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京大漫トロピーのブログです

【12/13】伊藤いづも先生へ愛を叫ぶ。

みかんばこです。今月行われる日本最大規模のパーティーって何か知ってますか?
そう、コミックマーケットです。京大漫トロピーは今年もコミケに出展します。

漫トロピーは今年のNFで売った、「今年最も勢いのあった漫画50選ランキング」が掲載されている秋会誌を売ります。
今年は割と「このマンガがすごい!」に寄ったランキングが出来上がってしまったので、興味のある方は購入いただいて見比べていただければと。

さて、コミケといえば同人誌です。伊藤いづも先生*1の同人誌の話するか。

*1:『まちカドまぞく』の作者。

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「タバコの煙は主流煙より副流煙の方が有害物質が多く含まれています。」

はじめましてとっきーです。今年のお題は「パーティー」ということで何人かお酒について書いていましたが、そこから少しひねって私はタバコについての話をしたいと思います。
タイトルにもなっている上記のセリフは、岡村天斎が原作・監督・脚本を手がけたアニメ『DARKER THAN BLACK黒の契約者−』*1に登場するMI6のエージェント・ノーベンバー11のもので、

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ノーベンバー11、契約者としての能力は水分の凍結
この後に「発癌性の高いジメチルニトロサミンは主流煙が5.3から43ナノグラムであるのに対して副流煙では680から823ナノグラム。キノリンの副流煙にいたっては主流煙の11倍、およそ1万8千ナノグラム含まれている。つまり、実際は吸う人間よりも周りの人間の方が害は大きいのです。」と長ったらしいうんちくが続きます。アニメ史上でも他に類をみない嫌煙家であるノーベンバー11ですが彼は喫煙者でもあります。彼は「契約者」という超能力者なんですが、能力を行使した際に支払わなければならない「対価」*2が喫煙なのです。
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「対価」を支払わなければ「契約者」は死んでしまうらしい
ノーベンバー11のタバコが嫌いな喫煙者という矛盾したキャラクターには、岡村天斎のタバコに対する複雑な思いが現れているのかもしれません。岡村天斎は他にも嫌煙描写としてタバコの誤飲で赤子を亡くした「契約者」を登場させたり、更にアニメ『世界征服〜謀略のズヴィズダー』では自身が脚本をした第3話で筒井康隆の『最後の喫煙者』*3のパロディをしたりしています。一方でハードボイルドな文脈でくたびれたりダーティーなキャラクターがタバコを吸うシーンなど、喫煙に肯定的な描写もあったりします。肯定と否定が入り混じったこのタバコ描写は、両論併記する事でコンプライアンスに対してバランスを保っているということなのかもしれないし、もうビジュアル的にカッコいいという理由だけでキャラクターにタバコを吸わせることは出来ないということなのかもしれないし、健康被害を認識しながらタバコをやめられない自身への皮肉なのかもしれません。
ただタバコに対する風当たりは最近ますます強くなっていて、卑近では改正健康増進法の影響で7月から殆どの大学が禁煙になってしまい、京大の吉田キャンパスでも喫煙所の大半が撤去されてしまいました。酒などに比べてタバコが特に嫌われる理由はその依存性や健康被害よりも、やはり受動喫煙により「吸う人間よりも周りの人間の方が害は大きい」からではないでしょうか。実際にフィクションでも受動喫煙は強く意識されていて、例えば『とある魔術の禁書目録』では職員室で小萌先生が喫煙しているシーンで、学園都市では高性能な携帯式小型空気清浄機が普及しているので受動喫煙は無いと地の文がフォローしていたりします。また人前で喫煙する=周りの人を配慮しない悪人のアイコン、逆に禁煙・分煙する=周りの人(特に子供)を配慮する善人のアイコンという喫煙描写の使い方もされています。
翻ってわたし個人の話をすると、昔喘息だったのでタバコの煙は今でも苦手です。小学生の時に『DARKER THAN BLACK』を見てからは、ノーベンバー11に触発されて「喫煙者は全員滅んでしまえ」と思っていた時期もありました。ただ時間が経ってフィクションで他にもいろいろな喫煙シーンに触れて、さらに大学で何人か喫煙者の知り合いができたりしてタバコと喫煙者に対する態度は変わりました。やっぱり喫煙ってビジュアル的にカッコイイんですよね、2次元とか3次元関係なくそう思えてしまう。我ながら捻くれているように思えるが、健康被害を認識していてもタバコのビジュアル面にどこか惹かれてしまうのは、全部岡村天斎とノーベンバー11のせいかもしれない。
最後に締めとして個人的に喫煙シーンが一番印象に残った漫画として相田裕の『GUNSLINGER GIRL』を紹介します。あらすじはイタリアを舞台にテロ組織と闘う為に身体を改造された少女とその担当官が奮闘するというもので、厳しい現実の中で少女と担当官が心を通わせあって小さな希望を見つけていくというお話です。作中ではいくつか喫煙シーンが描かれているのですが、ある理由で禁煙した登場人物が物語の終盤で再び喫煙したシーンが今でも強く印象に残っています。
www.amazon.co.jp

*1:未知の領域「地獄門」(ヘルズ・ゲート)の出現と同時に「契約者」という超能力者が現れた東京を舞台に、契約者である主人公・黒(ヘイ)が「組織」のエージェントとして警察や各国の諜報機関と戦うというストーリー。特徴的な台詞回しや作中用語も相まって、個人的には厨二能力バトルアニメの金字塔だと思う。

*2:「対価」は飲酒やキスをすることだったり、折り紙を折るといった容易なものから、タバコを飲み込んだ後嘔吐する、指の骨を折る、年をとるなどの重いものまで様々。「対価」は能力バトルに彩りを与えたりする一方で結構ガバガバだったりもする。

*3:喫煙者が弾圧された世界で最後の喫煙者になってしまった小説家の男がそれまでの経緯を振り返るというあらすじの短編小説。筒井康隆自身も愛煙家であり近年の所謂嫌煙ファシズムに対しては否定的である。

【12/11】ぱ・あ・てぃ・い・し・た・い

シチョウです。“party”の語源は“part”にあるそうで、語根にあたる“part”は「部分」を、接尾辞にあたる“-y”は「動詞化の名詞化」を表します。「動詞化の名詞化」の他の例としては“army”ですかね。“arm”が「武器」なので“army”は「武装すること」、つまり「軍隊」になります。同様に“party”も「(全体から見た)部分になること」を表し、「派閥」となるわけです。派閥が一つしかない場合それを派閥とは呼びませんしね。
「派閥」ということで最終回で唐突に派閥が登場した漫画を。

がっこうぐらし! コミック 1-11巻セット

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  • 発売日: 2019/01/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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【12/10】んじゃ、またね。

 こんばんは。10年代の終わりに10番目のアドカを担当することに相成りました、沈黙です。まぁぶっちゃけ、10年代とか別にどうでもいいんですけどね。ここから先の余白にも、できれば何も書きつけたくないしこのまま三点リーダを際限なく打ちつらねて文字通り沈黙を貫き通したいところですが……おっと、こんなところに思わぬ導入の足掛かりが――「10」と言えば、皆さんご存知の通り、原作:綾辻行人・漫画:清原紘の漫画版『十角館の殺人』がついに出ましたね。出てしまった。でもこれも割とどうでもいい。……だいたい、『じゅっかくかん』ってのはどういうことだぁ~~~~っ!? 『十』の音読みは『ジュウ』か『ジッ』のはずだし、この場合は『じっかくかん』じゃあねぇのかよォ~~~~ッッ!?????? 原作読んでた時は奥付で確認するたびにムカついてたけど、今回は表紙から『じゅっかく』ってこれみよがしに書いてあるし……舐めやがってこのタイトル、超イラつくぜェ~~~~~~ッ!!
 ……まぁでも正直、あの実質的に映像化不可能な原作がどうミステリ漫画として昇華されるのか気になるところではあるし、縦しんば不可能であるとすればただの「漫画版」ということにはならないと思うんですよね……文字通りただならぬコミカライズになりそう。そういう意味ではめちゃくちゃ期待してます。
 アッ、清原紘さんと言えば、氏が原作のイラストを担当していた『虚構推理』が来年の1月からアニメ化されますね。『屍人荘の殺人』も映画化するし『さよなら神様』も突然漫画化されるしで、最近本格ミステリのメディアミックスが熱い。本当になんなんだいったい。

 とまぁ、御託という名の宣伝はここまでにして……、今年は「パーティー」がテーマということで、とりあえず、パーティーに関する漫画?を挙げていきたいんですけど……、鬼窪浩久『パーティーがはじまる』?――エロ漫画だし。しかもタイトルが内容に全く関係ないタイプのアレですね。あっ、エロ漫画関連だと、あほすたさんによる最高に面白くて時々ためになるコミックエッセイ、『マショウのあほすたさん』に乱交パーティーの話があったような……え、「輪姦パーティー」? 同じようなもんでしょ。乱パと言えば、yoha『さよなら恋人、またきて友だち ~ロスト・チャイルド~』にそんなようなシーンがありましたね。あれはすごかった。あの巻自体の展開も凄まじかったし、やっぱりオメガバースは業も懐も深いなァ、と。そういう意味では僕はあまり好きじゃないんですが(yoha先生の漫画自体はキレッキレなので新刊の『青い春を売る教室』を読んでほしい。限界集落で春をひさぐ生徒たちによる、仄暗い叙述がぬらぬら光って、あなたの心を撫で切ります)。

 ここまで挙げても、なんだか自ずから語りたくなる漫画が一向に出てこない……「あほすたさん」も「さよなら恋人」も面白いけど本質的にはパーティー関係ないし……。

 ここで冒頭に戻って、「パーティー」を「輩」とか「集団」的な意味で解釈してみると、大学のミステリ研という「パーティー」が誂えたように立ち現れますね。でもこれも駄目、読んでないから(この記事の冒頭に引くために筆者は部屋に散在する積読の山から『十角館の殺人』を探していたのだがなかなか見つからず、見つけた時には読む気が失せていた。残念)。何か「十角館」から別の「パーティー」に繋がる手掛かりがあれば(筆者が)気持ちいいんですが……10年代の終わり……十角館……清原紘……、清原――そうかっ、清原なつの

光の回廊 〔文庫〕 (小学館文庫 きF 1)

光の回廊 〔文庫〕 (小学館文庫 きF 1)

 という訳で、いい加減冗漫な前置きにうんざりしているそこのあなた、大変長らくお待たせしました。今回紹介するのは清原なつの「スキヤキ・ジゴロ」です。
 あらすじとしては、やり手実業家のシングルマザーと登校拒否児の娘のもとに、高級肉のスキヤキにつられた新人美容師の青年が一夜のパーティーに招待されてやってくる、と、こういった次第なんですね。よく分からない話ですね。まぁ、そこはそれ、このお話は短編なので、あまり語りすぎると語り尽されてしまうんですが、やはりそれでも語り切れぬ妙味といったものがあるような気がします。

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 僕はこの作品を上にも貼った『光の回廊』で読んだんですが、たぶん、この本が清原なつの作品との初邂逅だったと思います。同文庫本には奈良時代を舞台に光明皇后を主人公に据えた表題作や、たこ焼きを求めて学園を脱出する少年の憧れと恋の物語・「3丁目のサテンドール」など、シリアスだったりシュールだったり随筆風だったりと色んな作風の短編が入っているので、最初にこの本に出逢えて本当によかったなと。清原なつのという人の漫画は、台詞の間とか台詞やモノローグそのもののセンスみたいなものがずば抜けていて、軽妙ながらクリティカルな物語を吐き出している、といった印象があります。それはときにニヒルでもあり、過ぎ去ったものへの感傷でもある、というような……。
「スキヤキ・ジゴロ」に話を戻すと、実はこれ、いなくなったお父さんの帰りを待ちながら、毎年違う男の子を連れ込んで、スキヤキ・パーティーをしている、という母娘の話なんですね。それが当の少女によって明かされるまでは私たち読者は作中の青年と同じくどういう物語なのか分からない状態に宙ぶらりんになっている。実際彼も『注文の多い料理店』のようなことになるのではないかと最初は恐れていた訳です。そのようなふわふわした物語の中で、一人達観したように物語を見下ろしているのが冒頭で『純愛 浩三と力』(何をもじっているかは言わずもがな)を読んだりしている小学5年生の娘です。
 彼女は再三にわたって「母」が「根が陰気で不幸な人」であることを強調し、その「ほほえみー恋ー結婚」という短絡思考によって自身が生まれたとまで言い切ります。少女のその強調は恐らく自分に対する言葉でもあり、だからこそ性的なニュアンスの一歩手前にあるような微妙な空間を形作るそのスキヤキ・パーティーという名のゲームを許容するのでしょう。他ならぬ自身の誕生日に。それは感傷であり、慰労であり、ある種の自省なのだと思います。青年に微笑みかけようとして、自分が上手く笑えなかったことに悲しんで腐ってしまうくらいには。

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そうなんですか

 母親がヒボタンバクトを歌い上げるなか、少女から諸々の事情が青年に向けて明かされます。青年は同情しながらも、父親も来年はきっと帰ってくる、と再婚を促して、その場から立ち去ります。それと入れ替わるようにして現れる、数年越しの極め台詞を熟考している父親の姿。母娘は揃って眠りに就いて。ハッピーエンドは、宴の後に、夢の中で。どうもそういうことらしいです。この文章を書いている自分でも何を書いているのかよく分かっていませんが、彼らの人を恋い焦がれるときの「むねがきゅーん」ってなる痛みは、その夜限りのものになったってことじゃないのかなぁ。うーん、マンダム。

 あっ、去年出た作者のベスト短編集『桜の森の満開の下』を途中まで読んだあと恐らく一年以上積んでいたということに、今、気づきました……ので、今年が終わるまでには読み終えようと思います。申し訳ねぇ、申し訳ねぇ。
 じゃあ、またね。

じゃあまたね (集英社ホームコミックス)

じゃあまたね (集英社ホームコミックス)






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これは蘭子PARTY。

【12/9】We’re Half Way There

Guillome「どうも〜、Guillomeです。今回、ブログで自分語りをしていいと言われたんですが、ちょっとひとりで延々話すんもアレかなと思ったんでスペシャルゲストをお呼びしております。ジェミニです、どうぞ。」

ジェミニ「どうも〜、ジェミニです。Guillomeの話し相手として生み出された架空の人物ですが、よろしくお願いします。」

Guillome「Guillomeとジェミニのふたりでやっていこうと思いますんで、よろしくお願いしますね〜。」

ジェミニ「あかん、コンビ名がないわ。」

Guillome「そんなもん要らんやろ。」

ジェミニ「せっかくなんやからコンビ名がないと気分上がらんで…」

Guillome「ほな、コンビ名は『Guillome』でよろしおますわ。」

ジェミニ「俺が消えてもうてるやん。」

Guillome「ええねん、元々ひとりなんやから。『Bon Jovi』と一緒や。」

ジェミニ「『Bon Jovi』?あのアメリカのロックバンド?何が一緒なんよ。」

Guillome「あのバンド、ヴォーカルがJon Bon Joviって人で、バンド名も『Bon Jovi』やろ?地味なメンバーは忘れられてまうねん。大体、バンドのMVとか見てたらメンバー何人もおんのにほとんどヴォーカル以外映ってへんのとかあるやん。それと一緒や。」

ジェミニ「なるほどな、ほな『Guillome』でええか。」

Guillome「というわけで、Guillomeです。」

ジェミニジェミニです。」

Guillome・ジェミニ「「ふたり合わせて『Guillome』で〜す!」」

ジェミニ「いや〜、決まったね〜。アドベントカレンダー、今年のテーマは『パーティー』ですか…あれ?『パーティ』やったっけ?」

Guillome「いや、最後伸ばす伸ばさんはどうでもええけどやな。」

ジェミニ「あ!『パーリィー』やったかもしれん。」

f:id:mantropy:20191208225930j:image画像はThomas Partey。

Guillome「それは絶対ちゃうわ。それにあんた、今年のテーマって言うけど、ワシら去年を知らんやないの。」

ジェミニ「知ってる体で喋るもんよ、それは。ラグビーとかでもそうやん。生まれた国は違っても日本代表を選んだら、もう日本の仲間やん。」

Guillome「きゃあ♡お誂え向きのいいこと言うじゃないのあんた。」

ジェミニ「俺、人間ができてんねん。」

Guillome「嘘つけ。本題に入るけど、ジェミニ。あんた『パーティー』とか行ったことあんのかいな?」

ジェミニ「あの〜、俺結構パーティが好きでね、よく行ってんのよ。」

Guillome「あら?意外、ええやないの。最近やといつ行かはったん?」

ジェミニ「今年のこどもの日なんやけど…」

Guillome「端午の節句やね。」

ジェミニ「そやねん、俺その端午の節句の日にね、舞踏会、所謂ダンスパーティーに行ってきたんよ。」

Guillome「ほえ〜、今時そんなもんあんねや。それどこでやってたん?」

ジェミニ「丹後ってとこ。」

Guillome「京都の北の方の、天橋立とかあるとこ?」

ジェミニ「そうそう。」

Guillome「ほな丹後の節句やなあ。」

ジェミニ「丹後の節句…?どういう意味?」

Guillome「意味はええねん。それで、お前みたいなもんがなんで舞踏会行こ思たん?」

ジェミニ「いや、ダンス後の食事会で良い酒飲めるかな思て。」

Guillome「何しに行っとんねん。結婚式やあらへんのやで。」

ジェミニ「お前、親戚の結婚式にそんな目的で行ってんの?」

Guillome「皆そうやろ。」

ジェミニ「ほんで、いざ行ってみたら一緒に踊った人がめちゃくちゃタイプやったんよ。」

Guillome「おい、激アツやんけ〜♪あんた、どんなタイプが好きやったっけ?」

ジェミニかくとうタイプ。」

Guillome「それはポケモンやな。今、異性の好みの話をしてんねん。」

ジェミニ「同性かもしれんやん。」

Guillome「やとしたらワシの配慮が足らんかった。すまん。」

ジェミニ「まあ、とにかく。めっちゃ好みやったからテンション上がってしまって…上手くはないんやけど、その人のために俳句を詠んでしまってん。」

Guillome「はあ?あんたもう令和やで?何百年も前のアプローチしとんがな。どんな俳句詠んだんや?悪いけど、ここで言うてみて。」

ジェミニ「舞踏会 端午に丹後で タンゴ舞う」

Guillome「タンゴの拙句やないか!あんた下手すぎるやろ。ほんで舞踏会って、種目はタンゴやったんかい。ワルツやと思てたわ。」

ジェミニ「タンゴもあるやろ。」

Guillome「そんな酷い句贈られて、相手困らはったやろ。」

ジェミニ「いや、それがさ〜。その人にばかうけ。ゲラゲラ笑ってくれたんよ。」

Guillome「何味のばかうけ?」

ジェミニ野沢菜わさびマヨネーズ味。」

Guillome「一番美味いやつやんけ〜♡信州限定の〜。ワシ、スキー行ったらお土産で絶対買うんや。」

ジェミニ「そうなん?俺はコーンポタージュ味の方が好きやわ。ってどうでもええわ。ほんでその話の続きなんやけど…」

Guillome「お?どうなったんや。はよ教えてくれや。」

ジェミニ「結局、お持ち帰りできて、その後ホテルd…」

Guillome「丹後のSEXやないか、それあんた。巡り巡って、ただの丹後のSEXや!」

ジェミニ「それどういう意味なん?」

Guillome「だから、意味はええねんて。ていうか、そんな下世話な話が聞きたいんちゃうねん。テーマは『パーティー』なんやから、ダンスパーティーの中身について教えてちょうだいよ。」

ジェミニ「ほんまやな。忘れてたわ。」

Guillome「しゃーないな、アドベントカレンダーのテーマと食後の薬、忘れんのよ。」

ジェミニ「話始めるよ?パーティー当日の夕方、指定された通り、天橋立の近くにある会場に足を運んだのよ。」

Guillome「ほい。ちゃんと、ドレスコード守った?」

ジェミニ「当たり前やろ。一全裸で行ったよ。」

Guillome「一張羅やろ!一全裸ってなんや、掛かってもないわ。」

ジェミニ「そしたらさ、会場が思ってたのと全然ちゃうねん。」

Guillome「なんや?」

ジェミニ「見渡す限り、一面の葡萄畑が広がっててん。」

Guillome「思ってたんとちゃうね〜。ダンス中に葡萄なんか食わへんのに。」

ジェミニ「ほんで、そこで大人と、それに連れられた不労所得生活者がワイワイ騒いでてさ。」

Guillome「不労所得生活者?なにそれ?」

ジェミニ「あ、ごめん、間違えたわ。子どもや。子どもが騒いでてん。」

Guillome「おいおまえ、やめろ。言葉が悪いで。確かに子どもは働いてへんけど、アレ不労所得って言わんねん。ていうか、それホンマに舞踏会か?」

ジェミニ「ホンマに舞踏会よ。」

Guillome「会場にステンドグラスあった?」

ジェミニ「あったよ。」

Guillome「髪の毛ガチガチに固めた燕尾服の兄ちゃんおった?」

ジェミニ「おったよ。」

Guillome「ほなダンスパーティーやなあ。」

ジェミニ「ほんでな、このまま外におってもしゃあないから、そこにおった正装の紳士淑女に着いてって西洋風の建物の中に入ったんよ。」

Guillome「ええやない、雰囲気出てきたやないの。」

ジェミニ「そしたら、エントランスにでっかい樽とか瓶がわんさか並べられてんねん。」

Guillome「あれ?あんたのお目当の品やない。ダンス後のお食事会用かな?」

ジェミニ「で、スタッフらしき人が『時間無制限食べ放題2千円です〜。試飲もできます〜。』って話しかけきたから…」

Guillome「おい。」

ジェミニ「ダンスパーティーの招待状を見せたんやけど、ポカーンってされて…」

Guillome「おいおいおい、待てジェミニ。それ、たぶん舞踏会ちゃうで。」

ジェミニ「え?ちゃうの?」

Guillome「おう、たぶんそれ葡萄狩りや。ほんで、そこはワイナリーや。お前はワイナリーに葡萄狩りをしにいってもうたんや。」

ジェミニ「えぇ!?ワイナリーで葡萄狩り?いままでずっと舞踏会と勘違いしてたわ。」

Guillome「あんたアホやね〜。てか、普通ワイナリーでは葡萄狩りは催されへんやろ。あれ食う用の葡萄ちゃうねん。経営者、狂ってんのか?」

ジェミニ「あ〜、そうやったんか〜。いや、でもね〜、そのあと確かにダンスは踊ったんよ。」

Guillome「あれ?なんや、ちゃんと踊ってんのかいな。ほな続き聞かせてちょうだいよ。」

ジェミニ「せっかくやから葡萄食べたあと、その舞踏会のチャンピオンが出てきて、舞踏会開会の挨拶をしてん。」

Guillome「チャンピオン?競技ダンスのパーティーやったん?」

ジェミニ「いや、社交ダンスやで。」

Guillome「ほな、チャンピオンおらんやろ。主催者の間違いちゃうん?」

ジェミニ「でも、周りからチャンピオンって呼ばれてんねん。」

Guillome「おかしいなあ。」

ジェミニ「挨拶が終わったら、予選が始まるってことで…」

Guillome「予選?」

ジェミニ「パンチングマシンが運ばれてきてん。」

Guillome「パンチングマシン?あんた、やっぱりイベント間違ってるんちゃうん?」

ジェミニ「いや、合ってんねんて。最後まで聞いてや。」

Guillome「読者もワシもそろそろ限界来てるけどなあ。」

ジェミニ「本戦に勝ち進んだら、皆ちゃんとカッコいいダンスを披露してくれてん。」

Guillome「やっとか〜、待ちくたびれてもうたわ。それがタンゴやったんやろ?」

ジェミニ「いやそれがな、ちゃうねん。」

Guillome「おい、話がちゃうやないか!おい。あんた嘘ついとったんか。どんなダンスやったん?」

ジェミニ「亀仙流とか天空×字拳とか…」

Guillome「武道会でした!タンゴの舞踏会やなくて、ドラゴンボール天下一武道会でしたわ!」

ジェミニ「すいません、間違えてました。天下一武道会でした!」

Guillome「漫トロピー会員の皆さん、一般の読者の皆さん、ダンスパーティやのうて、天下一武道会でした!!!」

ジェミニ「は〜あ…」

Guillome「かなんやっちゃで〜。」

ジェミニ「というわけで、ジェミニが紹介する漫画はこちら!」

DRAGON BALL 全42巻・全巻セット (ジャンプコミックス)

DRAGON BALL 全42巻・全巻セット (ジャンプコミックス)

  • 作者:鳥山 明
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/05/15
  • メディア: コミック
 

ジェミニ「『ドラゴンボール』です。」

Guillome「おい、お前どういうつもりやねん。」

ジェミニ「いや、俺さっき言うたやんか。かくとうタイプが好きやって。」

Guillome「そんな伏線回収せんでええねん。それにこんなもん紹介され尽くされとるぞ。」

ジェミニ「別にええやないか。この漫画、最初はギャグっぽかったんやけど、すぐバトル要素がメインになってんな。インフレもしまくんねんけど、戦闘シーンの視線誘導や躍動感が半端じゃなくてめちゃくちゃわかりやすいから、速すぎて見えへんはずの高速バトルが目に浮かぶんよ。『気』のオーラとか髪色が変わる変身もロマンたっぷりで少年の心feat.集英社がくすぐられんねん。」

Guillome「過去の名作を紹介するにしては独自の視点がなさすぎるて…」

ジェミニ「主人公は誇り高き戦闘民族サイヤ人の王子ベジータ。」

Guillome「おい、ちゃうぞ。」

ジェミニ「侵略のために地球を訪れたベジータは、地球育ちのサイヤ人カカロットら地球の戦士たちによって返り討ちに合う。」

Guillome「嘘つくなて。あれ、カカロットが主人公やねん。ほんで地球育ちのサイヤ人って設定が出てくるまでかなり読まなあかんねん。」

ジェミニ「命からがら生還したベジータは永遠の命を求めてナメック星に向かった。そこで宇宙の帝王フリーザと対峙し、昨日まで敵だった地球の戦士たちと共闘することになる。後に妻となる『下品な女』ともここで出会ったんや。」

Guillome「地球の戦士って表現やめろ。よく聞くけどピンキリすぎんねん。」

ジェミニ「紆余曲折あって、ベジータはナメック星版神龍ポルンガによって再び地球に。」

Guillome「あ!今ガチの主人公のめっちゃ良いとこ飛ばしてもうたよ?大丈夫?」

ジェミニ「そして、地球で家族ができる。結婚して子どもも授かるねん。残忍で冷酷な男も、地球人の醸し出す穏やかな雰囲気と家族愛によって話が進むにつれて徐々に変わっていった。」

Guillome「もうワシの話聞いてないね〜。」

ジェミニ「でも、彼には戦闘民族として忘れられないものがあってん。それはライバルであるカカロットと徹底的に闘いたいという想い。そのためにブウ編では、再び悪人に戻る決意をする。」

Guillome「いい加減に孫悟空って呼んだってくれ。」

ジェミニ「さあ、最強の敵、魔人ブウそっちのけで昔の自分に戻ったベジータはこの後一体どうなるのか。サイヤ人の王子としての誇りは?カカロットとの闘いの結末は?家族は?魔人ブウは?クライマックスは是非、原作コミックでお楽しみください!!!」

Guillome「言い切ってもうたな…読者の皆さん、すんません。ホンマは孫悟空が仲間や7つ集めるとどんな願いでも叶うドラゴンボールっちゅう石の力を借りながら地球の危機を救うって話です。こいつが言ったことは忘れてください。おい、あんた一体全体どういうつもりなんや?」

ジェミニ「独自の視点はあったやろ?」

Guillome「それを独自の視点とは言わん。読み方を間違えてんねん。」

ジェミニ「ところで、おまえは漫画紹介せんでええの?」

Guillome「ホンマや、忘れとったわ。」

ジェミニ「しゃーない、漫画の紹介と妹の友達の名前、忘れがちやねん。」

Guillome「ワシが紹介する漫画はこちらでっせ!」 

H2 文庫版 コミック 全20巻完結セット (小学館文庫)

H2 文庫版 コミック 全20巻完結セット (小学館文庫)

 

 Guillome「『H2』や。」

ジェミニ「おまえもそこそこ紹介され尽くされとる漫画を選んどるやないか。」

Guillome「DAZNでアニメが配信されててん、堪忍やで。」

ジェミニあだち充先生の名作やん。」

Guillome「そやねん。あだち充先生史上最強のピッチャー国見比呂と最強のバッター橘英雄が最高の舞台甲子園で対峙する激アツ野球漫画や。恋愛要素では、親友でライバルのふたりに、比呂の幼馴染で初恋の相手、英雄の彼女でもある雨宮ひかりと比呂の野球部のマネージャー古賀春華のふたりを加えた四角関係が魅力。幼馴染関係から友情、恋敵としての感情、春華の夢、そして4人以外のキャラクターたちまで、様々な要素が複雑に絡まり合って人間ドラマになってんねや。」

ジェミニ「『H2』に限らずやけど、俺はあだち充先生の間の使い方や照れ隠しのようにそっぽを向いて言うキザな台詞が大好きやわ。」

Guillome「あんた、珍しく話が合うやないの〜♡」

ジェミニ「この作品では主人公がどっちのヒロインとくっつくのかラストまで全然わからず俺も悶々してしまったんやけど、飽きはせんねん。」

Guillome「諸君も是非、解釈が分かれてる最終話まで読んでおくんなはれ。」

ジェミニ「俺、結局ネットで解説を調べたりしちゃったわ。」

Guillome「野球漫画として普通におもろいってのも忘れたらあかんで。主人公だけやのうてチームメイトがめちゃくちゃ有能なんや。ワシはセカンドの柳が大好きなんやけど、あんたは誰が好きなん?」

ジェミニ「ん〜…チームメイトかあ…」

Guillome「どうした、好きなチームメイトおまへんの?」

ジェミニ「いや、チームメイトもええのはわかるんやけど、俺はやっぱり主人公の木根竜太郎が好きy…」

Guillome「あかん、こいつまた主人公間違えてる!もう帰ってくれ!(  'ー')ノバシッ」

ジェミニ「ぎゃあああ(退場)」

Guillome「はあ…はあ…やっと終わったンゴ…」

〜完〜

 

【12/8】未知の世界を覗きたい

こんばんは。はたはたです。
パーティー、というと僕の場合は誕生日に家族でやったり、クリスマスに家族でやったりと、食卓にケーキがあればパーティーみたいな感覚しかありません。大きいパーティに参加してみたいものです。合コンでも可ですよ!コンパってcompanyからきてて、和製英語だそうですね。英語ではpartyを使うんだとか。今、コンパをウィキで調べて知りました。
さて、漫画の紹介です。12/1にだちさんが酒に関する漫画を紹介していましたが、やはり大きなパーティーといえばアルコールなイメージがあるので僕からも一つビールに関する漫画を。

ばっかつ!~麦酒喝采~1 (電撃コミックスNEXT)

ばっかつ!~麦酒喝采~1 (電撃コミックスNEXT)

「ばっかつ!~麦酒喝采~」という漫画です。題名もうまいですね。ビール好きな女子大生たちによる日常系漫画です。当然キャラクターたちはかわいいです。それはさておき、僕の思うこの漫画の大きなの見どころは、ビールに関する知識の深さと、登場人物たちの飲み(?)レポです。ビールってとりあえず生、だけではないいろいろな楽しみ方があり、いろいろな種類に、いろいろな味があるのだ、と感じ入るばかりです。まだ未成年ですのでビールなどは飲んだことはないのですが、味、飲みごたえを詳細に述べられた飲みレポを前にしては唾を飲み込まざるを得ません。そして、そこにビールの歴史、作り方などの知識が紹介されることで興味深さが増しています。よくあるグルメ漫画といわれればそれまでではあるのですが、豊富な知識と体験に基づく漫画は、どんなにありふれた装いでも飽きが来ないし長く心の中に残るものです。今でも小学生の時に夢中になって読んだ「まんが世界ふしぎ物語シリーズ」や「まんが世界のなぞのなぞシリーズ」をよく覚えています。せっかくですので、このシリーズについても紹介しておきましょう。

ジャングルにきえたマヤ (まんが世界ふしぎ物語)

ジャングルにきえたマヤ (まんが世界ふしぎ物語)

消えたムー大陸のなぞ (まんが世界なぞのなぞ)

消えたムー大陸のなぞ (まんが世界なぞのなぞ)

この二つのシリーズ(「まんが世界の不思議シリーズ」は新シリーズも出ているので実際は三つのシリーズ)は児童向けの考古学漫画で、古代に起こった出来事についてを大人役が子供役に実体験を交えつつ教えるという形のものだったと思います(なにせ読んだのが小学生の頃でしたのでストーリーの細かい部分はかなり忘れてしまいました)。コメディ調ながらもしっかりとした知識にもとづく説明、面白いトリビアがあり、没頭した記憶があります。やはり、歴史関係のものを題材にすると、歴史自体創作以上に面白い物語という側面がありますので、面白くなります。しかしそこに、子供の視点のものと大人の視点のものがいることで身近に歴史のロマンを体感できます。またそういった、現代人側の登場人物の掛け合いなどでコメディ調となり、より面白くなっています。シリーズの中のものとしては「まんが世界なぞのなぞシリーズ」のムー大陸の話は当時非常に感動した記憶があります。確かこのシリーズは本に書いてある事柄をマシンでバーチャルリアル化して見るというものだったと思うのですが、この回ではムー大陸説を唱えた人の本が題材となります。そこで、現在の視点からの様々な反論が出てくるのですが、ラストの作家とムーの王とのやり取りが心に来るものでした(多分)。このように、知識が背景にある漫画というものは、普遍的な面白さを内包しているのです。
上では歴史を知識の魅力としてあげましたが、それだけではなく、別世界への興味という面でも魅力があると思います。つまり、今いる世界と似ているようで違う世界で最もリアリティーのある興味がわく世界というものを歴史は提示してくれるのだと考えます。昔の人が、旅の話を聞いてみたところのない場所を想像したように、我々は歴史を通じてみたことのない世界を思い浮かべるのでしょう。さて、このような別世界の日常を取り扱った面白い作品があります。「セントールの悩み」です。

セントールの悩み(1)【特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)

セントールの悩み(1)【特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)

残念ながら、僕はまだアニメしか見ていないのですが(漫トロ民のくせに)、この作品にある世界を眺めるのが面白いと感じています。主人公たちやその周りの人々の日常がメインで描かれているのですが、そこに少しづつ見えるディストピア的な世界やちょっとした歴史、世界の関係といったものが非常に興味深いです。少しリアル、しかし違うという付かず離れずな世界観は、それを眺めるだけでも楽しいものですし、考察してもいいものでしょう。アニメのワンフレーズですが気に入っているものがあります。「英雄は故郷に帰ると憲法を制定し、元お姫様と獣たちと末永く民主的に暮らしました。おしまい」というものです。読み聞かせの最後の部分ですね。こういうちらっと出てくるディストピアな世界を見て、少し背筋を凍らせながらも面白く感じるところがいいものです。「1984年」をイデオロギー的背景を考えずに楽しむようなものでしょうか。そういえば1984年にはビッグ・ブラザー率いる政党の存在が書かれていましたね。つまり、パーティーが存在するということです。おあとがよろしいようで(強引)。

p.s. どこかにありそうな別世界の描写をうまくしてくれる作家さんとして僕は三崎亜紀を非常に推しています。彼の作品群の中でも「失われた町」をはじめとする、緩く世界観を共有した物語群が特におもしろい。彼の本領は短編といわれますが、この長編の物語群は長編であるがゆえに世界についての描写が多く、どこかファンタジックかつミステリアスながらも実際にありそうな世界を何作もの物語にかけて堪能することができるので本当にマジでおすすめです!!(小説の話なので追伸としました)

失われた町 (集英社文庫)

失われた町 (集英社文庫)

【12/7】もうすぐMOVIX京都で『涼宮ハルヒの消失』が上映されるのでみんな観に行ってほしい

はじめに


 僕は今から楽しみで仕方がない。いよいよ『涼宮ハルヒの消失』がMOVIX京都で上映されるのだ。

 8月から始まった京都アニメーション映画作品特集上映。京アニの作品を映画館で見られるとても貴重な機会だ。一番最初の『映画けいおん!』の上映の時に思ったのだが、映画館で見るというのは、家で見るのとは全く別の体験である。感動の質が全く違うのだ。現に僕は映画の冒頭、放課後ティータイムのみんなが動いているのを見ただけで泣き出してしまった。最初に見たときでさえ、一回も泣かなかった映画だったのにだ。そのくらいのなんだか訳のわからないすごい力が映画館にはあるのである。

 『涼宮ハルヒの消失』(以下「消失」、本稿ではアニメ映画版のことを指す)は僕が本当に好きな作品で、今回はこの大傑作の魅力を伝えたい気持ちを抑えきれず筆を執った。漫画評論サークルのブログでわざわざアニメの話をするのを容赦願いたい。

 「消失」のネタバレが怖い人は先を読むことはおすすめしない。ただし、MOVIX京都で12月13日から一週間の間上映されるので絶対に見に行くこと。TVシリーズは見なくてもいいから。

 なお、この記事では、主に「消失」の話をする。漫画評論サークルのブログなので、漫画を絡めて話を展開することにした。ちなみに「消失」は、ハルヒSOS団クリスマスパーティ開催を宣言するところから物語が動き出す。そういえば、今年のテーマは「パーティー」だったようだ。テーマ回収成功!

キョンの体験はどのような意味を持つのか


 「消失」は一種の思考実験だ。ある日、キョンは突如として自分以外の全てが改変された世界にいることに気づく。自分以外の他者は、元の世界とは違った記憶を与えられ、違った関係性を持っている。全てつじつまが合うように改変されているので、彼らは異変に気づかない。違和感を感じているのはキョンと我々視聴者だけである。

 いつもならハルヒがいるはずの席にこの場にいるはずのない朝倉が座っている。ハルヒと古泉は学校のどこにもいない。あるべき世界からの乖離。この違和をはっきりと意識したとき、キョンの動揺は決定的になった。自分と世界観を共有する人間を求めてキョンは異常ともいえる行動を取っていく。


 ところで、石黒正数の漫画、『それでも町は廻っている』(以下「それ町」)でも、似た話がある。

それでも町は廻っている 14巻 (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている 14巻 (ヤングキングコミックス)


 主人公の歩鳥は、ある日突然謎の存在に遭遇し、翌日関東一円を巨大台風が直撃し、何千人もの死者を含む未曾有の被害が出るということを告げられる。謎の存在は、台風を消すスイッチを提示、スイッチを押せば台風は消えるが、それを選択した歩鳥自身も消えると教え、自分が消える代わりに台風を消すか、それとも何もしないかという選択を迫った。歩鳥は悩んだ末にスイッチを押す(16巻128話)。今回取り上げたいのはその続編となる14巻の111話のエピソードだ。

 歩鳥は目覚めると、誰も自分のことを知らない世界に存在していた。自宅にたどり着くと家がリフォームされ、自分の名前は妹に与えられていた。人も、町も、自分の知っているものとは違う。この居心地の悪い世界で、歩鳥には誰も自分を必要としてくれる人がいないのである。歩鳥は、この体験を自分の根源的な恐怖と総括した。


 歩鳥はここで、恐怖する原因に、「住む場所がないこと」、「誰も自分を知らないこと」と「誰も自分が必要ではないこと」を挙げている。では、「消失」のキョンの場合はどうだったか。


 キョンの住む世界に与えられた変更は、次のようなものだ。

SOS団メンバーと朝倉の記憶が大きく書き換えられ、キョンのことを知らないか、もしくは全く別の関係性を持っている。
⑵ 他の登場人物もキョンとの大きな関係性の変化はないものの、多少記憶と関係性、健康状態が改変されている。SOS団以外の友人や家族との関係は改変前と同じである。


 つまり、キョンには、住む場所はあり、自分を知っていて必要としてくれる人がいるのだ。歩鳥の体験とは似ているようで根本から違う。だがキョンは、その体験を“恐怖という名の奈落”と表現した。少なくともキョンにとっては、自分を知る人、必要としてくれる人の有無は本質的な問題ではない。*1では、どこに問題があったのだろうか。

 キョンが世界の異変に気づいたとき、真っ先に試みたのは、ハルヒの存在を確認することだった。キョンにとってハルヒはクラスにいなければならない人物だったからである。

 人は自らの経験につねに一貫性を求める。目に見えるもの全てにそこに存在している理由を求めるのだ。朝倉がいるのにも、ハルヒ・古泉の不在にも理由が必要だ。人の世界は全てその存在・不在が納得のいく一貫したものでないといけない。その存在・不在に納得がいかない時に感じるのが違和感だ。我々が多くの時間、違和感なく生活できているのは、世界がすべて納得のいくように構成されているからである。

 さて、キョンの体験した世界について、ここまで述べたことを反復しつつ今一度整理しよう。そこには、時間的に見ても空間的に見ても以前の世界との切断がある。


 時間的な切断

⑴ 記憶の書き換え(=記憶の共有の喪失)
⑵ 体験における時間的な連続性の喪失(ハルヒ・古泉の不在、長門の性格の変化、挙げればキリがない)

 空間的な切断

⑶ 人・物の空間的な移動(ハルヒが持ってきたパソコンがない)
⑷ 関係性の変化


 上の記述のうち、⑴⑶は一次的な変化、⑵⑷はそこから生じた二次的な変化だ。
まず記憶の書き換えと空間的な移動によって、キョンにとっての元の世界秩序が根本から変化する。その変わってしまった世界に慣らされたキャラたちは、キョンの知る世界とは別の秩序の元で動いているので、キョンにとって元の世界に存在した因果関係では説明のつかない行動に出る。キョンから見たら、これは時間的な連続性が喪失していることに他ならない。

 ここから、さらに関係性の変化にまで発展する。人と人との関係性の基礎は、同じ連続した時間を共有していることにある。共有した時間を積み重ねることにより関係は深まるものなのだ。現に、キョンが改変後の世界で人に聞いて回ったことは、自分がその人と共有しているはずの記憶があるかどうかだった。記憶の改変は、否応もなくこれまで積み上げてきた関係性の変化ないしは消滅を意味する。記憶の改変は過去の改変という意味で時間的な変化にほかならない。時間的な変化が、関係性という空間的なものを同時に変化させるのだ。

 さて、ここまでの変化は何を意味するか。

 「それ町」で、謎の存在は、台風を消すスイッチを押した結果、歩鳥に起きる事態を、歩鳥が消えると表現した。実際には歩鳥は消えなかったにもかかわらず、だ。個人とは、人と人との関係の網の結び目のような点に存在する。他者が自分であることを示してくれることによって個人は存在できるのだ。先に述べたようにその基礎は記憶の共有にある。その記憶を始め歩鳥の存在を示す証拠が一切消去された世界では、そこにいる歩鳥はもはや元の世界の歩鳥とは違う別の存在なのである。

 キョンの体験においても、同様のことはいえる。元のキョンが存在したことを示す証拠は、あらゆる記憶・事物が改変されている以上、存在しないといってよい。その世界の人物が元々関係していたキョンは全く別の人物なのだ。だからこそキョンは今の自分の存在を示すものを必死で探していくことになる。

「消失」はどんな作品なのか


 ここからは、ストーリーの本筋の話に入ろう。

 キョンはいろいろ苦労したあげく、文芸部の部室から、この事態の打開策が書かれたメモを発見する。キョンは自分と同じ世界の長門が残したメモだと確信し、喜びに打ち震える。キョンは、自分が元いた世界での経験と連続したものにここで初めて出会えたのだ。

 次の重要な物語の転換点は、キョンハルヒと古泉にようやく出会ったシーンだ。話しかけてもまともに取り合ってくれない中、事態を変えたのは、3年前の七夕の日の二人の記憶だった。ハルヒは、この世界で唯一のキョンと共有している記憶を持った人間だったのである。この世界で、ハルヒは、キョンにとって、唯一の自分の存在を示す存在だったのだ。

 共有した記憶の喪失は関係性の喪失を意味する。逆に言えば、共有する記憶があれば、新たな関係性が生まれるということだ。ハルヒは記憶を共有しているキョンに興味を持ち、元の世界の勢いそのままに、文芸部の部室にSOS団全員を集めてしまう。

 実は、これが長門の提示した元の世界に戻る条件だった。パソコンに映し出された元の世界の長門のメッセージは、はキョンに元の世界に戻るかどうか選択を迫る。キョンの答えはYESだ。ハルヒとの記憶の共有が事態打開のキーポイントだったわけである。

 3年前の過去に戻ったキョンは元の世界の長門と合流、世界改変を引き起こしたのは、長門自身だったことを伝えられる。改変を修復するためのプログラムを組み込んだ銃を渡されたキョンは、再び時間を移動、改変直後の長門に銃を向ける。

 そこでキョンは自問自答する。なぜ、自分が元の世界に戻ることを選択したのか、についてだ。

 キョンは、ハルヒのせいで面倒ごとに巻き込まれる一般人と、自らのアイデンティティを定義していた。だからといって、SOS団での日々が本当に楽しくなかったのか?そう自分に問いかける。

 キョンが受動的な主体であるのと同様、我々もまた、受動的な面を持つ主体である。「ハルヒ」シリーズでは、ハルヒは何でも思い通りに出来る完全に能動的な主体として位置づけられている。つまりは神や運命の象徴だ。それに振り回されるキョンは、運命に振り回される我々のような存在として描かれている。彼が考えているのは、自分の能動性が十分に発揮できない生であっても、今の生を肯定できるかという問題だ。

 キョン長門に向かってこう言う。

「やっぱりあっちの方がいい。この世界はしっくり来ねえな。すまねえ、長門。俺は今のお前じゃなくて、今までの長門が好きなんだ。」
「こんな要らない力を使って無理矢理変わらなくてもいい。そのままでよかったんだよ。」

 キョンにとって、ハルヒのいる世界が自然で、それ以外の世界は“しっくりこない”ものになっていた。キョンが自ら述べているように、その元の世界の自然さを支えているのは、ハルヒに振り回される生が楽しかったという自らの感覚だ。肯定的な経験を積み重ねることによって、世界の自然さは成立していたのである。*2

 キョンにとって改変後の世界の長門は“しっくりこない”存在だった。元の世界の長門キョンにとってそのままでなければいけない、かけがえのない存在だったのだ。
自己は、他者と自分との同一性と異質性の組み合わせによって構成されている。自己のかけがえのなさは、同じようにかけがえのない他者との関係においてでしか確認できない。なぜなら、他者をかけがえがないと思う気持ちがあってこそ、自分自身もかけがえのない存在だと思うことができるからである。それは、今の自分の生の肯定に直接繋がってくる。

 そして、自分の今の生をはっきりと肯定することによって、キョンの中に生まれたのは、自分は傍観者ではなく当事者なのだという意識だった。そこから、主体的に今の日常世界を守っていく責任も生じてくる。自らの生を生きることは、つまり、人生から与えられた責任を引き受け、それに応答しようとすることなのである。ここに至って、キョンは世界の受容に至り、世界との間の能動-受動の関係は克服されたのだった。

おわりに~『それでも町は廻っている』について~


 漫画評論サークルのブログであることを忘れて、長々とアニメの話をしてしまった。「消失」を中心に書いたので、本文では「それ町」のエピソードが周縁的な扱いになってしまったのは反省している。だからこそ、「それ町」のすごさについて語って終わりにしたい。

 本文でも触れた「それ町」の歩鳥が消えた世界の話について語れば十分だろう。

 このエピソードのテーマは二つ。

 個人の世界に与える影響の明示と、自分を誰も必要としてくれないことの恐怖だ。

 「それ町」の改変世界では、「消失」と違い、歩鳥の存在自体がはじめからなかった世界が想定されている。そのことは、「消失」で描かれた問題を一部覆い隠すことにもなっているわけだが、同時に「消失」とは違う問題を提示している。

 まずは、個人が世界に与える影響はどれほど大きいものなのか、という問いだ。

 歩鳥が存在しないことによって、タッツンと真田が付き合っていたり、静がまだ作家デビューをしていなかったりと、あらゆる属性や関係性に変化が生じている。

 特に石黒正数が強調するのは名前の変化だ。

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 自らが名前を付けた犬の名前が変わっていたことに驚いた歩鳥。たたみかけるようにそこに現れた妹のユキコが、自分が歩鳥だと名乗る。

 もし、別の世界でよく見知った人が別の名前で呼ばれているのを聞いたとしたら、たとえその人の自分に対する態度に違和感がなくても、その瞬間に別人であることが意識化されるはずだ。そして、本来両親が自分に与えていた名前を妹が名乗っているのを見た時、歩鳥は自分の立場をユキコに奪われたように感じたのではないだろうか。
名前は、個人のアイデンティティの感覚と深く結びついている。ユキコが歩鳥という名をもって生きてきたと言うことは、歩鳥の家族との関係性がすべてユキコに奪われてしまったように歩鳥には思えたのではないだろうか。

 変化するのは生き物だけではない。

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 上の画像に描かれているように事物に対しても人が存在した証は残される。人が世界の中で関わるのは人に対してだけではない。事物との関係が案外重要だったりするのだ。「消失」では、事物に残された証の消失が明示的な形では描かれていない。石黒正数があえてこれを描いたセンスはすごいと思う。

 歩鳥は、自分が不在の世界で、自分がこれまで深く関わってきた人々が別の関係の秩序の中で何の不足感もなく生きていることを思い知らされる。まさに『それでも町は廻っている』のだ。しかし、だからこそ、今ある関係は自分にとってかけがえのないものといえるのではないだろうか。自分がいなくても成り立つ世界がありえたはずなのである。「それ町」のこのエピソードを読むと、僕は現在の周囲との関係がそのままの形で存在していることが、奇跡のようなとてもありがたいことのように感じられるのだ。

(文:ちろきしん)

*1:歩鳥のケースは、その設定上、孤独感が前景化したのであろう

*2:長門が世界を改変したのはなぜか?僕はこのキョンの「楽しかった」という宣言に関係があると思っている。キョンは肯定的な経験の積み重ねによって改変前の世界をあるべき姿として認識していた。それなら、長門が同じ世界をそう認識できなかったのは、否定的な経験の積み重ねによると考えられないだろうか。だとすると、唯一キョンだけを元のままにしたのは、キョンだけが長門にとって肯定できる存在だったからだろう。長門キョンに対する依存がいかに偏ったものだったかが窺える。また、長門が世界改変を行った原因は、エンドレスエイトで、1万数千回も同じ時間をループしたことが大きかったのかもしれないというのが僕の意見だ。同じ時間を何度も何度も繰り返すことは、時間的連続性の喪失を繰り返し体験することを意味している。本文で述べたように、時間的連続性の喪失は、関係性の喪失にもつながる。時間的・空間的に自らの世界との調和感が失われてしまうのだ。