したものである。東方の題材は基本的には文明開化以前の日本文化だが、中国風の舞台も出てくる。『儚月抄』『紺珠伝』は月の都を舞台とした作品だが、月の都は中国をモチーフとしており、紫禁城の様な建築物も登場する。