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京大漫トロピーのブログです

【12/5】月光条例における絵本のストーリー改変意図

こんばんは、5回目の担当のきゃべるです。
12/4の記事が妙なことになっている気もしますが気にせず行きましょう。


今年のアドベントカレンダーのテーマは「夜」。夜といえば寝物語。特に幼い頃は電子機器も持っていないのでやることといえば絵本を読む程度でした。

とまあ、そんな絵本と物語論を主題にした漫画こそ、今回紹介したい漫画『月光条例』です。

月光条例』、主人公の名は岩崎『月光』……そう、月です。タイトルに月が入っているどころか、主人公の名も月光、ラストバトルは大満月の夜、物語論を語り出す主人公、こんなにアドベントカレンダーにふさわしい漫画があるだろうか。

物語の舞台は夜。
青い月の出る日、「こんな辛い展開ふざけんなよ!?」と逆ギレヴィラン化した絵本の世界の住人たち。浦島太郎は親切にしたのにひどい目にあう最期を嘆き、シンデレラは周りから勝手に与えられる救済劇を嫌がりハイスピードカーチェイスアクションに目覚め、白雪姫は自主的に継母に反撃し毒林檎爆弾を装備して天下を目指し爆走する。(無茶苦茶か?)

主人公の岩崎月光は、彼らを力づくで倒すだけでなく、説得を試みます。そのSEKKYOUの結果、物語キャラが絵本に帰った後、微妙にストーリーが変わっている……というのが物語の定番のオチです。

この最後の物語改変というのが月光条例を賛否両論の作品にしている一因でもあります。正直現代価値観に寄りすぎた改変に寒いと感じることも数度ありました。
時に批判が多いのが『フランダースの犬』編。

「本来ならば落し物の大金入り財布を持ち主に届け無一文のまま生き絶えたネロとパトラッシュ。けれど改変後の彼らは全ては生きてこそだと、黙って金を借りてしまういます。そのまま生き延びて、画家として成功し、かつての自分のような人々の為に無料で絵を一般公開するようになったネロは、大往生して天に召される……」というオチ。
話としては面白い、けれど批判が多いのも納得のいく筋書きです。

「ネロとパトラッシュが誠意よりも生きることを選び、ラストシーンで死なないフランダースの犬フランダースの犬と言えるのか?」
この一点に尽きると思います。

死は重要な要素です。特にネロパトのラストシーンはあまりにも有名なために反対も多いのだと思います(他のグリム童話などの改変には批判は少ない)。

……しかし、私はこれについては「アリ」だと考えています。
それは、月光条例は「物語」単体ではなく「物語」と「読み手」の話であるからです。

フランダースの犬」単体のみではなく「現代を生きる子どもたちのためのフランダースの犬」を語ろう、というのが『月光条例』なのです。
物語を語る上で対象の読み手を意識することは必須です。そういう意味では、月光条例版のフランダースの犬は大いにアリです。
事実作中終盤でも媒体と読み手の変化に伴う物語の変化を肯定しています。

12巻〜19巻で判明する主人公岩崎月光の長い長い過去編により一層補強されるフランダースの犬編ですが、逆にいうとそこまで読まないと主人公が何を考えてるのかわからないのも批判を生みやすい原因かなあとは思いますが…

「可哀想な物語を救いたいと思うことは許されないのか」
「ハッピーエンドを求めるとはどういうことなのか」

この2点の扱いにおいて月光条例は素晴らしい作品だと確信しています。
全27巻、ジュビロ作品なので有名だとも思いますが、未読の方には是非。物語論でわいきゃいしたい人にはオススメです。



ところで就寝前の読み聞かせ本のレパートリーが現在の性癖の源流だという噂は本当なのだろうか。私はとっとこハム太郎図鑑でした。皆さんはどうでしたか?