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京大漫トロピーのブログです

【12/22】永遠なんてなかったんだ

ホリィ・センです。アドベントカレンダーですね。最近手首をアドカする人よりも脚とか、親に見えないところをアドカする人をよく見ます。
テーマは「宗教」ということですが、現代日本においてこのテーマはどこか「狂信者」といったイメージを喚起させるところがあります。一方で、将来生きていくための指針;希望が見えない現代社会に物語を与えるものとして、「宗教」が見直されているような気もします。
さて、そんな風に宗教の「機能」の部分を抽出してみると、それは僕にとっては「恋」でしかありえないでしょう。恋はお互いがその関係を結ぶことに合意した甘い犯罪なのですから。

輝く季節へ

今日は僕に恋というものを教えてくれた作品を紹介します。近年ではCLANNADリトバスなどで有名(?)なKeyのスタッフが、まだKeyができる前に作った『ONE』という作品です。
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これが本気の「いたる絵」だ!

エロゲだからヒロインもいっぱいいるし、ひねくれてた僕は「メインヒロイン」というものを敬遠しがちなんですけども、この作品に関してはメインヒロインの「瑞佳」(上の画像)が唯一無二にして絶対でした。
他のヒロインも面白いんですけどね。盲目や失語、癇癪持ち?でヒロインの半分が埋められてて狂気を感じます。いや、欲望に素直なだけなのかも。「守ってあげなきゃいけない弱い女の子」という「萌え」で巧妙に隠蔽しつつ、実のところ「ダメな俺でも支配できる弱い女の子」というのが本質だと思います。
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原作ではこんなこと言ってません

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原作ではこんなこと言ってませんし、実は攻略ヒロインですらありません

瑞佳ルートについて

『ONE』はオーソドックスな学園モノで、一部では「泣きゲー」(18禁シーンではなくシナリオを重視した「泣かせる」エロゲーのこと)の元祖と言う人もいるらしいけどどうでもいい。主人公の折原浩平、世話焼きな幼馴染の長森瑞佳(みずか)、主人公の男友だち、ちょっとガサツな転校生の七瀬留美などが織り成すコメディタッチの強い作品になっている。以下ネタバレ。

瑞佳ルートではクラスメイトたちがクリスマス前(!)にくじ引きに当選した者が誰かに告白するというおふざけをする。浩平は当たりを引いてしまうのだが、冗談として流してくれるだろうと思い、告白の相手に瑞佳を選ぶ。しかし、瑞佳の答えは「う、うん…いいよ」だった。二人は恋人同士になるのだが、浩平は今までの幼馴染としての関係が壊れてしまうことに戸惑う。瑞佳は恋人として接してくるのだが、浩平はわざと早起きをして瑞佳を避けたり、手を握ってきても振り払ったりと、わざとそっけない態度を取り続け、挙句の果てにはクリスマスに会う約束をしておいて、その約束をすっぽかす。後日、浩平は瑞佳に対して電話する。「二人だけのクリスマスをやり直そう」
浩平に呼ばれて学校に来た瑞佳。浩平は瑞佳を教室に連れて行くのだが、教室は真っ暗。真っ暗な教室で瑞佳は浩平を信じて浩平の手を強く握っている。荒い息を立てながら、瑞佳の服が脱がされ始める。その手が浩平の手ではなく、他の男のものだとは気づかずに。しかし、浩平を信じて手を握り続ける瑞佳の姿を見て、気づく。自分は瑞佳のことが好きなのだ。もうただの幼馴染の関係ではいられないのだと。浩平は教室の明かりをつけ、居ても立ってもいられなくなり学校を飛び出す。瑞佳に手をかけようとしていた男と瑞佳を残して。
浩平は気づいた。瑞佳のことが好きだったということに。大好きな瑞佳に誰よりも好きでいてもらいたくて、瑞佳の優しさが自分だけに向けられるようになって、その優しさを踏みにじってもそれでも自分に与えられる愛情を実感したかった。そんな方法でしか瑞佳の愛を実感することはできなかったのである。浩平は罪の意識から瑞佳と別れることを決意するが、それでも瑞佳は自分のことを許してくれるんじゃないか、そんなことを期待してしまう……その時、瑞佳が浩平を追いかけてきた。浩平は「別れよう」と言うが、瑞佳の返答は「私は…浩平でないとダメなんだ やっぱり浩平でないとダメなんだよ」だった。二人は関係としては「別れる」が、それは関係をやり直すということだ。
……メチャクチャなストーリーである。浩平の行動は言わば、境界性パーソナリティ障害の人間が取るような「試し行動」だろう。相手の愛を試すためにわざと素っ気ない態度を取るというものだ。それが極まって、相手を別の男にレイプさせようとするというのは正気の沙汰ではない。しかし、それにもかかわらず瑞佳は受け入れてくれるのだ。これはまさに精神分析が描き出した母親と子どもの関係である。精神分析学者のメラニー・クラインの論に従えば、子どもはおっぱいをくれる良い乳房と、おっぱいをくれない悪い乳房とを分割して捉え、それらが一人の母親によるものだということが認識できていない。そして、悪い乳房に対する被害妄想から攻撃を加える。それでも母親は辛抱強く子どもの世話をする。……いつしか、子どもは母親が一人の人間であり、自分からは独立した他者なのだということに気づき、子どもは罪悪感を覚えるようになる、はずである。
この主人公のヤバい挙動はプレイヤーの「ダメな俺」という自己意識と響き合う。「ダメな俺でも受け入れてくれる」母性的ヒロインが長森瑞佳なのである。なお、瑞佳は牛乳が好きという設定があり、長森という名は森永乳業から取っていると考えられる。これは母乳のメタファーだろう。

えいえんのせかい

また、この作品は「えいえんのせかい」というファンタジー世界観があることが重要なアクセントになっている。主人公の夢の中で「えいえんのせかい」が描写され、それは捉えどころのない世界なのだが、時間が経つにつれ、その世界が主人公の現実の生活を脅かし始める。主人公は徐々に周りの人間から忘れられ始め、最後には永遠の世界に引きずり込まれ、世界から消えてしまう。このとき、ヒロインの誰のルートもこなしていないと「えいえんのせかい」に引きずり込まれることそのままBADENDとなる。しかし、ヒロインの誰かとの「絆」を深めておくことによって、主人公はヒロインだけからは忘れられることはなく、一年後の春に「えいえんのせかい」から戻ってくる。一年間待っていたヒロインと再会することでHAPPYENDとなるのである。
この「えいえんのせかい」の設定は、主人公が過去に妹を病気で失ったトラウマから作り出した虚構の世界であることが作品中から分かる。妹を失った代わりに、幼馴染の女の子をベースに作った「みずか」と共に「永遠に」生きる世界として主人公が作り出したものなのだ。これは、現実から逃避して自分の心の中にある母性的な承認の世界に引きこもることを指しているだろう。実際に「えいえんのせかい」の描写はすごくモノローグ的である。「えいえんのせかい」は子ども時代に作られたものなので、そこでの主人公の一人称は「ぼく」になり、より陶酔している感が増す。僕はONEをプレイしていた当時、この世界観に魅せられ、ゲームをクリアしてしまった後には「また、ぼくはこんな場所にいる」や「永遠なんてなかったんだ」といったゲームの一節をうわ言のように独り言で繰り返していた始末だ。今にして思えば陶酔的なナルシシズムでしかない。

セックスという「愛」の証明

また、瑞佳ルートでは他のヒロインのルートとは違って、「えいえんのせかい」の影響で明確に瑞佳が浩平のことを忘れてしまう描写が出てくる。
浩平が瑞佳と待ち合わせをするのだが、瑞佳はいっこうに現れない。二時間待ち、雨も降ってくるのだが、瑞佳がクリスマスの夜に浩平のことを待ち続けていたのを思い、浩平はびしょ濡れになりながらも瑞佳のことを待ち続ける。空腹もあり外で気絶してしまった浩平を偶然発見した瑞佳は家まで連れて行き、浩平は高熱を出して家で目を覚ます。そして、あろうことか、様子を見に来た瑞佳に対して、高熱の状態でセックスを迫るのである。これも狂ったシナリオだと思うのだが、浩平のモノローグの中では、「高熱があるという苦しい状態であるにもかかわらずセックスをするということが瑞佳への愛の証明になる」ということになっている。
また、浩平の熱が治ると、瑞佳は浩平に手袋をプレゼントするのだが、浩平は教室に着いても授業中になっても手袋をつけ続ける。瑞佳はそんな浩平に対して、「馬鹿正直」と言いながらも、「そんなところも全部含めて好き」だと言うのである。
もうお分かりだろう。浩平は結局、瑞佳を独立した他者として認識できていないのだ。愛を確かめるための「試し行動」はしなくなったものの、その独り善がりな行動は自己の理想を投影したナルシシズムからきている。しかも瑞佳が「忘れる」ことによって、主人公=プレイヤーは試練に立たされる。「見捨てられるのではないかという不安」、その試練によってわれわれオタクの自罰感情は満たされ、「ダメなぼくでゴメンナサイ」と反省しながら瑞佳=母親をただ受動的に待ち続けるのである。それでも最終的には瑞佳は母性的な態度で浩平を無条件に承認する。しかもセックスしている。
また、この母性的存在である瑞佳は「えいえんのせかい」の「みずか」と重なっていると言える。「えいえんのせかい」は主人公=プレイヤーに母性的承認を無限に与え続ける内的宇宙である。一方で、作品中の「永遠なんてなかったんだ」というメッセージは、プレイヤーに「永遠のゲーム世界はないんだ。現実を見ろ」というメッセージを送っているように見えるが、「恋愛資本主義」を批判した評論家の本田透なんかはこの『ONE』のヒロインである川名みさきを「俺の嫁」として、二次元至上主義みたいな立場を打ち出していた。まったく罪なゲームである。

しかし、今にして思うとこの浩平のナルシシズム(瑞佳ルートにのみ感じられる)が『ONE』という作品の強度を最高のものにしていると僕は感じる。そこには僕のオタク的でナルシスティックな恋愛観を固定化してしまうだけのインパクトがあったのだ。

恋=宗教について

つまりね、恋も宗教も個人個人に物語を与えるものだとしたらね、それは共同幻想ではなくて(対幻想でもなくて)むしろ個人幻想。本質的に恋;宗教は自己投影の片思いでしかないだろうってこと。それが恋の醍醐味だと思うし、フィクションに出てくる恋愛はそういうふうにして楽しめばいいと思うんだ。
漫トロに入ってから読んだ漫画でも、とよ田みのるの『ラブロマ』はすごい好きなんだけど、なんだかんだ言って理想を投影しちゃってますよ。自分の他者との距離感がおかしいこだけなのにさ、言いたいことを何もかも言っちゃうのを「誠実」という言葉で誤魔化してるだけなんですよ。でもそれがかえってむしろ恋愛の最高の醍醐味なんだなあ、そこに強度があるからこそ自分の人生に意味を与えてくれるんだなあ、と思うわけです。

ラブロマ(1) (アフタヌーンKC)

ラブロマ(1) (アフタヌーンKC)