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京大漫トロピーのブログです

新歓毎日投稿企画【4/27】ワンワン!ワンワン!がるるるる…

どうも、2回目の登場のラマです。自分で決めたこととはいえ、ひと月に二回も書くのはクソ面倒くさいですね(当たり前)。前回宣言した通り、今回は考察(笑)ではなく適当に書いていこうと思います。しかしながら春というテーマに忠実に従うと何も書けなさそうだったので、春は出会いの季節!というわけで人と出会う漫画についてダラダラ書いていきます。

え、どんな漫画でも誰かと誰かが出会うのは当たり前だろって?



…何の話ですか?(すっとぼけ)

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さて気を取り直して、今回紹介するのは米代恭の『僕は犬』という作品。春会誌のクロスレビューで某46Bの推薦漫画ということで同作者の『あげくの果てのカノン』を読んだのだが、これがまあ面白かった。(具体的な内容は1〇6Bに聞こう!)というわけで同作者の作品に注目してはいたのだが、まあ探すのは面倒なわけで特に調べるわけでもなく過ごしていたのだが、ある日高野の古本市場に行くと、店頭の安物セール(1冊80円くらいで買える)の中に「米代恭」の文字があるではないか!

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どこにあるかわかるかな?

運命の出会いだと確信した私は迷うことなくこれを購入。家に帰ってすぐに読んだというわけだ。


さてこの作品のメインキャラは2人で、その2人の異常な関係性に焦点を当てて物語は進んでいく。

登場人物① 雲居夢子
 引きこもり中学生。主人公(後述)をペットにする。

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一見普通の可愛げな少女だが…

登場人物② 結城肇
 ②って書いたけど一応主人公(なはず)。友達代行サービスに勤めていたが、依頼者の夢子にペットにされる。

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(多分)主人公

その他 くるみさん、吉田さん
 前者は雲居家の家政婦?後者は結城の前依頼人。結城のストーカーになった。

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前者
<>
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後者

はいこんな感じ。1巻完結とはいえ全部を説明するのはだるいので、いくつかピックアップしていく。

まず冒頭、夢子に依頼された結城が彼女の家に行ったところ、彼女は学校は嫌いではないが行かないと言う。理由として

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核心をついてくるJC

ハァァァァァ………………………(クソデカ溜め息)。

いやー、まあこれは物語の性質上学校に行かないという極端な行動に移されていて現実に投影しにくいのだが、群れが嫌という意見を実に的確に表現している。キモオタ陰キャサークル・漫トロピーに入っている私も群れが嫌いだ。そもそも群れる人がいない 中学・高校の「友達といないでぼっちでいるやつは可哀そう」みたいなあの空気感!これが死ぬほど嫌だった。

うるせぇ!俺は好きで(環境的側面も少なからずあるが)ぼっちなんだよ!…と心の中でよく叫んでいたものだ。

尤も自分の被害妄想であった可能性も十分に考えられる。がしかし、昨年一人旅で広島に行ったとき、夕食を食べていたら近くの作業員風の男性グループから「あの人一人で飯食ってるww」とのお言葉が鮮明に聞こえてきたので、上記のような哀れみ・ともすれば侮蔑ともとれる感想を抱く人間は一定数いるのは事実なのである。

話を戻すが、要するにこの発言は日本に蔓延る悪しき集団主義を批判しているのである。

その後彼女は「誰だってやりたい事をやりたい時にしたいでしょ」と言っているが、我々のように義務教育修了後、高校・大学に進学するという周囲の”当たり前”の進路を歩んできた人にとっては耳の痛い話である。やりたい事を選択しているというのは幻想で、実際は周囲の”やりたいと思ってやっている”という雰囲気に流されているだけだからね。だからこそ逸脱の象徴としての留年という行為が、趣味に生きる漫トロ民の中で正当化される現象が起きているのではないか。勿論集団で行動することのメリットがないとは言わないが、この発言を通して我々がそうした社交性(同調性)を無自覚に受け入れていることに気が付くのである。


また彼女は、“友達”代行サービスの結城に対し、

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はい!喜んで!

と言い放つ。困惑してやんわりと拒絶を示す結城に対し夢子は、彼が上辺を取り繕って優等生的な(サービス提供者としての)、言い換えれば保身的な受け答えをしていることを看破し、結果として結城をペットの「チロ」として扱うことになる。結城は勿論「ああ、こんなの…、正しくないのに…」と心の中でつぶやくのである。

後日再び雲居家を訪れた結城は、家政婦?のくるみさんに夢子のペットという発想は普通でないと吐露すると、彼女は
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とばっさり切り捨てたのだ。

さて、規範に基づいた社会を生きる我々からしてみれば、社会的には言うまでもないが、倫理的観点からしてみても確かにペットという発想は少なくとも普通でないということには同意してくれるだろう。しかしこのような考え方は、結城と同じく自分が正しいと思っている”常識“の範疇で導き出された結論に過ぎない。

まさに注目すべきはこの点ではないだろうか。確かにメインストーリーの流れとして彼は彼女の考え方に染まっていくのだが、この経過における本質はその点ではないと考えている(そこを純粋に楽しむのもいいが)。彼女の対応に苦戦する彼は、業務の“基本”である「相手を否定しない、受け入れる」という言葉を確認したり、吹き出しの隅に業務上とぼやいているシーンがあるなど、あくまで彼女と仕事上の常識の上で接しようと試みているのがわかる。もちろん我々が結城の立場ならそうするだろうし、それが当たり前だと思われる。しかしそうした態度はあくまで相手を“逸脱した人”だと決めつけた上で、自身は”普通“だという前提で成立しているのである。普段相手の立場になって考えているつもりであっても、実際は自分のことしか考えていないということを示唆していると言えそうだ。

夢子はこうした本質的な発言をしてくれるので、漫画作品としてやはり稚拙で単調なところもあるが、その内容は非常に面白いのである。米代恭という作家は、人間の気持ち悪さの本質を描き出すのがうますぎる…。



さてそろそろ文章を書くのが面倒になってきたし、普通に時間も危ういのでこれくらいで終わりにしようと思う。ちなみにこの作品は、最終的に彼のM気質が露見して、彼女のペットとしての立場を受け入れていく…という風になっていく。一応そこがメインだと思うが、特に書くことが思い浮かばなかったので割愛した。どんな感じかはぜひ自分の目で確かめてね♡

明日は14〇B(たぶん)が素晴らしい記事(たぶん)を書いて有終の美を飾ってくれることだろう。今から非常に楽しみである。

わくわく、わくわく…