mantrog

京大漫トロピーのブログです

【12/21】夜は短い。一年も短い。

まるたです。
もう入トロ5年目の出番ですか。クリスマスはもう目の前に近づき、2017年も終わろうとしています。
漫トロピーも来年を見据え一回生中心の新体制に移行し、新会長をはじめ非常に積極的に働いてくれており頼もしい限り。願わくば夜遅くまで果ては朝まで残りボドゲに興じる一回生が増えると嬉しい。


さておき、本題に参りましょう。
といえば、京都大学に通う僕が紹介するにふさわしい漫画があります。
僕は森見登美彦作品の世界観に憧れて京都の大学に進学したのですが、氏の代表作の一つが夜は短し歩けよ乙女
春の先斗町、夏の古本市、秋の学祭、冬の流行り病と京都の四季を駆け抜け、いや歩き抜ける黒髪の乙女と、彼女に一目惚れし何とか気に入られようとナカメ作戦*1を実行する偏屈な先輩の物語です。
今春にはアニメ映画が公開された大ヒット作なので今更ですが、2008年にコミカライズされています。

原作小説を読んだうえでの感想で恐縮ですが、「黒髪の乙女」と言えば中村佑介による表紙絵や映画版の、素朴で知的な女性のイメージが強い。一方で琴音らんまるの描く乙女は大きなくりくりおめめが特徴的。従順な後輩らしくて可愛らしいのですが、やはり幼すぎる。彼女の珍奇な行動の数々が、掴み所のない謎めいた性格というよりも単なる幼さからくるものに感じられるのが難点。
ポップな絵柄でキャラクターがよく動いてくれるのは楽しいが、何とも動きがコミカル過ぎて、原作の味(独特の怪しげで偏屈な雰囲気や、冗長な台詞回し)が浮いて感じられてしまう。あの毒の混じった阿呆なモノローグはどこ?
良い点としてはオリジナルエピソードが多い!原作の倍以上のボリュームです。おぼろげな記憶を辿ると、休講で暇する乙女の行動を分析・推測して大文字山に登る話などは面白かったです。原作エピソードも学祭編でプリンセスダルマを演じる乙女の表情の見事なこと。原作とのギャップはありますが、女の子が可愛いし漫画版の世界観は完成しているので大学生のコメディ作品として読めば楽しめるのではないでしょうか。
そういえば、2年前だか3年前だかのNFで黒髪の乙女のコスプレをした女性がいましたね。緋鯉を背負い、達磨を首飾りにし、様々なブースを歩き巡る姿はNFにおいてもひと際目を引く存在でした。


これだけでは寂しいのでもう一つ。
といえば、見る将の僕はAbemaやニコ生で将棋中継をよく観ます。今年の将棋界は史上4人目の中学生棋士である藤井四段のデビュー・連勝記録に始まり、加藤一二三九段の引退、羽生棋聖竜王を獲得し永世七冠の資格を得るなど話題に事欠かない一年でした。
今年の漫トロでは棋士の対局時の食事に注目した『将棋めし』が流行り、僕も個人寄稿で「将棋漫画十選」とか書いてたのですが間に合いませんでした。糞座談の校正が長引いたのが悪い。そこで没原稿を引っ張り出して漫画を紹介します。「棋士には月下の光が良く似合う」という名言を生んだ作品、『月下の棋士』。

昭和の大棋士・御神三吉の紹介状を持参して将棋会館を訪れた青年・氷室。圧倒的棋力を見せつけて奨励会に特例入会した氷室は、御神三吉がタイトル戦で用いた幻の戦法「端歩突き」で将棋界に旋風を巻き起こす。神を自称する名人滝川や新世代の天才佐伯を始め、一癖も二癖もあるライバル棋士を相手に、最強の棋士を目指す青年の物語。――ここまであらすじ。
能條純一による不朽の名作です。入会当初は圧倒的な強さを見せつける一方で精神的な幼さを感じさせた氷室が、棋力も人間力も高い難敵と戦うことで、更に脆さを見せながらも、じっちゃんと自分の将棋を信じて勝ち抜く姿が格好いい。いずれの対局もインパクトのある戦形で見どころがあり、演出も優れています。強い棋士が指すと、駒が光るんですよ!
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何より魅力的なのは、実在の棋士をモデルにした登場人物たち。*2軒並み奇人変人ながらも、対局描写からは棋士としての誇りを強く感じられ、迫力ある表情、台詞が強い印象を残す。この辺りは能條純一の見事な手腕と言うほかない。神を自称する名人・滝川やいわゆるデジタル世代である一方氷室への強い執着心をもつ佐伯など人間味を感じさせない棋士が感情的な氷室と上手く対立しています。キャラ紹介漫画でもあります。
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↑登場する変人たち(ごく一部)
巻末には監修の川口俊彦さんによる2Pのコラムが掲載されていて、これがまた面白い。1993年連載開始ということで、米長邦雄升田幸三大山康晴の紹介に始まり、羽生善治新星として紹介されるなど時代を感じられて興味深い。
将棋を知らない人は何から楽しめばいいやらですが、こんな感じで棋士から興味を持ってみたり、日曜午前のNHK教育NHK杯を観たり、タイトル戦に注目してみるのはいかがでしょうか。中継のある対局なら、今は叡王戦本戦が佳境に入りつつあるので将棋連盟サイトから日程を調べてみましょう。
しかし何より注目したいのは将棋界のトップ、名人のゆくえ*3です。皆さんは将棋界の一番長い日という言葉をご存知でしょうか。三月上旬に行われるA級順位戦の最終日のことです。名人戦挑戦者やB級1組降格者の決定はこの最終日までもつれ込むことが多く、非常に重要な一日として棋界内外から注目されます。毎年長時間の力戦が繰り広げられ、日を跨いで熱戦が続くことも珍しくありません。今年度は5連勝と好調なスタートを切った豊島八段が直近2連敗を喫し、羽生竜王と久保王将と並び2敗組が3人*4と面白い展開になっています。


最後に、僕はアイマスも好きなんですけど、去年あたりから81m@s(将棋×アイマス)動画が増えています。
元々、『春香と学ぶ将棋講座』で将棋のルールを紹介したり『アイドルペア将棋』でアイドルが対局する試みはあって、更に眉間飛車Pの『81マスのマーメイド』は将棋とドラマが一体となった世界観が画期的で、演出も工夫された傑作でした。
それから数年が経った2015年、KKPPによる『盤上のシンデレラ』という動画が投稿されました。

アイドル=将棋指しだったんだよ!という世界でのモバマスキャラによる将棋動画。
KKPPの棋力の高さ、将棋内容の深さ、アイドルの個性の扱い方、演出・BGMの分かりやすさ*5、どれをとっても優れています。居角左美濃急戦や天彦新手*6など本当に当時の最新定跡まで研究しているのが凄くて、こんな動画って中々ないんですよね。投了のタイミング、事前研究の価値、解説者の在り方、ソフトの評価値の見方など扱うテーマも深い。世界観も物語も面白いし、島(村卯月)の早投げという小ネタから始まったとは思えないクオリティです。
話が盛り上がってきたところで、残念ながら昨年秋の18話を最後に製作が中止されてしまったのですが、今も続いていたら雁木とか採用してたんだろうなあ……
このシリーズが話題になったのをきっかけに、より物語寄りの『神崎蘭子の将棋グリモワール』などいくつかの作品が投稿されました。新時代感ある。
なんか今年は漫トロ内にPが増えたようなので、是非見て欲しい。


終わりだよ~(o・∇・o)

*1:ナるべくカのじょのメにとまる作戦のこと

*2:滝川(谷川)、大原(大山・中原)、村森(村山)など

*3:行方八段がいるので漢字だとややこしい

*4:先ほど、羽生竜王が投了。3敗に後退した。

*5:脳内将棋盤パリーンも終局のテーマも大好き

*6:佐藤天彦八段(現名人)の角換わりにおける新手・5四銀のこと。公式対局で初めて指される以前にシリーズ第4局で解説されていた

【12/20】TRPG「フィアスコ」と二つの倒錯

こんにちは、りんごです。

もう年末ですね。卒業単位を揃えることもままならない、みたいなことを冒頭に書こうとしていたのですが先にやられてしまいました。人生は予測不可能。

TRPGの話。ここ数年でTRPGはかなり市民権を得ているような気がします。自分も友人と卓を囲んで夜ふけに楽しんでいます。(夜要素消化)

幼稚園のころやった「ごっこ遊び」にいくらかのゲーム性を加えたこの遊びは、ニコニコ動画でのリプレイ動画などから更に広い人気を得ました。そうしたリプレイ動画を見て「自分もやってみたい!!」と思った人は多いはずです。

ただ、TRPGにはGMの存在が不可欠で、セッション前の準備もあることからなかなか気軽に遊べず、周りの人間を誘いにくいと感じることもあるのではないでしょうか。

そんな人にオススメしたいのが、最近日本語訳が出てBGB様からもリプレイ動画の出たこのシステムです。

Fiasco

Fiasco

harrowhill.rdy.jp

この「フィアスコ」、セッションにおける特定のGMがいません。事前にシナリオを用意する必要もなし。なぜなら…その場でシナリオを作っていくTRPGだから!!

君と大惨事を作るRPG

その名に違うことなく、『フィアスコ』のキャラクターたちはそのほとんどすべてが酷い目にあいます。死ぬことだって普通にあります。それはこのゲームが映画『ブラッド・シンプル』『ファーゴ』など、間抜けで三流の悪党がその身に合わない野望を抱いて、穴だらけの計画で大仕事に挑むといった映画からインスピレーションを受けて作られた作品だからで、酷い目にあうことが前提となっています。

では、そんなゲームが面白いのか。いや、それが面白いんです。面白くなるように設計されています。
(公式サイトより)

公式・非公式に出ているいくつかのプレイセット(舞台設定)から一つ選んでプレイヤーが場面を作りシナリオを繋いでいく、というのが基本的な流れなんですが、この舞台設定がまたニクい。隔離された南極基地、西部の田舎町、ドラゴン退治を終えたパーティの後日談…破滅のニオイがプンプンしませんか?

そう、このフィアスコで描いていくストーリーは「堕する」物語。PCはゾンビ映画で最初に死んでいくような人間ばかり。セッションの最初のフェイズでキャラ同士の関係性を作っていき徐々に肉付けするのですが、これが楽しい。振ったダイス目を消費しながら、自分-他人や他人-他人の関係にプレイセットから選んだ不和のタネをぶち込んでいきます。

ゲームシステムの話を少し。フィアスコでは順繰りに手番が回ってきて、「自分が場面を作る」か「作ってもらった場面でどういう結果になるかを選ぶ」の どちらか一つを行います。つまり、自分の思った通りの展開は行えないのです。このシステムこそが、予測不可能で倒錯した人生をセッション内で表現する機能を担っているでしょう。

僕が云々言うより、リプレイを見てもらう方が面白さを伝えられるという悲しい確信があるので、先程も言及したBGB様の動画をどうぞ。
www.nicovideo.jp
この間試しにやってみた感想としては、普段他人の書いたストーリーや構成に色々と言っている人間がお話づくりの芽生えの部分を体験できて大変楽しかったです。

漫画の話。セッションがしたすぎて「TRPG」でアマゾンを巡っていたらこんな漫画を発見しました。

クトゥルフ神話TRPG4コマ ゆるるいえ!

クトゥルフ神話TRPG4コマ ゆるるいえ!

この作品、女子高生がTRPG部を立ち上げるというお話なのですが、ここに出てくるキャラクターは全てリプレイとして書籍が出版されている「るるいえシリーズ」に出てくるPCなのです。PCがPLとして漫画内のセッションでPCを演じる…頭が蕩けそうな倒錯具合ですね。こんな頭じゃ、卒論なんて書けるわけないよね。

何が言いたいかというと…フィアスコやろうぜ!
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(おわり)

【12/19】THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 5thLIVE TOUR Serendipity Parade!!! SSA 1日目とそれとは何の関係もない日の夜

黒鷺です。今年は回生順の更新に相成るはずでしたが、わけあって交代しました。
テーマは夜ということなので、夜と漫画の話をいずれします。

(本記事において「アイドルマスター」という単語を、主に「シンデレラガールズ」を指す意味で使っております。アイマスの懐が深いことは重々承知しておりますが、自分の知っている範囲で語っているだけであり、ミリオンやMマスを排除する意図はありません。)
私がアイドルマスターに興味を持ったのは今年に入ってからでした。それ以前も、73やふわふわといった会員らがイキ狂っているのを横目に見ては、近寄らんとこと警戒していましたが、この春、就職活動で疲弊している時に、「アイドルマスターシンデレラガールズ劇場 1話」のにゃーにゃー喋る双葉杏を観て、ふと魔が差し、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージスマートフォンにインストールしました。



(シンデレラガールズ劇場1話。飴を頬張る双葉杏。かわいい)
そこからゆっくりと溜まっていったアイドルマスターへの感情は、お盆に開催された5th LIVE さいたまスーパーアリーナ公演のライブビューイングを千葉に見に行って、弾けました。そこは、ある種異常な空間でした。
普段は映画館として利用されている、真っ黒な箱の中で、どこかで行われている(と信じられている)、フィクショナルなキャラを演じる人々の映像を見ながら、光る棒を両手に握りしめた人間たちが、音楽に合わせて立ちすくみ、声を上げ、躍り、棒を振り、光の色を変え、涙を流しているのです。はて、さっきまで僕は、どこかの国がミサイルを打ってくるか来ないかという漠然とした危機にいたような気がしたのに。今は、ただ、祈りと熱狂で満たされた世界にいる……。
アイドルマスターのライブというものを初めて観ましたが、それは、あらゆる文脈のごった煮のような、儀式めく体験でした。
最初に面食らったことは、声優が、声優として喋っていることでした。「こんにちは、赤城みりあ役の黒沢ともよです。みりあだよー。今日はみんな、いっーぱい楽しもうね!*1」というように、彼女らは声優で、連続的に、アイドルで在りました。てっきり観客は虚構世界への没入を求めてきているのだと勘違いしていた私は、ハッとしました。「~~役とか言っちゃうんだ」、と。彼女らは、キャラクタを降霊させる顔のない依代としての役割を超え、この地上に存在しない偶像のライブを現実たらしめるための肉体が彼女らでなければならない必然性を、その身に湛えていました。*2
そのうえ彼女たちは、曲間のトークにおいて、歌っているときの振り付けや歌詞にさえ言及しました。「Kawaii make my day!!」の衣装や振り付け、口パクに言及する都丸ちよ。「パッション橘でした」と語る佐藤亜美菜など。ここで私は、ある種の混乱を受けました。「彼女らは舞台上で歌っているときでさえ、キャラクターであるというわけではないのか?」
例えば、本来3人ユニットであるにもかかわらず、今日のライブには2人しか参加していない。そんなとき、その場に居ない声優の立ち位置には、キャラクタの映像が投影されていました。その演出*3から、私は、歌唱中の声優はそのアイドルになりきっているものだと思っていたのですが、後からメタ的な解説がなされることで、歌唱中でさえ、降りてきたアイドルしての歌唱と、声優の演技者(或いは、シャーマン)としての自覚が、重なって存在していたということが指摘されました。あたかも憑依合体のように。


(シャーマンキング1巻。優れたシャーマンは霊と合体しても自我を失わない)
さらに観客がその発言を自然に受け容れていることも僕には驚きでした。観客は、キャラクタの虚構性を受け容れながらもそのパフォーマンスを信用している。これがアイロニカルな没入か?
この時点で、アイドルマスターのライブが、単に架空のアイドルたちのシンデレラストーリーというだけでなく、個々の声優の成長の物語としても見れると感じました。

勿論ながら、アイドル自身もそれぞれ文脈を持っていました。
それが最も明らかだったのは、声がついて初めて舞台に立ったアイドルたちです。彼女らは、観客として集まったプロデューサーたちのお陰で、シンデレラの階段を一歩一歩登り、声優という声帯を獲得し*4、声優を依代にして、舞台に顕現することを叶えたのです。それは、アイドル自身の物語でもあるし、それを応援してきたプロデューサーにとっての物語でもあるわけです。*5自分が応援してきたアイドルが、文字と絵だけの存在だった彼女が、声を持ち、歌い、眼前で踊っている!これだけの歓声を浴びている!これは自分がプロデュースしてきたからだ!客席に集まった人々は、舞台を盛り上げる観客であり、アイドルを応援してきたプロデューサーでも、確かに在ったのです。
またその、自分たちが参与しているという感覚を抱かせる仕掛けが、巧みだなと感じました。アイドルの属性ごとにペンライトの色を変えますし、ほとんどの歌にはコールがありました。観客たちは単にアイドルの歌を消費する役割ではなく、ライブ空間、或いはライブ現象を、より完璧せしめる一つのピースとして、確固たる地位を占めていました。*6

このように、アイドルマスターのライブでは、声優の文脈、キャラクタ自身の文脈、観客(プロデューサー)の文脈が、わやくちゃになっていました。そしてさらに、アイドル同士の文脈が、持ち歌を入れ替えるDJぴにゃコーナーによって、より立体的なかたちでライブを盛り上げていました。
「も、森久保乃々が『あんずのうた』を!?」(引っ込み思案なキャラクタが、「働きたくない」と謳う別のキャラクタの曲を!?)「神谷奈緒が『Never say never』を!?」(あるキャラクタのソロ曲を、その親友が!?)といった、もともとあった関係性を利用して、その魅力を増大させるような試みも為されていました。文脈を理解しているからこそ、より興奮する仕掛けが沢山ありました。(そしてニワカ者の私にはその多くがわかりませんでした。それでもライブは非常に楽しかったです。)

ライブは、アイドルマスターというコンテンツに蓄積された文脈を一挙に回収する祝祭の場として機能しているのだな、と感じ入りました。

私たちは、必然性に裏打ちされた一本の物語を生きているわけではありません。唐突な理不尽や、偶然の幸運など、散発的な事象に支配されて生活を送っています。それを一つの物語として筋を通そうと努めることが人生なのかもしれません。その点、アイドルマスターは、ある種の物語に参与しているという感覚を、非常に純粋なかたちて提供してくれます。アイドルたちは正の感情を振りまいてくれる。それを自分も応援できる。身体性を伴う参与の感覚も与えてくれる。あぁ、明日から頑張ろう。そう思えますよね。だってシンデレラはがんばりやなんだから。


そういう前置きを経て、自分も物語性に回収されながら生きているなと思った夜の話をします。

ある火曜日の昼に、健康科学の講義を受けていました。僕はD群(体育系)の単位をあと1単位取れば卒業できるという状況にあります。
PCを開いて課題に取り組んでいた折、ふとKULASISに今期の時間割の確定版がアップロードされていることに気づきました。何気なく見ると右下に、卒業要件充足状況の表がありました。そこには、自分が想定していたとおりの数値が載っていましたが、違和感を覚え、よくみると、ある但し書きが目に入りました。

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(今期履修登録科目を全て修得した場合)
????
ある創造的な後輩が単位取得要件を誤解していて卒業の危機にあると言っていたことを思い出しながら、私は京都大学 経済学部 卒業要件で検索をかけました。
そこには、D群の単位は、実習2単位・座学2単位の計4単位でないと認定されないと記されていました。私は実習1単位・座学4単位の計5単位で卒業しようとしていました。
私は糸の切れた風船のように席を離れ、全学共通科目の事務所に向かいました。「卒業要件を勘違いしてたんですが、スポーツ実習って……」12月の半ばに何を言っているのか、とにべもなく。卒業要件のことなら学部の教務に行けと促され、教務に行くが、「こちらとしても便覧の文面を確認することしか出来ない」と言われる。むざむざ卒業を逃そうという学生を前に何も出来ないと言うなら、あなたがたは何のためにおられるのでしょうか*7
そこで私は、スマートフォンを家に忘れたことに気づきました。想いを吐き出す相手もおらず、内定先や家族にどう謝るのか考えながら、とりあえずオグリビーの家に歩いて行きました。
ドアを蹴り開けると彼はベッドに横たわっていました。起きていたのか眠っていたのか思い出せません。私は訥々と事情を語りました。泣き出さないように言葉を紡ぐとこらえきれず声が震えました。
「集中講義でなんとかならんの?」とオグリビー。
おいおい、留年回避のエキスパートかよ。
経済学部の要件では、D群の4単位は、A/B/C群いずれか余剰4単位あれば代替できます。そこで集中講義の告知を調べると、阿蘇山への地学調査(B群4単位)*8があるやん! ただし、卒業認定には間に合わない可能性があります。

ともかく私は一縷の望みを繋ぎました。
これから追加される(かもしれない)集中講義で4単位を履修でき、かつ修得し、かつその認定が卒業審査に間に合えば卒業できる。間に合わなければ……。
そのあとはオグリビーと東山湯に行って、別れました。

夜です。
家に帰って玄関を開けると、左手にはすぐ本棚があります。
オグリビーに薦められて買った小説の背表紙が目につきました。

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

このアドベントカレンダーのテーマを聞いた時、この本について書こうかなんて笑いあったっけな。
僕は記憶力が悪く、読んでも内容をすぐ忘れてしまうので、良いなと思った一節に付箋を貼るようにしていた時期がありました。
パラリとめくるとこんな台詞に付箋が貼ってありました。

「でも俺達は、なんていうか、味方ってことにするのはどうだ? その時むかついてても、全然会ってなくててもさ。 ……たとえばどちらかがやらかしたことが気に食わなくて、許せなくても、味方ってことにするというか……。 誰かそういう人間がいると考えると、生きやすい」

電気を消して布団に包まり天井の闇を睨んでいると、現状は多くの安全弁をすべり落ちた末のどん詰まりであることが否応なしにわかってきました。前期で実習を履修していればよかったわけだし、後期で単位要件を確認するなり、一応実習も登録しておくなり、A群B群の講義も暇つぶしに受講しておくなりすれば、現在の最悪の状況からはかなり違っていたわけで、「あのときこうしていれば」「どうして自分は」と、過去の怠慢の精算を一つ一つ迫られているような感覚に、笑いさえこみ上げてきました。
ヤバイと思ったので電気をつけて『逆境ナイン』を読み始めました。

逆境とは、自分の甘い予想
とはうらはらに、とてつもなく
厳しい状況に追い詰められた時のことをいう!!
だがそれは男の成長に
必要不可欠なものだと
人は言う!!

逆境ナイン』とは、現在「アオイホノオ」を好評連載中の島本和彦の代表作の一つで、主人公・不屈闘志が率いる、地区大会も勝てない弱小校である全力高校野球部が、気合で甲子園優勝を目指す作品です。この作品の凄まじい所は、作者の持つ”根拠なき勢い”と"そのエネルギーに裏打ちされた力強い断言"で、どうしようもない逆境をバキバキしばき倒して進むところです。甲子園常連校に練習試合で勝てなければ廃部だと言われても、地区予選で109点差つけられても、それは男の器が試されている逆境にすぎない! キアコンというとどうしても権威的な説教臭さに繋がりがちに思えますが、今作からは後ろ暗さを感じません。ハチャメチャな打開策に笑いながらも、その前へ進んでいく熱量に、気づけば背筋を伸ばしてしまっている。そんな漫画です。
読み返して印象に残ったのは、主人公が幼いころ父に泳ぎを教わったことを思い出すシーンでした。
初めて25mを泳ぎきった5歳ぐらいの闘志くんに向かって、父はこう言います。「お前、直前で足を着いたろう? よくやったが闘志! お前は決して25メートル泳いだわけではない! 今のお前はなにもやり遂げたわけではない! ただ失敗しただけだ! お前はただ! 失敗したんだ!」「24メートル泳ぎ切った時に、その功績に満足した……もうすべてなしとげた錯覚に陥ったのだ!最後の瞬間を前にして後ろを振り返った!」と鬼詰めされる闘志くん。
「出来る男は目標に到達しても振り返らない!!」
「な、なぜ?なんで振り返っちゃいけないの?」
「その先にまた新たな目標が見えてしまうからだ!!
  出来る男に振り返ってるヒマなどーーないっ!!!」

なるほどなぁ。躁転したので眠りました。はっきり言って、うっかり失態を犯したからって過去の出来事を拾い集めて必然だったみたいに物語に回収する態度は褒められたものじゃないと思います。今出来ることに全力を尽くそう。そう思わせてくれる名作です。
ドギツイ・メメント・モリを喰らいましたが、か細い道を辿って卒業したいと思っています。
できなかったら? そんな奴の運命などオレはもう知らんよ。

(黒鷺)

*1:ゴメンナサイ。正確な喋り方は覚えていません。

*2:それは、誰だか忘れたけども、「~~役のーーちゃんとは事務所の後輩で、今日は初めて同じ舞台に立ててとても嬉しい」、というコメントであったり、すみぺの、「以前はアーニャを見せないとという重圧を感じていたが、今は、『すみぺ、そのままで、いーよ』という、アーニャの声を感じる」といった発言からもわかりました。

*3:私の記憶ではそういう演出があったのですが、本当にあったんでしょうか?

*4:概してアイドルマスターのキャラクターは、まずゲームにイラストと文字の台詞だけで登場し、選挙で上位を獲得して初めて、声優がついて、CDデビューという段階を踏む。

*5:新人声優の物語とも読める。

*6:さらに言えば、そこで歌われる曲の多くは、普段から音ゲーでプレイしており、既に身体に染み付いている。

*7:少なくとも僕のような落第生を救うためではあるまい。

*8:たまたまオグリビーは地熱の研究をしている

【12/18】「宝石の国」第⑧巻の以前/以降をどのように考えたらよいだろうか

こんばんは。シラバスは自分で読むものではなく、教務課に読んでもらうものであり、あなたがもし大学生なら、「はい…院も受かってて…単位が条件を満たしていないことについ先週気づきまして…どうか…授業を受けさせていただいて…単位を認定していただけないでしょうか…テストも一生懸命勉強しますので…」と先生に泣きつく四年目を迎えることのないよう、早め早めに教務課に行って、単位を計算してもらいましょう。*1



ところで、「ここから先はネタバレです」というような文言を、ネタバレ程度のことでその作品の強度が損なわれるというのかい、という読み方をする人もいるらしいと聞く。なるほどである。ただし、こと未完結の漫画に関しては、その多くが連載という形式をとっているし、生まれたての一話、生まれたての一巻を読むことの喜びもあるのだろう。



宝石の国』第八巻の話をします。
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*2



待望の新刊に収録された内容はとても濃密なものであった。本日の記事では、それついて筆者が受けたショックについて断片的にメモしておく。文ピカで次号のアフタヌーンを楽しく読むために。



目的を失う物語



これまでフォスが失ったものを整理しておく。
・フォスフォフィライトはシンシャの〈新しい仕事〉を探して深海で足を失う(2巻76-77頁)
・シンシャへの思いが流氷に反響し、それが原因で両腕を失う(→3巻74頁)
・その腕が動かないままアンタークチサイトが奪われる(→3巻136頁)
・先生の秘密を暴くという(やはり)シンシャの新しい仕事を考えながらゴースト・クオーツを奪わる(→5巻末-6巻冒頭)
・カンゴームが(フォス自身と同じように)腕を失いそうになったとき、またも軽率にみずからの頭部を失う(6巻178頁)。

「仲間のかけらを月から取り返す」ことをひとつの軸として、読者は『宝石の国』を読んでいたはずだ。しかし第八巻で明らかになることには、もうそのかけらは再構成不可能なまでに粉砕され、月を輝かせているのだった。画像はその経緯を淡々と、しかもきわめて露悪的に説明を進める王子エクメアの様子
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市川春子先生は、七巻までの宝石たちの営為を、たった冒頭の数十ページでまったく無意味なものにしてしまった。まさかフォスの感情や、読者の予想を粉々にするためだけに、ここまで思わせぶりなストーリー展開を用意していたのだろうか?



碇シンジ使徒の国を観光するだろうか



ところで、あくまでこの浩瀚な作品の一側面として、ということだが、(とくに前半の)これまでの宝石の国は、無性別・無生物化された「エヴァ」+「アイドルマスターシンデレラガールズ」という風に読むこともできただろうか。
仮にそういう読み方があったとして、第八巻の冒頭はそういった読み手の前提を裏切る。これまで不気味な存在でだった敵が生き生きとしゃべり出し、呆然自失の状態のフォスフォフィライトは月人の世界を「観光」することになる。
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たとえば碇シンジ使徒と話し、まして使徒の国を「観光」する、なんてことを、ぼくらは想像できただろうか。この底抜けのラディカルさ、底抜けの脱力感をやってしまって、この作品はこれからどうするのだろうか。当たり前のようにペラペラとしゃべりだす月人に対するフォスの怒りは、そのまま読者の行き場のない感覚を代弁してくれるものでもある。
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ヘテロセクシュアルの導入



「君たちが先生とよんでいるあれは/人間が最後に作った/祈りのための機械だ」。
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筆者はこころからこのコンセプトに感動した。途中まではだれかが祈るとして、最後の人間には、だれが、というと、それを担当するのは、アンドロイドなのである。魂の救済のために機械を作って死ぬ。なんともきれいに自己完結した滅亡の仕方ではないか。しかしそううまくはいかなかった。金剛は途中で壊れてしまって、人間の魂のいくつかの個体は安らぐことなく、月で呪いにかかったように生き続けている。魂の成仏が人類末期では科学的に観測可能とされているという設定もすばらしい。


さて、「人間の雌」の登場を、ここでは重く受け取ってみよう。
「博士というのは?」「金剛を作った人間の雌だ/彼女の再生を試みているがあれが現在の限界だ」
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「博士」が女性であり、人間の雄のかたちの僧侶機械を作った、という事実を通して、『宝石の国』は初めてヘテロセクシュアルをこの世界に導入することになった。

第七巻、月人たちが金剛を動揺させるために導入した「偽物の博士」の姿が、「ルチルっぽ」いものだったというフォスフォフィライトの証言も思い出しておこう。ともすれば、金剛は、自分を作った博士の姿を求め、宝石たちの姿を加工する「男」として、あらためて立ち現れてきてしまうのではないだろうか。博士=母の姿を求めて娘を作り続け、その疑似家族の維持を夢見る……という、ヘテロでロマンティックな(つまりキモい)この反復の構造が見えてきはしないだろうか。



これまで、無生物・無性別を享楽していた読者はここでも絶望したかもしれない



もし無性別化したアイドルマスターシンデレラガールズというものがあるとしたら、それはある種のユートピアたりえただろう。男という中心をめぐる少女たち、というあの構図をいったん棚に上げて、無性別で無機的なもののセックス・アピール*3というフェティッシュの世界が、「宝石の国」には開けているように思われた。個人的なことだがじじつ筆者は、無機物のセクシーさ、その内臓なき「断面図」、痛覚のないリョナ、といった、鋭利なエロスを心ゆくまで楽しんできた。アニメ「宝石の国」のコケティッシュといってもいいようなキャラクターデザインやショット*4も、その悦びを観るものに仕組んでいるだろう(いまこの世界のどこかで、「宝石の国」に性の目覚めを経験している小学生がいるかもしれない、と考えると、筆者はどうしようもなくときめいてしまう)。
しかしいまやここに広がっている風景は、ともすれば、なんともヘテロで情けないものではないだろうか。



メタ読みの導入



また、博士という女性の存在から、ついにメタ読みに導かれてしまう読者もいるのではないだろうか。つまり、テクストを生み出し、決して直接的にはテクストに表れない作者と、金剛を作り出し、死に絶えた人間としての博士――との、パラレルな関係である。このようなメタ的な読み方が許されるとして、示唆される二つのポイントを示しておく。

メタ読みの示唆① 人間は無責任であり、作者は

宝石の国』では、人間は無責任なのだった。まずは金剛が博士に対して発したこのセリフがあり、
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そして月人の王子エクメアがそれを反復するように以下のようなセリフをつぶやくのである。
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金剛のセリフについて。ここで金剛が手にとっているものは、のちに王子エクメアに明かされるように、「分子構造パズルゲーム」である。きっと、博士は、「特定の結果に至るようにつくられていない」このパズルゲームを使って金剛と遊び、鉱物の組成やあるいは生物の組成について様々な考察を得たり、金剛にその構造を教えたりしたのだろう。しかし博士は「造ったものの終わりまでは考えていなかった」。人間のためにつくられ、そして人間がいなくなった地上でのアンドロイドに、もはや何ができるのだろうか。*5

一方エクメアが言っていた「思いやりのなさ」も同様に人間たちにいうものである。人間は勝手に生きて、勝手に死に、勝手に救いの機械を作り上げ、その機械については最後まで責任を持たず、そしてわれわれのようにやり場のない魂を月に残してしまったのだ。ここで言われるのは金剛の創造主(クリエイター)であるところの人間の無責任さである。

余談 それでもなお、市川春子先生はこの「人間の無責任さ」に準じた「作者の無責任さ」に甘んじることなど、きっとないのだろうと、私は信じる(たとえば宮崎駿ならこのあたりで全部洪水に押し流してしまうのではないだろうか。でも、それじゃきっとダメなんだ。ここでめちゃくちゃにしてくれなくて本当によかった)。むしろこの作者は、第八巻の後半部分から、フォスフォフィライトの絶望にすばやく対処していくことによって、その懸念をおどろくほどの速さで払拭していく。エヴァをひきずるの普通の物語なら、このぐじゅぐじゅをもっとこねくり回していたのではないだろうか。



メタ読みの示唆② フォスが自壊しないので、読者もあきらめてはいけない



そう、読者はあきらめてはいけない。なぜならフォスはまだ壊れていないからだ。いやほとんど壊れながらにして、ぎりぎり壊れていないのだ。
先ほども、フォスフォフィライトが読者の心情を代弁してくれているシーンを紹介した。第八巻の前半部で、急激に変動した世界に振り回され続けるフォスフォフィライトは、市川春子先生に振り回され続ける読者にちょうど対応している。もちろん、多くの読者もここまでのことをされたなら自壊を迫られる。連れ去られてきた多くの宝石たちがそうであったように。

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しかし、(文字通り)心も体も粉々で、(文字通り)アマルガムとなってしまっているフォスフォフィライトが、これまでのすべてをかなぐりすてて、どうしようもなく前に進んでいくように、われわれ読者も、物語観のアップデートを迫られている。これこそが、市川春子先生が周到に用意した、読者への暴力的な贈り物ではないだろうか。



今後の展望



では最後にこれからのフォスフォフィライトの展望について。
月人はほんとうの成仏を目指し、フォスフォフィライトはその試みに同調するのだが、ここでフォスの動機になっているのは月人への同情のためだけではない。その裏にある目的は、月人と先生の関係を暴くこと、そして金剛先生を「卒業」することと、シンシャに居場所を与えること、である。

しかし八巻の末尾では、「月人と先生の関係を暴くこと、そして金剛先生を「卒業」すること」と「シンシャに居場所を与えること」が両立しないことが明らかになる。シンシャは新しい世界への脱出を、「先生がかわいそう」だという理由で断ったのだ。宝石の「国」=金剛の作り出した疑似家族、に倦みつつあったダイアモンドらと、あくまでフォスフォフィライトに懐疑的な他の宝石たちとの間にも「訣別」が生じつつある。もはや物語はより複雑な方向に脱走している。

フォスフォフィライトというテセウスの船(よくまだ保ってるよなあ)に導かれて、読者は宝石の「国」を脱出し、さらに複雑なストーリーをたどることになるだろう。ここまできて、もし市川春子先生がこの作品に最後まで責任をもって描き続けることができるなら、やっぱり、天才だ。



追伸


アドカテーマ要素を忘れてたのでシンシャくんの画像を張ります
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*1:単位制即刻廃止して♡

*2:どうでもいいけど第七巻まではあったAFTERNOON KC XXXXの連番が第八巻からはなくなってますね

*3:この本おもろそう but 読んでない

無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)

無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)

*4:アニメ第六話のダイヤモンドのおしり観て

*5:なんやねんこのエモエモエピソード?市川春子って神だわ

【12/17】ハプバーにはよく腐女子が来る

17日担当のりるっとです。腐女子です。冬コミ落ちたのになぜか原稿に追われています。

テーマ「夜」……。小学生の頃、ちょっとエッチな漫画として「けだものだもの」って少女漫画が好きでした。主人公の友達のガキンチョ代表みたいな男の子が、夜になるとエロエロの女の子に性転換しちゃうって話。

ああ、試し読みを読むと読み返したくなってきました!
私にも八神千歳先生とかの漫画をエッチだ……って思いながら読んでた時期があったんだなぁとちょっとおセンチになりました。

ラブぱに 1 (ちゃおフラワーコミックス)

ラブぱに 1 (ちゃおフラワーコミックス)

八神千歳先生の漫画はこれが1番エロかった気がします。

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漫画紹介は以上で終わりまして(ごめんなさい)、いつかどこかでまとめたいと思っていた「ハプバーに行ってみた話」をします。ネタがないねん……。

8月某日、18きっぷで漫画を読みながら東京へ。旅の目的は東京国立博物館の国宝・三日月宗近の展示を見ること、そしてハプニングバーに行くことでした。

ハプニングバーというのは、ハプニングが起こるバーのことです。男性は入会金7000円に入場料8000円、夜延長9000円かかりますが、女性はすべて無料です。しかも中に入れば飲み放題。おつまみ食べ放題。つまりハプニングとはそういうことです。

既に行ったことのあるtwitterのフォロワーさん2名と中学からの友人1名を交えて女4人で行きました。

入店してからは女性店員さんに連れられて、全てのお部屋とシステムの丁寧な説明がありました。そんなに広くない縦長のワンフロアが地下1階から2階まで合わせて3階あります。説明が終わると地下のバーカウンターへ。男性がひと席ずつ開けて飲んでいるカウンターにひとりひとり分かれて案内されました。いきなり友達と離されてしまい不安でしたが、女性店員さんがいい感じに話を振ってくれて、隣の男性やその人越しの友人と世間話をします。どこから来たとか、普段は何をしているとか。結構普通のバーです。半裸のおねえさんがポールダンス踊ってるけど。



店員さんとアニメの話をしたり。
店員「あっ、腐女子なんですね。私、頼まれて燭へし*1小説の表紙描いたことありますよ~」
世間狭すぎる。

店員「女性団体客は大体腐女子ですよ
なるほどね……。確かに一部の腐女子は変わったバーとか好きな気がします。SMバーレポとかバイブバーレポとかストリップショーレポとか見ること多い。

腐女子は自分の性を萌えの対象としていないから、お気軽におおっぴらに性について追求している人が多いなと思います。


ハプバーに来たのは他人の本番ハプニングを見てみたかったからですが、見ることはできませんでした。お盆近くで初めてのお客さんがたくさんいたからみたいです。

ハプバーと言っても、客と同じくらい店員さんがいてずっと女性のいるグループを会話に参加しながら見張っています。男性客は出禁になりたくないために女性客には同意がない限り指一本触れません。そこは安心して楽しめました。

下心があるからでしょうが、とてもちやほやしてもらえて楽しい。仕事帰りのスーツのアラサーサラリーマンに肩揉んでもらってる時のなんともいえない高揚感。

本番を見れてないことを言い訳にまた行ってみたいですね。



*1 刀剣乱舞の燭台切光忠×へし切長谷部のBLカップリングのこと。

【12/16】今晩は、 つまらない映画。

寝るまでが今日。こんばんわ、kurabo(仮)です。


あまりに無気力に日々を過ごしている僕はしばしば夜更かしをします。宿題・テスト勉強がある日はよく徹夜になります。勉強できる気力なんて僕にはないのに、長い夜を明りも点けずに如何にして過ごしているのか。最近の僕はどうぶつの森*1リバーシ大戦*2Twitter*3をしています。意外とこれだけでも一晩過ごせます*4が、すぐに退屈を感じます。そういうときはテレビをつけるのです。既に見たことのあるバラエティ番組、映画、アニメです。この記事を書いた晩もシン・ゴジラを3回くらい再生しました。水曜日のダウンタウンドラゴンボール超は録画して毎週2,3回は見ています。



しかし、ながら見と言えど3回見れば飽きます。
しかし、見たいと思ってる映画*5をみることはできません。ながら見なんてもったいない!
しかし、つまらない作品なら勿体なくもありません。
僕が見ている具体例に『アメトーーク!』や『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A 』があります。

↑実は読んでない
ご存知ですか?咲と言えば女子高生がすごい麻雀をするという有名な連続テレビドラマ(映画)ですね。

*1:この記事書かなきゃと思い立ってから6回どうぶつが入れ替わって沢山のタスクをこなせた、レベル43

*2:レーティング1700、定石の暗記をさっき始めた

*3:夏に始めた。1年前まではvipに居たが最近アプリがフリーズするようになって見なくなった。冷静に考えるとvipのほ方が面白いかも(フォローの質?)40フォロワー。

*4:授業が詰まった一日も過ごせる

*5:見たほうがいい思ってる。たまにピラタスと一緒に見る。

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【12/15】過去好きだった漫画たち

ピラタスです。先日、オグリビー先輩とQP先輩と夕ご飯を食べていたところ、「小中高時代何をして過ごしていたか」という話題になり、言葉に詰まってしまってしまうということがありました。何をしていたか改めて考えると………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………漫画を読んでいた??

思うと漫画読みサークルに入っておきながら好きな漫画の話をすることも自分はあまりなかったので、好きな(好きだった)漫画を数作紹介してアドベントカレンダー代わりとしたい。

大長編ドラえもん全集

初めて自分のお金で買った漫画。映画ドラえもん25周年を記念して出版、それまでの映画の漫画版が収録されている。小学校時代は台詞を空で言えるくらい読み返していた。
25篇ほど収録されているはずだが、本当に全部面白い。ドラえもんはどれだけ話が壮大になっても違和感が出ないのが良い所だと思うのだが、その点「大長編」は魅力を発揮するのに適している。過去に未来に、宇宙に海底に夢の中、「もしもボックス」の中の世界など、色々な場所を舞台にのび太一行が冒険する。特におすすめは「日本誕生」「銀河超特急」「海底大冒険」あたり。あとこの大長編全集にはなぜか「のび太のパラレル西遊記」だけ収録されていなくて、長年気になってる。明日にでも観てみるか~(暇大学生並感)

②金色のガッシュ

雷句誠先生のヒット作。魔界の王を目指す魔物の子がパートナーの人間と共に戦っていく…というバチバチの少年漫画。この漫画、設定が好きなんですよね。100人の魔物の子が人間界で戦って、最後の1人が次の魔界の王になる。パートナーの人間には本が手渡されていて、その本を燃やされると魔物の子は消えて、魔界へ帰ってしまう―――という設定。殺し合いをしているわけではないから心優しい人間も魔物の子に協力するし、戦いに負けた側も死ぬわけじゃなくて、二度と会えなくてもどこかの魔界で元気にやっている。優しい設定だなと思うし、別れのシーンではいつも良い少年漫画を演出してくれる。

ARIA

前作『AQUA』の続き。火星のネオ・ヴェネツィア(実質ヴェネツィア)という街で一流の舟先案内人(ゴンドラ漕の旅ガイド)を目指す少女の話。主人公と2人の友だち、それぞれの舟漕の師匠(?)の計6人で話が進む。特徴的なのはその澄んだ世界観…不純なものの一切が排除されており、うまくいけばユートピアに降り立ったかのような感覚を享受することができる。主人公の灯里には「世界の「素敵」を見つけられる」という特技があり、物語運びは、ちょっとした事件や誰かのちょっとした悩みが持ちあがり、話の終盤見開きでハッとする台詞を誰かが言って…というのが多い。このメソッドは中盤あたりから確立され始め、ひょっとすると一辺倒のように感じられるかもしれないが、形式的な美学と受け取って楽しめるといいと思う。

イエスタデイをうたって

冬目景の代表作。主人公とその周りの人間たちの恋愛群像劇。冬目景の描く女の子たちのテンポの良い会話劇が読んでいて楽しい。15年以上の歳月を経て色々な設定は忘れ去られ、作者はどんどん棘のない漫画を描き始めるようになったため、終盤では序盤みられたどこかひねた物の見方はなくなり、いつの間にか視点もヒロイン側にシフトするが、相変わらず女の子はかわいい。1巻はよくまとまっていると思うのでとりあえず読んでみてもいいかもしれない。

イエスタデイをうたって (Vol.1) (ヤングジャンプ・コミックスBJ)

イエスタデイをうたって (Vol.1) (ヤングジャンプ・コミックスBJ)



終わり。どういう基準で選んでいるかというと、「よく読み返したもの」。いまは少し資金力があるので何でも新しい漫画を買えてしまうが、昔はそうでもなかったため、好きな漫画を何回か読み返していた。『金色のガッシュ!』は、いまの漫画の好みからはかなり外れるため、やっぱり少年漫画は少年のころに読んどくのがいいんだなぁと思う。
特に中高時代は、本当に友人が少なかったため、学校帰りや休日はフラフラと本屋さんや古本屋さんに寄って、漫画を読んでいた。友人のいない中学生が現実逃避に好きになった漫画が『ARIA』だと言えば、なんとなく悲しいものがある(気がする)……。
あとここで書いてないのでよく読んでたのは「ハンターハンター」くらいかな。






あ、6時半だ、例会、行かなきゃ……。



では良い夜を。ピラタスでした。