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mantrog

京大漫トロピーのブログです

「君の名は。」と折り合いをつけた話・結/光

遅れました、ユーカリです。

君の名は。」と折り合いをつける話の第3弾です。

折り合いをつけたことで怒りの純度が下がり、更新が遅くなりました。めっちゃ長いのでお時間があるときに読んでください。

前回に引き続いて、プロオタクのtrickenさんから受けたレクチャーのあれこれをまとめていきたいと思います。
今更ですけどネタバレありますので未見の方はご注意。


前回は『セカイ系』作品の代表格「ひぐらしのなく頃に」を取り上げ、「君の名は。」との知られざる関係を明かしました。(みなさん驚いたことでしょう。)
mantropy.hatenablog.com

セカイ系』の文脈を深く知るゼロ年代の亡霊たちは、前記事の解釈で「新海監督おめでとう!おめでとう!」とエヴァ最終回並みの拍手を送れたのではないでしょうか。

しかし、新海誠に特に思い入れのない人間がこの作品と向き合うには、(当然ですが)もっと作品自体の構造を把握しなくちゃいけません。ヒットを牽引したファンの多くは「君の名は。」を観て「ひぐらし」を想起し「カントク〜」と感動したわけではないからです。

さらに、「君の名は。」が売れすぎているこの状況を強く憎む自分のような人間はまず、「世間の評価」という捉えがたく抽象的なものと「作品」の具体性を一旦分離して、冷静になる必要があります。血走った目は世界を歪んで捉えてしまいます。
このメガヒットに味をしめた業界人たちが、似たようなテイストの作品をこぞって作り出さないか、そんとな国で生きていけるんかね? という不安や焦燥は一旦閉じ込めて考えましょう。いまさらピーチクパーチクいったところで200億の前では吹けば飛びます。

そうしないと、君の名は。はクソ!シンゴジ最高!w」とか、この世界の片隅にが間違いなく今年一番! 君の名なんかよりこっちで感動するべき!」などと、別のヒット作品との不毛な対立争いを短絡的に繰り返してしまうことになります。それは悲しくってやりきれないことです。

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それでは、いよいよ「君の名は。」と折り合いをつけていきましょう。

まず、わたしがイラつく5つのポイントをおさらいします。

⒈脚本の穴がでかすぎて無視できない。(3年すれ違いに無理がありすぎる)

⒉キャラクター造形の端々に新海誠の自己投影、異性への理想が見えて集中できない。(瀧くんの絵描き能力、赤面しながらトイレを済ます三葉ちゃん(in瀧くん)、完璧”っぽい”奥寺先輩)

⒊キャラクターの「成熟」が描かれていない。特に、三葉ちゃんと父親との確執、地元愛の回復を投げっぱなしにしている。311からイマジネーションを受けているなら「消滅する運命にあった地方都市」の救済はもっと丁寧に描写するべきだったのでは。

⒋ストーリーの本筋に関係のないノイジーな描写が多い。削っても差し支えない描写はバンバン消していくべきだと思う。(バイト先のチンピラとか、瀧くんが喧嘩っ早い設定とかいらんだろ)

⒌こんな強度の低い作品が国内歴代興収ランキング2位ってマジ???支持してる奴ら頭湧いてんのか綺麗な絵が見てえならpixivデイリーランキング背景カテゴリでも見とけ

⑤に関してはもう折り合い済みということにして。

①から見ていきましょう。

君の名は。」の忘却性

君の名は。」を観てストーリーにモヤモヤを抱いたみなさん。

おそらく私たちは同じ溝、「君の名は。」最大の違和感に足を引っ掛けてることでしょう。せーの、

「「「なんで3年ズレてることに気づかないの!?」」」

「超常現象に巻き込まれてると気づいた時点で日付を確認して!」
「曜日がズレてることも入れ替わる時に忘れちゃうから気づかないの?」
「入れ替わり先の学校で年月日を記入するタイミングはなかったの?」
iPhoneで日記の記録をつけるんじゃなくて、LINEで双方向通信を試みたら?人生の基本でしょう?」
「瀧くん(in三葉)が初日にグーグルマップを立ち上げてたら半分の尺で済んだんじゃない?」
「瀧くん(in三葉)がニュースでティアマト彗星って聞いたらさすがに「アレっ」と思うでしょ!」
「三葉ちゃんは瀧くんに会いに行った時に「なんか幼い」とか感じなかったの?中学生瀧くんを眺める視点は瀧主観から三葉客観に移ってるといっても成長期の3年だよ?恋は盲目なの?」
「郷愁展の飛騨コーナーでは彗星について何も触れてなかったの?」
「なんで「飛騨 山岳」で画像検索した時に彗星災害の写真が一枚もヒットしないの?天安◯事件なの?」
「瀧くんは「飛騨 山岳」ではググれるのになんで「宮水神社」でググらず絵を描き始めるの?記憶のしまい方が視覚情報に超特化してるの?だから彗星のことは全然覚えてないけど記憶だけであんなに絵がかけるの?サヴァンか?」

バスタ新宿が存在する世界に住む人間に「ググれよ」の一言をかけることができないなんて。気が狂いそうだ。

この「3年すれ違いマジック」には大勢の観客が気を狂わされたことでしょう。「無理がある」と。
おそらく製作現場からも似たような指摘が山ほどあったことでしょう。「無理がある」と。
どうしたってどこかで気づくだろう、と。

それでも結局、無理を承知で瀧くんは、3年のズレをことごとく無視し、糸守町まで足を運ぶのです。
そこまで行きやっと、三葉ちゃんは3年前の彗星災害で消滅した町の女の子だったと悟る。
絶句して立ちすくむ瀧くんを見て観客は一緒に絶句ができます。「どこかで気づけよ」(瀧くんが書いてた日記のデータまで一緒に消えるのかよ)


製作陣はどんな意図をもって、瀧くんに思い出させなかったのか。
巨大な違和感を抱えた観客たちはいろいろ考えを巡らせて、辿り着くんですよね。

まぁこれはどう考えても「3・11とわたしたち」の関係を描こうとしているんだろう。

「たった3年で3・11は忘れない」という自信はみんなあると思います。
でもこれが、遠い地域の台風や火事や交通事故や殺人事件やテロだったら。自分や家族、恋人に関係のない話だったら。
被害の多寡は悲劇の指数ではありません。

瀧くんの忘却レベルが高すぎるのは、それを笑う我々に問いかけてるんです。
「じゃあ、あなたは全部覚えてるのか」と。(それでもさすがに糸守の悲劇は忘れないと思う)

過去に起きた悲しい事件や災害のことを、当事者ではなかった人間たちはいつしか忘れてしまう。
うやむやに忘れてそれぞれの日常に戻っていく。
忘れることは悪いことではなく、生きていく上であたりまえのことなんだけど、
そのできごとがなかったことになり消えていくのは寂しい。この「忘却性」を作品に昇華させると「エモさ」になります。

瀧くんは糸守のことなんかすっかり忘れたヘラヘラした状態で三葉ちゃんとの入れ替わり生活を終えて
三葉ちゃんに会いたいって動機で飛騨まで行って彗星のこと思い出して
彗星災害の死亡者リストで三葉ちゃんたちの死を確認した後初めて、「あいつの名前が思い出せない」と「忘却」にたいして恐怖を抱く。
そしてついでに思い出す、3年前三葉から組紐を受け取っていたこと。(瀧くん、覚えて、ない?)(「名前は、三葉!」赤い糸が渡され告白&入れ替わり先のマーキング完了&「君の縄」のギャグ回収)(出どころも思い出せない組紐をずっと手首に巻いてるって瀧くんマジで気持ち悪い)

「忘却」への対抗方法として三葉ちゃんは瀧くんに組紐を渡しました。好きな人のことはなかな忘れないですからね。三葉ちゃんとの関わりが「他人事の災害」を「当事者としての災害」に取り替えあの日の「忘却」を阻止する力になる。「あいつ」をわすれてしまうのかどうかのシーソーゲームです。そして必ず最後に愛は勝つ

君の名は。」が「忘却」の様子を過剰に描くのは、「大災害」を忘れさせる”悪魔的”力と「好きな人」を忘れたくない”女神的”力のせめぎ合いを際立たせるための演出であり、整合性はどうあれ、「3年すれ違いマジック」は演出的にはありうるという納得ができました。忘却っぷりがありえないほど、わたしたちへのカウンターとして働くんですね。
(イラだちポイント①折り合い)

(「この世界の片隅に」の鑑賞体験はこの「忘れてしまうこと」VS「忘れたくないこと」の構図に近いと思いました。大きなくくりとしての「戦争の悲劇」は、年を重ねるごとに戦争体験者も減り、社会全体が持つ「記憶」の濃度が薄まっていく。しかし、映画を通して「すずさん」という個人と心理的に近しくなることで「すずさんを忘れたくない(=その時は戦争の悲劇の記憶もセットで付いてくる)」となり、「戦争の悲劇」という「記憶」が薄まるのを阻止しようという力が働くように感じました。)

セカイ系の危うさ

イラだちポイント③(消滅していく都市の救済)に食い込んできます。

「災害」という悲劇に立ち向かわせるために「瀧→災害」ではなく、「瀧→三葉」という個人同士を引き合わせて立ち向かわせるのはわかりました。「忘却」の克服をそこに狙っているから。『セカイ系』らしいアプローチです。

彗星が落ちた後の糸守町を壊しっぱなしにして、町民たちを東京に住まわせる終わり方はかなり最悪だと思います。
町民があの町を選んで住んでいた気持ちをないがしろにし、自分たちの町が一瞬で消えてしまった悲しみとか一切なく、都会への憧れ、地元への鬱屈をこぼしていたさやかとてっしーはかげもなく幸せそうで、三葉ちゃんの涙は瀧くんの喪失感由来だし、ばあちゃんやとうちゃんは2度と出てこんし、宮水神社はどうなるんだ。あの美しい田舎の風景をぶっ壊しておしまい? ふざけんな

君の名は。」はヒットの法則をこれでもかと詰め込み見事大成功を収めました。
しかし、それだけの要素を詰め込んでいながら最も配慮するべき視点が抜けているように思います。
わたしには3・11を利用して金儲けをしたようにしか見えません。悲劇に対して不誠実です。
3・11を意識して作ったことを明言するなら、消滅したまちへの敬意や配慮はもっと細心を払って描くべきです。福島県内の原発周辺地域や、東北沿岸地域では、消滅するかどうかの渦中に置かれている町もあり、現在進行形の切実な問題です。
被災地だけじゃない。日本各地にある過疎地域からすればこの映画には「バカにされっぱなし」です。
「こんな田舎いやや〜」と言わせて、地元への愛着の回復を具体的に描かず、町ぶっ壊して特に郷愁もなく憧れの東京に住ませて終わるのやばくないか。
初めから終わりまでありえないファンタジーなんだ、せめて創作の中では再建に向けて奮闘する町民も描け。どうせ1200年後も同じ方法で彗星回避するんだろ? ふざけんな川村元気

この作品最大の不誠実さに関しては怒髪天です。でも、これは『セカイ系』の様式美でもあり、従来から指摘されている脆弱性でもあるんですって。

大げさに言ってしまえば、世界は主人公の意のままであり、主人公の視界に入らない人間はその存在すら認識されない。主人公と社会とのつながりではなく、当然あるべき社会理念との葛藤や他人との衝突も薄く、個人の感情の赴くままに行動し、しかしそれでも世界は救われてしまう。そこにあるのは自分とその周辺の狭いコミュニティの利益のみであり、時にそれは『独りよがり』になる。

セカイ系とは (セカイケイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

作中の悲劇は、”運命の二人”を引き立てるための装置であり、ラストのエモさに奉仕するための背景でしかない。過去の評論から『セカイ系』様式はこの”虚飾”を自覚しているそうです。
真後ろで彗星が落っこちてる状況で手のひらに「スキだ」と書く男のために、あの彗星は落ちていて、「これじゃ名前わかんないよ…」と微笑むのはデッドオアアライブの局面では最悪ですが、彗星の落下は壮大なBGMだと思えば最高に気持ちがいいことになります。マジかよ
人物にがんがんに感情移入ができるかどうか、「悲劇の背景化」を気にせず観れるかどうかが『セカイ系』作品全般を楽しめるかどうかに繋がるのかな、と思いました。

で、『セカイ系』様式の特徴とされてるポイントを眺めてみると、個人的に敬遠している、キモオタ作品へ抱いていたイメージがそのまま書いてありました。

・物語は主人公とその周辺のみで展開する。
・主人公は世界の危機などの世界規模の問題に関わることになる。
・主人公は世界の危機に向き合うと同時に日常生活も送っている。
・主人公とヒロインまたは主人公周辺の人物との関係性が世界の危機に直結する。
・主人公は世界の危機の解決とヒロインの命の二択を迫られる。
・主人公の精神世界や心情描写が重視される。

「戦闘を宿命化された美少女(戦闘美少女)と、彼女を見守ることしか出来ない無力な少年」という構図

 セカイ系 - Wikipedia

加えて、自分が気になったポイントは
・役に立つ大人が出てこない。
・役に立つ大人は主人公たちのセカイに介入できない。

自分はほんとにこういうウジウジした男がやれやれいいながら美少女に振り回されてなんだかんだ世界を救っちゃう作品が嫌いで、この手の作品の主人公に憧れて、実生活でやれやれ男を演じてる同級生の男の子が苦手でした。(得意な人間は多分いない)
わたしは「マッドマックス 怒りのデスロード」のように血湧き肉躍るような生き方をする主人公の方を望んでいるのだと思います。

今回の会合ではっきりしたことは、「わたしは『セカイ系』が嫌い」だということでした。長々書いてこれだけです。それまで漠然と持っていた「シンジくんは一人でウジウジしててムカつく」の感情に『セカイ系』という名前がついてとてもすっきりしました。

そして「君の名は。」は『セカイ系』の様式に則って作られていることも、様式の内容と共に理解できました。「悲劇」の扱い方にあーだこーだ文句をつけることは、『セカイ系』様式の作品が従来指摘されてきた弱点の再認識だったようです。

で、今まで『セカイ系』作品を楽しんでいたのはキモオタくらいだったので『セカイ系』様式の脆い部分も、評論の場で指摘はされど、ソレ込みで「イイ」とキモオタたちが築いてきたんだと思います。(90年代からキモオタやってる人たちはもうアラフォーか。)
しかし、「君の名は。」は素晴らしい作品だと感動した人たち(超巨大母数)の中には『セカイ系』が孕む脆弱性を知らずに「最高〜」と言ってる人がたくさんいると思います。

君の名は。」のポップな絵や音楽は最高品質で、ストーリーも娯楽性が高く、新海誠特有の臭みもうまく消してあり、売るために設計されてちゃんと売れている、商業映画としてはこの上なく成功した作品です。しかし、物語の美しさの裏でないがしろにされている部分、『セカイ系』の脆さはもっと指摘されるべきです。その上で評価されたほうが作品のためにも、作品を忌み嫌う人のためにもなると思いました。



東浩紀セカイ系』を定義した人)が東浩紀のポジションとして正しいことを言っている。
※安易に「定義した人」と表しましたが、厳密には「『セカイ系』と呼ばれるようになった作品をかなり早い段階で積極的に評価してきた人」(動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書))くらいの表現が望まれるようです。より「定義した人」の表現に敵う人物は前島賢セカイ系とは何か (星海社文庫))です。

残りの折り合い

セカイ系』様式の観点からもうほとんど折り合ってしまいましたが、蛇足的に消化していきます。

⒊キャラクターの「成熟」が描かれていない。特に、三葉ちゃんと父親との確執地元愛の回復を投げっぱなしにしている

父親との確執

物語前半であんなに作品の核っぽく家庭内の不和を匂わしていながらほとんど解決されずに終わるの逆にすごいですよね。
結論から言えば、父親がハイスペックすぎて、早々に三葉と仲直りすると宮水の謎の説明や危機回避フェーズが一瞬で終わってしまうので、それを避けたようです。ばあちゃんがクソほど役に立たないのも同じです。父親は住民を一瞬で避難させられる行政権を持ち、宮水神社の元神主で神事に詳しく、小説版で詳しく書いてあるそうですが、糸守という土地の謎の力をよく知る研究者でもある、壊れNPCなのです。確かにこの父親をものわかりのいいキャラにして三葉と同居させていたら、異変に気付いた父親がひとりですべて解決してしまいそうです。この「親父強すぎ問題」を解決するため、ただのキーパリングテクニックとして「父親が気難しい設定」を採用したのであって、「親娘の確執」というテーマをやる気はなかったのです。クソか。

・地元愛の回復

「地元への鬱屈」が解消される描写もほっとんどなかったですね。入れ替わり生活では東京への憧れが増すばかりだし。
クレーターの淵で生き返った時点での三葉ちゃんに、強い行動原理として働き得るのは、「瀧くんとまた会いたい」願望くらいしか提示されておらず、田舎のことは嫌いなままで、「大好きな町のみんなを助けたい」とさせる行動原理は三葉ちゃんの中にはほぼないです。”三葉ちゃんの物語”的には「このまま一人山頂にとどまって確実に生き残ろう。それから瀧くんに会いに行こう。」「嫌いな田舎を抜け出すいい口実ができた。」という選択の方が自然です。(危機回避のために走り回ってるときも瀧くんのことで頭がいっぱいです。)

正直、なぜ三葉ちゃんがあそこで住人救出のために奔走する道を選んだのか、三葉ちゃん個人の物語的にどういう行動原理が働いたのかはよくわかりません。(単純にいい子だったから、普通はそうする、というのはどうなんだろう)ここも、ラストシーンにつなげるための神による行動選択だったのでしょう。三葉ちゃんが地元大好き!お父さん今までごめんね!と抱えていた問題を解決して成熟し、瀧くんより一歩先に大人として世界に歩みだしてしまうと、瀧くんとの関係を必要とする切実さがなくなる→ラストシーンのエモさが薄らいでしまいますからね。こんなんで納得してもらえますか。だれか深く理解している人いますか。
(ムカつくポイント③折り合い)

⒉キャラクター造形の端々に新海誠の自己投影、異性への理想が見えて集中できない。(瀧くんの絵描き能力、赤面しながらトイレを済ます三葉ちゃん(in瀧くん)、完璧”っぽい”奥寺先輩)

これはもうしょうがない、完全に好みの問題です。ここを否定すると、新海誠の作家性はどこにもなくなります。しょうがない。「東京のイケメン高校生」と言われてしまえばもう瀧くんをイケメンと思うしかない。妹「今日はおっぱい触っとらんね」姉「(赤面して)おっぱい!?」というファンタジーも真顔で受け止めるしかないんです。奥寺先輩の黒ブラ。タバコとラインストーン。異性への幻想をここまで形にできるのすごいなあ。(ムカつくポイント②折り合い)

⒋ストーリーの本筋に関係のないノイジーな描写が多い。削っても差し支えない描写はバンバン消していくべきだと思う。(バイト先のチンピラとか、瀧くんが喧嘩っ早い設定とかいらんだろ)

映像作品は、アニメーションは特に、画面内に映っているものはすべて作り手が作為的に入れています。だから観客は画面の隅々まで注意深く見て、「この扉の開け閉めをローアングルで描写するのはどういう意図だろう」とか「定点カメラ好きだなぁ」とかいちいち考えながら観ています。この忙しい観客の頭の中に「男子高校生三人で木組みのカフェに行くか?」「このチンピラのくだり丁寧に描いてるけど後々復讐でもするのかな」「アナウンサーの「幸運というべきでしょう」の言い回し不自然じゃない?」「ご神体のある山の麓まで車で送ってもらったけど帰りはどうするつもりだったんだろう」「ここでパンチラする必要あるか」など余計な情報まで流すのは不親切です。ノイズは極力減らし、本当に魅せたいものが一本線になるように提示すべきです。

「3年すれ違いマジック」でさんざんツッコミを入れたのが好例ですが、「君の名は。」には必要のない、不自然な、鑑賞の妨げになる設定セリフ描写省略がめちゃくちゃ多くて鑑賞時本当にきつかったです。じゃがいも警察の傾向がある人には苦しい作品です。鑑賞後、「意味ありげに出ていたあれはほぼなんの意味もなかった」と落胆する部分も多く、「これがいい作品と評価を受けるのか…」と暗澹たる気分でした。

「神は細部に宿る」と言いますが、「君の名は。」のディテールの詰めの甘さは非常にもったいないと思います。多分どのシーンを切り取っても罵倒ができます。つつきたい重箱の隅が多すぎで箔を落としています。iphoneバスタ新宿もある「現代日本」を舞台にするなら、観客がリアリティーに対して違和感を抱きやすくなるリスクをもっと覚悟して詰めて欲しかったです。そんな些事を気にせず作品に没入できた人は本当に羨ましいです。(てっしーのオカルトマニア設定いらなくない?変電所爆発のアイディアと実効性は「土建屋の息子」で説明できるし、三葉に協力する動機は「町や親父へのうっぷん晴らし」で十分説明できるのでは?「さやちんは放送部だから」レベルの説得力しか産まれてないし削ってよかったろ?)こんなことばかり考えている。
(ムカつくポイント④折り合い)

結び

こうして、わたしは「君の名は。」に対してムカついていた部分と折り合いをつけました。
trickenさんとお話しするまでわたしは、「こんなクソみたいな映画は歴史に名を残すべきじゃない。クソを支持するファンもクソ。」と作品周辺をすべて恨み、「SNSでの言及数がヒットの要因に〜」とニュースで聞けば罵倒ツイート内にもなるべく作品名を入れないようにし、「君の名は。いいよね〜」という奴がいれば近づいていってボコボコに殴る、標的も定めず銃をぶっ放す人造兵器のようでした。しかし、『セカイ系』というヒントをもらったことで、「一体どこがクソなのか。マジで擁護できないクソはどこだ」と正しい照準の合わせ方がわかりました。お詫びとして、この記事内では意識して作品名をしつこく書いてます。

これからは「君の名は。はクソ。」ではなく、はっきり「君の名は。は嫌い。」と言えます。年内にこうして折り合えて嬉しいです。

trickenさん、8時間も喋ってくださり、本当にありがとうございました。
ここまで読んでくださった皆さんもありがとうございました。


あのtricken氏も絶賛!!100年先まで残したい珠玉のアニメーション「この世界の片隅に」を観ましょうね。映画もう観た人は原作↓を読んでからもう一度観ましょうね。

Kindleだと3巻セットで1620円!お買い得ぅ!

それでは、お元気で。


闇の勢力(=対立煽り厨)・光の評論(=白のガンダルフ

そもそも、trickenさんがこの会合で狙ったことは「君の名は。はいい作品だよ」と説くことではないんですよね。

君の名は。」を憎むのはいいけど、ヘイトを撒き散らすだけではダークサイドに落ちてしまうよ。
ここで「正しい批評」の仕方を覚えて、敵をつくらず仲間は増やし、建設的な評論をしていこうよ。
世間でいくら売れたかなんて考えてちゃしょうがないよ。自分が好きかどうかで考えるんだよ。

こんな旨の話が多分本質です。

好きな作品の話をする土壌を作りたいなら、嫌いな作品で焼畑農業をしてはいけない
、と言われました。二毛作

至極当たり前の向き合い方ですが、正面から指摘されるまで怒りで我を忘れていました。自分はすっかり闇の者になっとったが!

白のガンダルフになりた〜〜〜〜い!!!!!!!!

なれる

闇の勢力者であってもやりなおせる!
光の評論記事のテンプレートのようなものを教えてもらいました。各ポイントをそれなりに抑えればわかってる風がでますよ!
みんなも実践して光に導かれよう!
もちろん好きな作品を批評する時にもつかえるよ!

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会合当時のメモだよ!
行間を補足していきますが、trickenさんの意図した内容とはズレてるかもしれないです。ふいんきで読んでね。

プロット(物語構造)の説明…作品内で起きた因果に絡む重要な出来事を、俯瞰的に並べていきましょう。ここできちんと物語構造上の因果関係のポイントをまとめられると、作品のファンから「こいつ結構わかってんじゃん」「理解した上で批判してるんだな」と一定の理解がもらえます。むやみに敵を増やすことを防げるんですって。自分でも見落としがわかるしね。

メディア形式の紹介…映画、小説、漫画、音楽、演劇etc どの表現形式の作品なのか。「君の名は。」はアニメ映画ですね。

メディアの技巧形式としてどこが優れているのか、なにが駄目なのか、効果的なテクニックを選びとっているか。アニメ映画形式ならアニメーション、カメラワーク、声優など。ここについては批評者が持つ知識量、着眼点によって語れるものは変わるでしょう。
ex)「彗星が超きれいだった!」「雲がめっちゃインスタグラムっぽかった!」
「それまで書割りとしての背景ばかり描いてきた監督だが、元ジブリスタッフなどいわゆる”動画マン”と呼ばれる役割のひとたちが作画に参加したことで、場面転換がギャルゲー的書割り間の移動だけでなく、キャラクターが地図上を移動していることが実感出来るシーンが生まれた。」など。

様式美…(カー)アクション、(近未来)SF、(火曜)サスペンスなど、どの様式を選択しているかの紹介その様式で重視されているポイントはどこを抑えているかの説明。「君の名は。」なら青春ラブストーリー、現代日本ファンタジー、局所的ディズアスター、リア充セカイ系など要素はいろいろありますね。一番核心にあるとおもう様式をピックアップするのがよいでしょう。
そのジャンルの様式美をどれほど踏襲しているか、そのジャンル内で重要とされているピースの完成度がどこまで高められているのか。そもそも作品のテーマと選ばれた様式の親和性はあるのか。ここもやはり、批評者の様式への理解度でどこまで踏み込むかが違うでしょうね。

新様式の呈示…もし今後「君の名は。」の様式を踏襲するような、それでいて従来の『セカイ系』とはまた流れを分けるような作品群が現れてくれば、それは ”「君の名は。」以後”という標を立てて、新しい様式として、新たな呼び名を必要とするでしょう。(リア充的「ぼく」とかかな)

現代社会に対する位置づけ)…作品がどれほど社会や歴史を反映しているか、作品がどれだけ社会に影響を与えるか。社会反映論的な指摘を書ければ評論としては厚みがつくような気がしますが、多かれ少なかれ政治的な話題に発展するので、多少の炎上のリスクを背負って書くことが望まれます。


ここまでは批判対象の作品の話。丁寧に書ければ批評としてかなりのものができるでしょう。
嫌いな作品を正当性をもって批判していることの担保になります。(そのぶん嫌いな作品ほど読み込む必要があるというジレンマがありますが。難しいですね。)

そして

自分の美学との対比自分の好きな形式と様式の掛け合わせはコレなんですよ、という個人的美学の提示

ex)

・「漫画」×「百合」が好き。特に女の子同士が心通わせるときの恥じらいや戸惑いが含まれた表情が繊細なタッチで描かれていると途端に引き込まれてしまう。その点で言えば「木由子ホホホさん」の表情描写には圧倒的大正義パワーはかんじられるものの、私が百合に求める繊細さはなかった。


×柚子森さんって顔溶けてない?wwwwwww

柚子森さん 1 (ビッグコミックススペシャル)

柚子森さん 1 (ビッグコミックススペシャル)

今日は冬至ですね。柚子森さん読みながらお風呂入りましょう。

・「音楽」×「演歌」が好き。豊かな情景を情緒たっぷりに表現する歌詞と抑揚の効いた歌声を聴けば、頭の中でみるみるイメージが膨らみ、男女の悲恋や人間の情などが深くまで味わえる。他方、流行りの「J-POP」では「好きだよ」「会いたい」「震える」など、心情をそのまま直接的に歌うフレーズばかりが並び、メッセージ性をわかりやすくするためとはいえ、聞き手が好きにイメージできる余白があまりないのが残念である。


×「最近の若人は西野カナ?っていうのがイイみたいだけど自分みたいなオジさんにはちょっとね……^^; なんか歌詞も薄っぺらそう(笑)マ、若い子は短文コミニュケーションに浸かってるから安直な歌詞を喜ぶんだろうな。これもスマホ社会の弊害かな(^_^;)」 ←(安易な現代社会に対する作品の位置づけ)

・「映画」×「青春もの」が好き。とくに「サマーウォーズ」では、高校生の恋愛の結実だけでなく、家族内の確執の解消、愛別離苦、地元の誇り、電脳世界体験、世界中が一丸となって危機を乗り越えるカタルシス、少年たちの一夏の成長などの諸要素をダイナミックに、かつ盛り込みすぎを感じさせないよう巧みに描かれている。主人公の数学能力もストーリーのキーとして生かされ、神木隆之介の演技も良い。様々な面にフォーカスがあたる、大好きな作品だ。
しかし、同じ神木くんが主演を務めるセカイ系作品「君の名は。」は主役2人の関係のみに終始焦点を絞り、親娘の確執、親しい人が亡くなること、地元への鬱屈、少年たちの成長などの要素は、少し触れるだけで十分に描かれず、危機回避フェーズのカタルシスも不完全燃焼で終わる。主人公の卓越した画力も物語上での必要性を感じない。運命の相手を信じる人間にはこれ以上なく気持ちの良い作品だとは思うが、ないがしろにされていると感じる重要なテーマも多く、個人的には穴だらけの凡作のように感じた。
少年少女たちの成長がどう描かれるか、その成長が物語にどのように寄与するのかが青春ものの醍醐味だと思うので、成長・成熟を重要としない『セカイ系』とは相性が悪いのだろう。


×「君の縄。」が「サマーウォーズ」の丸パクリ超絶劣化版な件についてw(無闇な対立煽りは好きな作品まで貶めてしまうぞ!自分からは焚きつけない、他人がしていても乗っからない心がけが重要だ!

推し様式を説明するときに、具体的な作品を必ず挙げなくてもよいです(対立煽りがちになるので)。なぜ「君の名は。」を嫌うのか、作品に何が欠けているのか、作品にケチをつける理由を明快にします。「私が尊重したいとする価値へのアプローチが、この作品の様式ではこのようにおろそかになってしまっている」など作品の問題点、物足りなかった点を突くことができればよし。
「こんなクソ作品を支持してる奴らは思慮の浅いクソバカどもだ」などとバーサク状態で実体のない相手と戦うよりも、多くの人間に意見を聞いてもらえることでしょう。

単に自分の好き嫌いの問題に収めず、普遍的な欠陥を指摘できたらグッドですね。

ふう……。だいたいこんなかんじでしょうか????
15,000字近くになってきたのでもうそろそろ終わります。こんなに長くなるなら分割して前半を早めにアップすればよかった。

最後まで読んでくださった皆さんありがとうございました。
君の名は。が好きな人も嫌いな人もまだ見ていない人も、みんなが笑ってすごせたらいいですね。

それでは。よい作品体験を。